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92 〈美奈子との惜別〉

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てんせい少女

92 〈美奈子との惜別〉




「愛ちゃん……愛ちゃん……」

 その声が近づいてきて目が覚めた。
 バカな話だけど、一瞬、ここは誰? わたしは、どこ? になってしまった。


「ハハ、ホッペに畳の跡が付いてるよ!」
「え、ほんと!?」

 荷物はほとんど片づけたので、ベランダのガラス戸に顔を映してみた。

「やだ、あたしトラックの助手席に乗るのに……これじゃ、運転手さんから丸見えだ」
「まあ、お婆さんじゃないんだから、十分もすれば消えるわよ」
「そっかなあ……」

 あたしは、ホッペを揉んでみた。

「大丈夫だって」
「だよね……」
「寂しくなるね……」

 縁側に腰掛けながら美奈子が肩を落とす。

「主語が不明ね。あたしが? 美奈子が?」
「両方よ、日本語の機微が分からないんだから」
「でも、せめてお互いにぐらい言ってよ」
「……これ、お別れのしるし。さよならじゃないからね」
「そうだよ。お互い親が、こんな仕事だから、どこ行くかわかんないもん。また、どこかであえるっしょ」
「ハハ、北海道弁が混じってる」
「ハハ、一番長かったからね……お、お守りだ」
「かさばらないものって、それで心のこもったもの。で、これになった」
「お、護国神社……遠かったんじゃない?」
「朝の一番に自転車で行ってきた。運動兼ねてね。事情言ったら宮司さんが特別なのくれた。重いよ」

 手のひらに載せられたそれは、予想の三倍ぐらい重かった。

「なんだろ、これ、普通のお守りの三倍は重いよ」
「ばか、開けて見るんじゃないわよ」
「ヘヘ、好奇心だけは旺盛だから」


 そのとき、玄関でお母さんの声がした。


「愛、そろそろ出るよ……あ、美奈子ちゃん、見送りにきてくれたの?」
「はい、この官舎で、東京からいっしょなのは愛ちゃんだけでしたから」
「そうね、今度の移動がなかったら、中学高校といっしょに卒業できたかもしれないわね」
「それを言っちゃあいけません、小林連隊長夫人」
「そうよね、そういうの承知でいっしょになったんだもんね」

「奥さん、そろそろ……」

 玄関から、運送屋さんが顔をのぞかせる。

「はい、いま行きまーす!」

 玄関に回ると、大きな4トントラックと、お母さんのパッソが親子のように並んでいる。

「じゃ、お母さんたち、ご近所にご挨拶してから出るから」
「うん、じゃ、お先」

「ごめんね、お姉ちゃん。トラックに乗せて」

 進が、済まなさそうに言った。

 進は人見知りってか、そういう年頃なので、見知らぬ運送屋のオニイサンとたちといっしょにトラックに乗るのを嫌がっていた。

「いいよ、姉ちゃん、大きい自動車好きだから」
「今のトラックは快適ですから、大丈夫ですよ」

 そして、あたしは、4トンの助手席に収まった。


 自衛隊の幹部の家族は全国を回らされる。


 うちのお父さんは一佐になって、すぐに連隊長になった。
 陸上自衛隊、南西方面遊撃特化連隊……分かり易く言うと、日本版海兵隊。

 本土での訓練が終わり、石垣島に駐屯する。ただし、安全の確保と危機の分散のため、家族は沖縄本島の官舎に入ることになっている。長崎から一泊二日の小旅行だ。

 トラックが動き出し、お母さんやみんなが車の振動に合わせて小さくなっていく。美奈子ちゃんが追いかけて手を振っている。

 涙が出てきた……そして、美奈子ちゃんから、なにかを引き継いだような気がした。


「さっきまで、畳の上で寝てたでしょ?」

 真ん中の席に座った助手の女の人がバックミラーごしに言った。

「え……まだ残ってます?」

 サイドミラーに映したホッペは、ほんのり赤いだけだ、畳の目まではついていない。

「シチュエーション考えたら、畳の上。だって、テーブルもベッドもないんだから。でしょ?」

 なかなか洞察力のある人だ。

 横を向くと人なつっこい笑顔が返ってきた……。



 
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