15 / 95
15『無対象であれこれ』
しおりを挟む
はるか ワケあり転校生の7カ月
15『無対象であれこれ』
クラブの基礎練習は、少しずつ難しくなってきた。
まず、無対象メソード。
縄跳びまでは、みんな楽しげにやれたけど、ボールから戸惑いはじめた。
手にするところまではできるんだけど、互いにキャッチボールしはじめると、ボールが途中で見えなくなってしまう。大橋先生は、野球のボール、テニスボール、バレーボールなど様々な見えないボールをよこしてくる。
先生が投げる時はなんのボールか、たいてい分かるんだけど、自分の手元にくる寸前で消えてしまう。まあ、バレーボールがなんとかできるかなあってとこ。
三日もすると、八人で輪になって、トスバレーができるようになった。しかし、無対象というのは集中力がいるもので、このトスバレーも一分もやると、ボールが消えてしまう。
玉子を割って目玉焼きを作った。案外無対象で玉子を割るのは難しかった。
他にもバケツを持ったり、雑巾をしぼって机を拭いたり。
そうそう、コーヒーを飲むのが、難しいってか、おもしろい。
だれも最初はできないんだけど、その「できてない」のを見てるのがね。
口にカップを持っていくまでにカップを壊したり。飲めずに、口の脇からこぼれていたり。ドバっとコーヒーをかぶってしまったり。とにかく人の失敗はおもしろく。自分の失敗は分からないものだ。
極めつけは、お風呂。
これは、無対象で服を脱いだり着たりをやった、その明くる日に予告無しにやらされた。
「タロくん、風呂入ってみぃ」
タロくんとは、唯一の男子部員、山田太郎先輩のことである。密かに自分の名前を「平凡すぎる」と悩んでいる人。
小柄でブッキチョな先輩だけど、わたしは好きだ。
「山田太郎って、平凡じゃないですよ。わたし今まで山田太郎って名前の人に会ったことないですよ」
ごく当たり前のことを言うとひどく喜んでくれた。この人の名前を聞いて覚えられない人はいないだろう。稽古も器用ではないが、いわれたことは「はい!」と言って素直にやる。
この「お風呂のメソード」も言われるとすぐに始めた。でも、なんだか、ムキになったような生真面目さ。股ぐらを洗うときなんか、「ハハハ」と、やけくそみたいに笑っていた。
クミちゃんこと一年の諸田久美子は、脱衣場と設定された場所で立ちすくんでしまった。「うん、合格。もうええよ」
「でも、あたし、なんにもできてません……」
と、クミちゃん。
「いいや、合格点や。次はるか!」
近所の気安さか、玉串川の出会いのまんまというか、わたしは呼び捨て。
脱衣場のゾーンに入っただけで、胸がドキドキしてきた。
無対象だから、脱ぐといってもいわば「真似」であって、ほんとに裸になるわけではない。無対象のスカートを脱ぐ。ホックを外せばストンとスカートは落ちる。感覚的には本当に「落ちた」
次にブラウス。これって案外全身運動……次に、下着に手がかかる。
そこで手が止まってしまった。クミちゃんのときのように「合格」と声がかからない。わたしは顔を赤くしてフリ-ズしてしまった。
「よっしゃ、分かったか?」
「え……」
「無対象やけど、恥ずかしかったやろ。その恥ずかしいという気持ちになれたら合格や。無対象もきちんとできると、それに伴った感情が湧いてくる。それが分かっただけで合格や。むろんプロの役者やったらルンルンでできならあかんけどな。せやろ、あんなヤケクソな顔して風呂入るやつおらんやろ。な、タロくん」
「は、はい」
タロくん先輩は頭をかいた。
「で、ひとつ分かったな。役者は羞恥心の壁を越えならあかん……出来るだけ早く」
そのいつの日の前に二年の西尾さんと諸田さんが辞めていった。少し寂しかった。みんなも……。
でも大橋むつおは平気なコンニャク顔だった。
「人間関係はかけ算や」
「え……?」
乙女先生がタコ焼きと、も一つの紙袋をぶら下げて久々に現れた。
「ほんなら、タコ焼き食べながら話そか」
さっそく一つを口に放り込み、思わぬ熱さに目を白黒させた。しかし大橋先生は器用に口の中でタコ焼きをホロホロさせて、ちゃんと咀嚼して飲み下した。
――さすが大阪のオッサン!――
「みんなも冷めんうちに、おあがり」
チェシャネコの乙女先生が勧める。あっちこっちでホロホロ……わたしはフーフーと冷ました。
「人間は、心の中に、やる気とか興味とかの数字を持ってる。これは人間性とは関係ない。ホロホロ……」
「で、相手の持ってる数字がゼロとかマイナスやと、掛け合わせて出てくる答えは?」
乙女先生が引き受けて、三つ目のタコ焼きに手を出そうとしていた二年のルリちゃんこと早田瑠璃子に声をかけた。
「あ、ゼロかマイナスです。ホロホロ……」
「そこに、義理とか、付き合いとかの変数が加わる」
と、大橋先生。
「家庭事情とか、アルバイトいう変数もあるなあ……」
と、乙女先生。
「答えが出てくるのに、時間がかかる」
二人の先生の間には、なにか了解事項があるようだ。タコ焼きの数が、ちょうど人数で割り切れることに気が付いた。
わたしは、鋭いのか、みみっちいのか自分でも判断がつきかねた。
