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第十七話 竹中半兵衛とコロッケ・前編
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「うわぁ……ずいぶんと遅くなっちゃったな」
左手にした腕時計は午後五時を少し回っている。
生徒会役員でもある日和の手伝いをしていたら、いつもの下校時間を大幅に超えていたわけなのだよ。
夕刻の商店街を早足で通りすぎていくわけなのだけれど——
——ごぎゅるるるるぅ~
「うぅ~お肉屋さんから揚げたてコロッケのいい匂いが……ああ、こっちの大判焼きのお店からは小麦が焼けてる美味しいそうな匂いがぁ……!」
わたしを誘惑する匂いに耐えかねて、買い食いしろー! と言わんばかりにお腹が食べ物を要求してきているのだ。
「くっ……!」
上半身をやや前傾姿勢をとると、わたしは進むスピードを加速させた。
めちゃくちゃ誘惑してくる美味しい匂いに後ろ髪を引かれつつにだ。
——ごぎゅううううう! ごりゅるるるる~!
買い食いしようよって欲求は理解ってるよ、わたしんのお腹くん。
でもね、わたしは早く帰らないといけない理由も理解してほしいのだよ。
「いいかね、わたしのお腹くん。たしかに買い食いは幸せだよ? でもね、その食べる幸福をさらに極上のものにするためにはだね……美味しいご飯が無いとダメなんだよ!」
——ごぎゅう……
ふむ。今のでわたしのお腹も完全に理解できたようだ。
さすがわたしのお腹。ご主人様の言うことを理由できるいい子だよ。
「——と、言うわけで全速力で家に帰るわよ!」
商店街の人の流れをぬぐい、数々の美味しい誘惑を振り切るようにして、わたしは駆け出していた。
◇
——御角家の居間。
「お、なんじゃ? 今日はずいぶんと遅かったではないか? 男と逢瀬でもしておったか?」
家に帰って来るなり、秀吉さんがニヤニヤとした含みのある表情でわたしを出迎えてくれた。
「ずいぶんと機嫌が——あ、なるほど」
視線を下にやると、テーブルには空になったビール瓶が数本ある。
顔も真っ赤にさせているし、秀吉さんはすでに出来上がっている状態なのが直ぐに理解できた。
「ええとですね、逢瀬じゃないですよ。遅くなったのは友達の手伝いをしてただけですし。そもそもわたしには——って、そんなことはどうでもいいです!」
「……なんじゃ。逢瀬ではないのか……つまらんのお」
秀吉さんは早々と興味を無くし、ふいっとそっぽを向くと、テーブルに置いてあったビールジョッキをビールを注いだ。
なみなみとジョッキに注がれていたビール。
それをごきゅごきゅっと喉を鳴らして、恍惚とした表情で一気に飲み干した。
「くっふぅ~! これじゃこれ! この喉がきゅぅっとなら感覚がたまらんのお!」
なんて幸せそうな表情をしてるんだ、秀吉さんは。
「……ゴクリ……」
「なんじゃ、お主。そんな物欲しそうな面でワシを見おって? お主もこの麦酒が欲しいのか?」
「いえ、そうじゃないんですが……」
「なにを遠慮しておるんじゃ。ほれ、ワシが許す。お主も飲むがよいぞ」
秀吉さんが手にしたジョッキからシュワシュワと泡の音を立てている。
そのジョッキに揺蕩う黄金の液体が、今わたしの目と鼻の先にあるのだけれど——
「ゴクリ……はっ! いやいやいや! あのですね、わたしはまだ未成年ですからお酒は飲むわけにいきませんよ!」
……危ない危ない。
あやうく手を出して飲みそうになってしまったよ。
「……未成年、とはよう分からんが……その歳になって酒が飲めんとはつまらんのう」
そんな残念そうに言われてもだよ。
お酒は二十歳になってから解禁——というお爺ちゃんとの約束だから、秀吉さんが勧めてくれても飲むわけにいかないのだ。
「……まあ、あと数年したらお酒も付き合いますから。だからと言ってお詫びじゃありませんけど、今日も美味しいご飯を用意しますから——」
「——それは楽しみだ」
「え、は? え!?」
わたしの言葉に反応したのは秀吉さんじゃなく、誰もいない空間から声が聞こえてきたじゃない。
最初は座布団の上に現れたのはぼや~っとした影だった。
それが徐々に濃くなってものの数十秒もしないうちにはっきりとした人の姿になっていく。
そして、完全な人として現れたのは、見たことがなく知らない男の人。
驚いているわたしに向かって、座布団の上に座った男の人は優しくにっこりと微笑んだ。
「ええと……あの、あなたはいったい——」
「お、おおおお! お主は半兵衛殿ではありませぬか!!」
向かいに座ってた秀吉さんがテーブルを飛び越えて抱きついた相手の名前が、あの竹中半兵衛さん!?
わたしも初めて見る人が、あの竹中半兵衛さんなんだ。
◇
——竹中半兵衛さん。
戦国の世で名軍師と誉高い人なのだよ。
元々は斎藤龍興に仕えていたのだけれど、いろいろあって織田家に仕えることになったのである。
逸話も多くて、信長さんでさえ攻略に苦労した稲葉山城をたった数人で乗っ取ることに成功したという話もある。
そんな話があるのだから、大男で無骨な武将さんってイメージがつきそうだけれども。
実像は全くの正反対で、痩躯で色白、紅を塗ったような赤い唇。
髪を伸ばせば女性と見間違うほどの人だと資料が残っているのだけれど——
「……何をなされておるのか?」
「ええと……本当に男の人なのかなぁ~って」
資料にある通りの容姿をしてるものだから。
つい確かめるように半兵衛さんの胸を触ったのだけれど——
「ええ。私は間違いなく男ですよ」
わざわざ胸をさらけ出してくれて柔和な微笑みをしてわたしを見ている。
というか、怒るらないし、わざわざ胸を見せて確認させてくれるだなんて、なんて律儀な人なんだ半兵衛さんは。
「ふははは。お主が確かめたくなるのも無理はあるまい。なんせわしも最初は女人だと思い込んでしもうたのじゃなからな」
「……あのときの秀吉殿は、懸命に私を口説き落とそうとなさいましたな」
「いや、あれはじゃなあ、是非お主に織田家の軍師に向かい入れるため殿に頼まれてじゃな——」
秀吉さん、めちゃくちゃ作り笑いをしてるし——って、いや待って。
あれ……?
でもたしかその頃の秀吉さんって……
「秀吉さん、すでに寧々さんと結婚してませんでしたか——」
みるみるうちに秀吉さんの顔から血の気が引いていく秀吉さんを見て、わたしは理解した。
これ寧々さんにも伝えてない話なんだな、と。
女好きな秀吉さんが男を口説いたという話であり、さらにこれは浮気ってことにもなるのだよ。
「う~ん……まあ、寧々さんには黙っててあげますから、安心してくださいね」
「ぐ……なんとも含みのある笑顔をしとるんじゃ、お主は……この話は殿にも誰にも教えてはいかんぞ?」
「ええと……まあ、はい」
「ぐぬ……お主の何か企ててそうな顔が気になって仕方がないのじゃが——」
「少しよろしいでしょうか?」
まだ続きそうなわたしと秀吉さんの会話に、半兵衛さんが不意に割って入ってきた。
これってもしかして……困ってる秀吉さんを助けたのかな?
「お……おお、そうじゃそうじゃ! 半兵衛殿はまた何故ここに参られたのじゃ!?」
何事もなかったように、秀吉さんは再び座布団の上に座ってるし。
「——いえ。たいした用ではないのですが……私の勘が告げていたのです。今日この場に来れば秀吉殿と逢える気がしたのでするよ」
「お……おお、そうかそうか! わざわざわしに会いに来てくださったのか! さすが天才と呼ばれた軍師じゃな!」
半兵衛さんに久しぶりに会えたのが、よっぽど嬉しいのか。
秀吉さんはずぅっと半兵衛さんに話しかけている。
「まあ……分からないでもないかな、秀吉さんの気持ち」
半兵衛さんは志し半ばにしてこの世を去ったのだよ。
その後の秀吉さんの活躍を見ずにしてだ。
一方的に喋り続ける秀吉さんに、半兵衛さんは柔かな表情を浮かべたまま相槌をうっている。
「半兵衛殿! せっかくじゃし、お主もここに倫が作る料理を食べていかぬか!」
「——倫殿? 彼女があの倫殿ですか?」
「おおそうじゃ! 殿が唯一気にっておったあの倫じゃ!」
「……そうですか。この娘があの倫殿ですか。これは興味深い」
わたしの名前を聞いた半兵衛さんが感心したような眼差しを向けてくる。
というか、「殿が唯一気にってた」って言う言葉がすっごく気になるぞ。
初めて会う半兵衛さんがわたしの名前を知ってるのはどう言うことなのか。
「ええとですね。秀吉さんはともかくとして……半兵衛さんはどうしてわたしの名前を知ってるんです?」
「織田家の重臣であれば皆、倫殿のことは知っておりますよ」
「ええと……?」
「半兵衛殿がいうたとおりなんじゃが……倫、お主の料理の腕前は織田家家中に知れ渡っておると言うことじゃ」
「ええと……え? は、はい!?」
え、は、はあ!?
わたしの名前とかが信長さんを筆頭にして、家臣の人たちに知れ渡ってるってこと!?
今さらだけど、わたしの名前が戦国時代に知れ渡ってるようなものだよ!?
結構重要なことだと思うのだけれど、これって。
とにかくわたしの名前が知れ渡ってるのは困るから、なんとかしないとだよ。
「ええとですね——」
って、待てよ。
よくよく考えてみれば別に困ることじゃないわよね。
織田家の家臣さん達にも有名ってことは、悪いことじゃないし。
「……どうしたんじゃ? お主、さっきまで慌てふためいておったのに、突然急に大人しくなりおって?」
「あ——いえ、なんでもありませんから」
秀吉さんは訝しげな表情を浮かべて首を傾げてる。
「——ええと。それじゃあ半兵衛さんの期待に応えるべく美味しいご飯を作りますけど……何か要望があったりしますか?」
「揚げ物じゃ!」
「……秀吉さんじゃなくて、何が食べたいのかを半兵衛さんに聞いたんですよ?」
「それは分かっておる。じゃが、お主が作る揚げ物の料理の味が忘れられんでのな」
言って秀吉さんは、めちゃくちゃ人懐っこい笑顔をしてわたしの目をじぃーっと見つめてくる。
「……ま、まあそんなに言われたら嫌な気はしませんけど。でもやっぱり何が食べたいのか半兵衛さんに聞かな——」
「だからじゃ! お主が作る揚げ物の美味なる味を半兵衛殿にも味わってもらいたいのじゃ! わしの気持ち、お主ならよぉ~く分かるじゃろう?」
言って秀吉さんはわたしの手を両手をで包み込んで、めちゃくちゃいい笑顔でニカっと笑ってみせた。
「……ふぅ。わかりました。秀吉さんがそこまで言うなら作りますよ」
「おお、さすが倫じゃ! これほど頼もしいことはあるまいて!」
こんないい笑顔をされたら、お願いを聞くしかないわよね。
それに美味しいご飯を食べさせたいって気持ちはよく分かってるし。
「ええと。半兵衛さんも揚げ物で問題ありませんか?」
「はい。秀吉殿のご希望なれば、私には断る理由が一切ありませんよ。それに——」
「それに……?」
「私も知らぬ料理を食べることが出来るのであれば、良い経験にもなりましょう」
そう言って半兵衛さんは微笑んでるけれど。
ご飯のことも勉強の一環として考えているかもしれないなぁ。
だったらわたしがやる事は一つしかない。
「秀吉さんと半兵衛さん二人のご期待に応えられるような、美味しいご飯を作ってあげますからね!」
「ほほう。それはわしも楽しみなんじゃが……して、どんな揚げ物を作ってくれるのじゃ、倫?」
「ふっふっふ……今日作るのはコロッケです!」
左手にした腕時計は午後五時を少し回っている。
生徒会役員でもある日和の手伝いをしていたら、いつもの下校時間を大幅に超えていたわけなのだよ。
夕刻の商店街を早足で通りすぎていくわけなのだけれど——
——ごぎゅるるるるぅ~
「うぅ~お肉屋さんから揚げたてコロッケのいい匂いが……ああ、こっちの大判焼きのお店からは小麦が焼けてる美味しいそうな匂いがぁ……!」
わたしを誘惑する匂いに耐えかねて、買い食いしろー! と言わんばかりにお腹が食べ物を要求してきているのだ。
「くっ……!」
上半身をやや前傾姿勢をとると、わたしは進むスピードを加速させた。
めちゃくちゃ誘惑してくる美味しい匂いに後ろ髪を引かれつつにだ。
——ごぎゅううううう! ごりゅるるるる~!
