彼女の優しい理由

諏訪錦

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彼女の優しい嘘の理由 6

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 昼休み。購買部で買ったパンを持って階段を昇った。その先には、屋上に通ずる踊り場がある。そんな人気のない場所にわざわざ足を運んだのには理由があった。
 二時間目の終わりに、更級さんからメールがきた。内容は、今日のお昼を一緒に食べようという旨のものだった。面倒に思った俺だが、康一郎たちにそのことが知られて、送り出されてしまったのだ。
 踊り場に到着すると、既にそこには更級さんの姿があった。彼女は居心地悪そうに薄暗い廊下に佇んでいた。
「こんにちは」
 一瞬戸惑いながらも、俺はそう切り出した。
 更級さんは突然の声に驚いて、肩をビクつかせた。
 付き合っている者同士の挨拶とはとても思えない、ぎこちなさとか、余所余所しさがお互いに感じられる。それはそうだ。ほぼ初対面の相手と二人きりで会うのだから、会話など弾むはずがない。
 彼女は立ち尽くす俺に向かって、恐る恐る言った。
「食べましょうか」
 俺が時間を確かめると、昼休みが始まって一〇分以上経過していた。にも関わらず、俺たちは昼食に手を付けていなかったのだ。
 更級さんと微妙な距離感を保ちつつ座り、購買部で買ったパンをかじった。どれだけ食べても飽きない味に、いつもは脳が美味しいと反応してくれるはずなのだが、今日は味などわからない。なにか話さなくてはと、そんな焦りがどんどんとつのる。俺は、思考錯誤して、なんとか話を振った。
「あのさ、更級さんって部活とか入ってるの?」
「えと、私、テニス部に入ってます」
 慎ましく箸を置いてから、丁寧な口調でそう答えた。
「へえー、意外かも」
「そうですか?」
「あ、いや、更級さんって清楚な印象受けてたからさ、文芸部とか似合いそうだなぁって思って」
 間違っても暗そうだから運動部は似合わないとは言えない。
 照れた仕草で顔を真っ赤にした更級さんは、「ありがとうございます」と小さくこぼした。
 なにはともあれ、会話の切り口を見出せて、俺は安堵した。
「女子テニス部といえば、後輩の一年に中上奏子なかがみかなかこっているだろ?」
「ええ、いますよ。でも、藪坂君がどうして知っているんですか?」
「俺の友達に中上康一郎ってやつがいるんだけど、知ってる?」
「もちろん知ってます。生徒会長で学年順位がいつも一番の生徒さんですよね? すごいです」
 彼女の言った学年順位とは、学期末、中間考査の成績発表の順位のことだ。
「その中上康一郎と中上奏子は兄妹なんだ。俺、康一郎とは中学時代からの友達だから、その関係で奏子とも面識があるんだよ」
「へぇ、あの二人兄妹だったんですか。知りませんでした」
「まあ、言われなきゃ気付かないかもな。中上って、そんなに珍しい名字でもないし」
 しかし、言い終えてから馬鹿なことを言ったと後悔した。この小さな地方都市で、中上の姓を冠する者はそう多くない。まず真っ先に思い浮かぶのが、ショッピングモールを展開する中上グループの関係者だ。それほどに、この地域で中上の姓は力を持っている。
 そして、再び会話が途切れた。それからの会話は長続きせず、重たい沈黙が二人の間に流れる。いつまでも続くのではないかと思われたその沈黙は、始業五分前の予鈴によってようやく破られる。
 俺はホッと胸を撫で下ろし、食べ終わったゴミを片付けて、いますぐにでも教室に戻る準備が整っていたが、更級さんは弁当箱を包むのに手間取っていて、中々立ち上がろうとしない。
 ようやく立ち上がったかと思うと、「あ、あの、藪坂君っ!」と俺を呼び止めてきた。その声はどこか震えているようにも聞こえた。
 なんなんだ、いったい。そう思い言葉を待っていたが、更級さんは一向に口を開こうとしない。
 しびれを切らした俺は、少し強い口調で、「なに? もう授業が始まりそうなんだけど」と言う。
 俺に急かされ、更級さんは慌てて言葉を探した。
「あ、あの、今度の週末なんですけど、どこかに出掛けませんか?」
 それは予想だにしない言葉だった。つまり、デートの誘いということになる。
「今度の週末って言うと……」
「は、はい。日曜日です」
 ふざけるな、と内心で俺は毒づいた。
 その日は彩香から映画に誘われている。それになぜ、休みの日にまで更級さんに気を遣わなければいけないのだろう。
 俺はデートなど微塵も行くつもりはなかったが、しかし一度もデートせずに別れるというのは、相手に失礼だとも思った。罰ゲームの件を打ち明けて彼女に謝罪するなら話は別だが、それは流石に躊躇われる。こんな状況でも、俺は自分が可愛いのだ。別れてしまえば二度と関わりない相手でも、嫌われることを恐れてしまう。
 だが、今回は彩香との約束が最優先だ。
「その日は用事があるんだ。悪いけど、別の日にしてくれ」
「……そう、ですか」
 更級さんは目に見えて肩を落とした。罪悪感を抱きながらも、見なかった振りをして俺は階段を下りる。

 放課後になると、俺は康一郎たちを置いて先に帰った。更級さんが一緒に帰りましょうとメールをくれたが、頭が痛いからと言って断りのメールを入れた。そうしていま、自室に籠っている。
 今日は金曜日なので、明日は気兼ねなく眠っていられる。そして明後日にはこの気だるさを取り去って万全の体調に戻さねばならない。なんといっても、明後日は彩香とのデートなのだから。
 更級さんのことがなければもっと晴れ晴れとした気持ちでいられたのだろうが、この際割り切るしかない。
 日曜日は思いきり楽しもう。そう思い目を閉じた瞬間、耳障りな音が耳元で鳴り響き、意識が覚醒された。枕元で不愉快に震える携帯電話を手に取り、俺は顔を顰める。羽虫が飛び交うような音は、どうやらバイブの振動音だったようだ。
 携帯電話を開いて名前を確認すると、そこには【枯井戸彩香】の文字が写し出されていた。ガバっと起き上がり、すぐ通話ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし、彩香か?」
「うん」
 その声は紛れもない彩香の声だった。だが、心なしか沈んでいるように聞こえた。
「なにかあったのか?」
 俺からすればそれは当然の気遣いだったのだが、彩香は驚いた様子で、「どうしてわかるの?」と聞いてきた。
 そんなのわかるに決まっている。好きな相手なのだから。だが、そんなことを臆面もなく言えるはずがなかった。
「幼馴染だからな」と誤魔化すように俺は言った。
「そっか、幼馴染だもんね。私たち」
 彩香はどこか寂しそうに呟いた。そんな気がした。
「あのね。私、七季に謝らなきゃいけないことがあるの」
 とても言い辛そうに言葉をしぼり出した彩香。それだけで、彼女が口にしようとしている話が、楽しいことではないとわかった。
「明後日の件なんだけど……」
「一緒に映画に行くんだろう? なに、時間とか決まったのか」
 務めて明るい口調で言ったのは、彼女がなにを伝えようとしているのか、なんとなく予想が立ったからだ。でなければ、そんなに沈んだ声を彼女がしているわけがない。
 案の定、彩香は黙り込んでしまった。俺の邪気ない言葉で、彩香はその先を切り出せなくなってしまったのだろう。
「俺、結構楽しみなんだ。映画なんてもう何年も行ってないし、それに彩香と出掛けるのだって久々だ。映画のあとは、そうだな、適当に店を見て回ろうか。どこだっていいんだ。今回は彩香が誘ってくれたからな。お前の行きたい所に付き合うよ」
 追い打ちをかけるように畳みかけた。そうすることで、安心感を得たかったのだ。だけど、言葉を並べれば並べるほど、虚しさは加速する。
 俺は堪えきれなくなり、
「なんとか言えよ」
 と漏らした。
「なあ、どうしてなにも言ってくれないんだよ、彩香」
 どんどん、自分が惨めに思えてくる。こんなことなら、いっそはっきり言ってもらった方が気が楽だ。
 彩香は、そんな内心を汲み取ったのか、ひどく小さな声で言った。
「日曜日なんだけど………ごめんなさい、行けなくなったの」
 俺は驚かなかった。それは予想通りの言葉だったからだ。
「本当にごめんなさい。私から誘っておいて断るなんて。大切な用事が入っちゃって、それがどうしても外せない用事なの」
 そんな言い訳は聞きたくないと思った。俺はつくづく思う。ああ、彩香とはすれ違ってばかりだ、と。
「もういいよ。どうでもいい」
 ピシャリとそう言い放つと、受話器の向こうで、彩香が息を呑むのが伝わった。
 俺はどうしようもない怒りに心を奪われていた。やっと覚悟を決めて彩香に告白すると決心したのに、その矢先にこれだ。きっと罰が当たったのだと思う。不誠実なことをした罰が、このような形で現れたのだろう。そう思えば納得がいった。でもだからと言って、感情を抑えることなどできない。
「守れない約束なんてするなよ」
 誘ってもらえたことがなによりも嬉しかった分、その言葉を平気で違えた彩香が許せない。まるで俺だけが浮かれていたみたいで惨めな気持ちになる。
「違うよ。七季との約束を軽んじたわけじゃない。ただ、どうしても外せない用事があって」
「だからその程度なんだよ、彩香にとって俺との約束なんてさ。俺が、俺がどんな気持ちで」
 これ以上は流石に情けないと思って、言葉を途中で切った。感情に任せて気持ちを伝えてしまいそうになったからだ。
 彩香は黙り込む。そのあとに続くであろう言葉を待っているようでもあった。
 だが、俺がその先を言わないとわかると、彩香はゆっくりと息を吸い込んで次の言葉を選んだ。
「七季、お願い聞いて。今週末は無理だけど、その次、その次なら大丈夫だから。ね、もう一回私にチャンスを頂戴」
 俺は溜息を吐く。そういうことではないのだ。
「次だって予定が入らない保証はないだろう? そんな無理して誘われたって嬉しくないし、忙しいなら、無理やり構ってくれなくて結構だよ」
 ふと気付くと、受話器の向こうですすり泣く声が聞こえた。しゃくり上げるような声が受話器越しに聞こえてくる。俺は罪悪感を受けながらも、いい気味だと感じている自分がいるのに気付いた。
「もう切るよ」
 そう言って、彩香の返事も待たずに俺は通話を一方的に切った。これ以上話していても、彼女を傷付けるだけだとわかったからだ。
 俺は自分の器の小ささに憤った。完全に八つ当たりだ。普段ならこの程度のことで怒ったりしないのに、更級さんへの罪悪感を彩香にぶつけてしまった。
 その後、一睡もできないまま明朝を迎えた。今日は土曜日。明日予定されていた約束がなくなってから、いままで眠れずにいた。
 思い出すだけで辛い。どうして彩香を責めるようなことを言ってしまったのだろう。そう思う一方で、いまだに彼女を許せていない自分がいることに呆れてしまう。
 ふと思い立って携帯電話を手に取った。アドレス帳から名前を探し出し、電話を掛ける。さしあたりするべきことは決まった。
 数度目のコールで、相手と通話が繋がる。
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