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解ける誤解と深い溝

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 北風が試合場に上がると、観客の女性たちのさざめき声がした。
「ねぇ、すごい美少年」
「北塵藩の子ですって」
「北塵藩って鄙びた場所の印象があったけれど、あんな子もいるのね」
 どうやら自分の容姿は、北塵藩の評判にも影響してくるのだと悟った北風は、声がした方に向けてにっこりと笑顔を作り、手を振ってみせる。
 きゃあっと歓声が湧き、がんばってぇ、という、気の早い声援まで起きた。
 ──南瀬に話を聞いてもらわなかったら、とうていできなかったことだろうなぁ
 そう北風は思うが、見ていた南瀬が、切り替えが早すぎだろこいつ、と呆れて頭を抱えていたことには気づいていない。
 そんな北風に、試合相手は渋い顔だ。
「試合前からちゃらちゃらしてんじゃねぇよ」
 と至極まっとうな苦言を呈される。
 試合相手は、北風より数段体格のいい少年だった。大振りな剣には強化の呪術がかかっている様子で、あれで一撃を食らったらひとたまりもないだろう。
 向こうもまた、北風の装備を見て、剣になんの呪術もかかっていないことを見て取り、鼻を鳴らす。かといって、顔だけで上戸老人から御前試合の推薦をもらったとは、さすがに思わないのだろう。油断した様子もなう、剣を構えた。
「──はじめ!」
 審判の号令とともに、北風は地面を蹴っていた。疾風のような疾さ。横薙ぎに払った剣の、対戦相手の腹を狙った一撃は、正確に命中した。
 した──が、効いていない。防御の護符がかかっているらしい。
「──このっ!」
 初撃を与えられたことが対戦相手を奮起したらしく、重い斬撃を振り下ろされる。後ろに飛び退ってそれを避け、一旦は距離を取った。
 ──やっぱり、呪術のかかっていない、ただの物理攻撃では防御の護符を突破できないようだ。
 予想はついていたから、焦りはしない。
 北風は目を閉じ、集中した。全身の魔力を高めていく。腕輪がそれに反応し、過大な分の魔力を吸い取ってくれる。吸収されなかった魔力を魔法陣の形に整え、その魔法陣を剣に焼き付ける。剣が赤く染まり、炎を纏った。
 ほとんど魔力制御のできていなかった北風は、上戸老人の修行の結果、剣に魔術で強化を施せるまでになっていたのだ。
 ただし、長くは保たない。次こそ一撃で決める。
 北風は剣を構え、相手もまた、一切の油断なく構えを取る。先程の動きを見て、北風の疾さは知られている。不意打ちは効かないだろう。
 北風は地面を蹴る。一撃目。防がれた。鍔迫り合いが始まりそうになるが、北風の仕掛けた足払いを相手が避けて、距離ができる。二撃目。再び防がれる。三撃、四撃。絶え間ない剣戟の音が続く。
 焦れた相手が、北風の剣を下からの斬撃で弾き飛ばそうとする。強い力だ。なんとか剣を手から話さなかったが、後方に弾き飛ばされる。相手は、必殺の一撃を加えるべく、剣を振りかぶった。その瞬間、相手の身体ががら空きになる。
 北風は、それを待っていた。一瞬にして体勢を整え、身体を低くかがめると、地面を蹴ると同時に剣を突き出す。それは瞬速の、そして鋭い突きだった。
 炎を纏ったその突きに、防御護符が一瞬の反発をし、そして、すぐに砕け散る。
 ──当たったのは、ただの一撃。
 だが、その突きの威力は、疾さによって増大され、対戦相手は身体を二つに折って崩れ落ちる。
「勝負あり! 勝者、北塵藩、塵北風!」
 審判の声がする。
 わああ、という歓声に、今度は女性だけでなく、男性の声も混じっている。北風はにこやかに、それに手を振った。
 
