ダブルパーソナリティ

ユーリ

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ダブルパーソナリティ

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額に汗をかき苦しそうに眠るお前を見て、守りたいと思った。
こんな小さな体で戦ってきたのに、なぜまだ苦しむのか。
祈るような気持ちで汗を拭いてやり、頬を撫でた。
願わくは、目を覚ましたお前が笑顔でいられますようにーー




目を覚ました菜乃(なの)は思い出す。
「ああそうか、僕は…」
退役したのだ。
もう魔法使いとして働くことは二度とないし、魔法省の魔法使いとしての登録も抹消されているだろう。
ベッドに身を預けたまま、両腕を伸ばした。
「よく出来てるなあ…まるで僕の腕だ…」
両腕が上腕から吹っ飛んだため義手を付けているが、自分の手と遜色ない。肌の色合いも小さな手のひらの大きさも、覚えているだけの自分の腕とそっくりすぎる。
手のひらを握ったり開いたりするとさすがに違和感はあるけれども、動く。まだ完全に馴染んではいないけれど、恐らく普通の生活は送れるだろう。治療課の誰かの魔法だろうけど、一体どういう仕組みなのだろう。
菜乃は目を閉じる。ーー自分の中の魔力は完全に消えていた。
「当たり前かあ。輸血したもんね…」
上腕が吹っ飛んでもなお任務を遂行していたため、血が足りなくなり輸血してしまった。
魔法使いの血液は独特である。大量の他人で作られる治療用の血を一度体の中に入れるともう二度と魔法は使えない。
ベッドで横になったままぼーっとしていると、誰かが部屋に入ってきた。
そもそもここがどこかもわからないし、入ってきた大柄な男に見覚えもなかった。
「菜乃、起きたのか」
「ごめん、誰?」
「初めましてだな。書類上のお前の夫だ」
「…?? 僕って結婚してたっけ…?」
「お前が死んだときに骨を拾うだけの役割だ」
「あー…そういえばそんな結婚したような…。初めまして、旦那様」
にこ、と笑ったつもりなのに顔があまり動かないことに気づき、あ、と思い出す。
「ごめん。今の僕あんまり表情がないと思う」
「あ?」
「感情制御システムの魔法をかけてもらってるんだ。だからあまり顔が動かない。これでも僕、戦場に近いところに行ってたからね、PTSDとかそういうの防止だと思う」
そうだ。両腕が吹っ飛び中途半端な状態で退いてしまったのだ、トラウマ発症してもおかしくない。だからこその魔法だろう。
菜乃はじっと、男を見上げた。
「名前、聞いてもいい?」
「虎徹だ。土屋虎徹(つちや・こてつ)」
「虎徹くんって言うんだね。ここはどこか、とか色々聞きたいんだけどいいかなあ」
そう言うと男は…虎徹は丸椅子を持ってきてベッドサイドに座った。
「ここはお前専用のサナトリウムだ。平屋の一軒家と広大な庭がある。ここからは見えんが、医師も別の棟に待機している。何かあればすぐに呼べる」
「療養所かあ、どおりで綺麗な空気と庭だねえ」
ベッド脇の窓から見える庭はたくさんの花が咲き乱れており、中央に噴水も見えた。
「しばらくはここで療養だ」
「虎徹くんも?」
「俺はお前の夫として付き添いだ。長い長い休暇を貰ってる」
「あー…ごめんね、初めましてなのにこんな面倒なことに付き合わせちゃって。離婚届持ってきてほしいな。僕も生きてるしキミの生活に支障があるだろうから今すぐ書こう」
義手で名前書けるかわかんないけど、と言うと頬を撫でられた。
大きくてあったかい手のひらだ。
菜乃はじっと、虎徹を見上げた。
「僕、この手知ってる。もしかして僕が寝てる間ずっと頭撫でてくれてた…?」
「ああそうだ」
「僕はどれくらい寝てたの?」
「一週間」
義手を付けてその説明を聞いてからの記憶が曖昧だ。感情制御システムも作動しているので、記憶が色々とごちゃ混ぜになっている可能性もある。
頬を撫でた手で、前髪をかき上げられる。汗をかいていることにようやく気づいた。
「もしかして僕、うなされてた?」
「ああ」
「だよねえ…うん、悪夢いっぱい見た。でもね、その度にあったかい気持ちがして…たぶんキミの手だと思う。キミが頭を撫でてくれたから、そのたびに僕は悪夢から抜け出せたんだ」
不意に虎徹が立ち上がる。どうしたんだろうと思う暇もなく顔を近づけられ、額に口付けられた。
「お前と離婚する気はない」
「え?」
「寝てるお前を見て思ったんだ。お前と本当の夫婦になりたい、ってな」
感情制御システム作動中なのに、少し頬が熱い気がした。
「喉乾いただろ。飲み物持ってきてやる」
そう言って虎徹は部屋を出て行った。
その大きな背中を、菜乃は眺めていた。




