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本編2
6-2
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「美味しいですからね、でも火加減難しかったでしょう」
コクンと小ぶりな頭が動き、けれど顔を上げようとはしなかった。下から覗き込んでみればうっすらと涙が滲んでいる。
「どうしたんですか、隆則さん」
「簡単だからって……焼くだけだからそんなに難しくないって」
どこかのレシピサイトでも見たのだろうか。かつての火事未遂もその手のサイトを見ては簡単だとチャレンジして炭素を排出させてきた。今回も同様だろうか。
「今度は俺と一緒に作りましょう。少しでもやり方を知っていたら、パニックになりませんからね」
小さく頷くのを待ってから側を離れた。
フライパンにこびりついた炭素を排除しようとするが、無理矢理に削り取ればテフロンが剥がれかねない。隆則が通販で買ったテフロン加工フライパンセットの最後の一つもこのまま廃棄だろう。
(今度はもっと良い奴を買っておかないと……今度はダイアモンドコートを試してみるか……ついでに本格的な中華鍋も買っちゃうか、一から育てるのもいいな)
もっと隆則に美味しい料理を食べさせるための思案をしながら、隆則がデスマーチしている間に下処理し味付けして冷凍しておいた肉や野菜などのストック食材を取り出して電子レンジで温めていく。
「あ、そうだ。さっき矢野さんに会いましたよ」
何気ない会話のふりをしながらチラリと隆則の様子を見る。ずっと落ち込んでいた肩がビクッと跳ね上がり、隠せない動揺をそのままにした顔が勢いよく上がった。
「そっ……そう。元気にしてた?」
「はい、是非二人で来てくださいと言われました」
「そっかぁ……そっか」
跳ね上がった肩が落ちていくのを目を細めながら追っていく。後ろめたいなにかがあるのがこれで分かった。
(浮気……というよりは隆則さんはああいうのがタイプなんだ)
隆則の好みが自分じゃないのは気に入らない。だがそれで相手を責めてはいけないと重々学んだ。だからそっと自分の胸の中へとしまうが、小さかったはずの嫉妬心は一瞬にして膨れ上がり、すぐに爆発しそうなまでに大きくなっていく。
(でも今のあんたは、俺のものなんだ!)
僅かな心の移ろいだって許せない。その心も身体もすべて遙人のものだ。この先の未来すら僅かでも自分から離れることを許せない。
こんなにまで締め付けられて嫌になったのだろうか。
(ゲイってオープンリレーションシップを結んでいるというからな……)
同性愛者がパートナー以外と性行為をすることを容認するというものだが、とてもじゃないが良く容認しようと思えるものだ。もし隆則がそんな提案を持ちかけてきたら、冗談でなくこの家に閉じ込めて一歩も出さないほどの嫉妬で縛り付けていることだろう。
今だって似たものだが。
(やっぱり、隆則さんも他の人とセックスしたいって考えてるのかな)
男の性、なのだろうか。同じ相手とばかりセックスしたくないと考える人間がいるのも理解しているが、遙人は許せないだろう。隆則の可愛さも艶めかしさも淫らさも、自分一人だけが知っていれば良い。他の誰かが知ったらきっと奪われる、この一見幼く生命力が弱い、けれどとても魅力的な人を。
(だから、俺だけが知ってれば良いんだ)
乱れて縋り付いてくるあの瞬間を思い出すだけで兆してしまうくらい、可愛いのだ。本人に自覚があるかどうかは分からないが。
チャチャチャッと料理を並べていく。電子レンジだけで作成したのでほぼ蒸し料理となっているが、さっぱりとした物が好きな隆則は喜んでくれるだろう、多分。
味噌汁だけインスタントで済ませ炊き上がったご飯をよそえば、調理完了だ。
「……ありがとう」
「召し上がってください。隆則さんはこういうのが好きでしょ」
近頃は年のせいで脂っこい物が苦手だと言い始めたから、鶏をモモ肉から胸肉に切り替えてみたが、反応はどうだろうか。
隆則はじっと料理を見つめて箸を取ろうとはしない。
「どうしたんですか? 嫌いな物ありましたか」
「……俺が用意しようと思ったのに……電子レンジでできるなんて卑怯だ」
「無理をしないでください。ステーキは今度の土日に一緒に作りましょう」
「もうすぐお前、繁忙期だろ……それで飯を作らせるの悪いと思ったのに……」
