多色燦然

春於

文字の大きさ
6 / 10

6. 白縹



また、この日が来たか。

薫と一緒に朝ご飯を食べ終えて着替えると、リビングの窓のそばに座りこむ。先日、報道番組の中にある天気予報で梅雨入りしたと言っていた。毎日のように聞いているからか、ガラスを打ちつける雨粒の音がだいぶ耳に馴染んできた。

毎年、この日は決まって梅雨が被っているから晴れになる方が珍しい。じめじめしていて薄暗い、あの女にはお似合いだ。いっそ笑い飛ばせてしまえば楽なのに、何故かいつもこの日が近づくにつれて気分が落ちこんでいく。

だからか、この時期はいつにも増して死にたくてしょうがない。今年は薫がそばにいるから幾分かマシになっているけど……。それでもふいに希死念慮に足を引っ張られてそのまま連れて行かれそうになる。

「本当に一人で行くの?」

カーテンの隙間から灰色の雲で覆われた空を眺めていると、薫がオレの隣に腰を下ろしながら尋ねてくる。その声に我に返って顔を向ければ、浮かない顔をした薫と目が合った。

「雨降ってるし遠いし、楽しい場所じゃないから来なくていい」

出掛けると伝えたときから何度も言っている理由を改めて告げると、また窓の外に顔を向ける。まだ雨脚は弱いし、今の内に行った方がいいな。そう思うけど、なかなか重い腰が上がらない。

……もちろん理由としてはそうなんだけど、一番はあの女に薫を会わせたくないっていうのが大きい。いや、もう死んでいるんだけど。それでも薫にあの女の存在を知ってほしくないし、オレの汚れた過去の一欠けらも見せたくない。

薫はあんなクソ人間、知らないままでいいんだ。

「どこに行くかも教えられない? ついていかないからさあ」
「教えられない。秘密だから」

これ以上何も言いたくない。とりあえずここから逃げ出そうと、まだまだ質問した気な薫を振り切って立ち上がる。でもすぐにオレの両手は握られてしまい、眉を八の字にさせた薫と強制的に向かい合う形にさせられた。

「それじゃあ、これだけは聞かせて」

自分より低いオレの目線に合わせ、真剣な顔をした薫がまっすぐ見つめてくる。オレに対して蜂蜜のように甘く、どんなワガママも許してくれた薫が珍しく語気を強めるものだから思わず身構えてしまった。

「危ないことじゃないんだよね?」

初めて見る薫の真面目な顔はちょっと怖いけど、瞳からは痛いほど心配してくれているのが伝わってくる。だけどやっぱり全ては告げられなくて、嘘はついていないからと薫の目を見て小さく頷いた。

「全然危なくない」
「それならよかった」

せめて心配を取り除こうと短く答えれば、薫が目に見えるように胸を撫で下ろしてはにかむ。

オレのこと、そんなに思ってくれているんだ。所作の一つひとつから薫の気持ちが伝わってきて、胸の奥からじわじわと熱を発して温かくなっていく。そうするとピンと張っていた気が緩み、自然と笑みを浮かべていた。

「やっと笑ったね」

安心したように呟くと、弧を描くオレの下唇を親指でなぞる。あっ、これは。口角に触れる指の腹のぬくもりに目を閉じると、それを合図に壊れ物にでも触れるかのようにゆっくりと唇を重ねられた。

ちょっと乾いた、柔らかい唇。一度触れ合わせ、どちらからともなく顔を離すと、二人して小さく声を上げながら破顔した。

「何かあったらすぐに連絡するんだよ」
「わかってる」

薫のおかげでだいぶ調子が戻ってきた。そうすると、薫から前もって用意していたボディバッグを手渡される。それを身につけて手をつなげば、二人して玄関へと向かった。

「いってらっしゃい」
「いってきます」

汚れてもいいようにと履き古したスニーカーに足を入れ、次は自分からキスをする。そうして未だに慣れない挨拶を交わせば、手を振って外の廊下を一人で歩いていった。

雨の日のひんやりとした空気が頬を撫でる。数歩歩いたところでなんとなく振り向いてみれば、薫が玄関から出て手を振っていた。

そういえば、出掛けるときはいつも二人だったなあ。少し離れただけなのに薫が隣にいるのが当たり前になっているんだと突きつけられて、途端に心臓がある辺りから軋む音がした。

……これが寂しいってことなのかなあ。エレベーターに乗って改めて一人になると、円を描くように胸を撫でる。しみじみと感じる切なさは何とも言えない感覚で、出てきたばかりなのにもう家に帰りたくなった。

まだ、マンションからも出てないのに。なんて後ろ向きになり始めたところでチンと到着音が鳴った。扉が開くと同時に重い足を運ばせて広いエントランスを抜けると、薫から借りた大きな傘を差した。

今日は隣に薫がいないからと大股で歩いていく。前もって時間を調べて出てきたから、駅前のバス停にはすでにバスが止まっている。雨が降っているのもあって無人のバスに乗りこむと、一番後ろの席に腰かけた。

毎年、この日にしかバスに乗らない。だからいつもバスに乗るとあそこに行くんだと全身が重くなる。でも今日は薫としゃべったからか、ほのかに感じる程度だ。元々、二十歳になる今年で止めようと決めていたし、最後がこれなのはよかったのかもしれない。

ぼんやりと窓から見える景色を眺めていると、どこかに行っていた運転手が帰ってきた。やっぱり、この時間はオレ一人か。安全確認の音声を聞いて正面に顔を戻すと、時間ちょうどに開きっぱなしだった扉が閉まって発車した。