「ホントごめん…初対面なのにお風呂にまで入れてもらって」
広いバスタブの中、背後に座る虎徹に謝ると「別にいい」と前髪をかき上げられた。
一週間も寝ていたため体がフラフラで、とてもじゃないけれどひとりではお風呂に入られない、でもお風呂に入りたい、と言うと虎徹が一緒に入ってくれたのだ。
「それより、湯に腕を浸けても大丈夫なんだろうな?」
「うん、大丈夫って説明は受けてるから。ほら見て、縫った跡がある」
そう言って両腕の上腕を見せると、腕を縫った跡が見えた。
「でもね、これ、触ってもガタガタしてないんだ。なんていうかアザに近いんだよねえ」
「どれ。お、本当だな」
虎徹の大きな手のひらで縫い目を触られる。沁みることもなければ痛みもないので、本当にどうなっているのやら。
「それにしても魔法ってすごいな。どう見ても義手には見えねえ」
虎徹が菜乃の腕を持ち上げまじまじと見ている。
「ね、ホントだよねえ。色味なんかほとんど一緒」
「このアザのような印があるから義手なんだろうなってわかるが…ただのアザにも見える」
「僕のホントの腕、吹っ飛んじゃったから」
そう言うと口を手で押さえられた。
「むぐっ」
「まだ言うんじゃねえ」
「??」
「お前に何があったかとか、辛いことはゆっくり思い出せ。一気に思い出すな。お前の心が保たんぞ」
「…そうだね。ありがとう、虎徹くん」
広い胸に思わず擦り寄ると、それでいいと言わんばかりに額にキスされた。
菜乃はじっと虎徹を見つめる。
「離婚届、ホントに書かなくていいの?」
「俺はお前と本当の夫婦になりたい」
「なんで?」
「さっきも言っただろ。寝てるお前を見てそう思った、って」
「僕のこと知ってるの?」
「書類上は、な」
「僕ね、そこら辺まだあんまり思い出せないんだ。僕って…なんでキミと結婚したんだろう」
「話してやるから出るぞ。のぼせる」
ひょいと抱き上げられ風呂場を出て、丁寧に体を拭かれて服を着せられベッドへ下ろされる。
ストローを差したグラスを渡され水を飲んだ。
「虎徹くんって面倒見いいね」
「そうか?」
不思議そうに首を傾ぎながら菜乃の口元を拭いてくれる。やっぱり面倒見がいい。
虎徹もベッドに上がり、肩を抱かれた。
「俺は魔法省の死体処理課に勤める事務員だ。魔法は一切使えん。ーーお前が任務に入る前にな、上司に言われたんだよ。万が一何かあった時用に骨を拾うために籍を入れろと。それがお前だった。まあ付き合ってる奴もいないし、書類の写真に写ったお前が可愛かったからいいかと思って名前書いて出した。それが経緯」
「あー…なんかそんな書類書いたような書いてないような…」
任務に入る前は大量の書類にサインをしなければならないので、一々見ていないことの方が多い。
「でも僕生きて帰ったから別に離婚してもい…むぐっ」
「だからそれ以上言うな。俺はお前とちゃんと夫婦になりたいんだ」
「…虎徹くんって変わってる?」
「なんとでも言え」
そう言って頬を撫でられ目を細める。その大きな手のひらの上から、菜乃はそっと自らの小さな手を重ねた。
「……この手がね、僕を悪夢から何度も助けてくれたんだ。キミと本当の夫婦になれたら、こんな穏やかな時間がずっと流れていくのかなあ」
「ああ、約束する」
「初対面なのにずいぶんと大きな約束して大丈夫?」
「必ず叶えてみせるよ、菜乃」
「…ごめん、感情制御システムのせいで全然ときめかない」
本音を言うと虎徹が吹き出した。続いて声に出してケラケラ笑い「そうかそうか」と頭を撫でられた。
楽しそうに笑う虎徹を見つめて、ぽろりと菜乃は口にした。
「よくわかんないけど僕、キミに恋をしそうな気がする」
「ああ、恋しとけ。ちなみに俺はもうお前に恋してる」
「早くない?」
「こっちはなあ、眠るお前を一週間見てんだよ。舐めんな」
「別に舐めてないよ。…虎徹くんといると不思議な気持ちになる。なんだろうこれ。感情制御システムのバグかなあ」
「そういうことにしとけ」
もう寝ろ、と目を大きな手のひらで覆い隠された。
まだ眠くないんだけどなあという文句は一瞬で閉じた瞳にかき消された。どうやら眠かったらしい。
「おやすみ、菜乃」
低い声が、体を包む。
あたたかい手のひらに、悪夢を見ても平気だと思えた。
「また明日」