 仲間たちのもとへ戻ると、よくやったな、と南瀬と東丸にもみくちゃにされた。西條ですら、嫌味な様子ではなくふんと鼻を鳴らした。たぶん褒めたのだろう。
「俺の腕輪の働きのおかげだな」
 と寒凪が言い、北風も頭を下げる。
「本当にそのとおりです、ありがとうございます」
「……冗談だ」
 苦笑されて、ポンポンと肩を叩かれる。
「しかしおまえの剣技は、本当に、時任の影響が濃いなぁ。見てると時任を思い出すよ」
 との寒凪の言葉に、
「そうだろ? 俺の自慢の弟子で、義弟だからな」
 と聞き覚えのある声が頭上からかけられた。
 見上げた北風は目を丸くした。
「義兄さん! ……っ、姉さんまで!!」
 観客席から北風を見下ろして、笑顔で手を振っているのは、姉の六実と、その夫の晴臣だった。
「どうしたの、二人とも。新婚旅行は?」
「楽しんでるさ。同じ皇都にいるんだ。大事な義弟が御前試合に出ていると聞いて、見に来ないわけないだろ?」
「晴臣さんがいてくれてよかった。男の方が多くて、私一人じゃ、敷居が高かったかも」
 六実は苦笑する。その手を晴臣が取って、手の甲に口づけた。
「君がそう望んだところで、一人で来させやしなかっさ。他の男が君に目を惹かれると思うだけで、嫉妬で狂いそうだ」
「もう……晴臣さんたら……!」
 六実は頬を真っ赤に染めて視線をうつろわせ、恥じらう。
 やめてくれ。仲間の前で、本当にやめてくれ。
 北風は頭を抱える。上戸老人のもとから来た一行の誰もが──寒凪も含め──突如として始まったそのまったく人目を憚らぬイチャイチャ空間に目を丸くしていたが、晴臣は気にした風もなく笑う。
「紹介が遅れたな、寒凪! この美しい人が俺の妻、塵六実さんだ! 手を出したらいくらおまえでも許さん!」
「誰が出すか!」
 寒凪は怒鳴り、額を押さえてうなだれる。
「……俺は、心配してたんだぞ……おまえが皇都を追われて辺境に押し込められ、失意のどん底だと聞いていたから……」
 晴臣が目を丸くして心外そうに言った。
「失意のどん底? 最愛の妻と義弟に恵まれ、この世に俺ほど幸せな男がいるとは思えん」
「そうだな、俺も確信したよ。今この世に、おまえほど頭がお花畑な男はいない」
 時臣と寒凪が漫才をしている間に、六実は北風の仲間たちに笑いかける。それは決して美人とはいえない姉の、だが人の良さが丸出しになった笑みだと、藩の臣民たちに評判の笑顔だ。
「みなさん、北風と仲良くしてくれてありがとう。北風の姉の六実です。北風、とっても成長したみたい──魔術の制御ができているのにも驚いたけれど、それだけじゃなくて、こんな観衆の前で堂々として──きっと、みなさんのおかげなのね。これからもどうか、弟と仲良くしてやってください」
 そう言って頭を下げる六実には、元皇女の傲慢さなど欠片もなく、あるのはただ弟への剥き出しの愛だった。
 東丸や西條が、はあ、とか、へぇ、とか生返事をしている時、南瀬は黙っていた。
 北風は嫌な予感を感じていたが──果たして、晴臣と六実が、「じゃあ、邪魔になるだろうから」と貴賓席に用意された席に戻った後、北風は南瀬に肩を捕まれ、
「ちょっと来い」
 とひどく冷たい声で言われたのだった。

 連れて行かれたのは人気のない冷たい廊下で、呼び出したはずの南瀬はしばし沈黙し、北風もまた何も言えずにいた。
 やがて、とうとう、南瀬が口を開いた。
「……どういうことだ」
「……ああいうことです」
 そう応えながらも北風は、どうしても顔を上げて南瀬の顔を見る勇気がなかった。
「俺は、おまえが俺と同じように、故郷で虐げられていると思っていた。おまえも、俺がそう思っているのを知っていたよな?」
「……何か誤解されているのは知っていて、何度も誤解を解こうとしたけど、そのたびに間が悪くて──」
 北風の弁明を、南瀬は遮る。
「俺を馬鹿にしていたのか」
「そうじゃない!!」
 北風はようやく顔を上げた。南瀬の顔は青ざめていた。それは怒りより、裏切られたという悲しみが濃く現れていて、それが北風の胸を斬り裂いた。
「そうじゃないんだ、南瀬……」
「もういい。そろそろ試合の時間だ、戻ろう」
 南瀬は北風に背を向けた。
「南瀬!」
「……まだ、気持ちの整理がつけられない。頼むから黙っていてくれ。俺は試合に集中したいんだ。将来がかかっている。お前と違ってな!」
 淡々と話そうと感情を殺した言葉の、最後の一言だけ、激情が隠せていなかった。
 北風は呆然とその背を見送るしかなかった。

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