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グレン兄様、ぶっ飛んだ
しおりを挟む目の前でハラハラと涙を零すグレン兄様にぎょっとして目を見開いてしまった。
彼はどうして泣いているのだろうか。
…私に会えて、嬉しかったとか?
そんなご都合主義的な考えが浮かび小さく頭を振って否定する。
彼は最後の時、私と離れることを喜んでいる節さえあったのだ。
私に会えたからと言って喜びから涙を流すような人ではないだろう。
グッと拳を握りしめると、隣に立っていた殿下が私を励ますように軽く頭を撫でる。
強く瞳を瞑り、もう一度目を開けると、私はようやく震える声で言葉を紡いだ。
「少し、やつれましたね」
「……どうして、ここに」
私よりずっとか細い声で、絞り出すように兄様は口を開く。
「グレン兄様に会いに来ましたの」
そう告げると彼の瞳がほんの少しだけ輝いたように見えたが…きっと気のせいだろう。
綺麗なアーモンド型の瞳から零れ落ちる雫は止めどなく流れ続ける。
…グレン兄様の泣き顔を初めて見た。
「俺を、糾弾しに来たのか?」
彼は真っ直ぐ私を見つめて、そんなことを言う。
糾弾、か。
確かに…グレン兄様をぶっ飛ばしにと言う点ではそう言えなくもないのかもしれない。
「はい、そうです」
あっさりと肯定する私にグレン兄様が小さく目を見張った。
「それでも、俺は…」
彼は眉を下げて、唇をへの字に歪める。
まるで今にも泣き出しそうな子どもを見ているようだった。
当の本人はもう既に嗚咽こそ漏らしていないが、しっかりと頬を濡らしてしまっているのだけど。
「俺は、カティに会えて……嬉しい」
「っ…!?」
グレン兄様がこんなにも素直に自分の想いを口にしたことがかつてあっただろうか。
「俺のことは許さなくていい、自分がやったことがどれほど酷い行いだったかは理解しているつもりだ。だけど、俺はやっぱりカティの傍にいたい…俺のことを嫌いでもいいから…お願いだ、ずっと俺の傍にいてほしい。カティの望みなら、どんなことをしても絶対に俺が叶えてやるから…っ、俺と、生きてくれないか…?」
堰を切ったように言葉を紡ぎ続ける彼を、私はじっと見つめていた。
「憎み続けてくれて構わない。俺に復讐したいのなら、それでもいい。どんなことだって甘んじて受け入れる…」
彼の言葉は聞くに耐えないもので、自分の眉間に深い皺が寄ってしまうのがわかった。
グレン兄様は何も変わっていない。
「そんなの、自分勝手すぎます」
「…カティ」
切なげに私を見つめるグレン兄様は、まるで子犬のような弱々しい瞳をしていた。
ついつい言いたい言葉を飲み込んでしまいそうになる気持ちをぐっと堪えて口を開く。
「許すも何も、あなたはまだ謝罪の一言すら述べていないじゃありませんか!」
「…俺には謝る資格なんて」
「謝る資格は無いのに、そばにいる資格はおありだと考えていらっしゃるんですか!」
私が思うに彼は少し自分に酔っている部分があるのではないか。
「っ、」
「悪いことをしたら、まずはごめんなさい!幼子でもわかることです!」
ぷんぷんと怒りながらそう言う私に、グレン兄様は呆気に取られて固まった後、小さく口を開いた。
「………ごめんなさい」
「はい、よくできました。グレン兄様がきちんと謝れる方のようで安心しました。だけど、正直グレン兄様にされた事をそう簡単に許せるほど、私はできた人間ではありませんの」
「ああ、わかってる」
「そうですか!それは良かったです!」
グレン兄様の返事に、私はパアッと顔を綻ばせ口を開く。
いきなり雰囲気を一変させた私に、彼はキョトンと目を丸めて私を見つめた。
「グレン兄様の謝罪を受け入れるために、一発私にぶっ飛ばされてくださいませ」
私の言葉が余程意外だったのか、彼はこれでもかというほど目を見開いて唖然としていた。
隣にいる殿下がぷっと吹き出す音が聞こえる。
しばらく間を置いて、グレン兄様は返事を返した。
「一発と言わず、気の済むまで殴ってくれてかまわない」
なんとも男前なお返事だった。
「では、覚悟なさってくださいね」
私が凛とした声でそう告げると、グレン兄様は静かに目を閉じ、無抵抗を示す。
彼から見えていないのを良い事に、じっと兄様の顔を観察してみた。
今までこんなに凝視したことなんてあっただろうか。
…憎たらしいくらい整ったお顔だ。
ふさふさの睫毛にスっと通った鼻、薔薇のように紅い唇がなんとも扇情的である。
頬なんて吹き出物のひとつも無くすべすべで…なんともぶっ飛ばし甲斐のありそうな…
ごくりと息を飲んで、私は拳を振りかざした。
そわそわとした気配を感じ視線を横にやると、殿下がやけに瞳を輝かせているのが見える。
そんなに私がグレン兄様を殴る様に関心があるのか。
お望み通り見せてあげますわ、殿下。
ゴスっ
そんな鈍い音が響いた。
ことのほか、自分の手は…痛くない。
それなのに、
「っ、グレン兄様ぁぁあ!?」
どうして貴方はそんなにぶっ飛んでしまっているのですか?
広い応接間、グレン兄様は部屋の中央から十メートル程の背後の壁まで届き、大きく体を打ち付けた後、ズルズルと壁づたいに地面に落下した。
「か、カティア嬢…ええと、見た目に反して君は随分と、あの、なんだ……怪力なのだな?」
「じ、自分でもびっくりです。今まで誰かに暴力を振るったことなんてございませんでしたから、自分の力量を見誤っていたようですわ」
それにしても、一介の令嬢に過ぎない私がこんな力を隠し持っていたとは…
それとも、グレン兄様への溜まりに溜まった鬱憤が今解放されてしまったということなのだろうか。
「グレンは、生きてるのか…?」
ぽつりと呟かれた殿下の言葉にハッとする。
私はもしかしたら大きな罪を犯してしまったのではないか…!
この歳で殺人罪に問われるなんて嫌です!
いや、この歳じゃなくてもいつだってそんな汚名を被るわけにはいかない。
「お怪我はありませんか!グレン兄様」
私は倒れ込む彼に駆け寄り、そんな白々しい言葉をかけた。
「っ、うぐ」
微かな呻き声が聞こえ、少し安心する。
とりあえず息はあるみたいだ。
「お兄様!どこか痛いところは!?」
「…………体中がいたっ………あれ?……どこも、痛くはない、か?いや、頬は少しだけ、でも、思ったよりましだ」
あんなにぶっ飛ばされて壁にもぶち当たって落下したというのに、グレン兄様の怪我は予想外に軽かったようだ。
見た目にも少し頬が赤い程度。
「……グレンは頑丈だな」
そう言った殿下はどこか遠い目をしていた。
いやいやいや、そんな言葉でこの場を収めないでください!
どう考えても、私がグレン兄様をあれだけぶっ飛ばせたことも、ぶっ飛ばされた当の本人がこの程度で済んでしまったこともおかしいでしょう!
「……………積もる話もあるだろう、では私はこれで」
「殿下!」
殿下は私が見せたとんでもない力に完全にひいてしまっているようだった。
これまでに例を見ない程避けられている気がする。
いくら私が望んだことであっても、この訳の分からない状態でグレン兄様と二人きりにされても気まずい以外の何物でもない。
動揺してパニックになってしまいそうな私だったが、抱えていた疑問はすぐに解決された。
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