今日という日に祈りを
瞳に焼きついた景色を
朱に染まったその指先を、洗い流すように目を閉じて
願わくは、明日の心が軽やかでいられますように




一週間も経てば感情制御システムが少しずつ消えていくのがわかった。
頬の動きが緩い。胸の中が熱い。そしてーー。
「虎徹くん! 虎徹くんっ!」
「うるせえ耳元で叫ぶな! んだよこの近さで呼ぶな!」
「あっち! あっちに今ウサギがいたんだよ! この庭にウサギがいるっぽいよ!? 探そ!!」
「だから叫ぶなっつってんだろ!」
自分がこんな大声を出せることをすっかり忘れていた。
抱っこをしてくれる虎徹の腕の中、ついくすくす笑ってしまう。
それを見た虎徹も笑い、ぽんぽんと背中を撫でられた。
「お前は本来そういう性格なんだな」
「虎徹くんだってそうじゃん」
「初対面は猫被ってなんぼだろ」
「ふふ。それよりちょっと下ろして、ウサギいたから追いかけてくる」
「こけんなよ」
地面に足が付いた瞬間に走り出すもすぐにバランスを崩してこけそうになる。慌てて虎徹の腕の中に逆戻りだ。
「ったく…。お前はもう少し抱っこのままだな」
「すっかり足の筋力なくなってる。これでも瞬発力の高い魔法使いだったんだよ?」
「嘘つけ。こんな細っこい足じゃあ何もできんだろ」
そう言って足首を掴まれるが、果たして自分の足首が細すぎるのか虎徹の手のひらが大きいのかがわからない。
菜乃が笑う。
「ホントだよ。とは言っても魔法使って筋力上げてただけだから、魔法使わなかったら全然走れないや。……そっか、僕はもう魔法が使えないんだあ……」
義手の手のひらを見つめた。本物そっくりのこの両腕…本物はもう、ない。
「魔法はどうやって使ってたんだ?」
「なんとなく」
「…この質問すると魔法使いは全員同じセリフが返ってくんだよなあ」
「感覚の問題だからねえ。だから感覚でわかる。僕はもう魔法が使えない」
さみしいなあと小さく笑うと、ぎゅっと抱きしめられた。
「魔法なんか使えんでいい。お前は健やかに穏やかに生きろ」
菜乃は笑った。




眠る菜乃の頭を撫で、虎徹はリビングへと戻った。
(感情制御システムが消えるにしては早いな…)
医師から受けた説明と違う。最低でも三ヶ月は魔法にかかっていると聞いたのに。
「どうなってんだ…?」
そもそも、医師の説明が怪しいところもある。
『菜乃くんはね…僕はずっと診てるんだけど、もう心が壊れてるかもしれないんだ。具体的に何かおかしいってわけじゃないんだけど、何かがおかしいんだ。…たぶん心の拠り所がないんだろうね。親も家族もいなかったから』
そんなわけがない。
(菜乃はあんなにも笑ってんじゃねえか。心が壊れてる? どこだが?)
確かに親も家族もいないと初めて目を通した書類には書かれていた。
だが一緒に暮らしたこの一週間、どこもおかしさは感じない。それどころか本当に戦場に近い場所に赴いたのかと疑問に思えるほど明るい。
貰った資料をペラペラ捲っていると、開けっぱなしのドアに誰かが立っていることに気付いた。
「菜乃?」
菜乃が立っていた。しかし様子がおかしい。
おぼつかない足取りでゆっくり歩を進め、虚な瞳で手を伸ばしている。
「今日という日に祈りを」
小さくぽつりと呟いた。
「瞳に焼きついた景色を、朱に染まったその指先を、洗い流すように目を閉じて」
菜乃の小さな手が開かれる。
「願わくは……」
ぽたりと、虚な瞳から涙が溢れた。
「僕が、助けなきゃーー僕が、僕が、僕が」
崩れ落ちるその小さな体を、虎徹は受け止めた。
腕の中で眠る菜乃を見て、そっと目元を拭ってやった。
「そんな小せえ体でもうがんばるな。なあ、菜乃」
ーーたぶん心の拠り所がないんだろうね。
呟いた医師の言葉を思い出す。
菜乃の上腕を撫でた。吹っ飛んだと言った、縫った跡。両腕に残るアザに近い大きな縫い口だ。
「お前はもうがんばったんだろ? もうこれ以上何もするな。もうこれ以上苦しむな」
眉間に皺を寄せ涙を流しながら眠る菜乃の頬を、そっと撫でる。
心なしか、少しだけ表情が和らいだように見えた。




