おじさんの恋

椎名サクラ

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本編2

7-1

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 近頃分かったのは、隆則は決まって水曜日にあの店に行く、ということだ。

 相変わらずメッセンジャーアプリを使用し行動確認してようやく確信が持てた。同時に今日は水曜日……今日もまたあそこに行くのだろうかと気が気じゃなくなっている。

 月末が近づき、これ以上不確かなままではいられない。繁忙期をモヤモヤしたままですごして良いことなんかあるはずがない。失敗は許されないのだ。

「はぁ……」

 そのために昨日から半休申請を出している。

(今日こそ決着を付けるぞ)

 なんせここ最近の隆則と言えば、今までと違ったことばかりやっては遙人の疑心を煽ってくるのだ。

 料理のこともそうだが、積極的にセックスに誘ってくるし掃除を試みようとしたり、仕事をセーブしてみたりと、今までに想像できないことばかりしてくるのだ。しかも水曜日以降が多く、酷く必死でなにか罪悪感を払拭しているようにも映る。

 特にセックスの時は自分から遙人の上に乗ってきたり口でしたりと妙に積極的で、そんな隆則を目の当たりにすると欲望に逆らえない自分が一層憎い。

(このままじゃ頭おかしくなる)

 パートナーの浮気を疑い続けるのはメンタル的にかなりの疲労を要する。

 一度メス達きさせて本音を暴こうとしたが、狂ったように「好きだ」と言い続ける隆則の艶姿に溺れて何も聞き出せなかった。

 本当に自分のことを好きなのかと惚けていたらやっぱり水曜日にはあの店に行くのを確認して、以前よりもずっと落ち込んでしまった。

(絶対今日中になんとかしてやる)

 以前よりもげっそりし、どこか鬼気迫った遙人に周囲は気付きほんの少し遠巻きにしている。今も会社にいる間にできる限りの仕事をしようと必死になってとてもじゃないが気安く声をかける雰囲気になかった。

 その頭の中が嫉妬で酷く淀んだ色に染まっている。

 今日やるべき仕事をハイスピードでこなした遙人は上司に進捗を告げてから会社を飛び出した。時間は午後一時。いつも隆則は一時頃にあのカフェに行き一時間ほど過ごして帰る。それに間に合うようにと慌てて電車に飛び乗り、早く最寄り駅に着けとばかりに念を送り続ける。だが日本の電車は時間に忠実すぎて、遙人がどれだけの念を送ろうが予定時刻に到着した。慌てて改札を出て神社の側にあるあの店へと走って行く。

 三月半ばの少し生ぬるい風が頬を掠めるが、噴き出た汗を拭うまでにはいかなかった。カフェの前で息を整えながら中の様子を覗う。

(やっぱりいた!)

 カウンター席に見慣れた細い背中を見つけ、ドンッと心臓が跳ね上がる。

 どんな表情をしているのだろうか。正面にいるのは笑顔で何かを話す矢野と、神社で見たときと変わらない無表情でグラスを拭く厳つい男だ。

 矢野が何度か頷き、当たり前のように隆則の頭を撫でた。

 たったそれだけで気が荒くなっている遙人はカッとなった。もう少し様子を見ようと思っていたのに、感情のコントロールができずカフェへと飛び込んだ。

「こんなところで何してるんですか!?」

 隆則以外の客が驚いてこちらを見ても気にせず、ずんずんとカウンターへ近づいていく。自分が怖い顔をしているのを分かっていても、感情を押さえることができない。

「水谷さん、いらっしゃいませ」

 矢野だけはいつもの飄々とした笑顔のままなのも気に入らない。

 ダンッとカウンターを叩いた。

「……遙人どうして……今仕事じゃっ」

「俺もここ、いいですか?」

 返事を待たずに当然のように隆則の隣に、乱暴に腰掛けた。ガタンと背の高い椅子が音を立てる。

「水谷さんは何にしますか?」

 どう考えたって不穏な空気が漂っているのに、矢野は全く気にしないとばかりに遙人の前にメニューを差し出した。開けることもせず「コーヒー」とだけ口にして腕を組んだまま腰掛ける。

