漆黒のブリュンヒルデ

武者走走九郎or大橋むつお

文字の大きさ
39 / 84

039『琥珀浄瓶・6』

しおりを挟む

漆黒のブリュンヒルデ

039『琥珀浄瓶・6』 

 

 

 いつもなら、ぶちのめして名前を付けてやればお終いだ。

 
 しかし、今度の相手は西遊記の牛魔王が持っていたと言われる琥珀浄瓶。それも数千年の時を経て無限に人の名前を呑み込んでいくと言う化け物だ。

 スクネ老人と共に立ち向かったが、かすり傷一つ負わすこともできず、世田谷八幡の祭神であるオキナガ姫(神功皇后)が琥珀浄瓶の中に飛び込んで支えている。が、それも三日が限度。

 いつもヒルデにまとわりついているねね子が豪徳寺のネコたちを総動員して、ネコたちが百万回生きてきた名前を食らわせて一時は琥珀浄瓶の動きを止めることに成功した。しかし、効果は三十分しかなかった。

 旺盛な琥珀浄瓶の食欲を凌いで、撃滅するには並みの作戦では勝ち目がない……。

 
 その間にも、ヒルデは二人の妖に出会って名前を付けてやった。二人とも東京大空襲の犠牲者で名前まで焼かれてしまった犠牲者だ。

 こんな時なので、できたら相手にしたくなかったが、これが、この異世界の東京に飛ばされてきた使命であろうと怠ることのないヒルデであった。

「しかし……少しだけ休ませてもらおう」

 疲れた顔で八幡の前を通ることも憚られ、宮ノ坂駅のデハのシートに横になる。

 
 初めてここに来て以来か……狭いデハのシートに鉛筆のように真っ直ぐ仰向けに寝て、右腕を閂を掛けるように顔の上に載せて、しばしの微睡みが来るのを待った。

 ……おや?

 デハの周りを何かが巡る気配がする。

 妖か……五分でいいから寝かせてくれ。

 そう思うと、気配はぴたりと止んだ。

 
 もし……もし…………五分経ちました。

 
 そいつは律儀に五分経つのを待って、遠慮気味に足許に立った。

 薄目を開けると、ゲートルを巻いた学生風が立っている。

 ひょろりとしていて、首と襟カラーの間が指二本入りそうなくらいに空いていて、くたびれた学帽の下に丸縁の眼鏡が光っている。

 視線を落とすと、胸には名札が縫い付けてあるが……やっぱりな、ひどくボヤケて名前は読み取れない。

 ヨイショ。

 不用心に片膝を立てて上半身を起こしたので、スカートの中が見えてしまったか?

 まあいい、大人しい妖のようだ、さっさと名前を付けて退散してもらおう。

 しかし、そいつは動揺することもなく、こう続けた。

「いえ、付けていただく名前は決めているのです」

「決めている……ということは、自分の名前を憶えているんだな」

「いえ、付けて欲しい名前があるんです。ヒルデさんに付けていただかなければ名前になりません」

 妙な奴だ。手向かいしないだけでも珍しいのに、自分で名前を用意しているという。

「君は、旧制中学の生徒か?」

「はい、数学を安井算結先生に習っています」

 奇妙な奴だ、自分の名前も憶えていないのに数学の先生を憶えているとはな。

「この名前にしてほしいのです」

 手帳を出して名前を示した。

 円 周率

「声には出さないでください」

 苗字は『まどか』と読むのだろう。名前の方はわたしの漢字の知識では読めない。

「よし、分かった。君にこの名前を付けてやろう」

「あ、ありがとうございます!」

 円君は、丁寧にお辞儀すると、回れ右をしてデハから下りて行って、踏切の前に出たかと思うと、上空の琥珀浄瓶を見上げた。

「そいつを見るな! 取り込まれてしまうぞ!」

 遅かった、一条の光が差したかと思うと、円君は、あっという間に琥珀浄瓶に吸い上げられた。

 嗚呼!

 思わず古典的な叫び声をあげてしまった。

 せめて見届けてやろう……。

 すると、ビクっとしたかと思うと、琥珀浄瓶は窒息したように木刻みに収縮し、次に瞬間……。

 
 ズボボボーーーーーーーーーーーン!!

 
 無数の名前を吐き散らしながら消滅していった。

 
 そ、そうか。あいつは『円周率』だ!

 円周 ÷ 直径=3.1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510 5820974944 5923078164 0628620899 8628034825 342117067……

 ねね子の百万回どころではない、完全な無限数だ。

 いくら琥珀浄瓶でも呑み込めまい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

盾の間違った使い方

KeyBow
ファンタジー
その日は快晴で、DIY日和だった。 まさかあんな形で日常が終わるだなんて、誰に想像できただろうか。 マンションの屋上から落ちてきた女子高生と、運が悪く――いや、悪すぎることに激突して、俺は死んだはずだった。 しかし、当たった次の瞬間。 気がつけば、今にも動き出しそうなドラゴンの骨の前にいた。 周囲は白骨死体だらけ。 慌てて武器になりそうなものを探すが、剣はすべて折れ曲がり、鎧は胸に大穴が空いたりひしゃげたりしている。 仏様から脱がすのは、物理的にも気持ち的にも無理だった。 ここは―― 多分、ボス部屋。 しかもこの部屋には入り口しかなく、本来ドラゴンを倒すために進んできた道を、逆進行するしかなかった。 与えられた能力は、現代日本の商品を異世界に取り寄せる 【異世界ショッピング】。 一見チートだが、完成された日用品も、人が口にできる食べ物も飲料水もない。買えるのは素材と道具、作業関連品、農作業関連の品や種、苗等だ。 魔物を倒して魔石をポイントに換えなければ、 水一滴すら買えない。 ダンジョン最奥スタートの、ハード・・・どころか鬼モードだった。 そんな中、盾だけが違った。 傷はあっても、バンドの残った盾はいくつも使えた。 両手に円盾、背中に大盾、そして両肩に装着したL字型とスパイク付きのそれは、俺をリアルザクに仕立てた。 盾で殴り 盾で守り 腹が減れば・・・盾で焼く。 フライパン代わりにし、竈の一部にし、用途は盛大に間違っているが、生きるためには、それが正解だった。 ボス部屋手前のセーフエリアを拠点に、俺はひとりダンジョンを生き延びていく。 ――そんなある日。 聞こえるはずのない女性の悲鳴が、ボス部屋から響いた。 盾のまちがった使い方から始まる異世界サバイバル、ここに開幕。 ​【AIの使用について】 本作は執筆補助ツールとして生成AIを使用しています。 主な用途は「誤字脱字のチェック」「表現の推敲」「壁打ち(アイデア出しの補助)」です。 ストーリー構成および本文の執筆は作者自身が行っております。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

処理中です...