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116《アナスタシア・11》

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てんせい少女

116《アナスタシア・11》                  





「我々は、中国のくびきからのがれたいのです」

 バートル・ダルハンはこう切り出した。

 モンゴルは、基本的には数百人を単位とする遊牧民の総称で、国家としてのまとまりは無い。唯一チンギスハンという天才が現れて、一大モンゴル帝国を作ったが、モンゴル人自身の人口の少なさが災いして、中心の元帝国でさえ100年もたなかった。

 その後のモンゴルは、部族ごとに中国に収奪されてきた。遊牧民の宿命で塩とビタミンの供給源である茶は中国に頼らざるを得ず、法外な価格で取引させられ、いつかは民族ごと中国に飲み込まれるという断崖の縁に立ったような危機的な状況であった。

 そこにソヴィエトが出現した。

 かなりのモンゴル人が、ソヴィエトの庇護のもとに独立を果たそうとしていた。事実アリサ=ミナの知識では、モンゴルはソヴィエトに続く二番目に出来た共産国家である。モンゴル人たちは中国のくびきから逃れるために、共産主義を選んだのだ。

 だが、この世界は違う。アナがカラフト・ウラジオストクを中心に新生ロシア帝国を作り始めている。バートルは、これに掛けに来たのである。

「モンゴル東部のナムルグまで、途中一か所の中継基地を設ければ、飛行機で連絡や輸送が可能です。そのルートを作った上で内モンゴルや満州の女真の人たちの協力を得れば、彼らを味方としつつ、ここを突けます!」

 アナは、シベリアの首邑であるイルクーツクを指した。

 なるほど、シベリアを西進して達するより容易であり、モンゴルや満州という友邦も得られる。

「アリサ、ありがとう。あなたの話を聞くまでは、他の人たちと同様にシベリアの西進を考えていたわ」

「いいえ、それを形にして、みんなを奮い立たせたのはアナ、あなたの力よ」

「ありがとう」

「そうだ、皇太子殿下からプレゼントが届いているわ」

 アリサは、宝石箱より少し大きい桐の箱を渡した。

「まあ、見事なヒマワリの文鎮」

 ヒマワリはロシアの国花である。

「ちょうどいい大きさね……よくできていて、美味しそう!」

 アリサは、ロシアでヒマワリは食用であることを思い出した。

 その半年後には、イルクーツクを副都、ウラジオストクを仮の首都として、モンゴル・満州を友邦とする新生ロシア帝国の版図が確定した。実にソヴィエトの1/3がアナのロシア帝国に戻った。

「ちょっと太ったかしら?」

 アナは、事業服のウエストを気にした。

「まあ、新生大ロシアを作るんだから、これくらいの貫録はあってもいいわよ」

 そのとき侍従武官がやってきた。

「陛下、英・仏・米の大使が共同で会見を求めておられます」


 この会見を機に、ソヴィエトに対する西部戦線がひらかれた。


 ソヴィエトは東西に敵を作り、その半年後に内部分裂を起こし、レーニンを筆頭にスターリンなどの若手も暗殺されたり、戦死していった。1919年、新生ロシアは完全にロシア全土を回復した。

 アナは、出来たばかりの国際連盟に出席し、第一次大戦で大敗したドイツへの懲罰的な賠償金を取らないように提案した。

「これからは、ドイツを我々の友邦として遇しましょう。恨みを持って臨めば恨みとなって返ってくるだけです、我がロシアは未だに再建途中ではありますが、戦争により惨禍をこうむったという点では、ドイツ以上のものがあります。しかし、我々は分かち合いたいと思います。僅かではありますがドイツに対して借款の用意があります。むろんドイツには友人として厳しい忠告はしなければなりませんが」

 アナの提案には裏付けがあった。ウラジオを中心に、造船、漁業、海産物加工、林業などの産業の発展が著しく、その多くに欧米や日本の資本が入っていた。欧米各国は従わざるを得なかった。

 アドルフというドイツの退役伍長は、復員後、絵の才能をいかしギムナジウムの美術教師になった。そして、その後共産主義もファシストも出現しないまま、二十世紀は成長し始めた。

 八年後、アナスタシア女帝戴冠十周年の記念式典のさなか、ずっとアナスタシアを「アナ」と親しく呼んで支えてくれたアリサは一通の手紙を残して、忽然と姿を消した。

――立派な大輪のヒマワリの花になってください。アナの友人、アリサ・立花――

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