今日という日に祈りを
瞳に焼きついた景色を
朱に染まったその指先を、洗い流すように目を閉じて
願わくは、明日の心が軽やかでいられますように





掴んだはずの腕が、ボロボロと崩れ落ちていく。見上げた先の小さな子供が叫んでいる。
助けなきゃ。助けなきゃ。僕が助けなきゃ。
でも僕には腕がない。この両腕はもう、どこかにいってしまった。
僕の腕はどこ? ねえ、腕がないと誰も助けられないよ。ねえ、ねえ、ねえ!
「菜乃」
名前を呼ばれハッと目を開けると、至近距離に虎徹の顔があってびっくりした。
「わっ!」
「何を驚いてんだ。ずいぶんうなされてたけど大丈夫か?」
「夢…見てたのかな。何も覚えてないや。…でも悪夢だったような気がする」
「お前は悪夢しか見ねえな」
そう言ってタオルで額を拭われた。思っている以上に汗をかいているようでさらに驚く。
「風呂入るか?」
「んー…いいや。なんかどっと疲れた。寝てるのに疲れるって辛いねえ」
あははと笑うと頬を撫でられ、コツンと額同士を合わされた。
「虎徹くん?」
「お前の辛さが俺に伝わればいいのにな。俺が魔法を使えれば、お前の辛さを俺も背負える」
菜乃は笑った。
「…夢の内容は覚えてないけど、できることならキミに背負わせたくないな。ふふ、そう思えるほどには僕、キミのことが好きなんだと思う」
「お、ようやく惹かれてきたか?」
頬にキスされ、くすぐったさに笑う。
「虎徹くんといると穏やかな気持ちになれる。誰かを好きになるってこういうことなんだろうな。僕には誰もいないから、好きって気持ちがよくわからない。ーーねえ虎徹くん、好きってこんな感じ?」
見上げた先の虎徹が「さあ?」と笑うので菜乃も笑った。
ぽつりと、虎徹が呟く。
「今日という日に祈りを」
菜乃は驚いた。
「虎徹くん…それ知ってるの?」
「お前が夢遊病みたいにたまに歩く時があるって言っただろ。そん時によく言ってる」
「あー…なるほど…」
菜乃は目を閉じた。
「今日という日に祈りを。瞳に焼きついた景色を、朱に染まったその指先を、洗い流すように目を閉じて。願わくは、明日の心が軽やかでいられますようにーー」
「それは一体何なんだ?」
「これね、ずいぶん昔に助けられなかった人が僕の目の前で死ぬ間際に言ったんだ」
ベッドに腰掛ける虎徹が腰を抱いてきた。菜乃はそっと、もたれかかった。
「呪いだな」
「え?」
「お前が泣きながら言ってるぐらいなんだから、呪いのようなもんだろ」
「…完全に勘違いしてた。今の今までその人に気遣われてるんだと思った」
「は?」
ふたりは顔を見合わせる。思わず菜乃は吹き出したものの、虎徹は複雑そうな顔をしている。
「そっかそっか! 僕は呪われてたんだ! あははっ! なんか納得した!」
「…果たして笑っていいものか」
「笑ってよお、その方が僕が報われる」
「……」
「…この歌ね、任務に入ったら眠る前に必ず呟くんだ。忘れちゃだめだよ、全部全部、僕が助けるんだ、って……まあその結果がこのザマですが」
そう言って両腕を出して笑う。
「たぶん虎徹くんもお医者さんから聞いてると思う。僕ってどこか壊れてるらしいね。でもどこが壊れてるのかわかんない。昔からこうだった気もする。元から何かが変なんだろうね。…ねえ虎徹くん何か言ってよ。さっきから僕ずっとひとりで喋ってる」
見上げた先の虎徹は笑っていた。
口元に笑みを浮かべ、まるで愛しむかのように菜乃を見ていた。
「なに?」
「ずいぶんとペラペラ喋るようになったなと思って。体調がいいのか、任務の頃を思い出してテンションが高くなっているのかはわからんが…菜乃。お前が壊れていようがどうでもいい。俺はお前と添い遂げたい」
額に口付けられる。
「俺は魔法を使えない。それでもお前を助けたいと思う」
「…助けるの? 僕が助ける側だよ?」
「違う。お前は本来助けられる側だ。魔法が使えるから助ける側にいただけだ。菜乃」
とん、と薄い胸を押された。
「お前の心を助けたい」




寝室で眠る菜乃の頭を撫でたあと、虎徹はリビングで資料を広げていた。
ふと顔を上げると、今日も夢遊病のごとく虚な瞳でフラフラ歩く菜乃が来た。
虎徹は笑いながら立ち上がり、両腕を広げる。
「おいで、菜乃」
ーー最近気付いた。壊れているのはこの姿のことを指しているのかもしれないと。
「今日という日に祈りを。瞳に焼きついた景色を」
ブツブツ呟くその小さな体を受け止め抱っこしてやる。
「朱に染まったその指先を」
「なあ、菜乃。お前はいつまでそうやって囚われてるんだ?」
「洗い流すように目を閉じて」
「俺は別に構わん。毎晩こうなろうが一向に構わん。ああさすがに外には出るなよ? 危ないからな」
「願わくは」
「今の姿も愛おしいよ、菜乃」
「明日の心が軽やかでいられますように」
「どんな姿でも受け止めてやる。どんな姿でもお前のそばにいる」
「願わくは」
虎徹は眉間に皺を寄せた。
歌はここまでのはずだ。続きがあるのか?
「あなたの笑顔が見られますように」
「…そうだな、お前の笑顔が見られたらいいな、菜乃」
強く抱きしめ背中を撫でてやると、ふ、と力が抜けた菜乃の全身がくったりと虎徹にもたれかかる。
ソファーに座った虎徹は腕の中の眠る菜乃を見つめた。
この小さな体で魔法を駆使し前線で戦ってきた。菜乃の体は全身が陶器のような肌だが、恐らくこれは怪我をするたびに魔法で治してきたのだろう。
本来はもうズタズタだろう。体も、心も。
小さな手のひらを取り、指先に口付ける。
「もう泣くな。お前は十分がんばった」
眠りながら涙をこぼすその目元を拭ってやる。
「菜乃」
頬を、撫でた。
「ずっとそばにいるよ」
眠る菜乃が小さく笑った気がした。
「おやすみ、菜乃。また明日」



