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038『琥珀浄瓶・5』
しおりを挟む漆黒のブリュンヒルデ
038『琥珀浄瓶・5』
効き目があったのは、ほんの三十分ほどだった。
琥珀浄瓶は、再び蠕動に似た動きをし始めて東京の上空に蟠った。
三十分で数億匹の猫の名前を消化してしまったのだ。
ただ、携帯基地局も電源が落ちたままなので、スマホを通じて人の名前が奪われることもない。
終わったと思った琥珀浄瓶との戦いは膠着状態になった。
「おまえ、学校は休め」
「なんでニャー?」
「だって、おまえ……」
いつものように豪徳寺の角を曲がったところで待ってくれていたねね子だが、耳と尻尾が出てしまっている。よく見ると、鼻の下から左右で六本のヒゲが出たり入ったり。
名前を失ったことで、力が衰えて、完全な『猫田ねね子』に化けていることができていないのだ。
「すまんが、しばらく預かってくれ」
踏切を渡って鳥居が見えて、ねね子を世田谷八幡に預けることにする。
鳥居の前で用件を伝えると、少しあってスクネ老人が赤ん坊を背負って現れた。
「承知いたした。三十分とは言え、琥珀浄瓶を停めてくれた殊勲のねね子、十分なことはできないがお預かりいたそう」
スクネ老人は、ねね子の顔の前でトンボをとるように指をクルリと回した。
すると、ねね子は、たちまちのうちに三毛猫の姿になってお座りした。
「にゃんこ にゃんこ」
背中の赤ん坊が嬉しそうに声をあげる。
「その赤ん坊は?」
「誉田別尊(ほむたわけのみこと)でござる」
「え…応神天皇?」
「オキナガ姫がお隠れになっておられるので、いささか若返ってしまわれた」
「ジイジ、にゃんこ、にゃんこ」
赤ん坊が手を出すと、ねね子はフワリと浮き上がって赤ん坊の手の中に収まった。
「可愛がっておやりなされ。これこれ、ヒゲを引っ張ってやってはなりません……ウッ、ジイのヒゲもなりませんぞお!」
「ハハ、はやく片づけなくてはな」
「いかにも、わしのヒゲがもたぬわ」
「ヒゲのないスクネ老人もいいかもしれない……意外にいい男だったりするかもしれない」
「ハハハ、年寄りをからかうものではござらぬわ」
「じゃ、わたしは学校に行く。しばらく頼んだぞ」
「かしこまりもうした。しかし、ひるで殿、残りは、あと二十四時間でござるぞ」
老人の目が覚悟を促す。
「分かっている」
そうなのだ、もう二日が過ぎた。
この24時間で片づけなければ、おきながさんは二度と帰ってこられなくなる。
妖雲に一瞥をくれると、コキっと首を慣らして学校へ急ぐ。ねね子が付いていないことをことを除けば、いつもの朝のひるでであった。
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