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147≪国変え物語・7・秀吉のアクロバット≫

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てんせい少女

147≪国変え物語・7・秀吉のアクロバット≫




 昨年末の大地震の始末も十分につかぬのに、秀吉には早急に解決せねばならない問題があった。

 徳川家康である。

 家康とは小牧長久手の戦いと、その戦後処理(家康の戦の名目であった織田信雄を降伏させたこと)で五分五分の結末に終わっていたが、世間の見る目は東西の対立であった。秀吉は、なんとしても家康に臣従してもらわなければ、関東以北や九州への睨みがきかない。

 美奈は、この1586年(天正14年)さる大名家の一人息子の心臓病を心臓移植で治してやった。たまたま型の合う少年が大名の家来の娘におり、前年の地震の怪我がもとで亡くなった。その子の心臓を移植してやったのである。

 正直、美奈は不本意であった。あの地震のあと老若貴賤にかかわらず病人、怪我人は治してやっていたが、日本国中に何十万もいる怪我人病人を治してやることは不可能だった。この大名の子は生まれついての心疾患で、この時代の医療レベルでは助からない命であった。

「せめて脈だけでも」

 と、大名の立場を超え、一人の父親として頼まれたので、結果に責任は持てないことを条件に診に行った。

 大名屋敷に入って「あ!?」と思った。

 大名の老臣の孫娘が、その時、時刻を合わせたかのようにして亡くなったのである。美奈は半径100メートルの人間の健康状態が分かる。これは後年、秀吉の健康管理をするために持たされた能力だが、そのために、美奈は苦しんだ。全ての命を助けるわけにはいかないからだ。でも、この誘惑には勝てなかった。
 いま亡くなったばかりの少女の心臓は、大名の一人息子の心臓に適合していた。最適のタイミングでドナーが見つかったのである。

「あなたのお孫さんの心の臓を若殿の体の中で生かしてください!」

 気が付いたときには、老臣の家で頭を下げていた。老臣は、心臓だけでも孫娘が生きることを喜び、娘の二人の兄妹も、それを望んだ。
 平成の時代でも八時間近くかかる移植手術を、美奈は一時間で成し遂げた。摘出した心臓を冷蔵保存できないからである。

「この成功は、どうかご内密に。いつでも、誰にで施術できることではありませんので」

 美奈は、関係者にきつく申し渡しておいた。

 しかし、人の口には戸が立てられない。

 あくる日には、風呂に入っているところに五右衛門が現れて感激していった。

「あ、あなたは!?」
「美奈は、天下一の大泥棒だ。人の命を盗んで救けっちまうんだからな」
「ああ、もう……」

 美奈はがっくりきたが、五右衛門は体を寄せて感動を伝えてきた。いやらしい感じはなかった。五右衛門の変装も大したもので、ドナーだった娘ソックリに変装していた。

 五右衛門は信じられないことに、体の細胞を自由に変化させられる特異体質だった。

 裸で体の姿形まで変えられるのは、そういう能力があることの証明だったが、五右衛門自身自由にコントロールはできないようで、美奈に指摘され驚いていた。

「オ、おれのナニが無くなってる!」と驚いたことが証明していた。

 もう一人知っていた人物がいた。秀吉自身である。

「美奈、わしは心底驚いた。そなたは良いことをした。跡取りが無くなる大名家を助けただけではない。親が無くなったあと祖父に面倒を掛けるだけと心苦しく息を引き取った娘の魂を救い、大名の倅の命も救った」
「畏れ多いお誉めのおことばです。でも、だれにでもしてやれることではございませんので、どうぞご内密に」
「承知しておる。この度のことで、わしは閃いた。礼を言うぞ」

 その時の秀吉の心は読めなかった。単なる閃きの段階でしかなかったからかもしれない。

 秀吉は、時代を超えた閃きの天才なのかもしれない。

 家康は、正室の築山殿を失って以来正室を持たなかった。

 秀吉は、そこに目をつけ、すでに嫁いでいた妹の旭を離縁させ、家康の正室として送り込んだ。
 事実上の人質であるが、婚礼という形のため陰湿さは感じさせない。ただ無理矢理離縁させられた旭の夫は、バカバカしくなったのであろう、小なりとはいえ大名の身分をかなぐり捨てて出奔してしまった。

 しかし、家康は、これでも上洛して秀吉に臣従することはしなかった。

「それならば!」

 なんと秀吉は、実の母親の大政所を旭の見舞いということで人質に出した。大政所自身は、秀吉の心遣いと感謝している。まことに秀吉は人たらしの名人ではある。

 家康は上洛して臣従することになった。

 旭と、その前夫には気の毒ではあったが、人の血を一滴も流さずに天下に平和をもたらした秀吉を好ましく思った。そして、そのアイデアのもとが、自分の心臓移植であったことには、気づかない美奈でもあった……。

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