魂こそが勇者である

ゴズ天王

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序章

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 一滴、一滴、また一滴と水の滴る音が聞こえてくる。音は暗がりのなかで反響し、同じ間隔で広がっていく。他にはどのような音も聞こえてこない。ぽつりぽつりと、床に落ちる水の声が耳に入るのみ。
 「ごほっごほっ」
 途端に咳をした。辺りを漂う悪臭に耐えきれなくなったのだ。薄らと開けた瞳が映す景色。そこかしこにある汚泥を見れば、己に嗅覚があることに苛立ちを覚えるのは当然だろう。
 どれほどの時間が経ったか。具体的な数字は判然としないが、それでも長い月日が流れたことだけは実感があった。しかし、長時間この環境にいながらも、慣れないものは慣れないなと笑みを浮かべた。
 狭隘な監獄のなか。仄暗い室内は蝋燭の火に照らされて、明暗の境界線をゆらゆらと揺らされている。最初は蠢く影が部屋のどの部分に到達するか、などを退屈凌ぎに見ていたが、次第につまらなくなって何も思考しないようになった。檻の内にただ一人、うずくまる日々。悲しい、寂しいと思う感情も既に忘却してしまった。
 この部屋にあるのは、自分の肉体とその肉体を覆う最低限の衣と、定期的に支給される少量の穀物を吸収した肉体が排出した汚物。ただ、それだけである。
 享楽、娯楽、一切合切が存在しないこの世界。苦痛に耐えうるために備えたシニカルな態度もいつしか消え失せ、呆然とどこか一点を見つめるのが今の自分だった。他方でこんな状況にあっても、一つだけ楽しみなことがあった。  
 それは、不定期に訪れる拷問の時間である。自分の家に私怨を持つ者の回し者か、或いは単に趣味か、それは定かではない。
 この牢獄の看守は時たま拷問器具を手に持って、裂いたり打ったり刺したり、趣向を凝らして様々な拷問を行うのだ。当初は感ずる痛みに苦悶の声をあげたりもしたが、幾度となく与えられる刺激は痛覚を麻痺させ、今ではなんら痛痒を覚えなくなった。
 看守はお喋りだった。鞭で身体に打撃を加える時も、槍で腹部を突く時も、赤裸々に彼の不満や価値観や思想を吐露してくれた。
 自分は彼の話を聞くのが好きだった。何せ、四六時中一人なのだ。誰かの声を聞くことは、己に人間らしい部分を残してくれるのだから。  
 それに看守は、その地位がもったいなくなるほどの博識豊かな男だった。この王国の貴族社会の問題点を指摘し、より良い自由で公正な社会を作るために必要な解決策を度々語っていた。知的好奇心に溢れる若人としては、看守の話を聞けるのは望外の喜びなのである。
 不意に足音と上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。ついに来たと歓喜に打ち震えた。石畳の床を踏む足音はどんどん大きくなってきて、自分の正面でぴたりと止まった。待ちに待った瞬間。今回は、どのような内容の話を聞くことができるのだろうか。期待が膨らんでいく。興奮する心に肉体がぶるぶると震える。
 「……」
 だが、その時は一向に訪れない。看守はいつものように牢屋に入ってこず、正面で佇立しているだけだった。気になって顔を上げる。泥まみれの靴。裾の破れているズボン。ふくよかな腹を包む青い服。紛れもなく何度も出会った看守、その人だった。しかし、そのまま視線を上に移していくと気づいた。
 その体には首から先の部分がなかった。
 何が起きているのかわからず、茫然自失とする。ひっそりと静まり返る世界。先程まで聞こえていた水滴の音も、今は聞こえない。静謐な空間でただただ、ぼんやりと立ったまま死んでいる看守を見つめる。
 「お待たせして申し訳ございません。少々発見に手間取りまして」
 首のない男の後方から、冷然とした声音の女の声がした。女はゆっくりと近づいてきて、
 「邪魔ですね。これは」
 と呟いたかと思うと、刹那のうちに看守の身体を切り刻んで肉の破片も残さず雲散霧消させてしまった。血の霧のようなものが舞うなかから、女は姿を現した。そして檻の前で跪き、こちらを見据えて言った。
 「お久しぶりです。私はかつて貴方様に命を救われたアリス・イブリア。今日ここで己の使命を果たすべく、貴方を、レナード・ヴァルマイア様をお迎えにあがりました」
 炎の陽炎で蠢く女の顔は昔、自分が悪辣な騎士から助けた悪魔の子供のそれにそっくりであった。
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