一六銀行の鵜飼くん

芝桜 のの

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はじまり

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私の勤め先に毎週やってくる銀行マンの鵜飼くん。
彼に毎回お茶を出すのが私の楽しみだ。
鵜飼くんは上司の伊藤さんと連れだって新人の時から5年、ウチの会社に出入りしている。
5年前は新人さながらで、挨拶さえ初々しかったけれど、徐々に銀行マンらしさも出て来て、今や一人前だ。
私は鵜飼くんの実直で礼儀正しいところに引かれている。
いつも鵜飼くんにお茶を出す頃には、
「鵜飼くーん、カッコいい~」
と心の中でメロメロになっている。
だけど、顔に出した事はない。
私はこの会社のお局的存在。事務のお姉さんなんだから。
鵜飼くんは20代後半。私は三十路も終わり、まさに四十路に入っている。
若い鵜飼くんにはかなりのお姉さんだ(おばさんとはあえて言いたくない)。
まさか鵜飼くんだって、こんな地味な事務のお局さんに想いを寄せられてるとは思うまい。
こんなに気になり始めたのは鵜飼くんがうちの会社に出入りして2年ほどたったころ。
この頃には鵜飼くんも独り立ちしはじめて。上司の伊藤さんとは別に会社に出入りしていた。
「一六銀行くん!」
用事終わりに鵜飼くんを呼び止めたのは、遅い出社の弊社会長だ。
創業者の会長は業務の大部分を社長に引き継いで、決裁の最終印を押しに週に3回ほど4時間位在社する。
私は応接室を片付けると、空いた湯飲みを持って、廊下を歩いている時に会長に話しかけられている鵜飼くんに遭遇した。
「急に雨が振って来たで、かっぱ持っとるかね?んでも、書類濡れるといかんで、このきぃないのやるでつかゃー、これに入れて、おいねてけば、ぬれんですむで、きーつけていかなかんよ。エカ!」
会長は大きな声で鵜飼くんに捲し立てると、黄色の大きな袋を鵜飼くんに押し付けた。
また、会長ったら。
若い人みるとお節介したくてしょうがない。親切だけど傍迷惑な性格なのだ。
鵜飼くんはその黄色い袋を受け取りながら困惑している。
私は鵜飼くんの横を通り抜けようと頭をさげ「お疲れ様でした」と声を掛けた。
「あ、森さん。」
は、初めて名前を呼ばれて声を掛けられた。
こちらがビックリしていると
「事務の森さん…で良かったですよね?」
「…はい、なんでしょう?」
鵜飼くんが私の名前を知ってるなんてビックリだ。まあ、電話の取り次ぎや来社のお出迎えは私が担当なので顔見知りではあったけど
「この、黄色い袋は戴いていいのでしょうか?最後、会長さんに怒られた様な気もするんですが。」
鵜飼くんは会長の話を余り理解出来なかったらしい。
「会長は訛りが強いですから、急な雨なので書類が濡れないように、この袋を使って下さいとの事ですよ。最後のエカ!は大丈夫ですか?との確認です」
訛りが強い会長は語尾が強いのと人相で、社員にも怖い、怒っていると印象を持たれている。
ただのアクの強いお爺さんです。しかも、若い者に無駄に接したがるクセ者です。
「会長。わざわざ、鵜飼さんに袋を持ってきたんですね。使ってあげてください。人気者ですね」
ふふっと笑うと、お疲れ様でした。と鵜飼くんを見送った。

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