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二部 神戸康介の英雄譚

第30話 襲撃

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 俺が孤児院に入ったとき、もうすでに真綾は入っていた。周りは年上ばかりでお互いに同い年だったので、すぐに仲良くなった。
 当時の孤児院の父は、真面目で優しく競馬、ギャンブルばかりの荒れくれた父じゃない。真っ当な愛を授けてくれた。
 それでも真綾は一人孤独でいた。
 真綾は孤児院に来る前、大きなバス事故で両親、親戚いっぺんに亡くしてしまった。その事件は大きくニュースで取り上げられてて、生存者は約八名。その内の一人が真綾だった。
 両親の息が絶えた瞬間を目の当たりにして、ろくに食べ物も食べず、みんなと会話することもしなかった。出会ったときの第一印象は、根暗でガリガリ女。でも徐々に下の子が入ってくると本来の明るい性格になってきて、少しオカンぽく。


 真綾は自分みたいに一人ぼっちな子供をほっとけなくて、教師を夢見ている。きっとなれる。本人は少し怖じ気づいているが、そう確信している。夢のため、毎日遅くまで学校に残って、うちに帰ったら下の子たちの面倒を見て、毎日朝早くから起きてきて、忙しいのに苦しい表情一切見せなかった。きっと、みせまいと頑張っていたのだろう。
 だから俺も頑張れたし、頑張らなければならなかった。
「コウ兄頑張ってね。わたしも頑張るから」
 いつも下の子ばかり面倒見ていたから、真綾のこと気にかけていなかった。そのせいで、これが真綾の口癖だったかもしれない。


 病院に走って向かうと、惨状だった。
 窓硝子は全部割れ、青いビニールシートの上はもはや血の海だった。壁やら天井やら真っ赤に染まり、肉と成り果てた死体がゴロゴロと転がっていた。
 下半身がない者、腕をちぎれて頭を食べられた者、死臭が漂っている。氷のように冷たい空気。
 足が震えた。
 俺がいない間に、ここは化物が襲撃してきて女、子供見境なく襲った。腕や足をちぎりとったり、体の中の心臓を抜きとって食べていたり、その様は、お腹が空いた子供のように遠慮のなさだった、と獅子から聞く。

 眼魔がした。
 フラリ、と足元がおぼつく。
 目の前の出来事が信じられない。いいや、受け入れるしかない。
「コウ兄……?」
「コウ兄だ!」
 机の下からタケとモノが出てきた。二人の顔は涙でしわくちゃで俺の顔を見ると、さらに歪ませた。ダッ、と駆け寄ってくる。
「二人とも! よく頑張ったな! 偉い偉いぞ」
 俺は二人を離さんばかりに、ぎゅと抱きしめた。二人は胸の中でわんわん泣き叫び、しがみついて来る。怖かったろう。恐ろしかったろう。兄ちゃんがいない間に、いっぱい恐ろしい目に合った。

 守ると誓ったのに。

 病院内はおろか、外の駐車場まで荒れていた。外に椅子やらベットの白いシーツが広がっていた。生存者はたったの数名。
 生存者を確保し、怪我してる人たちを治療していたのは評判が悪い河合さん。子供に人気の須川センセイは頭がぺちゃんこになって死んでいた。そこの玄関先で倒れていた。
 恐らく逃げた先に化物がいて、踏みつぶされたのだろう。河合センセイは必死に治療していた。自分も利き腕がないのに。

「どこ行ってたの……」 
 脇子の第一声がこれ。
「ごめん」
 としか言えなかった。その瞬間、頬に強烈な痛みがかけ巡った。
「早く帰ってきてよ……!」
 涙混じりの声。震えていた。
 脇子の顔は今にも泣き出しそうだった。ビンタした腕が震えてて、その腕をもう片方の腕が支えている。
「お兄ちゃんが帰って来る前、化物がやってきて悲惨だった……でもお姉ちゃんが私たちを守ってくれた。お兄ちゃんがいなかったから、お姉ちゃんは必死に! でも代わりにお姉ちゃんが連れ去られた……ゔ、うぅ……」
 ポロポロと涙をこぼした。
 今まで堰き止めていたものを一気に流したような大粒な涙で、ポタポタと頬をうち床に滴る。

「ごめん……あたしらが巻き込んで」
 冴島さんが間に入ってきた。
「いいや。冴島さんたちのせいじゃない。獅子、真綾を連れ去ったカスは何処に行った」
 名前を呼ばれた獅子はびくりと震わせた。獅子はもう泣いていない。責めることもなかった。ただ、泣いているタケとモノを宥めている。びっくりしているのは、獅子だけじゃない。近くにいた冴島さんと嶋野も、俺の顔を見てびっくりしている。
「方向は北に向かった。でも、その後は分からない……ごめん、足が早くて追いつけなかった……ほんとうに、ごめんなさい」
 獅子は顔を伏せた。
 俺はぽん、と頭に手を乗せる。くるりと冴島さんたちのほうに振り向いた。
「二人とも、協力してほしい。一人で乗り組んでも勝ち目はない。あいちゃんとおじいさんたちはここに残って」
「俺は――……」
「獅子も来い。お姉ちゃんに届かなかった手、今度はつなげ。エアガンのやり方はここにいる嶋野さんが教えてくれる。脇子。子供たちを頼む。お前に任せる。兄ちゃんたちは絶対に帰ってくるからな」
 脇子は涙をぬぐって「うん」と答える。
 獅子の側にいたタケたちは脇子の側に寄り添った。もう涙は引っ込んだらしい。
「行ってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
「あぁ」
 俺は二人の頭を撫でた。
 涙を引っ込んだ理由は恐らく俺を出迎えるために。オネショしたときも物が壊れたときも、泣きじゃくる幼い子供がこんなに立派になって。


 獅子が指差す方向は、病院の入り口から右の道を真っ直ぐの辺り。そして、その先には小さな公園がある。
 脇子たちと離れて真綾奪還に、再び外に。エアガンのやり方をたった一分でマスターした獅子は、襲ってくる化物を撃っていく。
「確か、あそこの草腹の奥に行ったはず」
 獅子は公園の奥にある草はらを指差した。
 大人の身長でも膝まである草原で、夜じゃないのに暗い。草むらや苔がいっぱい生えていて、鬱蒼としている。
「ねぇ、そこの奥って小さな山小屋しかなかったよね?」
 冴島さんがポツリと嶋野に聞く。嶋野はコクリと頷く。それは俺も知っている。この公園はよく遊びに行ってたからな。
 昔の父と。もう声も名前も思い出せない。
 ただ〝そうした記憶〟があるだけ。
 父が死んで、跡継ぎであの暴力息子が経営するもんだから、困ったものだ。

 この奥は誰も住んでいないが、確かに人が住めそうな一軒家がある。こんな鬱蒼とした場所に住んでいる人もいないし、人が住んでいたと聞いたことない。一軒家に近づくと、異臭がする。
 腐った腐敗物の臭い。
 近くに肉がゴロゴロと転がっていた。ほんの体の一部が。草が生い茂っててよく見えなかった。
「コウ兄」
「しっ!」
 獅子が背後でひっついてくる。
 小屋に近づくと水音が聞こえた。何かがぶつかり合う音。そういえば、異臭のせいで分からなかったがほんの僅かに青臭い臭いがする。
 ゴロゴロと転がっていた肉の一部は、服を脱がされて、裸のまま放置されていた。となると――。

 

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