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暗躍の気配
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蓮西條、蘭東丸に敗退。剣の鍔迫り合いになり、重量と腕力で東丸が勝った。
蘭東丸、海南瀬に敗退。南瀬が魔術による遠隔攻撃で東丸の接近を許さなかった。
そして、控える決勝戦。──海南瀬と、塵北風の一騎打ちとなる。
南瀬は、決勝戦を控え、手水場で一人顔を洗っていた。水滴が頬を投げれ、ぼたぼたと顎を伝うのを、拭う気にもなれない。鏡に写す自分の顔色はひどいものだと自覚している。
東丸には、『明日の団体戦までにはその顔をなんとかしろ』と言われている。西條すら、こちらを気にかけるような目線を送ってきた。
──北風からは、懇願するような、訴えかけるような視線が。
分かっている。そもそも自分が勝手に勘違いを──期待をしたのだ。自分の同類、同じ気持ちを味わってきた相手だと。北風自身は何も変わっていない。優しさも、誠実さも。だが、それが、自分とは裏腹の優しい家族に囲まれて育まれたものだと思うだけで、こんなにも気持ちが捻れてしまう。
そんな風に、思考がぐるぐる巡っていたときだった。後ろから声をかけられたのは。
「やあ、南海藩の海南瀬くん。さっきぶりだ」
声をかけられるまで、気配を一切悟れなかった。慌てて振り返れば、そこには北風の義兄、塵晴臣がいた。浮かべられた笑みは、先程妻の六実と一緒だった時の緩んだものとは違う。
油断ならない、と感じて、南瀬は身体をこわばらせた。それに晴臣はにぱっと快活に笑って、片手を挙げてみせる。
「ああ、そんなに緊張してくれないでくれ。君と少し話してみたかっただけだから」
「俺と──?」
まだ警戒しながら聞くと、晴臣は頷く。
「ああ。──この決勝戦の結果がどうなろうと、御前試合で頂点を争ったと言うだけで、君の名声は上がり、南海藩でも君を容易に排斥できなくなるだろう。俺は、君の支援をする用意があるよ。それだけ伝えておきたかった」
「支援?」
南海藩と北塵藩は皇都を挟んで反対側にある。そうそう行き来もできないはずだ。
「そう。俺はこれでも有名人でね。皇都のお偉方に伝もある。皇都で君が正式に跡取りに指名されれば、南海藩もどうしようもない」
願ってもない話のはずだ。だが、南瀬はこの男に気を許せなかった。南海藩でも、南瀬の境遇に同情する『フリ』をして、近づいてくる人間はいた。
おかわいそうに、私はあなたの味方になります。手助けをしましょう──その代わり、私の欲しい物を与えてください。
そんな張り付いた笑顔の数々が脳裏をよぎった。そんな南瀬の顔を、疑いの眼差しと受け取ったのか、晴臣は言葉を続けた。
「それに、我が妻、六実が『大神官』に名が挙がっているのは知っているだろう? 俺たち夫婦との友誼は、君にとって決して損にならない」
皮肉にも、その言葉が、南瀬にさらなる疑念を与えた。
先程ちらりと挨拶しただけの六実だが、穏やかで優しい人物、と見えた。短い邂逅ですら、とても彼女が『大神官』として数々の政敵と争うことを望んでいるとは思えない。
──むしろそれは、この男の望みなのか。
北風の顔を思い出す。姉と義兄に会って、仲間の手前恥ずかしそうにしながらも、実のところ嬉しそうだった。
──北風。おまえは、この男のこの顔を知っているのか。
そう思うと胸騒ぎがして、南瀬は、一時、先程までの鬱屈を忘れた。
そして、決勝戦が始まる。
観客の歓声は、先程までの試合の比ではない。特に女性客の歓声を浴びながらも、北風の顔は青ざめていた。南瀬が、北風に声をかける。
「……北風。後で話そう。それから」
続く言葉は鋭い眼光で。
「手加減なんかしたら、一生許さんからな」
その眼光と言葉に何を感じたのか、北風はハッとした顔をして、頷いた。引き結ばれた唇に、北風なりに覚悟を決めたことが分かる。
「──はじめ!」
審判の号令からほとんど間を置かず、南瀬の魔法陣がいくつも宙に浮かぶ。恐るべき発動の疾さだった。東丸を相手取ったときと作戦は同じ。近接戦闘に優れた北風を近づけず、遠隔魔術で倒す。
だが、北風もまた、疾かった。南瀬の魔法が発動した時には、すでに半ばまで距離を詰められていた。発動した魔術が北風を襲うが、北風は器用なすばしっこさでそれを避けつつ、南瀬に近づいていく。すべては避けきれない。防御魔術で衝撃を和らげても、痛みはあるのだろう。顔を歪めながらも、脚は止めない。
北風の走りを、止めきれない。
そう判断した南瀬は、自身も剣を構える。剣と剣がぶつかる、硬質な音が響いた。一撃、二撃、三撃と剣戟が続く。押され気味なのは南瀬だ。剣の腕では、北風に負ける。
やがて、鍔迫り合いになった。南瀬は魔力を発動し、刀身に渦巻く水流を纏わせる。北風もまた、魔力を発動し、刀身に炎が宿る。
水流が炎を弱め、炎が水を蒸発させていく。一進一退、どちらも退かぬ攻防。観客は固唾を呑んでそれを見つめた。
だが、そこで北風が一歩後退した。わざとだった。突然和らいだ抵抗に身体の平衡を崩した南瀬の腹に、北風の鋭い一撃が加えられる。
「ぐ、は……っ」
南瀬はたまらず身体を折る。
審判の号令がくだされた。
「そこまで! ──勝者、北塵藩、塵北風!!」
わああああ、と歓声が上がる。
「どっちも頑張ったな!」
「両方すごかったぞぉ!!」
と声がする。南瀬の奮闘も認められたのだ。──これで、御前試合に出た目的は果たした。だが、こんなに悔しいのはなぜだろう、と南瀬は思う。
「南瀬」
北風が、南瀬のそばにかがんで、手を伸ばす。それを、朦朧とする目線で南瀬は見上げた。
──そうだ。こいつに負けたくなかった。対等でいたかった。はじめてできた、友達だから。
南瀬は、北風の差し出した手を掴んだ。
観客の歓声は一層大きくなり、場内を包んだ。
試合が終わり、東丸と西條は先に宿舎に戻った。寒凪は色々挨拶回りがあるらしく、どこかに行った。北風は午後からの成人の部を見ることにし、南瀬はそれに同行した。
北風は、ちらちらと南瀬を見るが、言葉は出ない。気詰まりな沈黙があった。やがて南瀬が言った。
「おまえの義兄の試合が始まるぞ」
「え、あ、ほんとだ!」
義兄の晴臣は、本当はこの御前試合に出る予定ではなかった。だが、せっかく晴臣が皇都にいるのなら、彼の試合を見たいという声が多く、急遽参加することになったらしい。それで、北風も義兄を応援すべく、ここに残ったのだ。
晴臣の剣は、圧倒的だった。それは重く、疾く、そして技の極みにあった。対戦相手は次々と討ち果たされていく。彼の勝利のたびに、観客の歓声は大きくなっていく。それは、北風と南瀬の試合の比ではなかった。
北風はそれに、悔しいと言うよりも、憧れが先に立つ。
「……やっぱり義兄さんはすごいな」
おもわず漏れた言葉と笑みに、隣の南瀬が眉を潜めた。
当然のことながら、優勝したのは晴臣で、彼は司会から一言を求められた。
晴臣は豪放磊落な、人好きのする笑顔で笑った。
「私だけの力ではありません。──この剣に術を施し、防御の護符を作ってくれた、我が妻、塵六実の扶けがあってこそです!」
そうして晴臣は六実のいる貴賓席に手を振ってみせる。六実は、照れたように顔を赤らめながら、それでも手を振り返す。
──こんな公の場でもイチャイチャするのか、あの二人。
北風は呆れ、自分のことのように照れるが、南瀬の感想は違ったようだ。
「これで、おまえの姉の名は上がった。最強の剣士という武力を夫に持っていることも考慮材料になるだろう。『大神官』に近くなった」
北風は、思わず南瀬を振り向いた。南瀬の顔は真剣だった。
「姉さんは、そんなこと望んでいないよ」
「そうかもしれない。だが、おまえの義兄は違うかもしれない。気をつけろよ、北風。姉が大事なら──あの男に気を許すな」
