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クリスside
6 婚約破棄
しおりを挟むあっと言う間に一年と五カ月が過ぎ、二人と再会する日がやってきた。
先方が迎えの魔法陣を用意してくれたので、僕と護衛で視察も兼ねて、二人を迎えに行くことになった。
そうして久しぶりに会ったヴィーナは――まるで小さいころの、まだ聖女教育を始めたばかりのころのような……少し心細そうな顔をしていて驚いた。
「ヴィーナ……か?」
「お久しぶりでございます殿下」
流れるような自然な挨拶。所作は相変わらず非の打ち所がなく美しい。しかし、表情に僅かに浮かぶ緊張が、一年五カ月もの歳月を思わせる。それもそうか。高位貴族の彼女が平民に交じって過ごすには、その期間は長すぎる。色々と苦労があったのだろう。
少し、昔に戻ったみたいな感覚になって――労いの言葉でもかけてやろうとしたのだが、狭い部屋に積み上げられた大量の荷物が目に入り、苦情がきていたことを思い出した。
一番上の箱にヴィーナの名前を見つけ、「この荷物はなんだ?」と聞けば「非常用袋です」と返ってきた。
彼女曰く、「あらかじめこれを配っておけば国民の魔物の襲撃の被害を抑えられる」と、非常食やら救急セットやらカイロやら中身を一つ一つ説明されて――ため息が出た。
彼女は何一つ変わっていなかった。相変わらず国や国民のことばかり。婚約者であるはずの僕のことなど二の次だ。
そのことに文句を言えば、今まで見たこともないような、高級なハンカチをお土産として渡された。ハンカチにはいつも通り見事な刺繍が入っていたが――そんなものはどうでもよかった。
僕は、久しぶりにヴィーナに目を奪われたのに。
あまりにも彼女の態度が、優先順位が変わっていなくて――むしろ腹が立っていた。
だから、気が付けば嫌みを言っていた。
「ヴィーナ……君には失望したよ。高級品さえ用意すれば僕が喜ぶとでも思っているのかい?」
「え……」
「何言って……」
ショックを受ける彼女の顔を見て満足していたら、周囲から男の声がした。
声の方に目をやれば、黒髪黒目の、こざっぱりとした男がこちらを睨みつけている。男が更に何か口を開こうとしたところで、ヴィーナがそいつに向かって小さく首を振る。
目と目で会話をしているような様子に僕は腹が立った。しかし――。
「クリスさまぁ! 私もクリス様にお土産を用意したんですぅ」
そこで、懐かしいリリーの甘えたような声が聞こえ、我に返った。
そうだ。僕の大事なリリー。たとえ一瞬でも、なぜ忘れていたんだろう。
彼女は僕のために、庶民の菓子を用意してくれていた。「おいしいから、クリス様にも食べさせてあげたくて」そんな可愛いことを言いながら擦り寄られると、もうリリーのことで頭がいっぱいになった。
ああ、僕のリリー。金さえ出せば手に入る高級なハンカチよりも、僕は君の用意してくれた庶民の菓子の方が何倍も嬉しいんだ。
大切な菓子を落とさないように何かないかと探せば、ヴィーナのくれたハンカチが目に入った。それで包もうとしたが、やはり小さい。
そんな時、リリーが「レジ袋」とかいう物を用意してくれた。庶民の使う物らしい。ああ、リリー。君はいつも僕だけのために、僕の知らない世界を教えてくれる。
ハンカチから手を放し、二人で協力してレジ袋に菓子を入れていく。気づけばハンカチは足元に落ちていた。まあ、いいか後で拾えば。そうしたら――。
「いい加減にしろよ! それは……」
先ほどの男が飛び出して、僕の足元に向かって手を伸ばしてきた。ハンカチを拾おうとしているらしい。
しかし、その手が届く前に。
危険を察知した僕の護衛に刺され、男は排除された。
「いやぁあああ!」
ヴィーナが悲鳴を上げ、倒れた男を抱きかかえる。そして、聖女の力を使い、癒していく――。
その姿を見て僕は猛烈に腹が立った。
見知らぬ男を腕に抱き、勝手に何をしているんだ。僕の婚約者なのに、酷い裏切りじゃないか。
それにあれほど「国が、民が」と言っておいて、他国の者にその力を使うなど――文句を言っても、ヴィーナは治療に必死でこちらを気にも留めていない。その姿を見て、一つ疑問がわいた。
いつもならすぐに。パッと跡形もなく治るのに、傷の治りが遅すぎる。
その答えは、僕に寄り添うリリーからもたらされた。
「クリス様、実は……今の彼女はほとんど聖女の力を失っているんです」
ヴィーナが僕を裏切った。その証拠に、彼女が腕に抱く男の治療はなかなか進まない。にもかかわらず今にも泣き出しそうな顔で、懸命に男の治療を続けている。
僕にはもう何年も、そんな顔を見せてくれていないのに。
僕が彼女のその顔を見たのは小さいころ。僕が大ケガをして、初めて治療をしてくれたときだけだ。その後は「やれやれ」といった感じで、仕方なく治しているようにしか見えなかった。
だからこそ、目の前の光景が許せなかった。
だから――
「聖女の力を失った以上、貴様に僕の婚約者たる資格はない。ヴィーナス・ネルケ公爵令嬢、お前との婚約は破棄し、このリリーを聖女として新たに指名する。そして――」
「僕を裏切り、国を裏切ったお前に帰る場所などない。貴様を国外追放とする!」
「……謹んでお受け致します」
僕は異世界へヴィーナを置き去りにした。
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