おじさんの恋

椎名サクラ

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本編2

1-2

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 そのまま言葉にできないでいるが。

(なんか恥ずかしいんだよな……俺ばっかり好きみたいで)

 もっと頼りがいのある人間になりたいとあがきながらあっというまに三年が過ぎた。だが、35過ぎた人間は早々変われるものではない。仕事が始まればそれにのめり込み寝食を忘れるし、未だに家事は苦手だ。何度か料理に挑戦したが危うく火事寸前の大惨事を起こしてしまった。あれ以来キッチンに立つのが怖く、なら掃除で挽回しようにも自分よりも優秀な全自動掃除機がすべてを済ませてくれているので太刀打ちできない。

 足掻いて足掻いて、気がつけば元の生活に戻ってしまうのだ。

 家に引き籠もって仕事をするだけの日々。

 遙人も仕事をしているのにという引け目がずっとあるから余計に素直になれないでいるが、遙人には年長者のプライドで黙っている。

「やっぱり緊張する……」

「そんなに気を張らなくて大丈夫です。みんな隆則さんには好意的ですから」

「でもっ……現物を見たら反対されるかも……」

 どこにでもいるような平凡な容姿だ。遙人に釣り合わないことは自分が誰よりも知っている。年相応の外見なのに何もできないという、むしろ不良債権ではないかとすら考えると自信なんて木っ端微塵に砕け散る。せめてあのデリヘルボーイのような今時な外見に気遣いが備わっていれば話はまた別だろう。

 だが一日中誰とも喋らないことがデフォルトでは話術など育つはずもなく、頭の中でどれほどシミュレーションしても不安でしょうがない。

(やっぱり履歴書とか書いた方が良かったかな)

 面接でもないのにと遙人に取り上げられたが、やはり打ち出してお守り代わりにポケットに忍ばせておけば良かったと後悔する。本当にどんな話をすれば良いの河原かない。仕事の場面なら、システムに関してならいくらでも言葉が出るが。

 緊張のまま新幹線を一時間ほど乗りようやく遙人の地元に着く。年が明けたばかりだからか、駅には人が少なく遙人と二人並んでもさして迷惑にならない。タクシー乗り場に向かい、そのまま15分ほど走ったところに遙人の実家がある。家の前で降りて……隆則は緊張の極地に降り立った気持ちになる。

 背後で支払いを済ませたタクシーが走り去っても、動けない。足を踏み出そうと努力しても同じ手が一緒に出てしまうくらいにガチガチになっている。

「ほら、隆則さん……大丈夫ですか?」

 手を差し伸べてくる遙人の顔も認識できないくらいになっている。

「だ……いじょうぶだ……」

 そんなはずないだろうと遙人が呆れた表情をしているのも、当然目に入らない。普通の一戸建てが巨大な悪魔城にすら見えてしまう。

 怖い。

 本当に歓迎されているのか疑問もあるし、どんな言葉を投げかけられるかも分からない。遙人には好意的なことを口にしても、いざ目の前に現れたのがこんな貧相な人間なら絶対に感情を覆すだろう。

 相変わらず自信という文字が存在しない隆則は、Lv.1装備でラスボスに挑む無謀者のような気持ちになった。

「あーもうっ」

 無理矢理に固まっている隆則の手を取って遙人が躊躇いもなく玄関を開ける。

「ただいまー」

「ちょっ、まだ心の準備がっ」

「何言ってるんですか。心の準備を待ってたら日が暮れます」

「でもっ」

 容赦なく閉じられた扉。あっという間に引き込まれてしまった遙人の実家。隆則は背中に気持ち悪い汗を大量に流しながらガチガチを通り越して震えそうになる。追い打ちをかけるように複数の足音が乱暴に奥からやってきた。

「にーちゃんおかえりー」

 まだ未成年にもかかわらず、幼い表情ながらも背も体格も隆則よりしっかりとした男子が複数名やってきた。一番下の弟は中学生と聞いていたが、皆遙人に似てしっかりとした体格をしている。

「おう、ただいま。ちゃんと勉強してるか?」

「っせーな」

 わしゃわしゃと頭を撫で回され鬱陶しそうに遙人の大きな手を振り払ったのが、末の弟だろうか。本当に嫌そうな表情をしているのに、遙人は全く気にしないといった風情で靴を脱ぎ始める。

「あっ」

「隆則さんも、ほら」

 引かれるがままバランスを取ろうとするように慌てて革靴を脱いで框を上がった。

 バラバラになった靴を見送りながら奥へと連れて行かれれば、居間と言うにふさわしい畳の部屋には、ビッグマムと呼ぶにふさわしい女性が座っていた。

「あら、あんたが『隆則さん』なの? よく来てくれたねーさぁ座って」

「あっども……あのこれ、つまらないものですが……」

 勢いに圧倒されながら紙袋の中の菓子折を取り出し、ちゃぶ台の上に置けばすぐさま横から伸びて来た手によって奪われた。

「うわぁぁぁ菓子だぞお前ら!」

「なんだって? やったー」

 食欲旺盛な若者らが一瞬にして箱に群がり、ビリビリに包装紙を破っていく。このままでは箱が破れるんじゃないかと怯えると、今まで聞いたことのないような怒号が盛大に飛び出した。