その声音には、北風が一蹴できない何かがあった。それは北風にはないもの、権謀術数の中で生きてきた者の持つ凄みだった。
──波乱の予感がした。
蘭東丸、海南瀬に敗退。南瀬が魔術による遠隔攻撃で東丸の接近を許さなかった。
そして、控える決勝戦。──海南瀬と、塵北風の一騎打ちとなる。
南瀬は、決勝戦を控え、手水場で一人顔を洗っていた。水滴が頬を投げれ、ぼたぼたと顎を伝うのを、拭う気にもなれない。鏡に写す自分の顔色はひどいものだと自覚している。
東丸には、『明日の団体戦までにはその顔をなんとかしろ』と言われている。西條すら、こちらを気にかけるような目線を送ってきた。
──北風からは、懇願するような、訴えかけるような視線が。
分かっている。そもそも自分が勝手に勘違いを──期待をしたのだ。自分の同類、同じ気持ちを味わってきた相手だと。北風自身は何も変わっていない。優しさも、誠実さも。だが、それが、自分とは裏腹の優しい家族に囲まれて育まれたものだと思うだけで、こんなにも気持ちが捻れてしまう。
そんな風に、思考がぐるぐる巡っていたときだった。後ろから声をかけられたのは。
「やあ、南海藩の海南瀬くん。さっきぶりだ」
声をかけられるまで、気配を一切悟れなかった。慌てて振り返れば、そこには北風の義兄、塵晴臣がいた。浮かべられた笑みは、先程妻の六実と一緒だった時の緩んだものとは違う。
油断ならない、と感じて、南瀬は身体をこわばらせた。それに晴臣はにぱっと快活に笑って、片手を挙げてみせる。
「ああ、そんなに緊張してくれないでくれ。君と少し話してみたかっただけだから」
「俺と──?」
まだ警戒しながら聞くと、晴臣は頷く。
「ああ。──この決勝戦の結果がどうなろうと、御前試合で頂点を争ったと言うだけで、君の名声は上がり、南海藩でも君を容易に排斥できなくなるだろう。俺は、君の支援をする用意があるよ。それだけ伝えておきたかった」
「支援?」
南海藩と北塵藩は皇都を挟んで反対側にある。そうそう行き来もできないはずだ。
「そう。俺はこれでも有名人でね。皇都のお偉方に伝もある。皇都で君が正式に跡取りに指名されれば、南海藩もどうしようもない」
願ってもない話のはずだ。だが、南瀬はこの男に気を許せなかった。南海藩でも、南瀬の境遇に同情する『フリ』をして、近づいてくる人間はいた。
おかわいそうに、私はあなたの味方になります。手助けをしましょう──その代わり、私の欲しい物を与えてください。
そんな張り付いた笑顔の数々が脳裏をよぎった。そんな南瀬の顔を、疑いの眼差しと受け取ったのか、晴臣は言葉を続けた。
「それに、我が妻、六実が『大神官』に名が挙がっているのは知っているだろう? 俺たち夫婦との友誼は、君にとって決して損にならない」
皮肉にも、その言葉が、南瀬にさらなる疑念を与えた。
先程ちらりと挨拶しただけの六実だが、穏やかで優しい人物、と見えた。短い邂逅ですら、とても彼女が『大神官』として数々の政敵と争うことを望んでいるとは思えない。
──むしろそれは、この男の望みなのか。
北風の顔を思い出す。姉と義兄に会って、仲間の手前恥ずかしそうにしながらも、実のところ嬉しそうだった。
──北風。おまえは、この男のこの顔を知っているのか。
そう思うと胸騒ぎがして、南瀬は、一時、先程までの鬱屈を忘れた。
そして、決勝戦が始まる。
観客の歓声は、先程までの試合の比ではない。特に女性客の歓声を浴びながらも、北風の顔は青ざめていた。南瀬が、北風に声をかける。
「……北風。後で話そう。それから」
続く言葉は鋭い眼光で。
「手加減なんかしたら、一生許さんからな」
その眼光と言葉に何を感じたのか、北風はハッとした顔をして、頷いた。引き結ばれた唇に、北風なりに覚悟を決めたことが分かる。
「──はじめ!」
審判の号令からほとんど間を置かず、南瀬の魔法陣がいくつも宙に浮かぶ。恐るべき発動の疾さだった。東丸を相手取ったときと作戦は同じ。近接戦闘に優れた北風を近づけず、遠隔魔術で倒す。
