小さな死神と老いた魔術師

樫吾春樹

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第二章 共に過ごした二つの刻

第十五話

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 戦争が始まって、ひと月が過ぎた。いまだ私のところには、コトリからの連絡は何も来ていない。彼女のいない生活にはまだ慣れないもので、随分と頼り切ってしまっていたのだなと考えさせられた。コトリが帰ってくるまでには、ある程度できるようにしておかないと笑われてしまうだろうか。そんなことを思いながら私は、一人分に減った朝食を作る。

「コトリ…… 元気でやっているだろうか……」

 朝食を食べ終え、ぼんやりとしながら考えるのはいつも同じ事。彼女の健康と無事、そんなことばかりだった。だが、そんな平穏な日常も長くは続かなかった。

「エリックさん! いますか、エリックさん!」

 静かな家の中に鳴り響くのは、乱暴に扉を叩く音。そして聞こえてきたのは、慌てたように私の名前を叫ぶ声。声の主を確かめようとドアを開けると、ジャックがドアの向こうに息を切らしながら立っていた。

「どうした!」
「エリックさん、逃げてください! この街ももうすぐ、争いに巻き込まれてしまいます。どうか、今のうちに!」
「いや、私はこの家からは出ない。悪いが君だけでも逃げてくれ」
「だけど!」

 彼はコトリを連れていった後に、私のいるこの家を守ってくれていた。一緒に過ごすことは無かったが、彼はいつも近くで見守ってくれていた。彼女との約束を守るために、ここに来てはいつも気にかけてくれていた。

「さあ、早く行くと良い。私は大丈夫だ」
「エリックさん……」
「早くしないと、ここも直に火の海になって逃げられなくなるぞ」
「……わかりました」

 そう言って去っていく彼の後姿を見送り、私は家の中心へと向かった。家の地下深くに眠るのは、自然界の巨大な魔力の炉心庫。そこにアクセスできれば、この街の地下にも続いているので結界を構成することはできるだろう。ただし結界を作るには、ここ以外に五カ所の炉心庫にアクセスする必要がある。そして最後に、街の中心にある時計塔が心臓部となる。そこまでやって、街全体を守る巨大な結界が完成する。

「上手くいくといいんだが…」

 呟きながら私は床を開けて地下へと続く階段を進み、一つ目の炉心庫へと向かう。急いで行わないと、ここも火の海となって飲み込まれてしまうだろう。そうなってしまう前に、結界を完成させなければ。焦る気持ちが歩みを速めていき、気づけば炉心庫に辿り着いていた。そこには巨大な水晶が静かに佇み、青みを帯びた光を僅かに発していた。

「始めるか……」

 呪文を唱え魔法陣を翳すと応えるように水晶の光が強くなり、地面に紋様が浮かび上がってきた。

「まずは一カ所」

 成功を喜んでいる暇はなく、他の水晶のある場所を特殊な地図で確認していた。残りは五カ所。そして、残された時間はそんなに多くないはず。どうか、間に合ってくれ。そう祈りながら、私は足早にその場から立ち去った。

 一つ目の水晶を起動させて二か所目に向かう途中、森の動物達の様子がおかしいのを見かけた。どうやら彼らは、もうすぐここにも戦争の影響が来るを察知して、一足先に安全な場所へ移動していたのだろう。こういった時の場合、動物は人間より賢いと思う。そうでなくては、危険が多い自然の世界では生き残ることはできないだろう。

「急ごう。そうしないと間に合わなくなってしまう」

 焦る気持ちを追いかけるように歩幅は広がり、次の場所へと向かう歩みが自然と駆け足になる。過ぎていく風景を気に留めず、気づけば私は走っていた。ふと、頬に当たる風が先ほどより温かいことに気づいて一度足を止めた。

「そうか…… ここ一帯は火の属性の魔力が多いらしいな」

 周りにあふれる魔力を感じ、ぽつりと呟く。この世界では、魔法自体はそんなに発達していないが、魔力はかなりある。だが、誰も使わないせいで魔力が大自然に溢れていて、こうして肌で感じ取ることができるほど濃い場所もある。しかし、ここまで濃いと近くに目的の場所があるに違いないと思うのだが。

「どこか洞窟のような場所は……」

 周囲を見渡しながら、魔力が更に濃いところを探していく。慣れていない人間がここにいれば、多すぎる魔力に酔ってしまい最悪の場合倒れてしまう。そして、こんな森の中で倒れたら、無事では済まないだろう。魔力を探っていると、視線の先に小さな洞窟を見つけた。そこからかなり濃い魔力が流れてくるのを感じとり、私は洞窟へと向かって歩き出した。入口に辿り着くと、そこは人間が一人やっと通れるくらいの広さしかなく、これは大変になりそうだと思った。

「きっとこの奥に水晶があるのだろう」

 更に温かい空気が出てくる洞窟の中を私は狭い思いをしながら進んでいき、しばらく進んでいくと開けた場所に出てその中心に水晶が佇んでいた。天井にでも穴が開いているのだろうか。日の光が上から射し込み、水晶がキラキラと暖かな色に輝いていた。

「始めよう」

 見惚れていた私は、ハッと我に返りここに来た目的を果たすために呪文を唱え始めた。術に反応するように水晶に光は強くなり、地面には紋様が現れた。

「これで二つ目。残りは四カ所か……」

 洞窟を抜け出し北の方角へと進んでいると、一匹の見慣れない蝶が私の方へと飛んできた。

「師匠、何でまだ逃げてないのですか!」

 飛んでいる蝶から聞こえてきたのは、懐かしいコトリの声だった。

「コトリか、元気だったか? これは使い魔か何かか?」
「元気ですよ。それは、私の使い魔で…… じゃなくて! 何でまだ、その街にいるんですか!」
「まだ少しやることがあってな」
「そんなことしてたら、すぐにそっちに戦争の炎が行ってしまいますよ!」
「大丈夫だよ、すぐに終わるさ」
「またそんなこと言って…… わかりましたから、三日間でに何とかしてくださいね? それ以上は私でも無理ですから!」

 それだけ言い残して、蝶は飛び去って行った。あと三日。それまでに、結界を発動させなければこの街は火の海に包まれる。急がなければ。
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