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別れ
しおりを挟むグレン兄様としっかり向き合って話をする機会なんて、いったいいつぶりだろう。
対面するソファに座ってお互いを探るように
私達はじっと見つめあい、黙ったまま。
…今話し合おうと決めたばかりなのに、ダメね。
小さくい息を吐いてそっと口を開いた。
「グレン兄様は、どうして私にばかりひどい扱いをなさるのですか?」
率直な言葉にグレン兄様の眉間に深い皺が刻まれる。
「……別に」
「大した理由はないということですか?私は特に理由もなくグレン兄様に虐げられていたというわけですか?」
そんなわけがないとわかっているが、グレン兄様の態度が私の神経を逆撫でる。
理由がないということは、私の存在そのものが悪いとでも言いたいのだろうか。
「そんなことを信じるほど、私はもう純粋な子どもではありません」
「…信じるも信じないもお前の勝手だが、俺は聞かれたことに答えたまでだ」
どこか吹っ切れたように凛とした表情で告げる言葉に、私はますます腹が立ってしまう。
この兄は私と本心から対話する気など微塵もないのかもしれない。
離れる前にわだかまりを少しでも解消したかったが、この気持ちは私のエゴなのか。
兄は今の状態で離れることに何も感じないのだろうか。
…私の写真に愛してると告げていたくせに。
ぐっと拳をに握りしめて、私は兄に最後の切り札を投げた。
「グレン兄様って、私の事好きですよね?」
「っ!?」
兄は大きく目を見開いて言葉も出ないのか口をパクパクさせていた。
視界の上の方にいる妖精さん達は何も口を挟まず見守ってくれていたが、楽しそうににまにまと口角を上げていた。
…面白がってる?
「はっ、病的なまでの勘違いだな」
表情を崩したままそんなセリフを口にするグレン兄様。
「私知ってるんですよ、お兄様が夜な夜な私の写真に愛を囁き、口付けまでなさっていること」
「っ!?」
「それに、以前自分から口付けをなさったこと忘れたんですの?」
「そ、れは…嫌がらせだ」
いつも冷静で堂々としていたグレン兄様が、過去一番動揺しているのではないか。
「もうバレてしまっているのですから、いっそのこと気持ちも何もかも話してすっきりしたらいいのでは?」
嘘だ、すっきりしたいのは私だ。
グレン兄様は少しの間黙ったままで、ぐっと唇を噛み締めていた。
そして、その唇に赤い血が滲み始めた時、ようやく口を開く。
「…最悪なパターンだよ」
心底辛そうな、今にも泣き出しそうな声で紡がれた言葉だった。
「っ、グレン兄様はいったい何がしたかったのですか」
「カティを全ての人間から引き離したかった。それだけだよ」
吐き捨てるように告げられた言葉に思わず顔を顰めた。
…わけがわからなかった。
「つまり、グレン兄様は私を傷つけたかったということですか?」
「違う。それは結果であって、目的じゃない」
難しい言い回しにますますわからない。
「俺だけに縋って欲しかったんだよ。そうじゃないと、カティは…兄である俺の元なんて簡単に去っていく理由はいくらでもあるから」
「よくわかりませんわ。グレン兄様が子どもの頃のように私を素直に慈しんでくれたなら、私はグレン兄様のことを心から慕って、簡単に離れたりなどしなかったと思います」
きっと今でも仲の良い兄妹として暮らせていたのではないか。
そう考えて、ハッとした。
「っ、足りなかったんですね」
「……」
「家族の情だけでは、満足できなかった…グレン兄様はそう言いたいんですか?」
「俺は、歪んでるからな…」
目を伏せてそう小さく言葉を洩らした。
写真の中の私に送る愛の言葉、想いの籠った口付けも…とても妹に送るものではない。
気づいていたのに、兄だからといって誤魔化していたのは私の方だ。
「…」
何も言えなくなって黙り込んだ私をグレン兄様は初めて見るような優しい瞳で見つめていた。
何故か無性に泣きたくなった。
「カティの世界には俺だけでいいと思った。そのためにはまず邪魔な人間を全員排除しなきゃいけなかったんだ。一番簡単で確実だったのが、カティを最低な人間として触れ回ることだった」
「…グレン兄様のやったことは、最低です」
「そうだな。カティがたくさんの人間に忌み嫌われることに俺は確かな喜びを感じていた」
グレン兄様が口にする言葉に、胸に苦いものが広がる。
お兄様は、自分勝手すぎる。
私の気持ちなどどうでもよかったのだろうか。
「お前が一人になっても、俺は絶対にお前を手放したりしない。誰とも結婚なんてせず、侯爵家でずっと二人でいられたらそれでよかった」
「…エクルや、お父様達は」
「あんな腐ったやつら、いくらでもやりようはある。現にしっかり断罪され舞台から落ちていった人間達だ」
グレン兄様だって厳しい罰を受けたというのに酷い言い草だと思う。
…この人は、本当に私しか見えていない。
危険なほど盲目だ。
「カティが望むものは全て与えるつもりだった。綺麗な宝石もドレスも、カティが好きな甘いお菓子だってどんなに難しいものでも必ず手に入れてみせるよ。今になってこんなことを言ってももう遅いけど」
この人は本当に私の事を何も分かっていない。
「…そんなもの、いらなかったわ」
ぽつりとそう呟くと、グレン兄様は悲しげに私を見つめる。