オレはなんで、毎年あの女の元に足を運んでいるんだろうなあ。

雨粒がついて水玉模様になった窓に目をやると、ついそう思ってしまう。どうせ答えなんて出ないのに、毎回疑問に思ってはうやむやに終わる。それがわかっているから早々切り上げると、背もたれに身体を預けて静かに目を閉じた。

あの女のことなんて絶対に母親と呼びたくない。それにあの女もオレに母親なんて呼ばれたくないだろ。でも、血はつながっているあの女。

なにせ、金欲しさに子どものオレを売ったような女だ。痛みや恐怖で泣き腫らしたオレの顔の前に万札の束を差し出しながら処女が高く売れたと高笑いをし、子どもが腹を減らして泣いていても自分の性欲を優先して性行為をするようなクズ。早く死んでくれたのが奴の唯一の美点だ。

最後の希望も捨て去ったときから憎しみつづけたはずなのに、どんどん奴と同じようになっていく。そんな自分も醜くて、早く消えてしまいたい。なのに、どうしたらいいのかわからなくて。明日なんて来なければいいと、叶わない祈りをする日々。だったのに……。

薫の手を掴んだあの日から緩やかにオレが変わっていっているのがわかる。何が変わっているのかと言われたら上手く言葉にできないけど、前よりも寝るのが怖くなくなった。前より、人のぬくもりを恋しいと思うようになった。

この日々が怖いのに離れられない。オレは薫の手を掴みつづけていてもいいのだろうか。考えないといけないのに答えを出したくない。

できることならこのぬるま湯のような、心地よくて幸せなここにずっといたい。

そう思ったとき、車内に目的地のバス停の名前が響く。その声に反応して目を開けると、財布を出して小銭を集めた。

「ありがとうございました」

停車し、扉を開くと同時に立ち上がる。小銭を入れ、運転手に小さく頭を下げるとバスを降りた。

やっぱりここはいつ来ても寂しいなあ。

住宅街から少し外れた先にある共同墓地。見渡してそういえばと傘を差せば、家を出たときよりも強くなった雨脚が急かすように生地を打ちつけてくる。ここに来ると必ず漂う物寂しさに触発されて孤独感が湧いてくるから嫌になる。

まあ、あまり長居したい場所ではないよな。さっさと終わらせて、さっさと帰ろう。

立ち止まった自分の背中を押すように腹から深く息を吐き出すと、石でできた道を進んでいく。ただひらすら足元だけで見つめて無心で歩けば、すぐに辿り着いた。一年に一回だけ顔を合わす大きな灰色の石を前に傘を脇に挟むと、目を閉じて手を合わせた。

お前と会うのはこれで最後だ。もう、お前は本当に無縁になってひとりぼっち。誰もお前なんて覚えていないし、お前を思い出してここに会いに来る奴ももういなくなる。ざまあみろ。

「……お前とはこれでサヨナラだ」

こんなこと言ったって虚しいだけだ。だけど声に出して辛うじてつながっていた縁を断ち切ると、心なしか楽になったような気がした。あくまで気がするだけだけど。

もう絶対にここには来ない。あの女のことも考えない。そう心に固く決めると、逃げるように足早に来た道を戻っていった。

あなたにおすすめの小説

大事な呼び名

夕月ねむ
BL
異世界に転移したらしいのだが俺には記憶がない。おまけに外見が変わった可能性があるという。身元は分からないし身内はいないし、本名すら判明していない状態。それでも俺はどうにか生活できていた。国の支援で学校に入学できたし、親切なクラスメイトもいる。ちょっと、強引なやつだけどな。 ※FANBOXからの転載です ※他サイトにも投稿しています

愛されたいだけなのに

まさお
BL
我儘令息だったノアは一回目の人生で最愛の人からの裏切りの末、殺される。 気がつくと人生が巻き戻っていて人生二週目が始まる。 しかしまた殺される。 何度も何度も繰り返した人生の中で自分が愛されることを諦めてしまう。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

さよなら、永遠の友達

万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。 卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。 10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

とあるΩ達の試練

如月圭
BL
 吉住クレハは私立成城学園に通う中学三年生の男のオメガだった。同じ学園に通う男のオメガの月城真とは、転校して初めてできた同じオメガの友達だった。そんな真には、番のアルファが居て、クレハはうらやましいと思う。しかし、ベータの女子にとある事で目をつけられてしまい……。  この話はフィクションです。更新は、不定期です。

『2度目の世界で、あなたと……』 ― 魔法と番が支配する世界で、二度目の人生を ―

なの
BL
Ωとして生まれたリオナは、政略結婚の駒として生き、信じていた結婚相手に裏切られ、孤独の中で命を落とした。 ――はずだった。 目を覚ますと、そこは同じ世界、同じ屋敷、同じ朝。 時間だけが巻き戻り、前世の記憶を持つのは自分だけ。 愛を知らないまま死んだ。今度こそ、本物の愛を知り、自ら選び取る人生を生きる。 これは、愛を知らず道具として生きてきたΩが、初めて出会った温もりに触れ、自らの意思で愛を選び直す物語。 「愛を知らず道具として生きてきたΩが転生を機に、 年上αの騎士と本物の愛を掴みます。 全6話+番外編完結済み!サクサク読めます。

王命で第二王子と婚姻だそうです(王子目線追加)

かのこkanoko
BL
第二王子と婚姻せよ。 はい? 自分、末端貴族の冴えない魔法使いですが? しかも、男なんですが? BL初挑戦! ヌルイです。 王子目線追加しました。 沢山の方に読んでいただき、感謝します!! 6月3日、BL部門日間1位になりました。 ありがとうございます!!!