多色燦然

春於

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10. 朱華



「あいるー」

薫が名前を呼んでいる。ふわふわと心地のいい微睡みの中でそんなことを思えば、眠りから抜け出してゆっくりと目を開ける。すると昨日泣きすぎたせいか、両瞼に熱が乗っかっている。

全ての感情を吐き出すかのように大声を上げて泣いた。だから肌と喉はヒリヒリ痛いけど、頭はスッキリしているし、身体は随分と軽くなった。呼ばれているからとのっそりと上半身を起こせば、それを待っていたかのように寝室の扉が開いた。

「あっ、起きてるね」

扉からひょっこりと顔を覗かせると、オレと目を合わせてはにかむ。そして大型犬のように喜んで駆け寄ってくると、ベッドに乗り上げて頬に唇を落とす。

「冷やしたけど、やっぱり赤くなっちゃったね」

薫はすぐそばにやって来ると手のひらで両頬を包みこみ、顔を向かい合わせてじっくりと見つめてくる。目を逸らしたいのに心を読んだかのように目線を合わせてくるから一々目が合ってしまう。

昨日は薫の腕の中で泣きつづけた末に疲れて寝てしまった。その上、薫が離れようとするたびに起きては泣いてしまった。その姿はまるで赤ん坊のようで、思い出せば思い出すほどに恥ずかしくなっていく。

「今日は食べられそう?」

そんなオレの心を知ってか知らずか、薫は首を傾げて尋ねてくる。ちょっと眉を八の字にしたその顔に小さく頷くと、途端に蕩けたように顔を綻ばせる。

「実はね、朝だけどちょっと大事な話があるんだ」

薫のその言葉が鼓膜を震わせ、体内に入っていった瞬間。気分が急激に落ちこんでいき、鼻の奥がツンと痛くなっていく。

ああ、捨てられちゃうんだ。もうちょっと先だと思ってたのに。でも、昨日は仕事の邪魔しちゃったし、いない方がいいか。思考がぐるぐると回っていき、どんどん俯いて下を向いてしまう。

「ん? どうかした?」

下がっていく顔から手を離すと、その手で肩や二の腕を撫でながら心配してくれる。本当は、オレなんかが落ちこんじゃダメなのに。薫がこちらを気にしてくれるほどに胸が締めつけられた。

「なんでもない」

こんなオレに気遣ってくれているのに今は力なく顔を左右に振り、こう答えるので精一杯。心なんて出会ったときからできていたはずなのに、どうしてこんなに弱くなっちゃったんだろう。

「そう? じゃあ、僕は用意しているから愛琉は顔を洗っておいで」

薫は優しくそう言うと、寝癖のついたオレの頭を撫でてくれる。

もしかしたら、このせいかもしれない。頭を撫でられるなんて、小さなときの数回だけだから。なんて思っていると、薫はつむじに一度キスを落として寝室を出て行く。パタパタと軽快な足音は遠くなり、小さくなっていく。

行きたくない、行きたくない。薫の足音が聞こえなくなった瞬間、太ももの裏に腕を回して両足を抱える。目の前に来た膝に思いっきり額を擦りつけると、ここぞとばかりにワガママをぶつけた。

わかってる、ここにいちゃいけないのはわかってる。だけど、終わりを告げられるってわかっていて行くなんて恐怖でしかない。いっそ、死にたくなるほど罵ってほしい。そうしたら潔く諦められる、かもしれないのに。

……行かないと、ダメだよね。

大きく溜息を吐き出すと、布団から抜け出す。大丈夫、元の生活に戻るだけだから。そう言い聞かせながら肩を落として歩くと、洗面所で顔を洗い歯磨きをする。力任せにタオルで顔を拭けば、おそるおそるリビングへと向かっていった。

「今日はここで食べよう」

リビングの扉を開くと、ソファの前に座った薫が手招きしてくる。それに誘われるまま近づけば、ソファとガラステーブルの間に置かれたクッションに腰を下ろした。

そばにある窓は少し開いており、朝の爽やかな風が入ってくる。薫がいなくなった途端、落ち着かなくて跳ねたままの髪を撫でたりパジャマの皺を無駄に伸ばしたりしていると、薫が準備しておいた朝ご飯をテーブルに並べていく。

