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太陽の女神がいる場所~比布神社(北海道比布町)
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私はじいちゃんが教えてくれるありがたい話が好きだ。
この国は神様が作った話も好きだし、夜に口笛を吹いたら蛇が来るみたいな、昔から言い伝えられている話を聞くのが大好きだ。
母さんは「そんなのはおとぎ話だ」とか「おじいちゃんの話は古臭いのよ」とじいちゃんのいないところで批判するけど、じいちゃんの話は、母さんがよく話しているテレビで聞いた情報よりはるかにためになる。
そんなことをお母さんに言うと怒られるから黙っている。
母さんはじいちゃんのことも、死んだばあちゃんのこともあまりよく思っていないみたいだけど、私はじいちゃんが誰よりも大好きなのだ。
じいちゃんは毎月1日に比布神社に行く。散歩がてら行くこともあるけれど、たいていじいちゃんの運転する車で行く。
じいちゃんの車は古くて、走っている時もドアなのか別の場所なのかわからないけれど、ずっとどこかがガタガタうるさい。
車の壁が全体的に薄くて、冬だと車に乗ってすぐ温まらないから、身体が勝手にガタガタ震えちゃう。
じいちゃんは「寒いだろう、ごめんな」と言いながらヒーターのスイッチを入れるけど、なかなか暖まらない。もうすぐ神社に着く頃に、やっと少し温まってくる。
父さんの車は、ドアだって運転席のボタンで開け閉めできる。冬の朝でも居間の窓からリモコンを押してエンジンを付けてヒーターもつけるので、家を出て車に乗る時はもう車内はポカポカの天国状態だ。
それでも私はじいちゃんの車が大好きなのだ。
タイヤはシルバーの色が剥げてさびているし、車内はほこりっぽい上にガソリン臭くて。なのに乗った時、ああこれはじいちゃんの車だなぁと思う。
父さんの車も、もちろん父さんの車なんだけど、乗った時、ああ、父さんの車だなぁと思わない。普通のありふれた車と同じにしか感じない。
じいちゃんの車はまるでじいちゃんそのものだ。
父さんが子供の頃からずっと同じ車に乗っているらしい。じいちゃんの歴史が詰まっている感じがたまらなくいい。
じいちゃんのそのまたじいちゃんが開拓史としてやってきて、この町を作ったのがじいちゃんの自慢だ。そしてそれは当然私の自慢でもある。
私はこの地を開拓した孫の、そのまた孫なのだ。
比布神社は開拓使の人たちが作ったらしいけれど、そんな古い話はよくわからない。
でも、この神社はとてもきれいだし、それにじいちゃんとばあちゃんみたいな優しい老夫婦の石像があって、その前に来ると、幸せな気持ちになるのだ。
「七海、帰るぞ」
じいちゃんが私を呼んだので、じいちゃんが立っていた白い鳥居のほうに走っていこうとした時だった。
本殿から赤い鳥居に向かってまっすぐ進むと、右側に大きな赤い大きな岩がある。その上にきれいな光がすーっと降りているように見えた気がして立ち止まる。
赤い岩の上に女神様みたいな誰かが立っている気がした。女神様は優しく私を見ていた。
周囲に赤くて優しい光が覆っていて、まるで太陽が女神に姿を変えているみたいだと思った。
近づこうとすると、幻みたいに一瞬ですべてが消えてしまった。
車に乗ってからじいちゃんにそう言うと、
「七海はすごいなあ。あの神社が祀っているのはアマテラス様だ。太陽の女神様なんだぞ」と嬉しそうに私を見た。
「じゃあきっとその女神様だよ」
さすがはじいちゃんだ。よく知っている。
「そうだな。おまえがいつもちゃんと神社で手を合わせてご挨拶するから、子どもなのに感心だなぁと様子を見に来られたのかもしれんぞ」
「そうなのかな? だったらちゃんと挨拶すればよかった」
「そうだな、今度会ったらぜひ挨拶せえ」
とびきり嬉しかったけど、母さんに話したら、ばかなことをいうなと叱られそうだから黙っていることにして、じいちゃんにも母さんには言わないでと頼んだ。
「淳子さんは神様とかあんまり大事にしてないからなあ」
じいちゃんは、母さんにも誰にも言わないと約束してくれた。
それから何度も神社に行ったけど、それ以来一度も女神様を見ることはできなかった。
そうして、ある寒い朝、じいちゃんが倒れてしまった。
それきり神社に行くこともなくなった。
