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囁く

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 森の中は鳥の声や葉の擦れる音。

 日差しは真上から降り注ぎ、青い葉がそれをうけとめている。

 目の前の白いワンピースをきたリリは時折木の枝に絡まる栗色の髪を触れるとこもなく、はらりと解ける。

 シンプルなワンピースだと思っていたけれど、木漏れ日にきらめくことに気づいて目を凝らす。

(刺繍されていたのか)

 繊細な模様の刺繍。

 ツタのような花のような……不思議な模様が、襟元や裾や袖口を華やかにしていた。

 すぐには気づかない、美しい刺繍。

 白地に白い糸で模様をつけるのは、この辺りの風習なのかと、アーディは考える。

 リリは歩きながら歌を歌う。少年とはとても思えない。

 せっかく言葉が通じるようにしてくれたのに、その歌の時は異国の言葉で囀られていた。

 高い音域も澄んだ声が響く。

(美しい歌なのに、なぜか悲しい)

 もしかしたら悲しい歌なのかもしれないと、アーディは思う。

(あえて、言葉を通じなくしてるのかな)

それほどに、その歌からほ悲しい何かがアーディの心へ流れ込んできた。


「さぁ、ここがこの森の泉よ。体力回復の効果もあるから飲んで」

 再びアーディにわかるように話をするリリは、先ほどのさみしそうな雰囲気はすでになかった。

「このまま飲んで、大丈夫か?」

「大丈夫よ」

 暗にお腹を下さないかを心配したけど、リリは笑い安心させてくれる。

 泉の上だけ森がひらけ、青い空が見えた。

 光が泉に降り注ぎ、乱反射する光は何かを思い出しそうで思い出せない。

 けれど確かに、記憶の何かに引っかかった。

 泉の淵に両ひざをついて、両手で水をすくう。

 零れる水は煌めき泉へ帰っていく。

 両手に残った水を口に含み、ゆっくり飲み込んでみる。

 腹の底からあたたかなものを感じる。それはやがて全身に広がり指の先まで届く。

「アーディ、この場所は秘密ね。自然のもので人が独占してはいけないものなの」

「そんなものか?」

「人の欲望とは……恐ろしく醜いものよ。だけどね、何があっても生きることを大切にして。これはリリとアーディの約束よ」

 見た目にそぐわない言い方をするリリは、青空を見上げていた。

 その姿は泣いているようにも、この世界に絶望しているようにも見える。


 アーディはリリの家に行かずに、森にひっそり住み始めた。

 言葉、文字、風習。

 それらを教えてもらうために。

 ただ、リリの暮らす場所は避けた方が良いと、本能的に感じた。

 だから、こうして森の奥で野宿している。

「おはよう、アーディ」

 いつもの白いワンピースを身につけて、嬉しそうに今朝も来た。

「おはよう。はやいね」

「いろいろあってね。ほらバケットと果実酒よ」

「いろいろ……?」

 ある程度の会話は出来るようになったけど、完全に習得するにはまだまだ時間がかかりそうだった。

「今日はあまり時間がとれなくてね……。それとプレゼントを持ってきたの」

 会話が魔法によって、理解出来るものへ変わる。

 忙しい時などは、こうして会話することもあった。

「プレゼントって、なに?」

「アーディが言葉や風習を覚えるまで、私がそばにいられるとは限らないの」

 リリの手のひらから、シンプルな銀製のペンダントを受け取る。

 先の飾りには青く透明な石がはめられていた。

「……私が来れなくなったときに、アーディが困らないように。その宝石に魔法を込めておいたわ。五年くらいは使えるからね」

 少し寂しげにリリは説明する。

 なにか事情があるのかもしれない。

「リリ?」

 アーディが呼びかけると、リリはにこりと笑う。

「実はね……」
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