61 / 95
61『問わず語り』
しおりを挟む
はるか ワケあり転校生の7カ月
61『問わず語り』
川風が涙を乾かしたころ、わたしは問わず語りをし始めた。
「荒川区には荒川は無いんです。もう一つ西の隅田川が荒川だったんです。千住大橋から川下が隅田川、川上が荒川。いま目の前にあるのはただの放水路。昭和の初めに付け替えて、何年だったかにここを荒川ってことにして、荒川区の荒川は、全部隅田川ってことになったんです。でも、それを知ったのは、小学校の高学年になってから。だから、ただの知識です。おじいちゃんなんかはそのこと知ってるから、千住大橋から北の隅田川(元荒川)には思い入れがあるみたい……」
目の前をなにかがよぎった。
「あ、トンボ……もう秋が始まりかけてるんだ」
「そうなんやな、川にも人にも物語があるんやな……」
先生がトンボを目で追いながらつぶやいた。
「物語はいつか忘れられるってか、漂白されてただの知識になってしまうんですね」
「はるか、『隅田川』いう能の物語知ってるか?」
「いいえ」
「昔、京の都で梅若丸いう子ぉがおってな、それが人さらいにさらわれて行方不明になりよる。ほんで、梅若丸のお母ちゃんが捜しに捜して、隅田川のほとりまで来て渡し船に乗りよるんや。ほんなら船頭のオッチャンが向こう岸で、去年行き倒れになって死んだ子ぉの供養があるて言いよる。ほんで、なんかの縁やと思て、その供養に出よる……ほんなら、供養の途中でその子の霊が現れてなあ。『ぼくがその梅若丸や』言いよる。そやけど、それは一瞬の幻みたいなことで、気ぃついたら、草ぼうぼうの中にお墓があるだけ……そんな話や」
「悲しいお話……」
「オレは、この話は『おわかれだけど、さよならじゃない』やと思てる」
「それって『すみれ』の……」
「そや、おわかれが人の想いを昇華しよる。『隅田川』は、芥川龍之介が小説にしとるし、なんちゃらいうイギリスのオッチャンがオペラにもしとる……おわかれにはカタルシスがあるものもあるんやなあ……ハハ、あかんあかん。どうもオッサンになるといらん知識をひけらかしてしまうなあ。かんにんやで。はるかの事情もよう分かってへんのに」
先生には、さっきのことはなにも話していない……でも、核心はついている。
「おわかれが人の想いを昇華する……」
ふっと、絡んだ糸がほぐれる兆しのようなものを感じた。
昼からは、先生のお供をして、練馬の出版社に行った。
この出版社はS書房といって、わたしも何冊かここの本は読んだことがある。お芝居の本ばかりだけど。
少人数の出版社だとは思っていたが、おじいさんの社長さんが一人でやっているので驚いた。
「いや、わざわざすみませんなあ」社長さんは恐縮していた。
「いや、こちらこそ、長年お世話になった作品を事後承諾みたいなかたちで、M出版で出すことになってしもて」
「いえいえ、作品は人に読んでもらってこその作品です。それに、ハードこそ休業ですが、ストックもあるし、オンラインでは、我が社はまだまだこれからですよ。ま、冷めないうちにどうぞ」
社長さんは熱いお茶と、先生がお土産に持ってきたヨウカンを切って勧めてくれた。
「羊羹には、熱い番茶が一番です」
ほんとうだ、朝のシフォンケーキよりよっぽどホッコリする。
それに、オフィスというよりは事務所。パソコンと、その周辺機器を取り除けば、そのまま昭和のセットに使えそう。エアコンも年代物のようだけど、手入れがいいんだろう、番茶を飲んでも頃合いの冷気を穏やかに吐き出している。
「お嬢さんは、演劇部?」
「あ、申し遅れました。わたし、坂東はるかと申します。大阪の真田山学院高校で、大橋先生のお世話になっています。あ、演劇部です。いちおう」
「……きれいな東京弁だ」
「はい、この五月まで荒川に住んでいました」
「ハハ、道理で……で、イチオウの演劇部?」
「まだ、入部届を出さないんですわ。な、はるか」
「大阪に帰ったら出します!」
「ハハ、早まったらあかん。入部届出さんとこが、はるかの値打ちやねんから」
「出しますったら! だいいち、真剣な顔で演劇部勧めたのは先生ですよ」
「そうや」
「だったら……」
「はるかは、もっと泣き笑いしてからのほうがおもしろい」
「なんですか、それって!?」
「ハハハ、なかなかおもしろい師弟関係ですなあ」
それから先生と社長さんはオンラインで残す作品についての意見交換に入った。
わたしには難しい言葉が交わされたが、少人数で、道具や照明、音響などに手のかからない本に絞り込んでいるように思われた。
ときどきわたしにも話題がふられたが、東京での生活にあまり触れられたくないことに気づくと、いままで読んだ戯曲の中味などに自然に話題が切り替えられた。
「ギャビギャビな面白さや、特殊な状況を設定して、さもこれが高校生の問題ですよってのは引いちゃいますね。さりげない自然な日常の生活や、ちょっとファンタジーな展開の中に人生を、それもできたら青春に夢や希望をもたせてくれるものがいいですね」
なんて生意気を口走った。
61『問わず語り』