買い食いしようよって欲求は理解ってるよ、わたしんのお腹くん。
でもね、わたしは早く帰らないといけない理由も理解してほしいのだよ。
「いいかね、わたしのお腹くん。たしかに買い食いは幸せだよ? でもね、その食べる幸福をさらに極上のものにするためにはだね……美味しいご飯が無いとダメなんだよ!」
——ごぎゅう……
ふむ。今のでわたしのお腹も完全に理解できたようだ。
さすがわたしのお腹。ご主人様の言うことを理由できるいい子だよ。
「——と、言うわけで全速力で家に帰るわよ!」
商店街の人の流れをぬぐい、数々の美味しい誘惑を振り切るようにして、わたしは駆け出していた。
◇
——御角家の居間。
「お、なんじゃ? 今日はずいぶんと遅かったではないか? 男と逢瀬でもしておったか?」
家に帰って来るなり、秀吉さんがニヤニヤとした含みのある表情でわたしを出迎えてくれた。
「ずいぶんと機嫌が——あ、なるほど」
視線を下にやると、テーブルには空になったビール瓶が数本ある。
顔も真っ赤にさせているし、秀吉さんはすでに出来上がっている状態なのが直ぐに理解できた。
「ええとですね、逢瀬じゃないですよ。遅くなったのは友達の手伝いをしてただけですし。そもそもわたしには——って、そんなことはどうでもいいです!」
「……なんじゃ。逢瀬ではないのか……つまらんのお」
秀吉さんは早々と興味を無くし、ふいっとそっぽを向くと、テーブルに置いてあったビールジョッキをビールを注いだ。
なみなみとジョッキに注がれていたビール。
それをごきゅごきゅっと喉を鳴らして、恍惚とした表情で一気に飲み干した。
「くっふぅ~! これじゃこれ! この喉がきゅぅっとなら感覚がたまらんのお!」
なんて幸せそうな表情をしてるんだ、秀吉さんは。
「……ゴクリ……」
「なんじゃ、お主。そんな物欲しそうな面でワシを見おって? お主もこの麦酒が欲しいのか?」
「いえ、そうじゃないんですが……」
「なにを遠慮しておるんじゃ。ほれ、ワシが許す。お主も飲むがよいぞ」
秀吉さんが手にしたジョッキからシュワシュワと泡の音を立てている。
そのジョッキに揺蕩う黄金の液体が、今わたしの目と鼻の先にあるのだけれど——
「ゴクリ……はっ! いやいやいや! あのですね、わたしはまだ未成年ですからお酒は飲むわけにいきませんよ!」
……危ない危ない。
あやうく手を出して飲みそうになってしまったよ。
「……未成年、とはよう分からんが……その歳になって酒が飲めんとはつまらんのう」
そんな残念そうに言われてもだよ。
お酒は二十歳になってから解禁——というお爺ちゃんとの約束だから、秀吉さんが勧めてくれても飲むわけにいかないのだ。
「……まあ、あと数年したらお酒も付き合いますから。だからと言ってお詫びじゃありませんけど、今日も美味しいご飯を用意しますから——」
「——それは楽しみだ」
「え、は? え!?」
わたしの言葉に反応したのは秀吉さんじゃなく、誰もいない空間から声が聞こえてきたじゃない。
最初は座布団の上に現れたのはぼや~っとした影だった。
それが徐々に濃くなってものの数十秒もしないうちにはっきりとした人の姿になっていく。
そして、完全な人として現れたのは、見たことがなく知らない男の人。
驚いているわたしに向かって、座布団の上に座った男の人は優しくにっこりと微笑んだ。
「ええと……あの、あなたはいったい——」
「お、おおおお! お主は半兵衛殿ではありませぬか!!」
向かいに座ってた秀吉さんがテーブルを飛び越えて抱きついた相手の名前が、あの竹中半兵衛さん!?