「私が欲しかったのは、家族からの愛情。私に寄り添ってくれる人よ。そんなに私のことが好きなら、どうして私に冷たくあたったのですか」
ずっとモヤモヤしていたのは、これだった。
表向きは私に優しくして裏で手を回す方がグレン兄様にとって都合が良かったはずなのに。
私に冷たくする理由がわからなかった。
「お前には私のことも憎んで欲しかった」
「…はあ?」
思わず令嬢らしからぬ声が漏れたのも仕方ないことだと思う。
そのくらいわけがわからなかった。
「確かに俺だけがカティに優しくしたら、カティは簡単に俺に依存してくれただろう。だけどそれは本当のカティじゃない…そんな空虚な想いはいらない」
グレン兄様は、面倒な性格らしい。
空っぽの私で満足できる人だったら、もっと楽になれたのにね。
「それに、愛よりも憎しみの方が生きる原動力になる。愛のために死ねる人間なんてこの世に腐るほどいるからな」
だから、とグレン兄様は言葉を続ける。
「俺を憎んで欲しかった。殺してしまいたいくらい、心の底から」
どうして笑いながらそんな事を言えるんだろう。
グレン兄様の抱えている闇は、きっと私が想像もできないくらい…深い。
「だけど、今までの行為も何もかも全部無駄だったみたいだ」
「あんなことが最後までうまく行くはずありませんわ」
「そうか?みんな俺の思い通りにカティのこと嫌ってくれてたじゃないか」
軽口を言うようにあっさりと私の心を抉ってしまうグレン兄様を睨みつける。
彼は苦笑いを浮かべて口を開いた。
「だから…ユーリと、フィリップのクソ野郎には驚いたよ」
「グレン兄様、さすがに不敬すぎてびっくりしましたわ」
この人は案外口が悪い。
一人称だってさっきからずっと俺に戻ってしまっているし。
「俺がカティの心を諦めて願ったものを、あっさりと崩していくんだからな…あいつらは物事の本質を見抜ける人間だ」
「グレン兄様に言われなくても知っています」
たくさん関わって、自分の目でしっかり理解してきた。
私のことをわかってくれた数少ない人達だ。
「…あいつらのどちらかとお前は結ばれるんだろうな」
「二人は私にそんな感情を抱いてませんわ」
「これからどうなるかは誰にもわからない」
ぎゅっと握りしめた拳を微かに震わせながら、グレン兄様は口を開いた。
「過去に戻れたとしても、俺はまた同じ過ちを繰り返すよ。後悔はしてない…だけど、お前の笑った顔を見ることができなくなったことだけが、心残りだ」
「…反省は、してないんですか」
「後悔していないことに反省なんてしない」
グレン兄様は堂々と言い切った。
「お前は俺がどんなに冷たく接しても俺に対する態度に嫌悪なんてものは全然見えなかった。それがずっと不思議だったが、俺の気持ちを知っていたのなら、俺の事を憎みきれなかったことがよくわかるよ」
「…グレン兄様が何を考えているのかわからず辛い日々でしたわ」
「辛いなら切り捨てたら良かったのに。お前は本当に甘い。俺はお前の幸せなんて二の次で、自分の欲を押し通そうとしていただけなのにな。そんな男に振り回されて、本当に哀れな奴だよ」
鼻で笑うように告げられた言葉。
「俺も詰めが甘かったか。まさかカワイティルのような不作な領地を押し付けられるなんてな…ま、侯爵の地位も手に入れたし、裁きとしては恩赦と言っても過言じゃないか」
「グレン兄様…?」
淡々と言葉を続ける彼が何を言いたいのか理解できなかった。
また、わからなくなった。
「幸い俺の領地経営の腕は公爵も買ってくれているほどだ。簡単ではないがカワイティルでもうまくやるだろう」
「…そうですね」
この若さで侯爵領をしっかり経営してきたグレン兄様なら、次の場所でもその手腕をしっかりみせていくはずだ。
「もうお前に振り回されることもない。これからは忙しくも、やっと心穏やかな日々が送れる」
「振り回されてきたのは私です!」
「良かったな、こんな俺から解放されて」
私の言葉をあしらうようにそう言ったグレン兄様。
「もう二度と会うことはないだろう。別れを覚悟した時はもう少し悲しかった気もするが、今となってはほっとしたような、清々しいような、そんな気持ちまで湧いてくるから不思議だ」
口角を上げて発せられた言葉に愕然とした。
こんなにあっさり無くしてしまう想いのために私は何年も苦しめられてきたのか。
「っ、謝罪の言葉もないのですか」
「後悔していないことを謝っても口先だけの言葉になるが、それでも良ければ謝罪しよう」
「もう、結構ですわ」
「お前も俺の事などさっさと忘れてユーリや殿下にでも傷を癒してもらうといい」
グレン兄様は淡々と、嘲笑うような最低な言葉を口にする。
こんなことなら話などしなければ良かった。
せっかくお祖母様たちが気を使ってくれたというのに。
…最後の機会だったのに。
結局彼の私に対する想いは、簡単に切り捨てられる程度のものだったのだ。
なんとなく、心の区切りがついたような気がする。
「俺はこれなら新しい領に移る準備で忙しいんだ。お前も早く公爵家へ帰るといい」
帰る
意図的に用いられたように思えるそんな言葉が、私がもうグレン兄様の妹でないことを嫌というほど実感させた。
「そうですね。さようなら、グレン兄様」
「さようなら、カティ」
最後に見たグレン兄様の顔は、無理に作ったような歪な笑顔だった。
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