旭川の病院に入院しているので、じいちゃんに会うことができずに半年くらいたったころ、病院から電話が来た。
母さんは慌てて父さんに電話をかけて、そのあと私と弟の叶海を叔母さんのところに預けて、二人で旭川に行ってしまった。
叔母さんは、
「あんたんとこのじいちゃん、相当あぶないみたいね」と、明日の天気のことでも話すように、淡々と伝えてきた。
「あぶないってなあに? 」
小学校一年生の叶海が聞きかえすと、叔母さんはさあねと言ったきり、ちゃんと説明してくれなかった。
でも私にはじいちゃんがあぶないの意味がわかってしまった。
「そんなの嫌だ」
私はそう叫ぶと、叔母さんの家を飛び出し、神社へ走った。
ずっと神社に行けていなかったから、きっと女神様が怒っているんだ。
じいちゃんは病気で来たくても来れないって、ちゃんと伝えなくちゃ。
それだけを考えて必死に走った。
比布神社に駆け込み、お社の前で鈴を鳴らして、必死に祈った。
じいちゃんは病気で来れません。
私は元気だったのに、じいちゃんが病気になってから一度も来れなくてごめんなさい。
でも、じいちゃんは悪くありません。
だからもし怒っているのなら、じいちゃんのこと許してあげてください。
どうか、どうか、じいちゃんを死なせないでください。
声に出してそう言ったら、悲しくて涙が溢れてきた。
じいちゃんを死なせないでください。
じいちゃんを、死なせないで、ください。
そのまましゃがみ込んで泣いてしまった。
急に暖かな空気に包まれた気がして顔を上げると、夕陽のように優しい赤い光が、私の周りを囲んでいた。
見上げる先に女神様が見えたわけではないけれど、女神様が光で包んでくれていると思った。
心が落ち着いたので叔母さんのところに戻ると、勝手に出て行ったことを叱られた。それから、じいちゃんの容態が悪かったのだけれど、とりあえず落ち着いたから母さんたちは戻ってくると電話があったと教えてくれた。
やっぱりあれは女神様だったのだと思った。
それから少しして、じいちゃんの容態が落ち着いたから家に戻ってくることになった。じいちゃんがどうしても家に帰りたいとお医者さんに頼んだからだと父さんが言っていた。
私はまたじいちゃんと一緒に神社に行けると楽しみに待っていた。
だけど帰ってきたじいちゃんは、自分の力で立つこともできなくなっていた。骨みたいに細くなった腕には血管が浮き上がっていた。じいちゃんは震える手を伸ばして、布団のそばに座っていた私の頭をそっと撫でてくれた。
私は悲しくてボロボロ泣いた。
じいちゃんは、聞こえるか聞こえないかの小さなかすれた声で、ごめんなあと謝った。
何を謝っているのかわからなかったし、何でこんなに悲しいのかわからなかったけれど、じいちゃんが寝ている布団の上につっぷして、わーっと泣いてしまった。
母さんに引き離されて、これからはあまりじいちゃんの寝ている部屋に行くなと言われてしまった。
それからわずか三日後にじいちゃんが死んだ。
もう助からないから家に帰って死にたいとじいちゃんが言っていたと、お葬式の時に母さんが親戚に話しているのを聞いた。
しばらくは悲しい気持ちさえわかず、じいちゃんにただ会いたかった。
当分神社に行くなと父さんに言われて、それっきり神社に行くのをやめた。
あれから十年以上たつ。
私は今日二十歳になる。
成人のご挨拶に神社に行こうと思い立ち、久しぶりにお参りに来た。
子どもの頃に走り回っていた参道をゆっくり歩く。
こんなにも美しい花が咲いていたことにあの頃は気が付かなかった。
赤い岩にも本殿にも、女神様はいなかった。
やはりあれは幻だったのかな。
帰ろうとふと見ると、道祖神の石像が目に入った。
まるで吸い寄せられるようにその前に立ち、手を合わせる。
「じいちゃん、それから、生まれる前に死んじゃったばあちゃん、私ね、大きくなったよ。もう大人になったんだよ」
と言葉をかけた。
すると突然涙が溢れて止まらなくなり、あの時と同じようにしゃがみこんで泣いてしまった。
じいちゃんはお墓じゃなくて、ここにいるような気がして、ばあちゃんと二人でニコニコしながらここで私のことを見守っているような気がして。
その優しい思いに久しぶりに触れたような気がして私は泣いた。
再び顔を上げると、赤い光はなかったけれど、太陽の光がそこかしこに反射して、世界がとても光って見えた。
「じいちゃん、ばあちゃん、また来るね」
そう告げて私はもと来た道を戻っていった。
この国は神様が作った話も好きだし、夜に口笛を吹いたら蛇が来るみたいな、昔から言い伝えられている話を聞くのが大好きだ。
母さんは「そんなのはおとぎ話だ」とか「おじいちゃんの話は古臭いのよ」とじいちゃんのいないところで批判するけど、じいちゃんの話は、母さんがよく話しているテレビで聞いた情報よりはるかにためになる。
そんなことをお母さんに言うと怒られるから黙っている。
母さんはじいちゃんのことも、死んだばあちゃんのこともあまりよく思っていないみたいだけど、私はじいちゃんが誰よりも大好きなのだ。
じいちゃんは毎月1日に比布神社に行く。散歩がてら行くこともあるけれど、たいていじいちゃんの運転する車で行く。
じいちゃんの車は古くて、走っている時もドアなのか別の場所なのかわからないけれど、ずっとどこかがガタガタうるさい。
車の壁が全体的に薄くて、冬だと車に乗ってすぐ温まらないから、身体が勝手にガタガタ震えちゃう。
じいちゃんは「寒いだろう、ごめんな」と言いながらヒーターのスイッチを入れるけど、なかなか暖まらない。もうすぐ神社に着く頃に、やっと少し温まってくる。
父さんの車は、ドアだって運転席のボタンで開け閉めできる。冬の朝でも居間の窓からリモコンを押してエンジンを付けてヒーターもつけるので、家を出て車に乗る時はもう車内はポカポカの天国状態だ。
それでも私はじいちゃんの車が大好きなのだ。
タイヤはシルバーの色が剥げてさびているし、車内はほこりっぽい上にガソリン臭くて。なのに乗った時、ああこれはじいちゃんの車だなぁと思う。
父さんの車も、もちろん父さんの車なんだけど、乗った時、ああ、父さんの車だなぁと思わない。普通のありふれた車と同じにしか感じない。
じいちゃんの車はまるでじいちゃんそのものだ。
父さんが子供の頃からずっと同じ車に乗っているらしい。じいちゃんの歴史が詰まっている感じがたまらなくいい。
じいちゃんのそのまたじいちゃんが開拓史としてやってきて、この町を作ったのがじいちゃんの自慢だ。そしてそれは当然私の自慢でもある。
私はこの地を開拓した孫の、そのまた孫なのだ。
比布神社は開拓使の人たちが作ったらしいけれど、そんな古い話はよくわからない。
でも、この神社はとてもきれいだし、それにじいちゃんとばあちゃんみたいな優しい老夫婦の石像があって、その前に来ると、幸せな気持ちになるのだ。
「七海、帰るぞ」
じいちゃんが私を呼んだので、じいちゃんが立っていた白い鳥居のほうに走っていこうとした時だった。
本殿から赤い鳥居に向かってまっすぐ進むと、右側に大きな赤い大きな岩がある。その上にきれいな光がすーっと降りているように見えた気がして立ち止まる。
赤い岩の上に女神様みたいな誰かが立っている気がした。女神様は優しく私を見ていた。
周囲に赤くて優しい光が覆っていて、まるで太陽が女神に姿を変えているみたいだと思った。
近づこうとすると、幻みたいに一瞬ですべてが消えてしまった。
車に乗ってからじいちゃんにそう言うと、
「七海はすごいなあ。あの神社が祀っているのはアマテラス様だ。太陽の女神様なんだぞ」と嬉しそうに私を見た。
「じゃあきっとその女神様だよ」
さすがはじいちゃんだ。よく知っている。
「そうだな。おまえがいつもちゃんと神社で手を合わせてご挨拶するから、子どもなのに感心だなぁと様子を見に来られたのかもしれんぞ」
「そうなのかな? だったらちゃんと挨拶すればよかった」
「そうだな、今度会ったらぜひ挨拶せえ」
とびきり嬉しかったけど、母さんに話したら、ばかなことをいうなと叱られそうだから黙っていることにして、じいちゃんにも母さんには言わないでと頼んだ。
「淳子さんは神様とかあんまり大事にしてないからなあ」
じいちゃんは、母さんにも誰にも言わないと約束してくれた。
それから何度も神社に行ったけど、それ以来一度も女神様を見ることはできなかった。
そうして、ある寒い朝、じいちゃんが倒れてしまった。
それきり神社に行くこともなくなった。
旭川の病院に入院しているので、じいちゃんに会うことができずに半年くらいたったころ、病院から電話が来た。
母さんは慌てて父さんに電話をかけて、そのあと私と弟の叶海を叔母さんのところに預けて、二人で旭川に行ってしまった。
