トイの青空

宝楓カチカ🌹

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玉ねぎのスープと林檎とサンドイッチ

163.



「ご当主は、この件を表沙汰にはしませんでした。もちろん教育係は社会的に殺されましたが。ソンリェン様は家を継ぐお方です。家の名誉に傷がつきますので、このことを知っているのはご本人と、私と、当時から屋敷にいた一部の使用人のみです」
「じゃあなんでオレに、それを話そうとしたの」
 ハイデンが飲み込んだ台詞を聞こうとしたのはトイだが、先にソンリェンの過去を話そうとしていたのはハイデンだ。
 プライドの高いソンリェンのことだ。きっとそんな過去なんて、誰にも知られぬよう手を回していたに違いない。それなのにハイデンはトイにそれを話した。
 ハイデンはソンリェンの言うことならなんでも聞き入れる男だろうに。
「オレから、同情を引くため?」
「──はい。その通りです。申し訳ございません」
 正直な答えだ。なんとなくそういった返答が返ってくるのだろうとは思っていた。
「だからといって、ソンリェン様のこれまでの愚行を見逃してよかったわけではありませんが」
「うん、その通りだと思う」
 自分がされたからと言って、それを他者の人権を踏みにじる理由にしてはいけない。
 ただ理解はした。ソンリェンが、今の彼である所以を。
「悪いんだけどさ……オレ、ソンリェンに同情したり、できない」
「はい、承知しております。あの方が今のようになっている理由は、そういった過去だけが理由ではありませんから。そもそものあの方の性格といいますか、気質の問題でもあります」
「ハイデンさんは、それでいいの」
「私が、勝手にお話しただけです。あなたの今のお体の具合やお気持ちを考えれば、こんなことを話す私の方がどうかしております。人間として」
「……ほんと正直だね、ハイデンさんって」
 ハイデンという男は、決して正しい人間というわけではないのだろう。
 だが、不思議と不愉快にはならなかった。
「……怒らないのですか」
「なんでハイデンさんに怒んなきゃなんねえの。オレが怒る相手は、ソンリェンだ」
 ハイデンはソンリェンに仕える使用人だ。それに、きっとソンリェンが一番重宝している人物だ。
「ハイデンさん、ソンリェンのこと大事なんだろ。小さい頃からあの人のこと見て来たんだよな」
 話を聞く限り、彼はソンリェンが7歳の頃から傍にいる。そんな二人であれば、トイには理解しえない何かしらの関係があるはずだ。
 トイだけは、怒りの矛先を間違えてはいけない。
「それがハイデンさんの本音なら、オレがとやかく言うことじゃ、ねえもん」
 ああいう人に誠心誠意を持って仕えるのは正直どうかと思うけど、という言葉は飲み込んだ。
「それにさ、車の中でハイデンさん、ソンリェンに注意しようとしてくれてただろ」
 ソンリェンに首を絞められてトイが苦しんでいる時に、ソンリェンを制止するために一声かけてくれたハイデンを思い出す。
「まだ、ありがとうって言ってなかったよね……あの時はありがとう」
 一瞬だったし結局助けては貰えなかったけれど、彼がソンリェンを諫めようとしてくれたことは事実だ。
「……口先だけです。あの方を止めることはしませんでした」
「知ってる。でも、止めようとしてくれたことは事実だから……ありがとう」
 本気で止めようと思っているのならば、どんな手を使ってでもソンリェンを止めようとしたはずだ。しかしハイデンはそうしなかった。
 ソンリェンの行動をろくに制さず、従っているこの家の価値観はトイの理解の及ばぬ世界だ。
 けれどもそんな世界の中で、一瞬であってもソンリェンを戒めようとしてくれたハイデンの行動は、とても大きなものだったのだと、思う。
「……あなたは」
 そう呟いたきり、ハイデンは暫く黙った。
「あなたは、とても生きづらい人ですね」
 ようやく口を開いたと思ったら、妙なことを言われて戸惑った。
「あなたは……ソンリェン様にはとても、勿体ない方ですね」
 少しだけ柔らかくなった声色に何も言えずに、口を噤む。
「あなたが、幼い頃のソンリェン様の傍にいらしたら変わっていたかもしれません。ソンリェン様も、この屋敷も」
「それは、ないと思う。だってオレ、孤児だもん」
「いいえ。あの方が見知らぬ誰かを屋敷に連れてくるのは初めてのことです。大事そうに、あなたを抱え上げていました」
「……そりゃ、オレ動けなかった、し」


 どうやったら変われる。
 どうすればお前がわかる。
 お前になら、犯されてもいい。


 ソンリェンの真剣な瞳が脳裏にちらついた。彼の真っすぐな瞳から見えてしまった覚悟をトイは激しく拒んでしまった。受け入れることがあまりにも苦しくて。
「あなたは、トマトがお嫌いですか」
「え?」
 唐突に変わった話題に目をぱちくりとさせる。ハイデンはスープの位置をトイの方へずらした。ちらりとカップの中を覗いてみると、ふんわりと香る湯気と胡椒の匂いが鼻をくすぐった。
 手に持ちやすいようにか、底の深いカップのため野菜は沈んでいてトマトが入っているのかは判別ができない。

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