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『龍の宴』
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そしてとうとう、『龍の宴』の夜がやって来た。
その頃には、虹音の变化はほとんど落ち着いていて、ほんの一時、龍に变化することもあった。それは大蜥蜴くらいの大きさしか無い、灰色の小さな龍だったが、たしかに龍だ。ならば、『龍の宴』に連れていけば、この子龍の身の振り方について、他の龍から知見を得ることもできよう。白月は虹音も連れていくことにした。約束した露草は当然のこと。それなら、紫蛇独りに残れとは言えず、紫蛇も連れて行くこととした。
「紫蛇は虹音の保護者だからね。他の龍に色々相談したいこともあるだろう」
と白月は言った。
龍の姿になり、三人を背に乗せ、土産の酒樽と砂糖菓子の包みを鉤爪に引っ掛ける。
そして、白月は満月の夜空を駆けた。
『とにかく満月に向けて飛べば良い』と書物には書いてあった。その通りにすれば、月光の魔力の中、白月を導く糸のような魔力の道標が見えた。いくつかの異界をくぐり抜ける感触がする。背の上の三人を魔法で守るのも忘れない。
そしてたどり着いたのは、雲の上だった。満月と満天の星空が、触れられそうな程に近い。雲の上に降り立つと、ふわふわとはしているが、確かな足場の感触があった。
すでに宴の歓声がした。見れば、龍たちは円座を作って、あるものは人形を取り、ある者は龍の姿で、老いも若きも宴に興じている。
白月は人形を取ることにして、少女の姿に戻った。龍宮家に伝わる魔法の衣装は、龍の姿の時には紅い珊瑚の腕輪になっているが、人形に戻ると、真白い絹に紅く刺繍を施した、華やかな着物に変わった。
すると、案内役と思しき男が近づいてきた。
「龍のお嬢様。初めてお目にかかったお顔かと存じます。お名前をお願いいたします」
「龍宮白月」
男は一瞬表情を消し、その後、白月にうやうやしく礼をした。
「長年の軛から解き放たれ、先日、龍の姿に变化された御方と伺っております。まずは長老のもとへご挨拶をどうぞ。お連れ様もどうぞ」
四人は男の後について、ぞろぞろと雲の上を歩く。興味を持って男の素性を聞けば、長老の龍に仕える人間の一族の者だという。人間が龍に仕えるのか、と少し驚いてしまうのは、龍宮一族が長年人間に仕えてきたからだろう。
長老のもとへ歩く内、宴に興じる龍たちの好奇の目線が、白月達に向く。
長老が誰かは分かっていた。円座の一番奥、緋色の台座に金色の炎を装飾した巨大な椅子に、とぐろを巻いて座っている、長く白い髭を蓄えている真紅の龍がいた。
長老は金色の瞳で、白月たちを睥睨する。白月は跪いて、深く礼をした。
「龍宮白月と申します。4ヶ月ほど前、一族を捕らえる軛から解き放たれ、龍の姿となりました。ご挨拶が遅くなり、誠に申し訳ございません」
長老の目がギロリと白月を睨む。その声は稲妻が轟くようで、ビリビリと白月の背を震えさせた。
「まこと、遅い参上であった。龍の姿に变化したのであれば、すぐに我が元へ挨拶に来るのが筋であろう!」
その怒声に白月は身を縮めた。龍に成って以来、恐れるものなどなかった。だが、この長老の方が己より強いのは、本能で感じられる。
「知っておるぞ。契約が破棄されるまで、貴様がどれだけ、人間どものいいようにされておったか。人間の奴隷として暮らすなど、龍族の面汚しめ。さっさと自害すればよかったのだ──」
長老の罵声は続き、白月の俯いた顔は青ざめていく。まさかここまでの怒りを買うとは思っていなかったのだ。
隣の紫蛇が顔を上げ、何か口を挟もうとしたが、その前に動いた小さな影があった。
「白月をいじめちゃ、だめー!」
虹音だった。露草の腕の中から飛び出た彼女は、ちょろちょろと長老の身体に這い登り、その髭を思い切り引っ張る。
白月は仰天して、口をぽかんと開けた。
「虹音!? や、やめ、やめなさい」
こんな強大で恐ろしい存在を前にして、一体何をするのか。
だが虹音は止まらない。小さな灰色の龍の姿になっては長老に噛みつき、人形に戻っては長老の髭を引っ張る。そして、ついには当初の目的を忘れたのか、長老の巨大な身体の上で転がり、落ちてはまた這い登り、きゃっきゃと笑い始めた。
白月はもう、声も出なければ、身体も動かなかった。
長老がその鋭い鉤爪の先で、そっと虹音をつまみ上げた時、白月はようやく我に返って、地に伏せる。
「どうかお許しを! 虹音は、まだ幼いのです。私の躾が行き届きませんで──」
それに泡を食ったのは紫蛇だ。白月と同じように地に伏せ、言い募る。
「いいえ、虹音は俺の妹です。白月さんは悪くありません。罰するなら、俺にしてください!」
ややあって、ひどい轟音が、宴の雲を大きく揺らした。
間近で聞く雷鳴にも似たそれが、ガッハッハッハ、という長老の大笑なのだと気づいたのは、しばらく経ってからだった。
長老は今や、にんまりと目を細め、口元の端をひん曲げるように引き上げて笑っていた。
「なんと元気な子龍じゃ。実に見どころがある。いいぞいいぞ、子龍とはこうでなくてはな」
案内役の男が白月に、長老は無類の子ども好きなのです、と耳打ちした。白月の身体から、どっと力が抜ける。長老は虹音をお手玉のように掌で回して遊んでやりながら、白月に目を向けた。
「さて、そなたの子にも見えぬが、この子はどうやっておぬしのもとに行き着いた?」
白月の説明し、時折紫蛇が補足するのを、長老はうんうんと頷きながら聞いた。話が終わった時には、長老はすっかり上機嫌になっていた。
「ふむ。龍宮白月よ。龍の矜持を守り、子龍を守ったか。──ならば、その功績を認め、おぬしを我が龍族の一員として認めよう。そして、子龍の雛に魔力を注いて育てたからには、龍の世界において、おぬしはこの虹音の母龍ということになり、虹音の将来に責任を持つ立場になった」
その言葉に、白月は愕然と口を開いた。それはつまり、今後も──露草が立ち去る今夜が過ぎた後も、虹音の面倒を見なければならないということか。虹音が成人するまで、何年も? それは白月にとってひどく恐ろしいことで、先程長老の怒りのままに、その鉤爪に引き裂かれていた方がまだましだったと思えるほどだった。
しかし、長老は言葉を続けてくれた。
「が、まだ若いお主には荷が重かろう。どうだろう、母龍であるおぬしが同意するならば、この子龍は我が屋敷で育てることとするが」
「ぜひ! お願いします!!」
考えるまでもなく、白月は答えていた。が、すぐに隣の紫蛇のことを思い出す。振り向けば、紫蛇は青ざめた顔で唇を引き結んでいた。彼にとって、長年唯一の家族であった妹との別れなのだ。だが、紫蛇は両手を雲につき、深々と長老に頭を下げた。
「──それが、妹にとって、何より良いことかと存じます。どうか、妹をよろしくお願いいたします」
「紫蛇──」
慰めの言葉も出ない白月に、長老はくつくつと笑った。
「お主も、我が屋敷に来てもよいのだぞ、子龍の兄よ。我が家式には、人間の使用人も大勢おるからの。身を立てたいのなら、教育も受けさせてやれる」
それはいい話だ、と白月は思った。紫蛇の顔も明るくなる。
「さあ、細かい話は後だ。まずは宴を楽しめ! 新たな仲間を歓迎しようぞ!」
参列した龍たちの間から、おおお、という歓声が湧いた。みな、興味津々に白月達のやり取りを見ていたようだ。白月は龍たちに囲まれて席を勧められ、盃を渡されると、次々に酒を注がれる。先日酔っ払ってしまったことは記憶に新しく、苦笑するが、飲まないわけにもいかない。
──と、白月は、大事なことを思い出した。
案内役の人間の男を手招きすると、露草を紹介した。
「この露草は、夫を探して『龍の宴』に来たのだが、心当たりはないか?」
「さて──人間の使用人を連れた龍も多くおりますが、探してみましょう。ご夫君のお名前は?」
露草が答えたその名を聞いて、白月は目を見開いた。
「夫の名は、鷹尾流星──と申します」
それは、白月が『殺した』ことになっている、虹蛇王国騎士団長の名だった。
その頃には、虹音の变化はほとんど落ち着いていて、ほんの一時、龍に变化することもあった。それは大蜥蜴くらいの大きさしか無い、灰色の小さな龍だったが、たしかに龍だ。ならば、『龍の宴』に連れていけば、この子龍の身の振り方について、他の龍から知見を得ることもできよう。白月は虹音も連れていくことにした。約束した露草は当然のこと。それなら、紫蛇独りに残れとは言えず、紫蛇も連れて行くこととした。
「紫蛇は虹音の保護者だからね。他の龍に色々相談したいこともあるだろう」
と白月は言った。
龍の姿になり、三人を背に乗せ、土産の酒樽と砂糖菓子の包みを鉤爪に引っ掛ける。
そして、白月は満月の夜空を駆けた。
『とにかく満月に向けて飛べば良い』と書物には書いてあった。その通りにすれば、月光の魔力の中、白月を導く糸のような魔力の道標が見えた。いくつかの異界をくぐり抜ける感触がする。背の上の三人を魔法で守るのも忘れない。
そしてたどり着いたのは、雲の上だった。満月と満天の星空が、触れられそうな程に近い。雲の上に降り立つと、ふわふわとはしているが、確かな足場の感触があった。
すでに宴の歓声がした。見れば、龍たちは円座を作って、あるものは人形を取り、ある者は龍の姿で、老いも若きも宴に興じている。
白月は人形を取ることにして、少女の姿に戻った。龍宮家に伝わる魔法の衣装は、龍の姿の時には紅い珊瑚の腕輪になっているが、人形に戻ると、真白い絹に紅く刺繍を施した、華やかな着物に変わった。
すると、案内役と思しき男が近づいてきた。
「龍のお嬢様。初めてお目にかかったお顔かと存じます。お名前をお願いいたします」
「龍宮白月」
男は一瞬表情を消し、その後、白月にうやうやしく礼をした。
「長年の軛から解き放たれ、先日、龍の姿に变化された御方と伺っております。まずは長老のもとへご挨拶をどうぞ。お連れ様もどうぞ」
四人は男の後について、ぞろぞろと雲の上を歩く。興味を持って男の素性を聞けば、長老の龍に仕える人間の一族の者だという。人間が龍に仕えるのか、と少し驚いてしまうのは、龍宮一族が長年人間に仕えてきたからだろう。
長老のもとへ歩く内、宴に興じる龍たちの好奇の目線が、白月達に向く。
長老が誰かは分かっていた。円座の一番奥、緋色の台座に金色の炎を装飾した巨大な椅子に、とぐろを巻いて座っている、長く白い髭を蓄えている真紅の龍がいた。
長老は金色の瞳で、白月たちを睥睨する。白月は跪いて、深く礼をした。
「龍宮白月と申します。4ヶ月ほど前、一族を捕らえる軛から解き放たれ、龍の姿となりました。ご挨拶が遅くなり、誠に申し訳ございません」
長老の目がギロリと白月を睨む。その声は稲妻が轟くようで、ビリビリと白月の背を震えさせた。
「まこと、遅い参上であった。龍の姿に变化したのであれば、すぐに我が元へ挨拶に来るのが筋であろう!」
その怒声に白月は身を縮めた。龍に成って以来、恐れるものなどなかった。だが、この長老の方が己より強いのは、本能で感じられる。
「知っておるぞ。契約が破棄されるまで、貴様がどれだけ、人間どものいいようにされておったか。人間の奴隷として暮らすなど、龍族の面汚しめ。さっさと自害すればよかったのだ──」
長老の罵声は続き、白月の俯いた顔は青ざめていく。まさかここまでの怒りを買うとは思っていなかったのだ。
隣の紫蛇が顔を上げ、何か口を挟もうとしたが、その前に動いた小さな影があった。
「白月をいじめちゃ、だめー!」
虹音だった。露草の腕の中から飛び出た彼女は、ちょろちょろと長老の身体に這い登り、その髭を思い切り引っ張る。
白月は仰天して、口をぽかんと開けた。
「虹音!? や、やめ、やめなさい」
こんな強大で恐ろしい存在を前にして、一体何をするのか。
だが虹音は止まらない。小さな灰色の龍の姿になっては長老に噛みつき、人形に戻っては長老の髭を引っ張る。そして、ついには当初の目的を忘れたのか、長老の巨大な身体の上で転がり、落ちてはまた這い登り、きゃっきゃと笑い始めた。
白月はもう、声も出なければ、身体も動かなかった。
長老がその鋭い鉤爪の先で、そっと虹音をつまみ上げた時、白月はようやく我に返って、地に伏せる。
「どうかお許しを! 虹音は、まだ幼いのです。私の躾が行き届きませんで──」
それに泡を食ったのは紫蛇だ。白月と同じように地に伏せ、言い募る。
「いいえ、虹音は俺の妹です。白月さんは悪くありません。罰するなら、俺にしてください!」
ややあって、ひどい轟音が、宴の雲を大きく揺らした。
間近で聞く雷鳴にも似たそれが、ガッハッハッハ、という長老の大笑なのだと気づいたのは、しばらく経ってからだった。
長老は今や、にんまりと目を細め、口元の端をひん曲げるように引き上げて笑っていた。
「なんと元気な子龍じゃ。実に見どころがある。いいぞいいぞ、子龍とはこうでなくてはな」
案内役の男が白月に、長老は無類の子ども好きなのです、と耳打ちした。白月の身体から、どっと力が抜ける。長老は虹音をお手玉のように掌で回して遊んでやりながら、白月に目を向けた。
「さて、そなたの子にも見えぬが、この子はどうやっておぬしのもとに行き着いた?」
白月の説明し、時折紫蛇が補足するのを、長老はうんうんと頷きながら聞いた。話が終わった時には、長老はすっかり上機嫌になっていた。
「ふむ。龍宮白月よ。龍の矜持を守り、子龍を守ったか。──ならば、その功績を認め、おぬしを我が龍族の一員として認めよう。そして、子龍の雛に魔力を注いて育てたからには、龍の世界において、おぬしはこの虹音の母龍ということになり、虹音の将来に責任を持つ立場になった」
その言葉に、白月は愕然と口を開いた。それはつまり、今後も──露草が立ち去る今夜が過ぎた後も、虹音の面倒を見なければならないということか。虹音が成人するまで、何年も? それは白月にとってひどく恐ろしいことで、先程長老の怒りのままに、その鉤爪に引き裂かれていた方がまだましだったと思えるほどだった。
しかし、長老は言葉を続けてくれた。
「が、まだ若いお主には荷が重かろう。どうだろう、母龍であるおぬしが同意するならば、この子龍は我が屋敷で育てることとするが」
「ぜひ! お願いします!!」
考えるまでもなく、白月は答えていた。が、すぐに隣の紫蛇のことを思い出す。振り向けば、紫蛇は青ざめた顔で唇を引き結んでいた。彼にとって、長年唯一の家族であった妹との別れなのだ。だが、紫蛇は両手を雲につき、深々と長老に頭を下げた。
「──それが、妹にとって、何より良いことかと存じます。どうか、妹をよろしくお願いいたします」
「紫蛇──」
慰めの言葉も出ない白月に、長老はくつくつと笑った。
「お主も、我が屋敷に来てもよいのだぞ、子龍の兄よ。我が家式には、人間の使用人も大勢おるからの。身を立てたいのなら、教育も受けさせてやれる」
それはいい話だ、と白月は思った。紫蛇の顔も明るくなる。
「さあ、細かい話は後だ。まずは宴を楽しめ! 新たな仲間を歓迎しようぞ!」
参列した龍たちの間から、おおお、という歓声が湧いた。みな、興味津々に白月達のやり取りを見ていたようだ。白月は龍たちに囲まれて席を勧められ、盃を渡されると、次々に酒を注がれる。先日酔っ払ってしまったことは記憶に新しく、苦笑するが、飲まないわけにもいかない。
──と、白月は、大事なことを思い出した。
案内役の人間の男を手招きすると、露草を紹介した。
「この露草は、夫を探して『龍の宴』に来たのだが、心当たりはないか?」
「さて──人間の使用人を連れた龍も多くおりますが、探してみましょう。ご夫君のお名前は?」
露草が答えたその名を聞いて、白月は目を見開いた。
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