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氷雨 三
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俺が否定すると、千津流はさらに言い募った。
「でも、姉弟で結婚していいなんて、今の法律には書いてないよ」
そりゃ確かだ。
奨励もしていないだろう。
だけど、だからって別に罰則があるわけでもない。
中世ヨーロッパやキリスト教徒、もしくは江戸時代ならいざ知らず、少なくとも現代日本で、婦女暴行罪を別として合意の上の近親相姦で、死刑になったとか罪に問われて刑務所に入れられたなんて話聞いたことがない。
「それは……常識的すぎて、あえてわざわざ法律に書く必要のないことだからだよ」
だけど、人殺しはいけないことだって誰でも知ってるのに、法律には罰則規定がある。
だったら、姉弟同士で愛し合うことは別に罪にならないんじゃないか?
そこまで言うと千津流はさすがに反論できずに黙り込んだ。
常識・良識・道徳――社会のルール。
誰が決めたんだか、社会に生きる人間は時としてそれらを振りかざし自分の正当性を主張し、また他人を批判しようとする。
だけど、そんな漠然とした曖昧な定義でなく、何故血の繋がった人間同士で愛し合っちゃいけないのか、誰かに説明してほしい。
医学的な見地からでも精神分析学的な見地からでも動物学的な見地からでも何でもいい。
そしてその上で、じゃあ何故俺の中に千津流をこんなにも強く求める気持ちが生まれたのか、説明してほしい。
それを聞いて俺が、「やっぱり千津流と愛し合うのは間違っていたんだ」と納得できるくらいの説明を。
近親相姦という体の関係さえ度外視すれば、血の繋がった者同士が惹かれ合うのは、ある意味当然のことなのかもしれない。
結婚にしろ男女交際にしろ、本来血縁関係にない二人が時間と空間を共有するにはそれなりに認識のすり合わせが必要だ。
男女が別れる際の最大の原因に「性格の不一致」があるが、それはつまり全く別の環境と全く別の思想下で育ってきた者同士の感覚や価値観や考え方の相違によるのだろう。
その点、共に育ってきた仲のいい兄妹であれば、それらの基本的かつ最大の障害が瞬時に一掃される。
そもそも人間が家庭を作るということは、良かれ悪しかれ自分の育ってきた環境を再構築することでもあるらしい。
男が女に母性を求めたり女が父親に似た男を選んだり、弟や妹の立場にある者が伴侶の中に兄や姉的なものを認めるのはそういう理由からだという。
俺に関して言えば、幼い頃からの両親の教育のおかげで根本的な好み――何に対して居心地よく感じるか、ということや選択に迷った際どちらを選ぶか、という点では千津流と似通っている部分も多く、また違ったとしても相手がどうしてそれを選んだのか、という理由付けは聞かなくても分かる。
千津流の性格も考えていることも、何かに直面した際どういう行動を取るかも俺には手に取るように理解できる。
もちろん、いくら血が繋がっていても性差による不理解が存在することは否定しない。
それでも、そんな風に言葉がなくても意思疎通できる相手と一緒にいて心地よくないわけがないし、当然他の人間と一緒にいる時にはない安堵感を覚える。
俺が千津流を選んだのは、ただ単にその「お手軽さ」のためなのかもしれない。
友情と同性愛の境目、兄妹愛と異性愛の境目は詰まるところ何なんだろう。
結局は肉体的欲望の有無なんだろうか。
あるいは肉体的欲望を単に恋と勘違いしているだけなのか。
俺の千津流に対する思いは、一言で言ってしまえば「依存」かもしれない。
千津流がいなければ生きていけないというのはただそう思い込んでいるだけで、本当は他の女でもいいのかもしれない。
他の女を求めてみようと思ったことがないから分からないし、実のところそんなのはどうでもいい。
俺の気持ちの名前が何かなんて、俺は別に考えたくもない。
ただの支配欲だろうが独占欲だろうが、シスコンの究極形と言われようが何でも構わない。
別に近親相姦に限らず「人を好きになる気持ち」なんて、突き詰めてしまえば結局はみんなそう変わらないはずだ。
気が狂いそうなほど千津流がほしいのは事実で、千津流以外の女にそばにいてほしいとは思わないのも事実だ。
多分限りなく兄妹愛に近い異性愛も限りなく異性愛に近い兄妹愛もあって、その境目は曖昧なんだろう。
だから、俺の気持ちが何かなんて考えるのは無意味だ。
ただ、千津流はそうは思わないかもしれない。
もし千津流が自分の気持ちが限りなく異性愛に近い兄妹愛だと認識してしまって、そのせいで自分は間違っているんだと思ってしまったら――
「千津流は、俺たちの関係をいけないことにしておきたいわけ? 罪だって誰かに言ってほしい?」
「そうじゃないよ」
「俺たちの関係が罪だから、もう俺のそばにはいたくなくなった?」
もしそうなら、どうやって彼女を俺に縛り付けておこうかと刹那に考えると、千津流はにわかに涙を流しながら首を振った。
「そんなこと全然考えてないよ」
「だったら何でそんなこと言うんだよ。――怖い?」
「……少し」
それは何に対する恐れなんだろう。
俺にとっては近親相姦という禁忌よりも千津流を失うことの方がよっぽど怖いのに。
じゃあ、千津流がもし俺の姉でなかったら、血が繋がっていなかったら、全くの他人として別の出会いをしていたら、それでも彼女を求めたかと尋ねる奴も中にはいるかもしれない。
千津流が千津流でさえあるのなら、どんな形でもどんな出会いでも仮に千津流が男として生まれていても愛したはずだ、それこそが本当の“愛”だと。
だけど、それも意味のない疑問だ。
千津流は俺の姉で同じ両親から生まれて、ずっと同じ環境で育ち同じ時間を共に過ごしてきたから今の千津流になった。
その千津流と共有してきた全てのものが元になって俺は彼女を求めた。
それ以外の千津流なんて考えられないし、第一別の場所で別の環境で育てられたのならどんなに性格が同じでも顔が同じでも、それはもう俺の求める千津流じゃない。
俺自身だってそうだ。
現時点の俺を形成する要素がもし一つでも欠けていたら、きっと今とは微妙に異なる俺になっていたはずだ。
今の俺でなかったら、多分それは俺とは言えない。
「遺伝子や性格や思考回路や姿形が同じなら同一の人間である」という定義がもしあったとしたら、極端な話、双子やクローンの自己同一性はどう証明できる?