だが、北風もまた、疾かった。南瀬の魔法が発動した時には、すでに半ばまで距離を詰められていた。発動した魔術が北風を襲うが、北風は器用なすばしっこさでそれを避けつつ、南瀬に近づいていく。すべては避けきれない。防御魔術で衝撃を和らげても、痛みはあるのだろう。顔を歪めながらも、脚は止めない。
北風の走りを、止めきれない。
そう判断した南瀬は、自身も剣を構える。剣と剣がぶつかる、硬質な音が響いた。一撃、二撃、三撃と剣戟が続く。押され気味なのは南瀬だ。剣の腕では、北風に負ける。
やがて、鍔迫り合いになった。南瀬は魔力を発動し、刀身に渦巻く水流を纏わせる。北風もまた、魔力を発動し、刀身に炎が宿る。
水流が炎を弱め、炎が水を蒸発させていく。一進一退、どちらも退かぬ攻防。観客は固唾を呑んでそれを見つめた。
だが、そこで北風が一歩後退した。わざとだった。突然和らいだ抵抗に身体の平衡を崩した南瀬の腹に、北風の鋭い一撃が加えられる。
「ぐ、は……っ」
南瀬はたまらず身体を折る。
審判の号令がくだされた。
「そこまで! ──勝者、北塵藩、塵北風!!」
わああああ、と歓声が上がる。
「どっちも頑張ったな!」
「両方すごかったぞぉ!!」
と声がする。南瀬の奮闘も認められたのだ。──これで、御前試合に出た目的は果たした。だが、こんなに悔しいのはなぜだろう、と南瀬は思う。
「南瀬」
北風が、南瀬のそばにかがんで、手を伸ばす。それを、朦朧とする目線で南瀬は見上げた。
──そうだ。こいつに負けたくなかった。対等でいたかった。はじめてできた、友達だから。
南瀬は、北風の差し出した手を掴んだ。
観客の歓声は一層大きくなり、場内を包んだ。
試合が終わり、東丸と西條は先に宿舎に戻った。寒凪は色々挨拶回りがあるらしく、どこかに行った。北風は午後からの成人の部を見ることにし、南瀬はそれに同行した。
北風は、ちらちらと南瀬を見るが、言葉は出ない。気詰まりな沈黙があった。やがて南瀬が言った。
「おまえの義兄の試合が始まるぞ」
「え、あ、ほんとだ!」
義兄の晴臣は、本当はこの御前試合に出る予定ではなかった。だが、せっかく晴臣が皇都にいるのなら、彼の試合を見たいという声が多く、急遽参加することになったらしい。それで、北風も義兄を応援すべく、ここに残ったのだ。
晴臣の剣は、圧倒的だった。それは重く、疾く、そして技の極みにあった。対戦相手は次々と討ち果たされていく。彼の勝利のたびに、観客の歓声は大きくなっていく。それは、北風と南瀬の試合の比ではなかった。
北風はそれに、悔しいと言うよりも、憧れが先に立つ。
「……やっぱり義兄さんはすごいな」
おもわず漏れた言葉と笑みに、隣の南瀬が眉を潜めた。
当然のことながら、優勝したのは晴臣で、彼は司会から一言を求められた。
晴臣は豪放磊落な、人好きのする笑顔で笑った。
「私だけの力ではありません。──この剣に術を施し、防御の護符を作ってくれた、我が妻、塵六実の扶けがあってこそです!」
そうして晴臣は六実のいる貴賓席に手を振ってみせる。六実は、照れたように顔を赤らめながら、それでも手を振り返す。
──こんな公の場でもイチャイチャするのか、あの二人。
北風は呆れ、自分のことのように照れるが、南瀬の感想は違ったようだ。
「これで、おまえの姉の名は上がった。最強の剣士という武力を夫に持っていることも考慮材料になるだろう。『大神官』に近くなった」
北風は、思わず南瀬を振り向いた。南瀬の顔は真剣だった。
「姉さんは、そんなこと望んでいないよ」
「そうかもしれない。だが、おまえの義兄は違うかもしれない。気をつけろよ、北風。姉が大事なら──あの男に気を許すな」
その声音には、北風が一蹴できない何かがあった。それは北風にはないもの、権謀術数の中で生きてきた者の持つ凄みだった。
──波乱の予感がした。
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