15『無対象であれこれ』
クラブの基礎練習は、少しずつ難しくなってきた。
まず、無対象メソード。
縄跳びまでは、みんな楽しげにやれたけど、ボールから戸惑いはじめた。
手にするところまではできるんだけど、互いにキャッチボールしはじめると、ボールが途中で見えなくなってしまう。大橋先生は、野球のボール、テニスボール、バレーボールなど様々な見えないボールをよこしてくる。
先生が投げる時はなんのボールか、たいてい分かるんだけど、自分の手元にくる寸前で消えてしまう。まあ、バレーボールがなんとかできるかなあってとこ。
三日もすると、八人で輪になって、トスバレーができるようになった。しかし、無対象というのは集中力がいるもので、このトスバレーも一分もやると、ボールが消えてしまう。
玉子を割って目玉焼きを作った。案外無対象で玉子を割るのは難しかった。
他にもバケツを持ったり、雑巾をしぼって机を拭いたり。
そうそう、コーヒーを飲むのが、難しいってか、おもしろい。
だれも最初はできないんだけど、その「できてない」のを見てるのがね。
口にカップを持っていくまでにカップを壊したり。飲めずに、口の脇からこぼれていたり。ドバっとコーヒーをかぶってしまったり。とにかく人の失敗はおもしろく。自分の失敗は分からないものだ。
極めつけは、お風呂。
これは、無対象で服を脱いだり着たりをやった、その明くる日に予告無しにやらされた。
「タロくん、風呂入ってみぃ」
タロくんとは、唯一の男子部員、山田太郎先輩のことである。密かに自分の名前を「平凡すぎる」と悩んでいる人。
小柄でブッキチョな先輩だけど、わたしは好きだ。
「山田太郎って、平凡じゃないですよ。わたし今まで山田太郎って名前の人に会ったことないですよ」
ごく当たり前のことを言うとひどく喜んでくれた。この人の名前を聞いて覚えられない人はいないだろう。稽古も器用ではないが、いわれたことは「はい!」と言って素直にやる。
この「お風呂のメソード」も言われるとすぐに始めた。でも、なんだか、ムキになったような生真面目さ。股ぐらを洗うときなんか、「ハハハ」と、やけくそみたいに笑っていた。
クミちゃんこと一年の諸田久美子は、脱衣場と設定された場所で立ちすくんでしまった。「うん、合格。もうええよ」
「でも、あたし、なんにもできてません……」
と、クミちゃん。
「いいや、合格点や。次はるか!」
近所の気安さか、玉串川の出会いのまんまというか、わたしは呼び捨て。
脱衣場のゾーンに入っただけで、胸がドキドキしてきた。
無対象だから、脱ぐといってもいわば「真似」であって、ほんとに裸になるわけではない。無対象のスカートを脱ぐ。ホックを外せばストンとスカートは落ちる。感覚的には本当に「落ちた」
次にブラウス。これって案外全身運動……次に、下着に手がかかる。
そこで手が止まってしまった。クミちゃんのときのように「合格」と声がかからない。わたしは顔を赤くしてフリ-ズしてしまった。
「よっしゃ、分かったか?」
「え……」
「無対象やけど、恥ずかしかったやろ。その恥ずかしいという気持ちになれたら合格や。無対象もきちんとできると、それに伴った感情が湧いてくる。それが分かっただけで合格や。むろんプロの役者やったらルンルンでできならあかんけどな。せやろ、あんなヤケクソな顔して風呂入るやつおらんやろ。な、タロくん」
「は、はい」
タロくん先輩は頭をかいた。
「で、ひとつ分かったな。役者は羞恥心の壁を越えならあかん……出来るだけ早く」
そのいつの日の前に二年の西尾さんと諸田さんが辞めていった。少し寂しかった。みんなも……。
でも大橋むつおは平気なコンニャク顔だった。
「人間関係はかけ算や」
「え……?」
乙女先生がタコ焼きと、も一つの紙袋をぶら下げて久々に現れた。
「ほんなら、タコ焼き食べながら話そか」
さっそく一つを口に放り込み、思わぬ熱さに目を白黒させた。しかし大橋先生は器用に口の中でタコ焼きをホロホロさせて、ちゃんと咀嚼して飲み下した。
――さすが大阪のオッサン!――
「みんなも冷めんうちに、おあがり」
チェシャネコの乙女先生が勧める。あっちこっちでホロホロ……わたしはフーフーと冷ました。
「人間は、心の中に、やる気とか興味とかの数字を持ってる。これは人間性とは関係ない。ホロホロ……」
「で、相手の持ってる数字がゼロとかマイナスやと、掛け合わせて出てくる答えは?」
乙女先生が引き受けて、三つ目のタコ焼きに手を出そうとしていた二年のルリちゃんこと早田瑠璃子に声をかけた。
「あ、ゼロかマイナスです。ホロホロ……」
「そこに、義理とか、付き合いとかの変数が加わる」
と、大橋先生。
「家庭事情とか、アルバイトいう変数もあるなあ……」
と、乙女先生。
「答えが出てくるのに、時間がかかる」
二人の先生の間には、なにか了解事項があるようだ。タコ焼きの数が、ちょうど人数で割り切れることに気が付いた。
わたしは、鋭いのか、みみっちいのか自分でも判断がつきかねた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる