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第六話 相談事
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「お疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね」
夕飯を手に部屋まで送ってくれたエウフェリオが柔らかな物腰で差し出してきた木盆を受け取ったオリンドは、安堵の表情で礼を言った。
疲れただろうから体力馬鹿のアレグとは別に食事を摂るといい。という提案を受けて一もニも無く頷いたのだ。彼らはさすがの器といったところか、柔らかに受け止めて優しく返してくれる態度に確かに解れはするものの、いっそときめき過ぎるほどで、それに正直なところ人見知りから来る緊張と第九階層でのアレが激しい疲労を招いていたために、今すぐにでも寝てしまいたかった。
「あ、ありが、ありがとう。……お、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
木盆で手が塞がったオリンドの代わりにドアノブを取ったエウフェリオを、扉が閉まるまで見送ってから客間のソファに腰を降ろした。一人きりで暖かな食事を一口頬張るとゆるゆると緊張が解けていく。
「ふは……美味い……」
あの後、気絶から醒めたらすでにこの拠点に運び込まれていた。依頼完了の手続きなどはすでに済ませてくれたらしい。依頼料とダンジョンでの取得物とを渡されそうになって、慌てて折半の依頼料だけでいいと断ると、何だかものすごく目を丸くされた。それでも一拍のあとには優しい笑みで受け取ってもらえてほっとした。少しでもお礼になったならいいのだけど。と、考えながらスープを啜る。
突然の勧誘には心臓が飛び出るかと思うほど驚いたけれど、強引なことは何一つされなかった。残りの依頼も日数のあることだし後日に回そうと提案してくれた。きっと何もかも自信をつけさせようとしてくれる彼らの心遣いなのだろうとオリンドは考えた。その優しさがすごくありがたくて、今もこうして気を遣ってもらえることが切なくなるほど嬉しくて、申し訳ない。
「……ごちそうさまでした」
食事をすっかり平らげる頃には涙が滲み始めていた。覚束ない手で食器をまとめ、ソファについた砂や埃を丁寧に払ってから、衣服を壁に掛けたオリンドはベッドに潜り込む。後から後から溢れる涙は眠りにつくまで止まりそうもなかった。
一方、客間を辞したエウフェリオは一階の食堂へ向かっていた。そこではアレグたちが揃って先に夕食を摂り始めている。
「どうだった? 落ち着いたか?」
待っていたように声を掛けてきたアレグに、少しは大丈夫そうになっていましたよと返しながら椅子に座ると、ウェンシェスランが料理をつけた皿を差し出してくる。
「ねえ、リンちゃんってちょっと怯えすぎじゃない? あんなに始終おどおどビクビクして……。それに依頼料だって取得物のことだって、無欲なんてもんじゃ無いわ。いっそ捧げ物みたいな態度でさ。あんな能力持ってておかしいじゃない。……そりゃあ、言っても探査スキルだしって、あたしたちも最初は考えちゃったけど……。絶対に過去に何かあるでしょ。何か聞いてないの?」
聞かれた内容にフォークを取った手を止めて、エウフェリオはじっと料理の皿越しに虚空を見詰める。
「……ええ。聞きはしましたが……本人の了承も得ずに言えるような話ではありません」
テーブルにフォークを置き直して言うその表情が、何より雄弁に語っていた。オリンドには厳しく辛い過去があるのだと。
「あんたがそんな顔するなんて珍しいじゃない。よっぽどなのね」
重いため息と共に零された言葉には頷くしかない。あの時フィカス森でオリンドから聞いた内容は、ここ二日間観察した限りの彼の性格から考えると、過多に掻い摘まれていることだろう。それを加味すれば壮絶と言っても過言では無さそうだ。
「……そうですね。あの段階で留まっているのは、おそらく彼が元来人好きで我慢強く、自分の痛みに無頓着だからだろうと思いますよ」
「そんなに……?」
悲痛な顔を見せるウェンシェスランに、それでも自死を選ぶほどに至ったという事実は伏せ、胃の腑の煮える思いでエウフェリオは頷く。
「なら、なおさら早いとこ仲間に迎え入れたいところだけどな……。あの自己肯定感の無さでは返って辛そうだ」
「っ、なんでそうなるんだよ! そりゃまだほとんど一日しか見てないけどさ、ずっとあんなに寂しそうじゃんかよ! それに誘った時ちょっとは嬉しそうだっただろ!? すげえ能力だって持ってんだし……!」
イドリックの言にたまりかねたようにアレグがテーブルを叩いた。泣き出しそうな声になっているのは気のせいでは無い。
「そう。そうねアルちゃん。……見てるこっちが辛いわよね。でも、あんなに混乱して不安がってたのよ。あの様子じゃたぶん人間不信にだって陥ってると思うの。なら、今強引に誘っても追い詰めちゃうわ」
席を立ったウェンシェスランはアレグの背後に回ると、そっと彼の頭を抱き込んだ。腕の中で小さな嗚咽が上がり始め、肌に熱い涙の感触がひとつふたつ溢れる。時として過ぎるほど他人に感情移入するのはアレグの強みでもあり弱みでもあった。初対面だろうと構わずこれだけ他人を想える彼だからこそ聖剣も応えたのだろうが。しかし、今はよろしくない。
「オリンドのことを思うなら、少しずつ慣れてもらって、彼がもっと心を開いてくれた時に誘うべきでしょうね」
喉に詰まる暗い塊を飲み込んで、アレグを宥める声色でエウフェリオは結論付けた。
「そうだな。それがいいだろう。……クラッスラの上級階層なら、俺たちが食うに困らん程度の依頼は転がってるだろうし、オリンドが慣れてくれるまで一年でも二年でもたっぷり時間を掛けたって良いんじゃないか?」
イドリックに頭を撫でられるに至って、ようやく落ち着きを取り戻したアレグはウェンシェスランの腕の中で鼻を啜り上げた。
「……おっさん、懐いてくれるかなあ……」
なんという物言いか。やにわに緩んだ空気に押されて三人が吹き出した。
「くっくっ……。ええ。ええ、そうですね。懐いてくれるといいですね。どうにも一途なようですから、心を開いてくれたらガラリと変わってくださると思いますよ」
「ははは、そうだな。しかもかなり純粋そうだ。……子犬みたいになるんじゃないか?」
「あっはっは! ちょっとやめてよう、あんなに可愛いんだもん想像余裕じゃないの!」
「……ふへ……えへへ。……なんか放っておけねえよな、あの人」
「あら、だめよ。向こうから寄ってきてくれるまで抱っこしないのが子猫ちゃんに対する鉄則なんだから」
「子猫!!」
大の大人を捕まえて子猫って言った! おねえさますげえ! 腹を抱えて笑って、滲んだ涙を指先で拭う。そうして、ようやく食事を再開する気分まで回復した。
「ベル、すみませんが温め直してもらっても良いですか?」
エウフェリオは会話の邪魔をしないようにとの配慮からか奥のほうの廊下を掃除していたハウスキープゴーレム、アルベロスパツィアレを呼んだ。冷えた料理を温め直してもらって、いつもよりゆっくりと頂く。明日はオリンドの好きに過ごしてもらおう。そう約束し合ってからその夜はお開きになった。
翌朝、起き出してきたオリンドに早速エウフェリオが切り出す。
「オリンド。残りの依頼なんですが、幸い期限もたっぷりとあることですし、貴方の体調に合わせてこなしていくことにしましょう」
「……えっ……」
それをどう受け取ったものか、齧りかけの黒パンをじっと見詰めたオリンドは、小さく「うん」と頷き、パンをシチューに浸してもそもそと食べ出す。その顔色は悪く、疲労の影が濃い。
これは是非とも休んでもらわねば。場合によっては整体師なり呼んで整えてもらうべきか、いや人と触れ合うことが緊張に繋がるのだから一人で好きに過ごしてもらうほうが良いだろうか。などと片隅で考えながら観察していると、食事を終えたオリンドはご馳走様の挨拶もそこそこに食器を重ねて流しへ出し、髪など撫で付け身繕いをする風でそそくさと客間へ向かいかける。
「……えっ? あ、ちょっとオリンド……!」
貴方まさか今から準備して行く気か。
やけに慌ただしい姿に、一拍遅れて思惑に気付いたエウフェリオは廊下の途中でまさに階段を登ろうとしているところを捕まえた。
「待ちなさい待ちなさい。昨日の今日でしょう。体を休めたほうが良いのでは?」
「えっ……だって、それじゃ……」
俺のせいで予定が遅れてしまう。小さく漏れた言葉に胸が締め付けられた。
「まさか。……ねえ、オリンド。私たちも先日帰還したばかりですし、次への備えも必要ですから、この拠点には一、二年ほど留まるつもりなんです」
「い、一、二年……」
「ええ、そう。それで、今は勘が鈍らないよう、そこそこの依頼を受けつつ、……そうですね、ひと月くらいは羽も伸ばしたいところなんですよ。ですから、そう慌てないで」
慌てない……。口の中で小さく反芻したオリンドは自分の焦り具合に気付き、たちまち赤くなってしゃがみ込んだ。
「おや可愛い。……ふふ。張り切ってくださるのは嬉しいですけれど、冒険者たるもの、休養して体調を整えるのも大事ですよ」
「…………えっ……あ……う、うん……」
……えっ? あれ……いま、かわいい、て、言っ……? いやいやいやいや無い無い無い無い! 聞き間違いにも程があるぞ俺!! こんなしょぼくれたおっさんに賢者様が可愛いとか思うはずないだろう!?
ありえない形容詞に空耳したとオリンドは床を凝視した。今日もアルベロスパツィアレが綺麗に磨き上げている。わあすごいちりひとつおちてない。などと現実逃避を始める頭の、その切りっぱなしで不揃いの髪をくしゃりと撫でたエウフェリオはそれじゃあ今日は体を休めてくださいね。と言い置いて自室へ戻っていった。
「あう……わ」
あ、あたま、頭撫でられた。良かった昨日恐れ多くもお湯貰って半年ぶりに洗えといて良かった。いや良くない賢者様が俺なんかの頭撫で……ええええ? なにこれおれしぬの? 今日が俺の命日? ……やう、や、やばい。くらくらしてきた。……お言葉に甘えて、部屋にいさせてもらおう……。
それはもう、ようやくといった体で立ち上がり、一段一段確かめるように登ってオリンドは客間のほうへ歩いていった。
「……っひゃ~……」
その後ろ姿を曲がり角の影から見送る人物がいた。ウェンシェスランだ。
「やだ、なにあれなにあれ。フェリちゃんたら、リンちゃんにあんな顔しちゃうの? んっもう、あたしたちの前と全然声色違うじゃない、あれは随分とご執心ね……」
やだわ。くっつけたいわ。おや可愛いだなんて、あれ絶対に無意識で本音が漏れたんだわ。ふふふふそうよねリンちゃんたらフェリちゃんの好みど真ん中だものね。てかリンちゃんノンケかと思いきや、あの反応ってことは完全に脈アリじゃないの。ええ~……わくわくしちゃう……。うふ……どゅふふふふふふ……。
壁の角に手をついて、腰をふりふりほくそ笑むその姿を、ほど近い遠くから目を眇めて眺める人物がいた。イドリックだ。
あれは、また悪い癖を出しているな? 全く。いつもフェリをそこらの男とくっつけようとしちゃ失敗してるだろうに。……ああ、いやしかし。もしオリンドにもその気があって上手くいったなら……。あの性格では確かにフェリと一緒になるのが幸せへの道かも知れんな。なにしろフェリは気が利くし周りをよく見ている。物腰柔らかに押しが強いし……ふむ。……いいんじゃないか……?
まるで妹か姪っ子にでも思うようなことを考えながら、柱の影で背後をうかがうその姿を、アレグはなんか知らんけど楽しそうで何より。と、朝食のシチュー片手に食堂から眺めた。
「にしてもほんと、昨日のおっさんすごかったなあ。なのに今まで苦労してきたらしいし、……なんか力になれねえかなあ……」
言っても俺にできることなんて戦闘くらいしか無いか。ああ~。おっさん早く仲間になってくれないかなあ。そしたら上級ダンジョンでもどこでも、竜だって蹴散らして連れてくのに。さすがに竜はまだ一回しか倒したこと無いけど。
昨夜の今朝で頭を過ぎることといったらオリンドのことばかりだ。性格のことや過去のことばかりではない。本気を出したらどこまで探査できるのだろう。とか、他の探査スキル持ちとは何がどう違ってあんなサーチができるんだろう。など、興味は尽きない。
単純に考えて魔力量だろうか。それとも、使い方? ……次の依頼で機会があったら聞いてみよう。
思考にそうケリを付けてアレグが立ち上がるのと、てめぇ十時も過ぎたってのにまだ食堂に居やがるのか。という黒っぽい魔素の気を纏ったアルベロスパツィアレが殴り込んでくるのはほぼ同時だった。
「……あ」
食堂出入り口のウッドビーズカーテンごとアレグが廊下の端まで吹っ飛ばされるのは、休養日に割とまま見られる風物詩であった。
夕飯を手に部屋まで送ってくれたエウフェリオが柔らかな物腰で差し出してきた木盆を受け取ったオリンドは、安堵の表情で礼を言った。
疲れただろうから体力馬鹿のアレグとは別に食事を摂るといい。という提案を受けて一もニも無く頷いたのだ。彼らはさすがの器といったところか、柔らかに受け止めて優しく返してくれる態度に確かに解れはするものの、いっそときめき過ぎるほどで、それに正直なところ人見知りから来る緊張と第九階層でのアレが激しい疲労を招いていたために、今すぐにでも寝てしまいたかった。
「あ、ありが、ありがとう。……お、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
木盆で手が塞がったオリンドの代わりにドアノブを取ったエウフェリオを、扉が閉まるまで見送ってから客間のソファに腰を降ろした。一人きりで暖かな食事を一口頬張るとゆるゆると緊張が解けていく。
「ふは……美味い……」
あの後、気絶から醒めたらすでにこの拠点に運び込まれていた。依頼完了の手続きなどはすでに済ませてくれたらしい。依頼料とダンジョンでの取得物とを渡されそうになって、慌てて折半の依頼料だけでいいと断ると、何だかものすごく目を丸くされた。それでも一拍のあとには優しい笑みで受け取ってもらえてほっとした。少しでもお礼になったならいいのだけど。と、考えながらスープを啜る。
突然の勧誘には心臓が飛び出るかと思うほど驚いたけれど、強引なことは何一つされなかった。残りの依頼も日数のあることだし後日に回そうと提案してくれた。きっと何もかも自信をつけさせようとしてくれる彼らの心遣いなのだろうとオリンドは考えた。その優しさがすごくありがたくて、今もこうして気を遣ってもらえることが切なくなるほど嬉しくて、申し訳ない。
「……ごちそうさまでした」
食事をすっかり平らげる頃には涙が滲み始めていた。覚束ない手で食器をまとめ、ソファについた砂や埃を丁寧に払ってから、衣服を壁に掛けたオリンドはベッドに潜り込む。後から後から溢れる涙は眠りにつくまで止まりそうもなかった。
一方、客間を辞したエウフェリオは一階の食堂へ向かっていた。そこではアレグたちが揃って先に夕食を摂り始めている。
「どうだった? 落ち着いたか?」
待っていたように声を掛けてきたアレグに、少しは大丈夫そうになっていましたよと返しながら椅子に座ると、ウェンシェスランが料理をつけた皿を差し出してくる。
「ねえ、リンちゃんってちょっと怯えすぎじゃない? あんなに始終おどおどビクビクして……。それに依頼料だって取得物のことだって、無欲なんてもんじゃ無いわ。いっそ捧げ物みたいな態度でさ。あんな能力持ってておかしいじゃない。……そりゃあ、言っても探査スキルだしって、あたしたちも最初は考えちゃったけど……。絶対に過去に何かあるでしょ。何か聞いてないの?」
聞かれた内容にフォークを取った手を止めて、エウフェリオはじっと料理の皿越しに虚空を見詰める。
「……ええ。聞きはしましたが……本人の了承も得ずに言えるような話ではありません」
テーブルにフォークを置き直して言うその表情が、何より雄弁に語っていた。オリンドには厳しく辛い過去があるのだと。
「あんたがそんな顔するなんて珍しいじゃない。よっぽどなのね」
重いため息と共に零された言葉には頷くしかない。あの時フィカス森でオリンドから聞いた内容は、ここ二日間観察した限りの彼の性格から考えると、過多に掻い摘まれていることだろう。それを加味すれば壮絶と言っても過言では無さそうだ。
「……そうですね。あの段階で留まっているのは、おそらく彼が元来人好きで我慢強く、自分の痛みに無頓着だからだろうと思いますよ」
「そんなに……?」
悲痛な顔を見せるウェンシェスランに、それでも自死を選ぶほどに至ったという事実は伏せ、胃の腑の煮える思いでエウフェリオは頷く。
「なら、なおさら早いとこ仲間に迎え入れたいところだけどな……。あの自己肯定感の無さでは返って辛そうだ」
「っ、なんでそうなるんだよ! そりゃまだほとんど一日しか見てないけどさ、ずっとあんなに寂しそうじゃんかよ! それに誘った時ちょっとは嬉しそうだっただろ!? すげえ能力だって持ってんだし……!」
イドリックの言にたまりかねたようにアレグがテーブルを叩いた。泣き出しそうな声になっているのは気のせいでは無い。
「そう。そうねアルちゃん。……見てるこっちが辛いわよね。でも、あんなに混乱して不安がってたのよ。あの様子じゃたぶん人間不信にだって陥ってると思うの。なら、今強引に誘っても追い詰めちゃうわ」
席を立ったウェンシェスランはアレグの背後に回ると、そっと彼の頭を抱き込んだ。腕の中で小さな嗚咽が上がり始め、肌に熱い涙の感触がひとつふたつ溢れる。時として過ぎるほど他人に感情移入するのはアレグの強みでもあり弱みでもあった。初対面だろうと構わずこれだけ他人を想える彼だからこそ聖剣も応えたのだろうが。しかし、今はよろしくない。
「オリンドのことを思うなら、少しずつ慣れてもらって、彼がもっと心を開いてくれた時に誘うべきでしょうね」
喉に詰まる暗い塊を飲み込んで、アレグを宥める声色でエウフェリオは結論付けた。
「そうだな。それがいいだろう。……クラッスラの上級階層なら、俺たちが食うに困らん程度の依頼は転がってるだろうし、オリンドが慣れてくれるまで一年でも二年でもたっぷり時間を掛けたって良いんじゃないか?」
イドリックに頭を撫でられるに至って、ようやく落ち着きを取り戻したアレグはウェンシェスランの腕の中で鼻を啜り上げた。
「……おっさん、懐いてくれるかなあ……」
なんという物言いか。やにわに緩んだ空気に押されて三人が吹き出した。
「くっくっ……。ええ。ええ、そうですね。懐いてくれるといいですね。どうにも一途なようですから、心を開いてくれたらガラリと変わってくださると思いますよ」
「ははは、そうだな。しかもかなり純粋そうだ。……子犬みたいになるんじゃないか?」
「あっはっは! ちょっとやめてよう、あんなに可愛いんだもん想像余裕じゃないの!」
「……ふへ……えへへ。……なんか放っておけねえよな、あの人」
「あら、だめよ。向こうから寄ってきてくれるまで抱っこしないのが子猫ちゃんに対する鉄則なんだから」
「子猫!!」
大の大人を捕まえて子猫って言った! おねえさますげえ! 腹を抱えて笑って、滲んだ涙を指先で拭う。そうして、ようやく食事を再開する気分まで回復した。
「ベル、すみませんが温め直してもらっても良いですか?」
エウフェリオは会話の邪魔をしないようにとの配慮からか奥のほうの廊下を掃除していたハウスキープゴーレム、アルベロスパツィアレを呼んだ。冷えた料理を温め直してもらって、いつもよりゆっくりと頂く。明日はオリンドの好きに過ごしてもらおう。そう約束し合ってからその夜はお開きになった。
翌朝、起き出してきたオリンドに早速エウフェリオが切り出す。
「オリンド。残りの依頼なんですが、幸い期限もたっぷりとあることですし、貴方の体調に合わせてこなしていくことにしましょう」
「……えっ……」
それをどう受け取ったものか、齧りかけの黒パンをじっと見詰めたオリンドは、小さく「うん」と頷き、パンをシチューに浸してもそもそと食べ出す。その顔色は悪く、疲労の影が濃い。
これは是非とも休んでもらわねば。場合によっては整体師なり呼んで整えてもらうべきか、いや人と触れ合うことが緊張に繋がるのだから一人で好きに過ごしてもらうほうが良いだろうか。などと片隅で考えながら観察していると、食事を終えたオリンドはご馳走様の挨拶もそこそこに食器を重ねて流しへ出し、髪など撫で付け身繕いをする風でそそくさと客間へ向かいかける。
「……えっ? あ、ちょっとオリンド……!」
貴方まさか今から準備して行く気か。
やけに慌ただしい姿に、一拍遅れて思惑に気付いたエウフェリオは廊下の途中でまさに階段を登ろうとしているところを捕まえた。
「待ちなさい待ちなさい。昨日の今日でしょう。体を休めたほうが良いのでは?」
「えっ……だって、それじゃ……」
俺のせいで予定が遅れてしまう。小さく漏れた言葉に胸が締め付けられた。
「まさか。……ねえ、オリンド。私たちも先日帰還したばかりですし、次への備えも必要ですから、この拠点には一、二年ほど留まるつもりなんです」
「い、一、二年……」
「ええ、そう。それで、今は勘が鈍らないよう、そこそこの依頼を受けつつ、……そうですね、ひと月くらいは羽も伸ばしたいところなんですよ。ですから、そう慌てないで」
慌てない……。口の中で小さく反芻したオリンドは自分の焦り具合に気付き、たちまち赤くなってしゃがみ込んだ。
「おや可愛い。……ふふ。張り切ってくださるのは嬉しいですけれど、冒険者たるもの、休養して体調を整えるのも大事ですよ」
「…………えっ……あ……う、うん……」
……えっ? あれ……いま、かわいい、て、言っ……? いやいやいやいや無い無い無い無い! 聞き間違いにも程があるぞ俺!! こんなしょぼくれたおっさんに賢者様が可愛いとか思うはずないだろう!?
