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玉ねぎのスープと林檎とサンドイッチ
164.
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「ソンリェン様が厨房に、トマトは使うなと指示されていたので」
「なんのスープ、なの、これ」
「玉ねぎが入っています。そう指示されていました」
「……たまねぎ?」
「はい」
玉ねぎはトイが好きな野菜の一つだ。そしてトマトは、ハイデンに指摘された通り苦手な野菜だ。昔のことを思い出して気持ち悪くなってしまうのだ。
トマトのスープはロイズが好きで、よく床に這いつくばらされて舐めることを強要された。
あの光景をソンリェンは覚えていたのだろうか。いやそんなはずはない。
だってトイがされてきたことなんて8割方覚えてないと、彼は確かに言っていた。
「林檎のすりおろしも、ありますよ」
「りん、ご……?」
ハイデンが小さな皿をトイの目の前に持ってきた。ふわりと鼻腔に林檎の甘酸っぱい香りが漂う。瑞々しく艶やかな黄色い林檎のすりおろしが、白く深い皿の中にこんもりと添えられていた。
「林檎は、お好きですか?」
トイは答えられなかった。ハイデンの言う通り、林檎はトイが一番好きな果物だった。爽やかな匂いと、しゃくっとした歯ごたえが好みだった。
ただ、トイがよく買いに行く場末の市場で売られている林檎は基本的にどれも酸っぱい。けれども焼けば多少は甘さが増すので、いつか焼かなくとも蜜のように甘い林檎を食べてみたいなと思っていた。
「起き上がれますか」
「……うん」
上半身に力を込めて、シーツに肘を付き起き上がろうとする。ハイデンが手を伸ばして支えようとしてきたので、そっとその手を拒んで自力で上体を起こす。
「大丈夫、自分で、起きれる」
くらりとしたのは一瞬で、あとは背もたれに身体を預けることもできた。明日の午後、シスターが来る。シスターと一緒に育児院に戻れるように、それまでなんとか体力を回復させなければ。
せめて倒れずに歩けるようになりたい。だがそのためにはまず食事を腹に納めなければいけない。
視界の隅に飛び込んできた綺麗な皿に、小さな二切れのサンドイッチが用意されているのが見えた。あれ、と首を捻る。
「ハイデンさん」
「はい」
「その、サンドイッチって、ここで作ったやつ?」
「ええ」
ハイデンが皿をそっと持ち、トイの目の前に差し出してきた。まじまじと見つめる。ふわふわの卵とハムとレタス。そして薄くスライスされたアボカドが入っているようだった。
ソンリェンがトイの部屋を訪れるたびに、食えと無理矢理置いて行ったサンドイッチと同じだ。
「夕方、ソンリェン様が出かける際、これを用意するのが厨房の役目で」
たかがサンドイッチだが、されどサンドイッチだ。
毎度綺麗な紙で包まれていたそれは、この大きな屋敷の厨房で作らせていたのか。
トイがソンリェンが持ってきたものを食べるとは限らないのに。
「不器用、すぎて」
ハイデンが、かたりとサンドイッチが乗った皿を元の位置に戻した。
「どうしようもありませんね」
誰が、とはハイデンは言わなかった。トイも何も言わなかった。
ただ、綺麗に揃えられたサンドイッチを見つめるだけだ。
「これは、食べられたらで大丈夫です。まずは林檎にしましょうか」
「……うん」
そっと手渡された皿を手に持ち、みっともない体勢だが膝を曲げてその上に置いた。手渡されたスプーンでほろりととろけるそれを救い、口へと運ぶ。
ふわりと口内に広がる冷たさと蜜のような優しい甘さ。生を擦り下ろしたものだというのに酸っぱさよりも甘さが際立った。
喉を通るそれに、嘔吐感はこみ上げてはこなかった。
もう一口、二口と喉に流し込む。
「急いで食べてしまうと胃が痛くなってしまうかもしれませんので、ゆっくりと噛んで下さい」
「うん」
長い時間をかけてすりおろされた林檎を咀嚼している間、ハイデンはずっとトイの傍に居た。
時折トイが零してしまった汁を丁寧にふき取り、邪魔にならない程度でトイの食事を補助してくれた。
窓の外の雨はまだ、弱まる気配を見せない。
「なんのスープ、なの、これ」
「玉ねぎが入っています。そう指示されていました」
「……たまねぎ?」
「はい」
玉ねぎはトイが好きな野菜の一つだ。そしてトマトは、ハイデンに指摘された通り苦手な野菜だ。昔のことを思い出して気持ち悪くなってしまうのだ。
トマトのスープはロイズが好きで、よく床に這いつくばらされて舐めることを強要された。
あの光景をソンリェンは覚えていたのだろうか。いやそんなはずはない。
だってトイがされてきたことなんて8割方覚えてないと、彼は確かに言っていた。
「林檎のすりおろしも、ありますよ」
「りん、ご……?」
ハイデンが小さな皿をトイの目の前に持ってきた。ふわりと鼻腔に林檎の甘酸っぱい香りが漂う。瑞々しく艶やかな黄色い林檎のすりおろしが、白く深い皿の中にこんもりと添えられていた。
「林檎は、お好きですか?」
トイは答えられなかった。ハイデンの言う通り、林檎はトイが一番好きな果物だった。爽やかな匂いと、しゃくっとした歯ごたえが好みだった。
ただ、トイがよく買いに行く場末の市場で売られている林檎は基本的にどれも酸っぱい。けれども焼けば多少は甘さが増すので、いつか焼かなくとも蜜のように甘い林檎を食べてみたいなと思っていた。
「起き上がれますか」
「……うん」
上半身に力を込めて、シーツに肘を付き起き上がろうとする。ハイデンが手を伸ばして支えようとしてきたので、そっとその手を拒んで自力で上体を起こす。
「大丈夫、自分で、起きれる」
くらりとしたのは一瞬で、あとは背もたれに身体を預けることもできた。明日の午後、シスターが来る。シスターと一緒に育児院に戻れるように、それまでなんとか体力を回復させなければ。
せめて倒れずに歩けるようになりたい。だがそのためにはまず食事を腹に納めなければいけない。
視界の隅に飛び込んできた綺麗な皿に、小さな二切れのサンドイッチが用意されているのが見えた。あれ、と首を捻る。
「ハイデンさん」
「はい」
「その、サンドイッチって、ここで作ったやつ?」
「ええ」
ハイデンが皿をそっと持ち、トイの目の前に差し出してきた。まじまじと見つめる。ふわふわの卵とハムとレタス。そして薄くスライスされたアボカドが入っているようだった。
ソンリェンがトイの部屋を訪れるたびに、食えと無理矢理置いて行ったサンドイッチと同じだ。
「夕方、ソンリェン様が出かける際、これを用意するのが厨房の役目で」
たかがサンドイッチだが、されどサンドイッチだ。
毎度綺麗な紙で包まれていたそれは、この大きな屋敷の厨房で作らせていたのか。
トイがソンリェンが持ってきたものを食べるとは限らないのに。
「不器用、すぎて」
ハイデンが、かたりとサンドイッチが乗った皿を元の位置に戻した。
「どうしようもありませんね」
誰が、とはハイデンは言わなかった。トイも何も言わなかった。
ただ、綺麗に揃えられたサンドイッチを見つめるだけだ。
「これは、食べられたらで大丈夫です。まずは林檎にしましょうか」
「……うん」
そっと手渡された皿を手に持ち、みっともない体勢だが膝を曲げてその上に置いた。手渡されたスプーンでほろりととろけるそれを救い、口へと運ぶ。
ふわりと口内に広がる冷たさと蜜のような優しい甘さ。生を擦り下ろしたものだというのに酸っぱさよりも甘さが際立った。
喉を通るそれに、嘔吐感はこみ上げてはこなかった。
もう一口、二口と喉に流し込む。
「急いで食べてしまうと胃が痛くなってしまうかもしれませんので、ゆっくりと噛んで下さい」
「うん」
長い時間をかけてすりおろされた林檎を咀嚼している間、ハイデンはずっとトイの傍に居た。
時折トイが零してしまった汁を丁寧にふき取り、邪魔にならない程度でトイの食事を補助してくれた。
窓の外の雨はまだ、弱まる気配を見せない。
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