わたしも初めて見る人が、あの竹中半兵衛さんなんだ。
◇
——竹中半兵衛さん。
戦国の世で名軍師と誉高い人なのだよ。
元々は斎藤龍興に仕えていたのだけれど、いろいろあって織田家に仕えることになったのである。
逸話も多くて、信長さんでさえ攻略に苦労した稲葉山城をたった数人で乗っ取ることに成功したという話もある。
そんな話があるのだから、大男で無骨な武将さんってイメージがつきそうだけれども。
実像は全くの正反対で、痩躯で色白、紅を塗ったような赤い唇。
髪を伸ばせば女性と見間違うほどの人だと資料が残っているのだけれど——
「……何をなされておるのか?」
「ええと……本当に男の人なのかなぁ~って」
資料にある通りの容姿をしてるものだから。
つい確かめるように半兵衛さんの胸を触ったのだけれど——
「ええ。私は間違いなく男ですよ」
わざわざ胸をさらけ出してくれて柔和な微笑みをしてわたしを見ている。
というか、怒るらないし、わざわざ胸を見せて確認させてくれるだなんて、なんて律儀な人なんだ半兵衛さんは。
「ふははは。お主が確かめたくなるのも無理はあるまい。なんせわしも最初は女人だと思い込んでしもうたのじゃなからな」
「……あのときの秀吉殿は、懸命に私を口説き落とそうとなさいましたな」
「いや、あれはじゃなあ、是非お主に織田家の軍師に向かい入れるため殿に頼まれてじゃな——」
秀吉さん、めちゃくちゃ作り笑いをしてるし——って、いや待って。
あれ……?
でもたしかその頃の秀吉さんって……
「秀吉さん、すでに寧々さんと結婚してませんでしたか——」
みるみるうちに秀吉さんの顔から血の気が引いていく秀吉さんを見て、わたしは理解した。
これ寧々さんにも伝えてない話なんだな、と。
女好きな秀吉さんが男を口説いたという話であり、さらにこれは浮気ってことにもなるのだよ。
「う~ん……まあ、寧々さんには黙っててあげますから、安心してくださいね」
「ぐ……なんとも含みのある笑顔をしとるんじゃ、お主は……この話は殿にも誰にも教えてはいかんぞ?」
「ええと……まあ、はい」
「ぐぬ……お主の何か企ててそうな顔が気になって仕方がないのじゃが——」
「少しよろしいでしょうか?」
まだ続きそうなわたしと秀吉さんの会話に、半兵衛さんが不意に割って入ってきた。
これってもしかして……困ってる秀吉さんを助けたのかな?