川風が涙を乾かしたころ、わたしは問わず語りをし始めた。
「荒川区には荒川は無いんです。もう一つ西の隅田川が荒川だったんです。千住大橋から川下が隅田川、川上が荒川。いま目の前にあるのはただの放水路。昭和の初めに付け替えて、何年だったかにここを荒川ってことにして、荒川区の荒川は、全部隅田川ってことになったんです。でも、それを知ったのは、小学校の高学年になってから。だから、ただの知識です。おじいちゃんなんかはそのこと知ってるから、千住大橋から北の隅田川(元荒川)には思い入れがあるみたい……」
目の前をなにかがよぎった。
「あ、トンボ……もう秋が始まりかけてるんだ」
「そうなんやな、川にも人にも物語があるんやな……」
先生がトンボを目で追いながらつぶやいた。
「物語はいつか忘れられるってか、漂白されてただの知識になってしまうんですね」
「はるか、『隅田川』いう能の物語知ってるか?」
「いいえ」
「昔、京の都で梅若丸いう子ぉがおってな、それが人さらいにさらわれて行方不明になりよる。ほんで、梅若丸のお母ちゃんが捜しに捜して、隅田川のほとりまで来て渡し船に乗りよるんや。ほんなら船頭のオッチャンが向こう岸で、去年行き倒れになって死んだ子ぉの供養があるて言いよる。ほんで、なんかの縁やと思て、その供養に出よる……ほんなら、供養の途中でその子の霊が現れてなあ。『ぼくがその梅若丸や』言いよる。そやけど、それは一瞬の幻みたいなことで、気ぃついたら、草ぼうぼうの中にお墓があるだけ……そんな話や」
「悲しいお話……」
「オレは、この話は『おわかれだけど、さよならじゃない』やと思てる」
「それって『すみれ』の……」
「そや、おわかれが人の想いを昇華しよる。『隅田川』は、芥川龍之介が小説にしとるし、なんちゃらいうイギリスのオッチャンがオペラにもしとる……おわかれにはカタルシスがあるものもあるんやなあ……ハハ、あかんあかん。どうもオッサンになるといらん知識をひけらかしてしまうなあ。かんにんやで。はるかの事情もよう分かってへんのに」
先生には、さっきのことはなにも話していない……でも、核心はついている。
「おわかれが人の想いを昇華する……」
ふっと、絡んだ糸がほぐれる兆しのようなものを感じた。
昼からは、先生のお供をして、練馬の出版社に行った。
この出版社はS書房といって、わたしも何冊かここの本は読んだことがある。お芝居の本ばかりだけど。
少人数の出版社だとは思っていたが、おじいさんの社長さんが一人でやっているので驚いた。
「いや、わざわざすみませんなあ」社長さんは恐縮していた。
「いや、こちらこそ、長年お世話になった作品を事後承諾みたいなかたちで、M出版で出すことになってしもて」
「いえいえ、作品は人に読んでもらってこその作品です。それに、ハードこそ休業ですが、ストックもあるし、オンラインでは、我が社はまだまだこれからですよ。ま、冷めないうちにどうぞ」
社長さんは熱いお茶と、先生がお土産に持ってきたヨウカンを切って勧めてくれた。
「羊羹には、熱い番茶が一番です」
ほんとうだ、朝のシフォンケーキよりよっぽどホッコリする。
それに、オフィスというよりは事務所。パソコンと、その周辺機器を取り除けば、そのまま昭和のセットに使えそう。エアコンも年代物のようだけど、手入れがいいんだろう、番茶を飲んでも頃合いの冷気を穏やかに吐き出している。
「お嬢さんは、演劇部?」
「あ、申し遅れました。わたし、坂東はるかと申します。大阪の真田山学院高校で、大橋先生のお世話になっています。あ、演劇部です。いちおう」
「……きれいな東京弁だ」
「はい、この五月まで荒川に住んでいました」
「ハハ、道理で……で、イチオウの演劇部?」
「まだ、入部届を出さないんですわ。な、はるか」
「大阪に帰ったら出します!」
「ハハ、早まったらあかん。入部届出さんとこが、はるかの値打ちやねんから」
「出しますったら! だいいち、真剣な顔で演劇部勧めたのは先生ですよ」
「そうや」
「だったら……」
「はるかは、もっと泣き笑いしてからのほうがおもしろい」
「なんですか、それって!?」
「ハハハ、なかなかおもしろい師弟関係ですなあ」
それから先生と社長さんはオンラインで残す作品についての意見交換に入った。
わたしには難しい言葉が交わされたが、少人数で、道具や照明、音響などに手のかからない本に絞り込んでいるように思われた。
ときどきわたしにも話題がふられたが、東京での生活にあまり触れられたくないことに気づくと、いままで読んだ戯曲の中味などに自然に話題が切り替えられた。
「ギャビギャビな面白さや、特殊な状況を設定して、さもこれが高校生の問題ですよってのは引いちゃいますね。さりげない自然な日常の生活や、ちょっとファンタジーな展開の中に人生を、それもできたら青春に夢や希望をもたせてくれるものがいいですね」
なんて生意気を口走った。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる