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前編
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久しぶりに来た本家はなくなっていた。
「おいおい何があった、全壊じゃねえか…」
家らしき跡はあるけれどほぼ更地である。
思い当たる節は、長である双子のことだ。恐らくあの双子を怒らせたからこうなったに違いない。
屋敷にいた当主もその取り巻きや使用人もいそうにない。一体どこへ、と考えるも深追いはしたくない。
それと同時に狐神涼太(きつねがみ・りょうた)は、そうだ、と良いことを思いつき思い人の住む家へ行った。
ボロい玄関を蹴って入ると、リビングでのんびり茶を飲んでいた狸神ユエ(たぬきがみ・ゆえ)が目を丸くした。
「よう、ユエ。永遠にツラ貸してくんね?」
そしてユエの小柄な体を素早く抱っこして車の中へと連れ去った。
「ヒイイィッ! 何!? なにっ!?」
ぼふっ、とベッドへ投げ捨てられたユエはビクビクしながら涙目で見上げる。
そこには最近知った顔…涼太がにんまり笑いながらベッドへ上がってきた。
「なあ、ユエ」
「はいっ」
「狐神家の本家がなくなった。理由は知らんが爆破されてた」
「え、えぇっ!? キミの実家がなくなったってことだよね…?」
「正確には実家ではないけどな。当主も長もいねえ。これはしばらく大混乱が起きるだろうな」
「大変だね……でもそれと僕を拉致したことと何か関係あるのかなあ…」
いきなり家へ来たかと思えば玄関は壊され拉致され車に乗せられ、連れて来られたのは高級そうなマンション。
その一室へ入りなぜか今、大きなベッドの上に転がされている。
涼太が、にこり、と笑う。
「ユエ、お前は本当にかわいい顔してんなあ」
「どうも…??」
「狸神家は文字通りタヌキみたいな顔してる。でも一族の中でお前の顔が一番好みだ。ユエの顔はかわいい」
「どうも…??」
「というわけで結婚しよう。ユエ、ここが俺とお前の愛の巣だ」
そう言って左手を取られ薬指に口付けられる。その綺麗な動作と美しい顔にユエは思わず見惚れてしまった。
あ、すごくかっこいい。
しかしすぐにハッとする。
「いやいやいや! ウチは狸ですから! 狐さんの一族とは結婚できないから!」
「だからさっき言っただろ、本家が爆破されて大混乱だと。それに乗じて結婚すんだよ。籍さえ入れりゃこっちのもんだ」
「いやいやいや! 僕の! 僕の承諾!」
「そんなもんあとでいいだろ。どうせ幸せにしてやるんだから。な、かわいいユエ。一緒に幸せになろう」
そう言ってベッドの上で抱きしめられる。頭を撫でられ頬を撫でられくすぐったい。
その手のひらが心地よくて思わずすり寄ると、涼太ににんまり笑われた。
「お前はバカでかわいいなあ」
「…それ結婚したい相手に言うセリフじゃないと思うよ」
「いいんだよ、事実だから」
それは僕が言うならわかるけどキミが言ってどうするの。目で訴えているとその目元にキスされた。
「ん…あの、さ、そういうの…好きな人にするべきだと思うよ?」
そう言うと涼太が眉間に大量の皺を寄せた。
「は?」
「いや、あの、だから…」
「お前が好きだからお前にキスしてお前と結婚したくて何が悪い」
なかなか意味がわからなくて飲み込めない。たっぷり十秒ほどが経過してようやく意味がわかった頃にはユエは顔を真っ赤にしていた。
ぱくぱくと、口が開いたり閉じたりする。
「え、あ、え…? だって僕たち知り合ったの最近…」
「お前のそのかわいい顔に一目惚れ。で、今では性格も含めて全部好き」
「え、あ、え…?」
「好きだよー、ユエ。絶対に幸せにしてやるからなー」
再び目元にキスをされかけ慌てて手でガードすると、涼太がムッとする。
「んだよ」
「だからっ、…僕はキミのことよく知らないんだよ…」
「結婚してから知ればいい」
「ええー…」
できればお互いのことを知ってからの結婚がいい。素直にそう言うと涼太が納得しない顔をしつつも「わかった」と頷いた。
「特別に結婚前に付き合ってやる」
なんでそんなに偉そうなんだろう。
ユエはベッドに沈みながらそう思った。
狐神家は盗みを生業とする一族。涼太も漏れることなく盗人である。
一方の狸神家は、昔こそ共に盗みを働いていたが今ではもうすっかり足を洗い、人間の中で人間として暮らしていた。
ユエもまた、普通の人間としてボロい実家で家族と共に暮らしながらバイトに励んで普通の生活をしていた。
「ありがとうございましたー」
店を出て行く客に頭を下げる。ユエは近くのコンビニで働いていた。
「…」
客が途絶えたので息を吐きながらぼーっとする。
数日前のことである。知り合い程度の人から謎のプロポーズをされた。
『このマンションは俺とお前の家だ。好きなときに来ればいい。ああ、できれば暮らしてくれ』
そう言って合鍵をもらった。でもオートロックが何かがわからないのであとで聞かなければ。
(ん? あれ? 僕フツーにあの家に行こうとしてない?)
行く気がないならオートロックなんか知らないままでいい。
(…でもあの家めちゃくちゃ気になる)
隅々まで見られなかったが、部屋数がたくさんあるし対面キッチンは広かった。あんなにも広いキッチンで大好きな料理をたくさん作ってみたい…思わず憧れてしまう設備が盛りだくさんなのだ。
「タヌくんおつかれさま~」
にこにこ笑いながら店長が入口から入ってきた。確かこれから出勤だ。
「ん? なんか不思議な顔してるけどどうしたの?」
「…知り合いに謎のプロポーズされました」
「わー! おめでとう! タヌくん結婚するんだ!」
「いえ、僕にそんな気は全くなく…ていうかあんまりよく知らない人だし…」
「大丈夫だって! 僕も初対面で結婚したけど案外なんとかなるよ!」
「はあ」
初対面で結婚するのもどうかと思うけど、この人楽観的だからなあ、なんて考えているとバックヤードからもうひとりのバイトの高校生の女の子である美々(ミミ)が額に青筋を立てながら出てきた。
「店長…」
「おつかれミミくん! うわー、すごい顔。これ絶対に僕何かやらかしちゃってるね」
「これ何スか」
そう言って発注書のコピーを手渡され、店長と共にユエも見た。
「アイス…うん? すごい数発注してますね。でもこれぐらいならギリギリ大丈夫だと…」
「タヌ先輩、味を見てください」
「…三つ葉味?」
その発注書にはアイスクリームの欄に、確かに三つ葉味と書かれている。
「三つ葉って…茶碗蒸しの上に乗ってる葉っぱだよね…? あの味のアイス!?」
「そんなもん売れるわけないでしょ!?」
美々が店長の胸ぐらを掴んでガタガタ揺さぶり始めた。
「店長あんた何してんですか! 三つ葉味って何! よく見つけたましたよね逆に!」
「いやー、新発売って書いてあるから気になるじゃん?」
「じゃん? じゃないですよ! ここお店! 売るのが仕事ですよ! あんたの興味なんてどうでもいいの!」
「ははははは」
「笑いごとじゃねえんだよこの野郎!」
なんでこの店は潰れないんだろうなあと思いながら、時間になったのでユエはそそくさと退勤した。
自分の家であるボロ実家へ帰ろうとして、やはりあのキッチンが気になってしょうがないのでスマホを取り出し涼太に電話をかけてみる。
涼太はすぐに出た。
『お前からかけてくるとは思わなかった。すげー嬉しい。ありがとうユエ』
「…あの、さ、ちょっと聞くんだけど」
『おう』
「三つ葉味のアイスって売れると思う?」
『無理だろ』
「だよね。あ、えっと、そうじゃなくて違う話なんだけど、その…キッチン、使ってもいい? すごい広いし使い勝手良さそうだし設備良さそうだし気になって…」
『構わねえけど、冷蔵庫も飲みもんぐらいしか入ってないぞ』
「あ、じゃあちょっと買い物してから寄ろうかな。調味料とかってある?」
『調味料? ああ、あのみりんとかいうよくわからん液体とかか?』
「その言い方じゃあなさそうだね…。ちょっとあの広いキッチン使いたいから、色々買っていっていいかな」
『じゃあ迎えに行く。駅で待ってろ』
近くの駅で待っているとすぐに涼太がやってきた。助手席に乗り込むと、じっと顔を見つめられる。
「な、なに?」
「いやー、警戒心ねえなと思って。この前拉致ったのもう忘れてね?」
「…ハッ!」
「おまけに拉致した相手の家でメシ作ってくれるとか正気の沙汰じゃねえな。いやー、好きだよユエ」
そう言って頭を撫でられ叩き落とすと笑われた。
スーパーに行って、ガラガラとカートを押す。
「で? なに作ってくれんの?」
「あれ、涼太くんも食べるの?」
「…人ん家でメシ作ってなんで主の俺が食えねえんだよ」
「それもそっかあ。じゃあ何食べたい?」
「肉」
「お肉かあ。ハンバーグはどう?」
「めっちゃ食いたい。え、マジで作ってくれんの? マジで?」
まじまじと顔を見つめられ頷くとなぜか涼太は嬉しそうに笑う。そんなにハンバーグが好きなのだろうか。
調味料コーナーへ行きとりあえず小さめのボトルをカゴに入れると戻された。
「でかいの買っとけ。どうせお前あのキッチン使うだろ」
「…あれ? なんか住む前提になってる?」
「俺とお前が住む前提で借りてんの。どうせならいいもん買っとけ。俺が出す」
「え、じゃ、あの、これ買っていい…!?」
以前、母が貰ってきた高級な醤油。甘めですごくおいしかったけれど後日スーパーで値段を確認するとべらぼうに高くてとてもじゃないが手が出せなかった。
キラキラした目線を送ると頭を撫でられた。
「好きなもん買っとけ」
「じゃ、じゃあこのみりんと、あ! このケチャップ! 一度使ってみたかったんだ!」
「なんでも好きなもん買ってやるからいいけどよ、こんな値段で怯むな」
「…狐さんたちはすごい豪華な暮らしぶりしてるけどね、狸は質素なんだよ」
狐神一族は盗人ということもあり、乗る車や着るもの全て高価である。
一方、狸神一族はというと盗みから足を洗っているということもあり、暮らせればそれでいい、ぐらいの考えである。
そう言うと涼太がニヤリと笑った。
「俺に嫁げばいい暮らしできるぜ?」
「…質素が一番です」
「ははっ、一度いい暮らしすると抜け出せないもんだぜ」
「…」
「もう一ついいことを教えてやろう。あのマンション、さっきは借りたって言ったろ? 実は」
おいでおいでと手招きされ近づくと耳元で「一括で買った」と告げられ目が飛び出そうになった。
ーーハンバーグを作るんじゃなかった。
ユエは後悔していたがもう遅い。玉ねぎやひき肉を混ぜていると手が汚れるために、抱きついてくる涼太を引き剥がせないのだ。
「あーユエはいい匂いだなあ。サイズ感もいい。かわいい。まさか料理中までかわいいとは」
「…どいてください」
「やだ。つかハンバーグってこうやって作るんだな…初めて見た…」
振り返ると抱きついてくる涼太は不思議そうな顔で手元を見ている。
ユエは首を傾いだ。
「ハンバーグ作るの見たことないの?」
「ない。いつもは使用人が作ってるからわざわざ見ねえし」
「…え、使用人?」
「ウチに何人かいる」
「えーっと、狐さんの本家に、ってこと?」
「んーん、俺ん家。このマンションはお前と住む用の家とコレクションルームを兼ねてる」
「??」
意味がわからない。
ひたすらひき肉をこねながら首を傾いだ。
「あとであっちの6畳の部屋を見てみろ。俺が盗んだ宝が大量にある。金に困ったら売っていいぞ。あとで足がつかねえ専用のルート教えとくわ」
「大丈夫です、必要ないんで」
盗んだもののコレクションなんて見たくない。…ちょっと興味あるけど。
「ちょっと興味あるけど、って顔してんじゃねえか。かわいー」
顎を掴まれ唇に口付けられた。
「!? ちょっ! ちょっと!?」
「あ、もしかしてファーストキス? サンキュー」
「…キミのハンバーグにだけハバネロソースかけてやる!」
「俺は甘いのも辛いのも得意だ。ははっ、そんな顔すんじゃねえよ。お? ユエのスマホ鳴ってるぞ」
広いキッチンの端に置いていたスマホが鳴っている。涼太が取り上げ通話ボタンをタップした。
『もしもし、タヌ先輩?』
バイト先の美々である。
まさかこんな呼ばれ方をされていると思っていなかったのだろう、背後の涼太が吹き出した。
必死で口元を押さえながら「狸神だからってタヌはねえだろ…!」と肩を震わせている。
ユエは白い目で眺めながらも嫌な予感はした。
「お疲れ様です。えっと…ミミさんどうしたの?」
『ちょっと愚痴らせてください。店長、三つ葉味以外のアイスもこっそり発注してます』
「え…?」
『セロリ味です。以上、失礼しました』
そう言って通話は切れた。
真っ暗になった画面を見つめながら絶望する中、大笑いする涼太の大声がキッチンに響いた。
ーー出来上がったハンバーグを食べた瞬間、涼太が目を輝かせた。
「うっま!! 何これめちゃくちゃうまい! 俺が今まで食ったハンバーグの中で一番うまい!!」
「もー、涼太くん褒めすぎだよー」
と言いつつも悪い気はしない。やはり高級調味料はおいしい。今日は実家じゃないからケチらず使えたのも大きな要因だろう。
にこにこと嬉しそうに食べる涼太を見ているとこちらも嬉しくなり、ユエもハンバーグを頬張った。
うん、おいしい。
「キッチン使わせてくれてありがとうね。コンロの火力が強くてすごかった! それに広いからさ、食材いっぱい出してもまだまだ余裕があるんだよ! シンクだって銀色のやつじゃないからさ、お湯をこぼしてもさ、ベコンッ、って言わないの初めて! しかも涼太くん知ってた!? レンジにオーブン機能ついてるんだよ! 今度はパン焼かせてほしくて…」
つい語っていると涼太がにこにこ笑っていることに気づいた。
「…なに」
「いーや? お前がそうやって嬉しそうにしてんの俺すげー好き」
「…しょうがないじゃん。だってウチ人数多いのに全員が料理好きだからさ、なかなかキッチン使える順番が回って来ないんだよ」
「鍵渡してんだから好きなときに来て作ればいい。そこの棚に金入れてるから好きなだけ使え」
盗みを働いて得た金を使うのは正直どうかと思う。けれどもこのキッチンは料理好きな自分には魅力的すぎる。
なので唇を尖らせて明後日の方向を見ることでなんとなくの返事とした。
「は? 泊まらねえの?」
「え…普通に帰るに決まってるじゃん…」
「泊まっていけよ」
「…」
「ははっ、すげー警戒されてんな。まあいいか。お前が泊まらねえなら俺も自分ん家帰るわ。車出してやるから送ってく」
「……こういうさ、僕みたいな狸顔が好きなら別に僕じゃなくていいんじゃないの?」
「お前は変なとこすげー疑うな。ははっ、そういうとこも好きだぜ。じゃあ次は外でデートしよう。お前が好きな理由話してやるよ」
「……どこ行くの?」
「動物園。タヌキ見に行こうぜ」
「おいおい何があった、全壊じゃねえか…」
家らしき跡はあるけれどほぼ更地である。
思い当たる節は、長である双子のことだ。恐らくあの双子を怒らせたからこうなったに違いない。
屋敷にいた当主もその取り巻きや使用人もいそうにない。一体どこへ、と考えるも深追いはしたくない。
それと同時に狐神涼太(きつねがみ・りょうた)は、そうだ、と良いことを思いつき思い人の住む家へ行った。
ボロい玄関を蹴って入ると、リビングでのんびり茶を飲んでいた狸神ユエ(たぬきがみ・ゆえ)が目を丸くした。
「よう、ユエ。永遠にツラ貸してくんね?」
そしてユエの小柄な体を素早く抱っこして車の中へと連れ去った。
「ヒイイィッ! 何!? なにっ!?」
ぼふっ、とベッドへ投げ捨てられたユエはビクビクしながら涙目で見上げる。
そこには最近知った顔…涼太がにんまり笑いながらベッドへ上がってきた。
「なあ、ユエ」
「はいっ」
「狐神家の本家がなくなった。理由は知らんが爆破されてた」
「え、えぇっ!? キミの実家がなくなったってことだよね…?」
「正確には実家ではないけどな。当主も長もいねえ。これはしばらく大混乱が起きるだろうな」
「大変だね……でもそれと僕を拉致したことと何か関係あるのかなあ…」
いきなり家へ来たかと思えば玄関は壊され拉致され車に乗せられ、連れて来られたのは高級そうなマンション。
その一室へ入りなぜか今、大きなベッドの上に転がされている。
涼太が、にこり、と笑う。
「ユエ、お前は本当にかわいい顔してんなあ」
「どうも…??」
「狸神家は文字通りタヌキみたいな顔してる。でも一族の中でお前の顔が一番好みだ。ユエの顔はかわいい」
「どうも…??」
「というわけで結婚しよう。ユエ、ここが俺とお前の愛の巣だ」
そう言って左手を取られ薬指に口付けられる。その綺麗な動作と美しい顔にユエは思わず見惚れてしまった。
あ、すごくかっこいい。
しかしすぐにハッとする。
「いやいやいや! ウチは狸ですから! 狐さんの一族とは結婚できないから!」
「だからさっき言っただろ、本家が爆破されて大混乱だと。それに乗じて結婚すんだよ。籍さえ入れりゃこっちのもんだ」
「いやいやいや! 僕の! 僕の承諾!」
「そんなもんあとでいいだろ。どうせ幸せにしてやるんだから。な、かわいいユエ。一緒に幸せになろう」
そう言ってベッドの上で抱きしめられる。頭を撫でられ頬を撫でられくすぐったい。
その手のひらが心地よくて思わずすり寄ると、涼太ににんまり笑われた。
「お前はバカでかわいいなあ」
「…それ結婚したい相手に言うセリフじゃないと思うよ」
「いいんだよ、事実だから」
それは僕が言うならわかるけどキミが言ってどうするの。目で訴えているとその目元にキスされた。
「ん…あの、さ、そういうの…好きな人にするべきだと思うよ?」
そう言うと涼太が眉間に大量の皺を寄せた。
「は?」
「いや、あの、だから…」
「お前が好きだからお前にキスしてお前と結婚したくて何が悪い」
なかなか意味がわからなくて飲み込めない。たっぷり十秒ほどが経過してようやく意味がわかった頃にはユエは顔を真っ赤にしていた。
ぱくぱくと、口が開いたり閉じたりする。
「え、あ、え…? だって僕たち知り合ったの最近…」
「お前のそのかわいい顔に一目惚れ。で、今では性格も含めて全部好き」
「え、あ、え…?」
「好きだよー、ユエ。絶対に幸せにしてやるからなー」
再び目元にキスをされかけ慌てて手でガードすると、涼太がムッとする。
「んだよ」
「だからっ、…僕はキミのことよく知らないんだよ…」
「結婚してから知ればいい」
「ええー…」
できればお互いのことを知ってからの結婚がいい。素直にそう言うと涼太が納得しない顔をしつつも「わかった」と頷いた。
「特別に結婚前に付き合ってやる」
なんでそんなに偉そうなんだろう。
ユエはベッドに沈みながらそう思った。
狐神家は盗みを生業とする一族。涼太も漏れることなく盗人である。
一方の狸神家は、昔こそ共に盗みを働いていたが今ではもうすっかり足を洗い、人間の中で人間として暮らしていた。
ユエもまた、普通の人間としてボロい実家で家族と共に暮らしながらバイトに励んで普通の生活をしていた。
「ありがとうございましたー」
店を出て行く客に頭を下げる。ユエは近くのコンビニで働いていた。
「…」
客が途絶えたので息を吐きながらぼーっとする。
数日前のことである。知り合い程度の人から謎のプロポーズをされた。
『このマンションは俺とお前の家だ。好きなときに来ればいい。ああ、できれば暮らしてくれ』
そう言って合鍵をもらった。でもオートロックが何かがわからないのであとで聞かなければ。
(ん? あれ? 僕フツーにあの家に行こうとしてない?)
行く気がないならオートロックなんか知らないままでいい。
(…でもあの家めちゃくちゃ気になる)
隅々まで見られなかったが、部屋数がたくさんあるし対面キッチンは広かった。あんなにも広いキッチンで大好きな料理をたくさん作ってみたい…思わず憧れてしまう設備が盛りだくさんなのだ。
「タヌくんおつかれさま~」
にこにこ笑いながら店長が入口から入ってきた。確かこれから出勤だ。
「ん? なんか不思議な顔してるけどどうしたの?」
「…知り合いに謎のプロポーズされました」
「わー! おめでとう! タヌくん結婚するんだ!」
「いえ、僕にそんな気は全くなく…ていうかあんまりよく知らない人だし…」
「大丈夫だって! 僕も初対面で結婚したけど案外なんとかなるよ!」
「はあ」
初対面で結婚するのもどうかと思うけど、この人楽観的だからなあ、なんて考えているとバックヤードからもうひとりのバイトの高校生の女の子である美々(ミミ)が額に青筋を立てながら出てきた。
「店長…」
「おつかれミミくん! うわー、すごい顔。これ絶対に僕何かやらかしちゃってるね」
「これ何スか」
そう言って発注書のコピーを手渡され、店長と共にユエも見た。
「アイス…うん? すごい数発注してますね。でもこれぐらいならギリギリ大丈夫だと…」
「タヌ先輩、味を見てください」
「…三つ葉味?」
その発注書にはアイスクリームの欄に、確かに三つ葉味と書かれている。
「三つ葉って…茶碗蒸しの上に乗ってる葉っぱだよね…? あの味のアイス!?」
「そんなもん売れるわけないでしょ!?」
美々が店長の胸ぐらを掴んでガタガタ揺さぶり始めた。
「店長あんた何してんですか! 三つ葉味って何! よく見つけたましたよね逆に!」
「いやー、新発売って書いてあるから気になるじゃん?」
「じゃん? じゃないですよ! ここお店! 売るのが仕事ですよ! あんたの興味なんてどうでもいいの!」
「ははははは」
「笑いごとじゃねえんだよこの野郎!」
なんでこの店は潰れないんだろうなあと思いながら、時間になったのでユエはそそくさと退勤した。
自分の家であるボロ実家へ帰ろうとして、やはりあのキッチンが気になってしょうがないのでスマホを取り出し涼太に電話をかけてみる。
涼太はすぐに出た。
『お前からかけてくるとは思わなかった。すげー嬉しい。ありがとうユエ』
「…あの、さ、ちょっと聞くんだけど」
『おう』
「三つ葉味のアイスって売れると思う?」
『無理だろ』
「だよね。あ、えっと、そうじゃなくて違う話なんだけど、その…キッチン、使ってもいい? すごい広いし使い勝手良さそうだし設備良さそうだし気になって…」
『構わねえけど、冷蔵庫も飲みもんぐらいしか入ってないぞ』
「あ、じゃあちょっと買い物してから寄ろうかな。調味料とかってある?」
『調味料? ああ、あのみりんとかいうよくわからん液体とかか?』
「その言い方じゃあなさそうだね…。ちょっとあの広いキッチン使いたいから、色々買っていっていいかな」
『じゃあ迎えに行く。駅で待ってろ』
近くの駅で待っているとすぐに涼太がやってきた。助手席に乗り込むと、じっと顔を見つめられる。
「な、なに?」
「いやー、警戒心ねえなと思って。この前拉致ったのもう忘れてね?」
「…ハッ!」
「おまけに拉致した相手の家でメシ作ってくれるとか正気の沙汰じゃねえな。いやー、好きだよユエ」
そう言って頭を撫でられ叩き落とすと笑われた。
スーパーに行って、ガラガラとカートを押す。
「で? なに作ってくれんの?」
「あれ、涼太くんも食べるの?」
「…人ん家でメシ作ってなんで主の俺が食えねえんだよ」
「それもそっかあ。じゃあ何食べたい?」
「肉」
「お肉かあ。ハンバーグはどう?」
「めっちゃ食いたい。え、マジで作ってくれんの? マジで?」
まじまじと顔を見つめられ頷くとなぜか涼太は嬉しそうに笑う。そんなにハンバーグが好きなのだろうか。
調味料コーナーへ行きとりあえず小さめのボトルをカゴに入れると戻された。
「でかいの買っとけ。どうせお前あのキッチン使うだろ」
「…あれ? なんか住む前提になってる?」
「俺とお前が住む前提で借りてんの。どうせならいいもん買っとけ。俺が出す」
「え、じゃ、あの、これ買っていい…!?」
以前、母が貰ってきた高級な醤油。甘めですごくおいしかったけれど後日スーパーで値段を確認するとべらぼうに高くてとてもじゃないが手が出せなかった。
キラキラした目線を送ると頭を撫でられた。
「好きなもん買っとけ」
「じゃ、じゃあこのみりんと、あ! このケチャップ! 一度使ってみたかったんだ!」
「なんでも好きなもん買ってやるからいいけどよ、こんな値段で怯むな」
「…狐さんたちはすごい豪華な暮らしぶりしてるけどね、狸は質素なんだよ」
狐神一族は盗人ということもあり、乗る車や着るもの全て高価である。
一方、狸神一族はというと盗みから足を洗っているということもあり、暮らせればそれでいい、ぐらいの考えである。
そう言うと涼太がニヤリと笑った。
「俺に嫁げばいい暮らしできるぜ?」
「…質素が一番です」
「ははっ、一度いい暮らしすると抜け出せないもんだぜ」
「…」
「もう一ついいことを教えてやろう。あのマンション、さっきは借りたって言ったろ? 実は」
おいでおいでと手招きされ近づくと耳元で「一括で買った」と告げられ目が飛び出そうになった。
ーーハンバーグを作るんじゃなかった。
ユエは後悔していたがもう遅い。玉ねぎやひき肉を混ぜていると手が汚れるために、抱きついてくる涼太を引き剥がせないのだ。
「あーユエはいい匂いだなあ。サイズ感もいい。かわいい。まさか料理中までかわいいとは」
「…どいてください」
「やだ。つかハンバーグってこうやって作るんだな…初めて見た…」
振り返ると抱きついてくる涼太は不思議そうな顔で手元を見ている。
ユエは首を傾いだ。
「ハンバーグ作るの見たことないの?」
「ない。いつもは使用人が作ってるからわざわざ見ねえし」
「…え、使用人?」
「ウチに何人かいる」
「えーっと、狐さんの本家に、ってこと?」
「んーん、俺ん家。このマンションはお前と住む用の家とコレクションルームを兼ねてる」
「??」
意味がわからない。
ひたすらひき肉をこねながら首を傾いだ。
「あとであっちの6畳の部屋を見てみろ。俺が盗んだ宝が大量にある。金に困ったら売っていいぞ。あとで足がつかねえ専用のルート教えとくわ」
「大丈夫です、必要ないんで」
盗んだもののコレクションなんて見たくない。…ちょっと興味あるけど。
「ちょっと興味あるけど、って顔してんじゃねえか。かわいー」
顎を掴まれ唇に口付けられた。
「!? ちょっ! ちょっと!?」
「あ、もしかしてファーストキス? サンキュー」
「…キミのハンバーグにだけハバネロソースかけてやる!」
「俺は甘いのも辛いのも得意だ。ははっ、そんな顔すんじゃねえよ。お? ユエのスマホ鳴ってるぞ」
広いキッチンの端に置いていたスマホが鳴っている。涼太が取り上げ通話ボタンをタップした。
『もしもし、タヌ先輩?』
バイト先の美々である。
まさかこんな呼ばれ方をされていると思っていなかったのだろう、背後の涼太が吹き出した。
必死で口元を押さえながら「狸神だからってタヌはねえだろ…!」と肩を震わせている。
ユエは白い目で眺めながらも嫌な予感はした。
「お疲れ様です。えっと…ミミさんどうしたの?」
『ちょっと愚痴らせてください。店長、三つ葉味以外のアイスもこっそり発注してます』
「え…?」
『セロリ味です。以上、失礼しました』
そう言って通話は切れた。
真っ暗になった画面を見つめながら絶望する中、大笑いする涼太の大声がキッチンに響いた。
ーー出来上がったハンバーグを食べた瞬間、涼太が目を輝かせた。
「うっま!! 何これめちゃくちゃうまい! 俺が今まで食ったハンバーグの中で一番うまい!!」
「もー、涼太くん褒めすぎだよー」
と言いつつも悪い気はしない。やはり高級調味料はおいしい。今日は実家じゃないからケチらず使えたのも大きな要因だろう。
にこにこと嬉しそうに食べる涼太を見ているとこちらも嬉しくなり、ユエもハンバーグを頬張った。
うん、おいしい。
「キッチン使わせてくれてありがとうね。コンロの火力が強くてすごかった! それに広いからさ、食材いっぱい出してもまだまだ余裕があるんだよ! シンクだって銀色のやつじゃないからさ、お湯をこぼしてもさ、ベコンッ、って言わないの初めて! しかも涼太くん知ってた!? レンジにオーブン機能ついてるんだよ! 今度はパン焼かせてほしくて…」
つい語っていると涼太がにこにこ笑っていることに気づいた。
「…なに」
「いーや? お前がそうやって嬉しそうにしてんの俺すげー好き」
「…しょうがないじゃん。だってウチ人数多いのに全員が料理好きだからさ、なかなかキッチン使える順番が回って来ないんだよ」
「鍵渡してんだから好きなときに来て作ればいい。そこの棚に金入れてるから好きなだけ使え」
盗みを働いて得た金を使うのは正直どうかと思う。けれどもこのキッチンは料理好きな自分には魅力的すぎる。
なので唇を尖らせて明後日の方向を見ることでなんとなくの返事とした。
「は? 泊まらねえの?」
「え…普通に帰るに決まってるじゃん…」
「泊まっていけよ」
「…」
「ははっ、すげー警戒されてんな。まあいいか。お前が泊まらねえなら俺も自分ん家帰るわ。車出してやるから送ってく」
「……こういうさ、僕みたいな狸顔が好きなら別に僕じゃなくていいんじゃないの?」
「お前は変なとこすげー疑うな。ははっ、そういうとこも好きだぜ。じゃあ次は外でデートしよう。お前が好きな理由話してやるよ」
「……どこ行くの?」
「動物園。タヌキ見に行こうぜ」
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