助けなきゃーー掴もうとして伸ばした腕を強く握り返された。菜乃は驚く。
腕が、ある。
どこかへいってしまったこの両腕が確かにある。
顔を上げると虎徹が笑ってくれていた。低い声でこの名前を呼んでくれる。
ああ、助けるってこういうことなんだねーーぱちりと目を開けた菜乃は、自分を抱きしめながら眠る存在を見上げた。
小さな寝息を立てる虎徹の逞しい胸板に擦り寄った。
「ありがとう、虎徹くん」



「お前なあ、なんでそんなに泥だらけなんだよ」
「ちょっとウサギを追いかけてまして…」
「で、こけて転んで泥の中、ってか? 元気だなあ。風呂沸かしてやるから入るぞ」
「はーい」
あっという間に風呂場へ連行された。
虎徹の腕の中、菜乃は両腕を伸ばして継ぎ目を見ながら呟いた。
「このサナトリウムっていつまでいられるんだろう」
「お前が完全に回復するまでだ」
「回復って、どこからが回復?」
「それは俺にもよくわからん。医師の言う回復か、お前が思う回復か。さてどっちだろうな」
「…僕はずっとここにいたいなあ」
ぽつりと呟くと濡れた前髪をかき上げられた。
「なんでだ?」
「ここにいたらずっとキミと一緒にいられる」
「ここを出てもずっと一緒だが」
「え?」
「当たり前だろ。お前とは夫婦なんだから。俺は別居婚は嫌だぞ。そもそも俺だって住んでるマンションがあるからそこにお前を連れて帰るだけだ」
菜乃は体を反転させて虎徹の筋肉質な肩を掴んだ。
「ホント!?」
「何がだ?」
「僕も…僕も一緒に行っていいの!?」
「何をおかしなこと言ってんだ。初めから俺はそのつもりだ」
不思議そうに首を傾ぐ虎徹に嬉しくて笑ってしまった。
菜乃はそっと、虎徹にもたれかかる。
「心の拠り所って、こういうことを指すのかな」
「そうかもしれねえな」
「…僕はまだ悪夢を見続ける。また夢遊病みたいに出歩くと思うよ」
「俺がちゃんと受け止めてやるよ。ーー愛してるよ、菜乃」
菜乃は目を閉じた。




ひた、と足音がして虎徹は目を覚ました。
部屋を出ようとする小さな背中に「菜乃」と呼びかける。
「今日という日に祈りを」
ベッドに腰掛け両腕を広げる。
「瞳に焼き付いた景色を、朱に染まったその指先を」
「おいで、菜乃」
ぽすんと、虚な瞳の菜乃が腕の中に飛び込んでくる。
「洗い流すように目を閉じて」
「お前は何も壊れてねえよ」
頬にキスをしてやる。
「願わくは、明日の心が軽やかでいられますように」
「昼の菜乃も夜の菜乃も愛してる」
「願わくは…」
「あなたの笑顔が見られますように」
最後の一文を口にすると、安心したように菜乃は瞳を閉じて眠り始めた。
「…昼間はああ言ったが、一生ここから出られねえかもな」
腕の中の菜乃の頬を撫でてやる。眠りながら菜乃は笑っていた。
「それでも俺はずっとそばにいるよ、菜乃。夫婦だもんな。一緒にいよう」
菜乃の腕を取り、義手の継ぎ目に口付けた。
「おやすみ、菜乃。ーーまた明日」
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