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三十一話 もう独りになりたくなかった

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 背の低い草原を走っていた忍を見つけたので狩りに合流した。

「葛か。対話の方法を見つけられたか?」

「ええ、忍にも体験してもらおうと思って」

 私は忍の心象風景に、今度は予め広げた巻物を想像して、それを地面に置いた。見せたのは先程、伊世に見せたものと同様のものだった。

「おぉ、すごいな。洪水の日に葛が何をして何を考えていたか、追体験したぞ」

「よし、巻物を広げる時間も予め広げることで解決できたわ。これで、あとは狩りに専念するだけね。行きましょうか……ん?」

 私は腰の辺りに違和感があった。この違和感は尾が増えた時の感覚だ。

 妖狐の耳と尾を出してみると、やはり尾が四本に増えていたのである。

「これは……またお祝いを用意しないとだな」

「ううん。予言の刻限を乗り越えたらでいいわ」

 忍は「そうだな」と呟き、気持ちを狩りに切り替えたようだった。私も、もう一度鷹に変化すると上空から妖怪を探した。

 前日にほぼ周囲の妖怪を枯らしてしまったようで全然妖怪と遭遇することなかったので、大きく町から離れてみることにした。

 山中の森の中に入るとようやく妖怪に遭遇することができた。中型の鬼であった。憑依で向かわせる必要もないほど自分から忍の方へ向かっていき、忍は右薙ぎに一太刀で斬り捨ててられた。

 森が開けて小川が見えてきた。

 その時である。

 まるで空気の重さが変わったかのような錯覚を起こす圧倒的重圧を感じ、対岸に人影を見つけ視線をやると思わず目を疑った。黒い双翼に山伏姿の壮年の男がいた。

 白峰が立ってこちらを見ていたのである。

 すぐに私は忍に憑依して臨戦態勢に入った。小川を挟んで対岸に白峰はいたのだが、川のせせらぎすら聞こえなくなるほど感覚を尖らせている自分がいた。

「まったく、町民が妖怪を許容するなど予想外だ。玉藻の娘……お前の正体を告発すれば町民は追放する動きに出ると思ったのだがな」

 白峰は心底、不服そうにため息を吐いた。

「それは残念だったな。葛は充分に誠意を示した。追い出されることはない」

 忍は自分を鼓舞するかのように白峰へ挑戦的な物言いをしていた。

 白峰を恐れていた忍の姿はすっかりと消えてなくなっていた。

「ふん、誠意か……。いいか玉藻の娘。お前は成長してはならない。追放されないと言うのなら自分から町を出て独りでいろ」

 私は一瞬だけ白峰に憑依が出来るか確認していた。結果、母が言ったように憑依はできるが操れないというのは確かだった。今、対話のための記憶を巻物にすることへ意識を向けるのは危険な予感がしていた。

 私は憑依を使っての意思疎通をすることに留めておいた。

『私が従わなかったら……どうするのですか?』

「相応の対応をさせてもらう」

 いつも持っていた特大剣を見せないのは、今は戦う意思のないことを感じさせた。代わりに私と忍の力を観察することに注力している。冷徹な眼光は、忍に憑依して姿の見えないはずの私をも睨まれているような感覚がした。

『町の人間を危険に晒すのですか、それがあなたの言う安定に繋がるのですか?』

「わかっているではないか。私はこの国の安定を目指すためにしか動かない。たしかに伝えたからな」

 白峰は一瞬で姿を消した。

 すさまじい速さで、飛び去っていったのならまだわかる。

 だが、白峰は文字通り消えたのだ。

 まるで、さっきまで話していたのが夢だったかのような錯覚をしたが、履いていた高下駄の足跡が残っていることから夢ではなかったことを物語っていた。

 私は忍から憑依を解くと、緊張が解けて思わず大きなため息が出てしまった。一方の忍は笑いが零れることを抑えることができずに大きく笑い出した。

「はっはっは。本番前に一度対面できて良かった。もっと恐怖に打ちのめされてしまうのではないかと心配していたが、そんなことはなかった。今の俺なら、ちゃんと勝負になる。大丈夫だ、葛……。俺は戦える」

 忍の笑いからは侮りは感じられなかった。

 忍の心象風景を見てみると燻っていた木々に火が着いていた。しかし、まだ弱弱しい火であった。自信の現れなのだろうか。士気が上がることは喜ぶべきことだったが私は手放しに楽観できなかった。

「白峰の言葉、どう受け取るべきだと思う?」

「言葉に従ったら葛は手を出されずに生き延びるだろう。従わなかったら町民は皆殺しで君は独りになって生き延びる。俺はそうなると思うぞ」

 どちらを選んでも私が生き延びるというのは意外な見解だった。

 しかし、今さっきの白峰ですら私を殺そうとしなかった。明らかに私を生かしておくことが何か有用に働くことを示唆していたように思えた。

 それに加え『成長してはならない』という言葉である。生かしておきたいが成長して強くなられるのは困る。やはり、私は何かしらの理由で泳がされている。そんな思惑を感じずにはいられない。

「私、結局独りになってしまうの……」

「いいや、俺が隣にいる」
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