ありえない形容詞に空耳したとオリンドは床を凝視した。今日もアルベロスパツィアレが綺麗に磨き上げている。わあすごいちりひとつおちてない。などと現実逃避を始める頭の、その切りっぱなしで不揃いの髪をくしゃりと撫でたエウフェリオはそれじゃあ今日は体を休めてくださいね。と言い置いて自室へ戻っていった。
「あう……わ」
あ、あたま、頭撫でられた。良かった昨日恐れ多くもお湯貰って半年ぶりに洗えといて良かった。いや良くない賢者様が俺なんかの頭撫で……ええええ? なにこれおれしぬの? 今日が俺の命日? ……やう、や、やばい。くらくらしてきた。……お言葉に甘えて、部屋にいさせてもらおう……。
それはもう、ようやくといった体で立ち上がり、一段一段確かめるように登ってオリンドは客間のほうへ歩いていった。
「……っひゃ~……」
その後ろ姿を曲がり角の影から見送る人物がいた。ウェンシェスランだ。
「やだ、なにあれなにあれ。フェリちゃんたら、リンちゃんにあんな顔しちゃうの? んっもう、あたしたちの前と全然声色違うじゃない、あれは随分とご執心ね……」
やだわ。くっつけたいわ。おや可愛いだなんて、あれ絶対に無意識で本音が漏れたんだわ。ふふふふそうよねリンちゃんたらフェリちゃんの好みど真ん中だものね。てかリンちゃんノンケかと思いきや、あの反応ってことは完全に脈アリじゃないの。ええ~……わくわくしちゃう……。うふ……どゅふふふふふふ……。
壁の角に手をついて、腰をふりふりほくそ笑むその姿を、ほど近い遠くから目を眇めて眺める人物がいた。イドリックだ。
あれは、また悪い癖を出しているな? 全く。いつもフェリをそこらの男とくっつけようとしちゃ失敗してるだろうに。……ああ、いやしかし。もしオリンドにもその気があって上手くいったなら……。あの性格では確かにフェリと一緒になるのが幸せへの道かも知れんな。なにしろフェリは気が利くし周りをよく見ている。物腰柔らかに押しが強いし……ふむ。……いいんじゃないか……?
まるで妹か姪っ子にでも思うようなことを考えながら、柱の影で背後をうかがうその姿を、アレグはなんか知らんけど楽しそうで何より。と、朝食のシチュー片手に食堂から眺めた。
「にしてもほんと、昨日のおっさんすごかったなあ。なのに今まで苦労してきたらしいし、……なんか力になれねえかなあ……」
言っても俺にできることなんて戦闘くらいしか無いか。ああ~。おっさん早く仲間になってくれないかなあ。そしたら上級ダンジョンでもどこでも、竜だって蹴散らして連れてくのに。さすがに竜はまだ一回しか倒したこと無いけど。
昨夜の今朝で頭を過ぎることといったらオリンドのことばかりだ。性格のことや過去のことばかりではない。本気を出したらどこまで探査できるのだろう。とか、他の探査スキル持ちとは何がどう違ってあんなサーチができるんだろう。など、興味は尽きない。
単純に考えて魔力量だろうか。それとも、使い方? ……次の依頼で機会があったら聞いてみよう。
思考にそうケリを付けてアレグが立ち上がるのと、てめぇ十時も過ぎたってのにまだ食堂に居やがるのか。という黒っぽい魔素の気を纏ったアルベロスパツィアレが殴り込んでくるのはほぼ同時だった。
「……あ」
食堂出入り口のウッドビーズカーテンごとアレグが廊下の端まで吹っ飛ばされるのは、休養日に割とまま見られる風物詩であった。
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