「ブラックで良いですか? それともモカにしましょうか」

「ブラック」

 突き放すような突き放した口調をしても、矢野は全く気にした様子を見せず本格的に手動のミルから豆を挽き始め、香り高いそれをコーヒードリッパーに移しゆっくりとお湯を注ぎ始める。そんな本格的なことをしなくても後ろには業務用の大きなコーヒーメーカーがあるのに何を考えているんだと、自分に対する挑戦と受け取る。

(こいつ、隆則さんを狙ってるってことか……渡すとでも思ってるのか)

 余裕の様子が気に入らない。

 もしかしたらもう二人は……と考えて一層血が頭に上る。

「隆則さん、毎週ここに来てるみたいですけど、どんな話をしているんですか? よかったら俺にも教えてくださいよ」

 ふんぞり返って腕を組む遙人に、隆則は何も言えず俯いている。僅かに震えているその身体を、普段だったら思い切り抱きしめて安心させるのに、今日はそれができない。むしろそんな震えるほどのことをここでしているのかと怒りが湧き上がっていく。

「どうぞ、コナコーヒーです」

 女性が好みそうな瀬戸物のカップに煎れられた黒い液体が遙人の前に届く。とても口を付ける気にはなれない。

「五十嵐さんはここに相談に来ているんですよ」

「相談? なんのですか……俺に言えないようなことを話してるんですか、隆則さん」

 この人は自分の物だと主張するように敢えて矢野の前で隆則を問い詰める。

 細い肩が見て分かるほどに震え始めた。怯えるのすら許せない。反して矢野は楽しそうに笑んでいるばかりだ。短く整えた清潔感のある髪を揺らしながら、今にも吹き出しそうになっている。

「五十嵐さん……教えてあげれば良いじゃないですか、ここで何を話していたのか」

「……ゃだ……」

 聞き取るのがやっとなほど小さく呟いて、小さな頭がまた下がった。その髪は漆黒の中に白い物が混ざり始めているのに、幼い子供が叱られた時と同じで酷くこちらに罪悪感を覚えさせる。

 もう夫婦と同じような関係だというのに、隠し事をされているのが遙人の怒りに油を注ぐ。こんな人の多い場所で浮気の相談をしていたのだろうか、それとも本気の相談だろうか。

 ギッと矢野を睨めつけるが、プッと吹き出された。

「本当だ……五十嵐さんの言ったとおり、めちゃめちゃ愛されてるけどこれじゃ不安になるわ」

 遠慮のない笑い声に変わった矢野を隆則が慌ててふためいた。

「矢野さん、あのっ!」

「もういいじゃないですか、教えちゃいましょうよ。そうじゃないと他のお客さんが逃げちゃいます」

 矢野の言葉に店内を見渡せば、少ない客がこちらをチラリチラリと見ている。

「チッ」

 いつになくささくれ立った感情は態度にも出てしまう。独占欲丸出しになった遙人は、だが自分を抑えることができなかった。

「何の話をしてたんですか?」

「水谷さんのことですよ。どうしたらもっと自分を頼ってくれるのかとか、どうしたら喜んで貰えるのかとか、自分は家族に紹介できないが大丈夫なのかとか。そんなところですよ、な」

 矢野は隣にいる男に同意を求め、厳つく無口な男はグラスを磨きながら静かに頷いた。隆則はその言葉に俯いたまま全身が真っ赤になっていく。一部始終を目にして、さらに怒りが湧く。

「なんでそんな話しをっ」

「そりゃ、ねぇ」

 ニヤニヤする矢野がとにかく気に入らない。

 遙人はバンッと財布から取り出した万札を叩きつけると隆則の手を引いて店を出た。

「なるべく早く仲直りしてくださいね」

 背中に矢野の声が飛んでくるのを叩きつけるように締めた扉で遮る。

 ひたすら無言でずんずんと家に向かって歩いて行けば、運動不足の隆則が息を上げながら「待って」と何度も訴えてくるが聞いてやる余裕がない。

 マンションのエレベータを待つ間も苛つき、部屋に戻っても苛立ちは収まることはなかった。

 乱暴に隆則の身体をベッドに投げる。

「本当にあそこでそんな相談してたんですか!」

 苛立ちをそのまま隆則へとぶつけていく。怒っている遙人を見るのは久しぶりの隆則は、怯えながらも小さく頷いた。

「なんで!」

「だって……誰にも相談できなかったから……」

「相談したいなら俺にすれば良いじゃないですか! なんでも話し合うのがパートナーでしょ!」
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