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四話 いつだって忘れなかった、あの天狗
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山伏姿に黒い翼の生えた天狗は、素顔を晒していた。壮年の男の天狗で整えられた短い白髪は生真面目な印象を受ける。
以前、母に聞いた話をふと思い出した。天狗の社会で素顔を公共の場で晒すことができるのは、大天狗という一部の天狗のみだという。それらの天狗は別格の妖力を持つから戦いを避けなさいと教えられていた。
「白峰さま、我々に敵対の意思は無いと日頃から申しておりましょう」
母が大天狗を「白峰」と呼んだことから、名の知れた天狗なのだろう。
「その言葉を信じられないというのが、妖怪の総意だ」
白峰と呼ばれた大天狗は右手を真横にかざすと、岩塊のような特大剣が瞬時に現れた。地面に突きさしただけで、小さな振動を感じる重量は、まさに一撃必殺の武器に違いないのだろう。そんな重量の武器を持った天狗が一瞬で姿を消した。
次の瞬間、母の大声が轟いた。
「時貞ッ避けて!」
母は思わず父の名前で呼んでしまうほどに焦った表情をしていた。
そして、肉が切れる不快な音とともに、ビチャビチャと水音が聞こえてきた。左肘から先を失い、血を流す父の姿がそこにはあった。
「……っ! 何故、斬れる……俺は水に変化したはずだ」
「斬れるようになったから、今、お前たちの目の前にいるのだ」
私は居ても立ってもいられず父に駆け寄ろうという衝動に駆られたが、火に水をかけられたように一瞬で気持ちが消えてなくなってしまった。そこへ母が憑依を通じて話しかけてきた。
『絶対に変化を解いてはだめッ。葛だけは生きて』
憑依は感情すら制御する。私の浅はかな衝動を鎮めたのも母の力だった。
しかし、母はもう自分が死ぬことを覚悟していた。そのことに胸が締め付けられるような感覚がした。それでも私は身動きができずに事の趨勢を見守ることしかできなかった。
「憑依はできるのに……操れないなんて……」
母が見つめる先には白峰の姿だった。ついに、この瞬間が来てしまった。憑依を克服した生物の誕生。
「簡単な話だ。私は生物から”物体”に変わったのだ。憑依は生物を操る術。物体を操るのは我が主の権能である。次は命を取るぞ、時貞狐」
優勢な天狗に見物の妖怪たちは盛り上がりを見せてやじを飛ばしていた。
特大剣を向けられた父は、斬り落とされた自分の左腕を拾い上げると、大太刀へと変化させた。左腕を復元すると両手で持ち上段構えに白峰と対峙した。
父へ吸い込まれるように母は消えていき、父の黒い八本の尾に白い尾が一つ新たに生えた。母が父に憑依して援護をするこの形態こそ、両親の最大戦力であった。憑依の効かない相手なら、なおのこと母の妖力を支援に回す方が良い。
「この場においては、もう生ぬるいことは言えないな」
父が覚悟を決めた瞬間に、上段に構えた大太刀から白い狐火が、ぶわりと噴き出した。魚の調理に使う火力の弱く青い狐火ではなく、触れたもの全てを灰にする圧倒的火力を持つ、母の全力の支援だった。
「恐るべき力だ……九尾の妖狐、玉藻御前。その力に対抗するために私たちも全力を以て立ち向かうとしよう」
白峰は特大剣を目の前に掲げると、その周りを水滴が現れた。次いで、金の粒、土の塊、炎、木の葉が現れ、特大剣へ螺旋のように渦を巻きながら纏われた。
「お前たち家族は、この国全てを敵に回していたのだ。それが本意であろうと、なかろうとな……。ここに集いし妖怪と五行を操る五人の大天狗より力を託されている。この一撃を以て粛清は達成される……構えろ」
一対一の力なら、父も母も誰にも負けてはいなかった。
だが、いくら父と母の力の合算をしようとも、それ以外の妖怪の総力を相手では流石に及ばないのは火を見るよりも明らかであった。
憑依も効かず、変化した体すらも斬ることができる究極の一を用意することで、妖怪はついに妖狐を凌駕したのを認めるしかなかった。
ふと、母の声が聞こえてきた。
『葛……お母さんとお父さんは、ここまでみたい。でも他の妖怪を許してあげて。これはお母さんたちが説得しきれなかった報いなのです。葛にまで、その重責を負わせるつもりはなかったけど、結局なってしまいましたね。どうか……生きて……それがお母さんとお父さんの心からの願いです』
『守る方法は残しておく。また会えるから、その時まで生きていてほしい。他の妖怪との対話を諦めないでほしい。葛なら必ず成し遂げられる』
この期に及んでまで父は対話を目指す姿勢を崩さないことに私は苛立ちすら覚えた。
独りで生きるくらいなら、ここで共に斬られてしまいたかったが母は未だに私の衝動を押さえつけていた。
そして、大天狗の特大剣が振るわれた。妖怪の総意とも言える必滅の一撃に、父の体は無抵抗で袈裟切りにされ、体は斜めに滑り落ち真っ二つになった。鮮血の柱とともに、父の体は地面に崩れ落ちた。
母の感情の抑制が無くなったはずなのに、私は何も動こうとせず焦げた木片であるままで呆然としていた。
歓喜の声を上げる周囲の妖怪に対しても、何も心が動かなかった。
小鬼などの小妖怪が父の遺体に群がり始め、小鬼の鋭い牙が遺体に食い込んだ瞬間だった。父の遺体が黒い岩の塊に変わったのだ。岩に姿が変わるのと同時に、群がっていた小妖怪たちが次々と倒れていった。
「まだ生きているのか? いや……殺生石というやつか。皆の衆、この場を離れよ! 命を吸われるぞ。娘が一人いるはずだ。娘を探せ! 娘を殺した時に、真の安定は訪れる」
大天狗は指示を出すと、周囲の妖怪たちは散り散りに逃げて、いや……私を探しにいったのだろう。
殺生石のことまで知っているのか、と私は思わず呆れた。私たち妖狐は死ぬと殺生石という岩の塊になり、周囲の命を吸うようになり長い時間をかけて復活を目指す。そんなことまで、あの大天狗は知っていたなんて、私たち家族を殺すことに熱心で極まりない。「白峰」という名前の白髪の天狗。私は生涯あの姿、あの低い声を忘れないだろう。母は「許せ」と言ったが到底そんなこと考えられなかった。
妖怪たちは去っていき、一人残された白峰は父の遺体に近付いた。
「……亡骸までは辱めぬ。安定の礎になってくれたことに感謝する」
白峰は群がった小鬼の死体を全て遠くに放ると一礼して去っていった。一瞬、欠片も残さないように殺生石と化した父を破壊するのかと思った。
紳士的と言えばそうだが、だからと言って両親を殺したことに変わりはなく、再び怒りの炎が燃え盛るのが感じた。完全に誰もいなくなったことを確認すると、私は人型になり父の遺体に歩み寄っていった。
以前、母に聞いた話をふと思い出した。天狗の社会で素顔を公共の場で晒すことができるのは、大天狗という一部の天狗のみだという。それらの天狗は別格の妖力を持つから戦いを避けなさいと教えられていた。
「白峰さま、我々に敵対の意思は無いと日頃から申しておりましょう」
母が大天狗を「白峰」と呼んだことから、名の知れた天狗なのだろう。
「その言葉を信じられないというのが、妖怪の総意だ」
白峰と呼ばれた大天狗は右手を真横にかざすと、岩塊のような特大剣が瞬時に現れた。地面に突きさしただけで、小さな振動を感じる重量は、まさに一撃必殺の武器に違いないのだろう。そんな重量の武器を持った天狗が一瞬で姿を消した。
次の瞬間、母の大声が轟いた。
「時貞ッ避けて!」
母は思わず父の名前で呼んでしまうほどに焦った表情をしていた。
そして、肉が切れる不快な音とともに、ビチャビチャと水音が聞こえてきた。左肘から先を失い、血を流す父の姿がそこにはあった。
「……っ! 何故、斬れる……俺は水に変化したはずだ」
「斬れるようになったから、今、お前たちの目の前にいるのだ」
私は居ても立ってもいられず父に駆け寄ろうという衝動に駆られたが、火に水をかけられたように一瞬で気持ちが消えてなくなってしまった。そこへ母が憑依を通じて話しかけてきた。
『絶対に変化を解いてはだめッ。葛だけは生きて』
憑依は感情すら制御する。私の浅はかな衝動を鎮めたのも母の力だった。
しかし、母はもう自分が死ぬことを覚悟していた。そのことに胸が締め付けられるような感覚がした。それでも私は身動きができずに事の趨勢を見守ることしかできなかった。
「憑依はできるのに……操れないなんて……」
母が見つめる先には白峰の姿だった。ついに、この瞬間が来てしまった。憑依を克服した生物の誕生。
「簡単な話だ。私は生物から”物体”に変わったのだ。憑依は生物を操る術。物体を操るのは我が主の権能である。次は命を取るぞ、時貞狐」
優勢な天狗に見物の妖怪たちは盛り上がりを見せてやじを飛ばしていた。
特大剣を向けられた父は、斬り落とされた自分の左腕を拾い上げると、大太刀へと変化させた。左腕を復元すると両手で持ち上段構えに白峰と対峙した。
父へ吸い込まれるように母は消えていき、父の黒い八本の尾に白い尾が一つ新たに生えた。母が父に憑依して援護をするこの形態こそ、両親の最大戦力であった。憑依の効かない相手なら、なおのこと母の妖力を支援に回す方が良い。
「この場においては、もう生ぬるいことは言えないな」
父が覚悟を決めた瞬間に、上段に構えた大太刀から白い狐火が、ぶわりと噴き出した。魚の調理に使う火力の弱く青い狐火ではなく、触れたもの全てを灰にする圧倒的火力を持つ、母の全力の支援だった。
「恐るべき力だ……九尾の妖狐、玉藻御前。その力に対抗するために私たちも全力を以て立ち向かうとしよう」
白峰は特大剣を目の前に掲げると、その周りを水滴が現れた。次いで、金の粒、土の塊、炎、木の葉が現れ、特大剣へ螺旋のように渦を巻きながら纏われた。
「お前たち家族は、この国全てを敵に回していたのだ。それが本意であろうと、なかろうとな……。ここに集いし妖怪と五行を操る五人の大天狗より力を託されている。この一撃を以て粛清は達成される……構えろ」
一対一の力なら、父も母も誰にも負けてはいなかった。
だが、いくら父と母の力の合算をしようとも、それ以外の妖怪の総力を相手では流石に及ばないのは火を見るよりも明らかであった。
憑依も効かず、変化した体すらも斬ることができる究極の一を用意することで、妖怪はついに妖狐を凌駕したのを認めるしかなかった。
ふと、母の声が聞こえてきた。
『葛……お母さんとお父さんは、ここまでみたい。でも他の妖怪を許してあげて。これはお母さんたちが説得しきれなかった報いなのです。葛にまで、その重責を負わせるつもりはなかったけど、結局なってしまいましたね。どうか……生きて……それがお母さんとお父さんの心からの願いです』
『守る方法は残しておく。また会えるから、その時まで生きていてほしい。他の妖怪との対話を諦めないでほしい。葛なら必ず成し遂げられる』
この期に及んでまで父は対話を目指す姿勢を崩さないことに私は苛立ちすら覚えた。
独りで生きるくらいなら、ここで共に斬られてしまいたかったが母は未だに私の衝動を押さえつけていた。
そして、大天狗の特大剣が振るわれた。妖怪の総意とも言える必滅の一撃に、父の体は無抵抗で袈裟切りにされ、体は斜めに滑り落ち真っ二つになった。鮮血の柱とともに、父の体は地面に崩れ落ちた。
母の感情の抑制が無くなったはずなのに、私は何も動こうとせず焦げた木片であるままで呆然としていた。
歓喜の声を上げる周囲の妖怪に対しても、何も心が動かなかった。
小鬼などの小妖怪が父の遺体に群がり始め、小鬼の鋭い牙が遺体に食い込んだ瞬間だった。父の遺体が黒い岩の塊に変わったのだ。岩に姿が変わるのと同時に、群がっていた小妖怪たちが次々と倒れていった。
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大天狗は指示を出すと、周囲の妖怪たちは散り散りに逃げて、いや……私を探しにいったのだろう。
殺生石のことまで知っているのか、と私は思わず呆れた。私たち妖狐は死ぬと殺生石という岩の塊になり、周囲の命を吸うようになり長い時間をかけて復活を目指す。そんなことまで、あの大天狗は知っていたなんて、私たち家族を殺すことに熱心で極まりない。「白峰」という名前の白髪の天狗。私は生涯あの姿、あの低い声を忘れないだろう。母は「許せ」と言ったが到底そんなこと考えられなかった。
妖怪たちは去っていき、一人残された白峰は父の遺体に近付いた。
「……亡骸までは辱めぬ。安定の礎になってくれたことに感謝する」
白峰は群がった小鬼の死体を全て遠くに放ると一礼して去っていった。一瞬、欠片も残さないように殺生石と化した父を破壊するのかと思った。
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