「はい、どうぞ」

牛乳に、茶色の砂糖がかかったヨーグルト。真ん中には山盛りになった一口大のオレンジのメロンたち。いつもならすぐ手を伸ばすくらい好きなものばかりなのに、薫の話が気になって食べる気力が湧かない。

「食べられそう? 違うのにする?」

オレがいつまで経っても手をつけようとしないから、薫が心配してぴったりと身体をくっつけて座ってくる。だから頭を左右に振って否定するけど、顔は依然として上げられなくて太ももを見つめた。

オレが何も言わないから薫も口を噤んでしまい、二人の間に沈黙が流れる。時間が進むにつれてその静けさが居た堪れなさへと変わっていき、込み上げてくる涙を我慢しようとするほどに唇が震えた。

黙っていたって何も好転しないし、このままだと薫を困らせるだけ。そんなのわかりきっているけど、怖くて指の一本すら動かせない。

「じゃあ、先にお話しようか」

静寂を断ち切る薫の声。それに反応して硬直している身体があからさまに跳ね上がってしまった。それでも顔を上げられないでいると、太ももに置いていた手が包まれる。

「緊張しなくていいよ。するなら、僕の方だと思う」

耳元でそう呟くと、くすくすと声を潜めて笑う。だけどそれがどういう意味なのかわからなくて顔を上げれば、微笑む薫と目が合った。

別れ、じゃないの? そうだとしたら、今からどんな話をするの? 薫と見つめ合っているのも忘れて思考を巡らせてみるも見当がつかない。

「僕はね、愛琉を初めて見たとき。この子しかいないって思ったんだ」

オレの太ももの上で両手が包まれていたが、薫の片手が離れていくと腰に回される。その状態で薫の言葉をゆっくりと理解していくと、胸がどくどくと存在を主張するように激しく動き、じわじわと頬が紅潮していく。

「愛琉と一緒にいると落ち着くし、くっついているとドキドキするんだ」

強く腰を引き寄せられ、思わず足を崩して触れる肩に頭を置く。くっついたところからは薫の体温が伝わってきて高揚していき、離れがたくもなってつながっている方の手に力を込めた。

「愛琉のこと、もっと知りたいしもっと触れたい」

指を絡めたりオレの腰を撫でたりしながら言葉を綴る。こんなオレにはもったいないほどの言葉の数々にオレの胸が幸せで満たされ、さっきまで我慢していた涙はボロボロと零れ落ちていく。

「愛琉が大好きなんだ。これからもずっと一緒にいたい」

こんなに幸せでいいのだろうか。想像していなかった言葉ばかり貰った上に、請うように弱々しい声で告げる告白。心臓は痛いほど胸を打っていて、全身が沸騰したように熱い。息を吸うたびにしゃくりを上げてしまい、力なく薫にもたれかかってしまう。

「……ダメ、かな?」

いつもよりずっと小さな声でそう言いながら薫が顔を覗きこんでくる。答えなきゃ。そう思うのに視界は涙で潤んでしまい、瞬きをするたびに頬を濡らした。

「でも、オレなんか……」
「“なんか”じゃないよ」

なんとか唇を震わせ、声を出そうとする。だけど、すぐに薫の言葉が飛んできた。

「僕、ずっと言ってるじゃん」

優しくこちらを溶かすようなその声でそう言うと、袖で涙を拭ってくれる。それでちょっと視界が明瞭になると、薫の頬もオレと同じように真っ赤に染まっているのが見えた。

「僕は愛琉がいいんだよ」

頬に添えられた手のひらが柔らかい。左右の頬を包む手に従って薫と向かい合うと、薫の笑みが迎えてくれる。その瞬間、薫への好きが次から次へと溢れ出して止まらなくなっていった。

「愛琉の本当の声を教えて?」

もう、我慢しなくていいんだ。そう思うと、勝手に口が開いた。

「オレ、オレも、薫が好き、大好き」

一度言葉にすると止まらなくなって何度も好きと呟く。薫と同じ気持ちなのだと思うと、泣いているのに自然と口角が上がった。

「僕も大好き。これからは恋人だね」

その言葉に飛びつき、力のかぎり抱きついた。

――この幸せがずっとつづきますように。初めて手にした幸せを噛みしめながら必死に薫の腕の中で願った。

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