「お……おお、そうじゃそうじゃ! 半兵衛殿はまた何故ここに参られたのじゃ!?」
何事もなかったように、秀吉さんは再び座布団の上に座ってるし。
「——いえ。たいした用ではないのですが……私の勘が告げていたのです。今日この場に来れば秀吉殿と逢える気がしたのでするよ」
「お……おお、そうかそうか! わざわざわしに会いに来てくださったのか! さすが天才と呼ばれた軍師じゃな!」
半兵衛さんに久しぶりに会えたのが、よっぽど嬉しいのか。
秀吉さんはずぅっと半兵衛さんに話しかけている。
「まあ……分からないでもないかな、秀吉さんの気持ち」
半兵衛さんは志し半ばにしてこの世を去ったのだよ。
その後の秀吉さんの活躍を見ずにしてだ。
一方的に喋り続ける秀吉さんに、半兵衛さんは柔かな表情を浮かべたまま相槌をうっている。
「半兵衛殿! せっかくじゃし、お主もここに倫が作る料理を食べていかぬか!」
「——倫殿? 彼女があの倫殿ですか?」
「おおそうじゃ! 殿が唯一気にっておったあの倫じゃ!」
「……そうですか。この娘があの倫殿ですか。これは興味深い」
わたしの名前を聞いた半兵衛さんが感心したような眼差しを向けてくる。
というか、「殿が唯一気にってた」って言う言葉がすっごく気になるぞ。
初めて会う半兵衛さんがわたしの名前を知ってるのはどう言うことなのか。
「ええとですね。秀吉さんはともかくとして……半兵衛さんはどうしてわたしの名前を知ってるんです?」
「織田家の重臣であれば皆、倫殿のことは知っておりますよ」
「ええと……?」
「半兵衛殿がいうたとおりなんじゃが……倫、お主の料理の腕前は織田家家中に知れ渡っておると言うことじゃ」
「ええと……え? は、はい!?」
え、は、はあ!?
わたしの名前とかが信長さんを筆頭にして、家臣の人たちに知れ渡ってるってこと!?
今さらだけど、わたしの名前が戦国時代に知れ渡ってるようなものだよ!?
結構重要なことだと思うのだけれど、これって。
とにかくわたしの名前が知れ渡ってるのは困るから、なんとかしないとだよ。
「ええとですね——」
って、待てよ。
よくよく考えてみれば別に困ることじゃないわよね。
織田家の家臣さん達にも有名ってことは、悪いことじゃないし。
「……どうしたんじゃ? お主、さっきまで慌てふためいておったのに、突然急に大人しくなりおって?」
「あ——いえ、なんでもありませんから」
秀吉さんは訝しげな表情を浮かべて首を傾げてる。
「——ええと。それじゃあ半兵衛さんの期待に応えるべく美味しいご飯を作りますけど……何か要望があったりしますか?」
「揚げ物じゃ!」
「……秀吉さんじゃなくて、何が食べたいのかを半兵衛さんに聞いたんですよ?」
「それは分かっておる。じゃが、お主が作る揚げ物の料理の味が忘れられんでのな」
言って秀吉さんは、めちゃくちゃ人懐っこい笑顔をしてわたしの目をじぃーっと見つめてくる。
「……ま、まあそんなに言われたら嫌な気はしませんけど。でもやっぱり何が食べたいのか半兵衛さんに聞かな——」
「だからじゃ! お主が作る揚げ物の美味なる味を半兵衛殿にも味わってもらいたいのじゃ! わしの気持ち、お主ならよぉ~く分かるじゃろう?」
言って秀吉さんはわたしの手を両手をで包み込んで、めちゃくちゃいい笑顔でニカっと笑ってみせた。
「……ふぅ。わかりました。秀吉さんがそこまで言うなら作りますよ」
「おお、さすが倫じゃ! これほど頼もしいことはあるまいて!」
こんないい笑顔をされたら、お願いを聞くしかないわよね。
それに美味しいご飯を食べさせたいって気持ちはよく分かってるし。
「ええと。半兵衛さんも揚げ物で問題ありませんか?」
「はい。秀吉殿のご希望なれば、私には断る理由が一切ありませんよ。それに——」
「それに……?」
「私も知らぬ料理を食べることが出来るのであれば、良い経験にもなりましょう」
そう言って半兵衛さんは微笑んでるけれど。
ご飯のことも勉強の一環として考えているかもしれないなぁ。
だったらわたしがやる事は一つしかない。
「秀吉さんと半兵衛さん二人のご期待に応えられるような、美味しいご飯を作ってあげますからね!」
「ほほう。それはわしも楽しみなんじゃが……して、どんな揚げ物を作ってくれるのじゃ、倫?」
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私が執筆した小説は、思想と言論の自由に基づいています。また、特定の人物、団体、機関を否定し、批判し、攻撃するものではありません。
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