叔母さんは、
「あんたんとこのじいちゃん、相当あぶないみたいね」と、明日の天気のことでも話すように、淡々と伝えてきた。
「あぶないってなあに? 」
小学校一年生の叶海が聞きかえすと、叔母さんはさあねと言ったきり、ちゃんと説明してくれなかった。
でも私にはじいちゃんがあぶないの意味がわかってしまった。
「そんなの嫌だ」
私はそう叫ぶと、叔母さんの家を飛び出し、神社へ走った。
ずっと神社に行けていなかったから、きっと女神様が怒っているんだ。
じいちゃんは病気で来たくても来れないって、ちゃんと伝えなくちゃ。
それだけを考えて必死に走った。
比布神社に駆け込み、お社の前で鈴を鳴らして、必死に祈った。
じいちゃんは病気で来れません。
私は元気だったのに、じいちゃんが病気になってから一度も来れなくてごめんなさい。
でも、じいちゃんは悪くありません。
だからもし怒っているのなら、じいちゃんのこと許してあげてください。
どうか、どうか、じいちゃんを死なせないでください。
声に出してそう言ったら、悲しくて涙が溢れてきた。
じいちゃんを死なせないでください。
じいちゃんを、死なせないで、ください。
そのまましゃがみ込んで泣いてしまった。
急に暖かな空気に包まれた気がして顔を上げると、夕陽のように優しい赤い光が、私の周りを囲んでいた。
見上げる先に女神様が見えたわけではないけれど、女神様が光で包んでくれていると思った。
心が落ち着いたので叔母さんのところに戻ると、勝手に出て行ったことを叱られた。それから、じいちゃんの容態が悪かったのだけれど、とりあえず落ち着いたから母さんたちは戻ってくると電話があったと教えてくれた。
やっぱりあれは女神様だったのだと思った。
それから少しして、じいちゃんの容態が落ち着いたから家に戻ってくることになった。じいちゃんがどうしても家に帰りたいとお医者さんに頼んだからだと父さんが言っていた。
私はまたじいちゃんと一緒に神社に行けると楽しみに待っていた。
だけど帰ってきたじいちゃんは、自分の力で立つこともできなくなっていた。骨みたいに細くなった腕には血管が浮き上がっていた。じいちゃんは震える手を伸ばして、布団のそばに座っていた私の頭をそっと撫でてくれた。
私は悲しくてボロボロ泣いた。
じいちゃんは、聞こえるか聞こえないかの小さなかすれた声で、ごめんなあと謝った。
何を謝っているのかわからなかったし、何でこんなに悲しいのかわからなかったけれど、じいちゃんが寝ている布団の上につっぷして、わーっと泣いてしまった。
母さんに引き離されて、これからはあまりじいちゃんの寝ている部屋に行くなと言われてしまった。
それからわずか三日後にじいちゃんが死んだ。
もう助からないから家に帰って死にたいとじいちゃんが言っていたと、お葬式の時に母さんが親戚に話しているのを聞いた。
しばらくは悲しい気持ちさえわかず、じいちゃんにただ会いたかった。
当分神社に行くなと父さんに言われて、それっきり神社に行くのをやめた。
あれから十年以上たつ。
私は今日二十歳になる。
成人のご挨拶に神社に行こうと思い立ち、久しぶりにお参りに来た。
子どもの頃に走り回っていた参道をゆっくり歩く。
こんなにも美しい花が咲いていたことにあの頃は気が付かなかった。
赤い岩にも本殿にも、女神様はいなかった。
やはりあれは幻だったのかな。
帰ろうとふと見ると、道祖神の石像が目に入った。
まるで吸い寄せられるようにその前に立ち、手を合わせる。
「じいちゃん、それから、生まれる前に死んじゃったばあちゃん、私ね、大きくなったよ。もう大人になったんだよ」
と言葉をかけた。
すると突然涙が溢れて止まらなくなり、あの時と同じようにしゃがみこんで泣いてしまった。
じいちゃんはお墓じゃなくて、ここにいるような気がして、ばあちゃんと二人でニコニコしながらここで私のことを見守っているような気がして。
その優しい思いに久しぶりに触れたような気がして私は泣いた。
再び顔を上げると、赤い光はなかったけれど、太陽の光がそこかしこに反射して、世界がとても光って見えた。
「じいちゃん、ばあちゃん、また来るね」
そう告げて私はもと来た道を戻っていった。
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