浮気を隠すために優しくしているのではないと知って心が躍ってしまう。こういう不器用な優しさがどれだけ遙人を喜ばせるか、分かっているのだろうか。勝手に顔が綻んでしまう。さっきまで隆則の心の浮気を疑っていたのに。
「そう思ってくれるだけで充分です。朝に支度をしておけば夕飯はそれほど苦になりません」
「でも去年だって終電で帰ってきたりしてただろ、なのに飯の用意で遅くなったら寝る時間が減るだろ」
確かに繁忙期に入れば家に着く頃には日付が変わることも度々ある。そんなときに夕食を用意してくれようとしているのだろうか。だとしても、自分が食事を用意したい。隆則が口に入れる物は全部自分の手が加えてある物でなければ満たされない自分の性癖をそっと隠しながら、料理から隔離させようとする。
「それで隆則さんが怪我をしたら仕事ができなくなりますよ。大丈夫、そんなに負担じゃありませんから」
「でもっ!」
「大丈夫です、料理作るの苦じゃありませんから」
むしろしたい、隆則のために。
笑顔で流し食べるよう促せば、渋々と箸を付け始めるが、一度食べ物を口に入れると止まらなくなったのか、静かに箸を進め始めた。自分が作ったものを喜んでリスのように頬張る隆則の懸命な表情をおかずに遙人も食事を始める。本当に美味しいものに弱く、遙人が作る物を何でも美味しそうに食べてくれるのを目にするのが楽しい。
「今日は何してましたか?」
だが揺さぶることは忘れない。
なんせ、今の隆則はトレーナー姿ではなくきっちりと外出着を身につけている。家に帰って着替えるのを忘れてそのままなのだろう。
(今日はステーキ肉を買いに行ったのかな)
矢野に逢いに行っていないのならそれでいいが、もし会った帰りに買ったのならと考えずにはいられない。
(頭がおかしくなりそうだ)
本当は矢野のことをどう思っているのだろう。
知りたい衝動と聞きたくない臆病な心が互いに戦いあい答えが出せずにいる。
どうしても隆則のこととなると臆病になる。
(まずはご飯を食べさせるのが先決だ)
相変わらず細く、この部屋に帰ってきてから三年でやっと三キロ太らせたが、それだって先日のようなデスマーチを過ごせばすぐに減ってしまいまた戻すのに時間がかかる。正月でせっかくほんの少しだけ太らせたのにと、隆則の元後輩を憎まずにはいられない。
けれど心の中にあるわだかまりをどうにかしたい。
(さて、どうするか……)
とりあえず今日は仕事をしていないようなので美味しくいただこうと心に決めながら、次の一手をどうするか決めあぐねていた。
コクンと小ぶりな頭が動き、けれど顔を上げようとはしなかった。下から覗き込んでみればうっすらと涙が滲んでいる。
「どうしたんですか、隆則さん」
「簡単だからって……焼くだけだからそんなに難しくないって」
どこかのレシピサイトでも見たのだろうか。かつての火事未遂もその手のサイトを見ては簡単だとチャレンジして炭素を排出させてきた。今回も同様だろうか。
「今度は俺と一緒に作りましょう。少しでもやり方を知っていたら、パニックになりませんからね」
小さく頷くのを待ってから側を離れた。
フライパンにこびりついた炭素を排除しようとするが、無理矢理に削り取ればテフロンが剥がれかねない。隆則が通販で買ったテフロン加工フライパンセットの最後の一つもこのまま廃棄だろう。
(今度はもっと良い奴を買っておかないと……今度はダイアモンドコートを試してみるか……ついでに本格的な中華鍋も買っちゃうか、一から育てるのもいいな)
もっと隆則に美味しい料理を食べさせるための思案をしながら、隆則がデスマーチしている間に下処理し味付けして冷凍しておいた肉や野菜などのストック食材を取り出して電子レンジで温めていく。
「あ、そうだ。さっき矢野さんに会いましたよ」
何気ない会話のふりをしながらチラリと隆則の様子を見る。ずっと落ち込んでいた肩がビクッと跳ね上がり、隠せない動揺をそのままにした顔が勢いよく上がった。
「そっ……そう。元気にしてた?」
「はい、是非二人で来てくださいと言われました」
「そっかぁ……そっか」
跳ね上がった肩が落ちていくのを目を細めながら追っていく。後ろめたいなにかがあるのがこれで分かった。
(浮気……というよりは隆則さんはああいうのがタイプなんだ)
隆則の好みが自分じゃないのは気に入らない。だがそれで相手を責めてはいけないと重々学んだ。だからそっと自分の胸の中へとしまうが、小さかったはずの嫉妬心は一瞬にして膨れ上がり、すぐに爆発しそうなまでに大きくなっていく。
(でも今のあんたは、俺のものなんだ!)
僅かな心の移ろいだって許せない。その心も身体もすべて遙人のものだ。この先の未来すら僅かでも自分から離れることを許せない。
こんなにまで締め付けられて嫌になったのだろうか。
(ゲイってオープンリレーションシップを結んでいるというからな……)
同性愛者がパートナー以外と性行為をすることを容認するというものだが、とてもじゃないが良く容認しようと思えるものだ。もし隆則がそんな提案を持ちかけてきたら、冗談でなくこの家に閉じ込めて一歩も出さないほどの嫉妬で縛り付けていることだろう。
今だって似たものだが。
(やっぱり、隆則さんも他の人とセックスしたいって考えてるのかな)
男の性、なのだろうか。同じ相手とばかりセックスしたくないと考える人間がいるのも理解しているが、遙人は許せないだろう。隆則の可愛さも艶めかしさも淫らさも、自分一人だけが知っていれば良い。他の誰かが知ったらきっと奪われる、この一見幼く生命力が弱い、けれどとても魅力的な人を。
(だから、俺だけが知ってれば良いんだ)
乱れて縋り付いてくるあの瞬間を思い出すだけで兆してしまうくらい、可愛いのだ。本人に自覚があるかどうかは分からないが。
チャチャチャッと料理を並べていく。電子レンジだけで作成したのでほぼ蒸し料理となっているが、さっぱりとした物が好きな隆則は喜んでくれるだろう、多分。
味噌汁だけインスタントで済ませ炊き上がったご飯をよそえば、調理完了だ。
「……ありがとう」
「召し上がってください。隆則さんはこういうのが好きでしょ」
近頃は年のせいで脂っこい物が苦手だと言い始めたから、鶏をモモ肉から胸肉に切り替えてみたが、反応はどうだろうか。
隆則はじっと料理を見つめて箸を取ろうとはしない。
「どうしたんですか? 嫌いな物ありましたか」
「……俺が用意しようと思ったのに……電子レンジでできるなんて卑怯だ」
「無理をしないでください。ステーキは今度の土日に一緒に作りましょう」
「もうすぐお前、繁忙期だろ……それで飯を作らせるの悪いと思ったのに……」
浮気を隠すために優しくしているのではないと知って心が躍ってしまう。こういう不器用な優しさがどれだけ遙人を喜ばせるか、分かっているのだろうか。勝手に顔が綻んでしまう。さっきまで隆則の心の浮気を疑っていたのに。
「そう思ってくれるだけで充分です。朝に支度をしておけば夕飯はそれほど苦になりません」
「でも去年だって終電で帰ってきたりしてただろ、なのに飯の用意で遅くなったら寝る時間が減るだろ」
確かに繁忙期に入れば家に着く頃には日付が変わることも度々ある。そんなときに夕食を用意してくれようとしているのだろうか。だとしても、自分が食事を用意したい。隆則が口に入れる物は全部自分の手が加えてある物でなければ満たされない自分の性癖をそっと隠しながら、料理から隔離させようとする。
「それで隆則さんが怪我をしたら仕事ができなくなりますよ。大丈夫、そんなに負担じゃありませんから」
「でもっ!」
「大丈夫です、料理作るの苦じゃありませんから」
むしろしたい、隆則のために。
笑顔で流し食べるよう促せば、渋々と箸を付け始めるが、一度食べ物を口に入れると止まらなくなったのか、静かに箸を進め始めた。自分が作ったものを喜んでリスのように頬張る隆則の懸命な表情をおかずに遙人も食事を始める。本当に美味しいものに弱く、遙人が作る物を何でも美味しそうに食べてくれるのを目にするのが楽しい。
「今日は何してましたか?」
だが揺さぶることは忘れない。
なんせ、今の隆則はトレーナー姿ではなくきっちりと外出着を身につけている。家に帰って着替えるのを忘れてそのままなのだろう。
(今日はステーキ肉を買いに行ったのかな)
矢野に逢いに行っていないのならそれでいいが、もし会った帰りに買ったのならと考えずにはいられない。
(頭がおかしくなりそうだ)
本当は矢野のことをどう思っているのだろう。
知りたい衝動と聞きたくない臆病な心が互いに戦いあい答えが出せずにいる。
どうしても隆則のこととなると臆病になる。
(まずはご飯を食べさせるのが先決だ)
相変わらず細く、この部屋に帰ってきてから三年でやっと三キロ太らせたが、それだって先日のようなデスマーチを過ごせばすぐに減ってしまいまた戻すのに時間がかかる。正月でせっかくほんの少しだけ太らせたのにと、隆則の元後輩を憎まずにはいられない。
けれど心の中にあるわだかまりをどうにかしたい。
(さて、どうするか……)
とりあえず今日は仕事をしていないようなので美味しくいただこうと心に決めながら、次の一手をどうするか決めあぐねていた。
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