「お前ら、おちつけっ!」

「お礼が先だろ! なにやってんだい!!」

 一瞬にして興奮を冷ました遙人の弟たちがすぐに隆則に向き合い、一斉に頭を下げながら「あざっした!」と同じような勢いで大きな声を発する。

「あ……いや、好きに食べて……」

 再び「うぉぉぉぉっ」と箱に群がった弟たちがケンカしながら立ち去った後には、空っぽの化粧箱が寂しく取り残されていた。

(これが今時の若者か……)

 あまりの勢いに先ほどまでの緊張はどこか遠くに吹き飛び、代わりに台風一過で家を崩された人のように呆然としてしまう。

「ごめんねぇあの子たち躾がなってなくて」

 豪快に笑う母親の前に、今度は遙人が重たそうなビニール袋を置いた。

「昼飯。みんなで食べて。ところで父さんは?」

「あら悪いわね。お父ちゃんは仕事だよ、もうすぐ帰ってくるって言ってたけどねぇ。それより、隆則さん、あんた大丈夫かいそんな細くて。ちゃんと食べないで私たちに仕送りしてるんだったらすぐに止めな。他の子たちを食わせていけるぐらいの稼ぎはあるんだからさ。今日は正月なんだからいっぱい食べていきなよ」

 矢継ぎ早にあれこれと言われてもすぐに対応なんてできない隆則が唯一言えたのは「生まれつきです」だけだった。

「母さん、それじゃ隆則さんが怯えるから。ご飯はちゃんと食べてるよ。ただ食が細いうえに仕事が忙しいと食べなくなるんだ。俺がちゃんと管理してるから大丈夫だって。それと用事があるから父さんに挨拶したら俺たち帰るから。飯を一緒になんかしたらがさつなあいつらに全部取られて可哀想だから無理だろ」

 あれだけの長い喋りに全部瞬時に答えた遙人は、すぐさまちゃぶ台に乗った駅弁の袋を手にキッチンへと消えた。

(うそっ一人にするなよ……)

 敵意は感じない遙人の母だが、もしかしたら息子の前だからという可能性もある。今日に至るまでの間、無駄に結婚関連のコラムを読んできた隆則は、いつ別れろと言われるのかとビクビクしながら正座しては膝のうえに拳を握りとにかく相手を直視しないようにする。

 遙人の母からは少し重そうな身体を正し、真っ正面から隆則を見つめた。

「隆則さん。本当にあの子で良いのかい?」

「へ? あの……それはどういう……」

 もしかして遠回しに別れろと言っているのだろうか。言葉の裏を探ろうとしても、そんな高等技術は持ち合わせていない。あったならもっと会社組織で上手に立ち回れたはずだ。

「いやね、親のあたしがこんなこと言うのも変だろうけど、あの子はお節介だろう。小言は多いしマメだけど融通は利かないし、細かいうえにあれこれ口うるさいだろ。窮屈してないかい? もし辛いこと逢ったら言うんだよ、あたしから叱ってやるから」

「いや、そんなことは……むしろ俺の方が面倒をかけてます……家事を全部して貰ってるので……」

 快適に引き籠もっていられるのはすべて遙人のおかげだ。離れていた一年半、頑張って人間的な生活を心がけたが、それでも遙人には遠く及ばないし、今だって仕事だけに集中できるのは、家事の雑用すべてを引き受けてくれているからだ。

「俺が返せるのはお金の部分だけです……」

 もっと遙人のために何かしたいと思っても、何も思いつかない社会不適合者である。料理をすれば炭の塊を作り出すし、洗濯をすれば汚れを落とす以前に洗剤を入れ忘れる。こんな自分がなんとか生きていけるのは本当に遙人のおかげとしか言いようがない。

「できるかぎりこれからの生活に困らないよう稼ぐことしかできないんです」

 次第に、怯えではなく自分のダメさに肩が小さくなっていく。それを見て遙人の母は肉厚な手で子供たちにするように隆則の頭を撫で始めた。

「あんたも充分優しいんだね。あんな偏屈な子を大事にしてくれてありがとうね」

 家を出て……いやその前、母の背を越してからこんな風にされたことはなかった。

 いつも遙人が与えてくれる温かにも似た優しさに、もういい年なのに泣きそうになる。「あ……すみません、お手洗い借ります」

 俯いて涙を隠しながら逃げるように立ち上がれば、「廊下を出て右の奥だよ」と元気な声が教えてくれる。涙が引けるまでトイレで少しだけ心を休め、こんな気弱な自分で良いのだろうかと猛省してしまう。
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