真剣な気持ちでさえあればどんな関係も許容できる、ということにはならないだろう。
近親相姦や同性愛のように分かりやすい障壁があって、それを乗り越えるからこそこの気持ちが本物なんだとも言いたくない。
「本当の愛」についての定義が存在しないのなら、俺たちの気持ちが「本物」であるかどうかを論じることがそもそも無意味だし、ならば正しいとも間違っているとも誰にも言えないはずだ。
――もちろん、俺自身にも。
両親が家を空けたその日、お互いの間にそんな不安の種が植え付けられたこともあり、俺と千津流はいつになく激しく求め合った。
千津流が俺の腕からすり抜けていってしまうような気がして、いくら抱いてもその怯えが脳裏から消えてくれず、途中から半分意識を失ったようになった千津流を明け方まで抱き続けた。
何回イッてもイカせても足りなくて、お互いのソコが摩擦で感覚が麻痺し、擦り切れそうに鈍い痛みを覚えても俺の体が鎮まることはなく、自分の体力が尽きるまで行為をやめることができなかった。
時間の感覚さえ失いかけていく中で、俺の体に重なる千津流の存在だけが確かで、お互いに与え合うものが快感なのか苦しみなのかすら、しだいに分からなくなる。
千津流も最後には喘ぎすぎて声が出なくなり、自分の意志では指一本動かせないくらいに消耗した。
涙や汗や唾液や体液にまみれベッドもお互いの体もベトベトになり、雨の音がやみ、鳥の声が聞こえ夜が白々と開けてくる頃、そんな疲れ切ったお互いの身を寄せ合って俺たちはようやく深い眠りに落ちた。
「でも、姉弟で結婚していいなんて、今の法律には書いてないよ」
そりゃ確かだ。
奨励もしていないだろう。
だけど、だからって別に罰則があるわけでもない。
中世ヨーロッパやキリスト教徒、もしくは江戸時代ならいざ知らず、少なくとも現代日本で、婦女暴行罪を別として合意の上の近親相姦で、死刑になったとか罪に問われて刑務所に入れられたなんて話聞いたことがない。
「それは……常識的すぎて、あえてわざわざ法律に書く必要のないことだからだよ」
だけど、人殺しはいけないことだって誰でも知ってるのに、法律には罰則規定がある。
だったら、姉弟同士で愛し合うことは別に罪にならないんじゃないか?
そこまで言うと千津流はさすがに反論できずに黙り込んだ。
常識・良識・道徳――社会のルール。
誰が決めたんだか、社会に生きる人間は時としてそれらを振りかざし自分の正当性を主張し、また他人を批判しようとする。
だけど、そんな漠然とした曖昧な定義でなく、何故血の繋がった人間同士で愛し合っちゃいけないのか、誰かに説明してほしい。
医学的な見地からでも精神分析学的な見地からでも動物学的な見地からでも何でもいい。
そしてその上で、じゃあ何故俺の中に千津流をこんなにも強く求める気持ちが生まれたのか、説明してほしい。
それを聞いて俺が、「やっぱり千津流と愛し合うのは間違っていたんだ」と納得できるくらいの説明を。
近親相姦という体の関係さえ度外視すれば、血の繋がった者同士が惹かれ合うのは、ある意味当然のことなのかもしれない。
結婚にしろ男女交際にしろ、本来血縁関係にない二人が時間と空間を共有するにはそれなりに認識のすり合わせが必要だ。
男女が別れる際の最大の原因に「性格の不一致」があるが、それはつまり全く別の環境と全く別の思想下で育ってきた者同士の感覚や価値観や考え方の相違によるのだろう。
その点、共に育ってきた仲のいい兄妹であれば、それらの基本的かつ最大の障害が瞬時に一掃される。
そもそも人間が家庭を作るということは、良かれ悪しかれ自分の育ってきた環境を再構築することでもあるらしい。
男が女に母性を求めたり女が父親に似た男を選んだり、弟や妹の立場にある者が伴侶の中に兄や姉的なものを認めるのはそういう理由からだという。
俺に関して言えば、幼い頃からの両親の教育のおかげで根本的な好み――何に対して居心地よく感じるか、ということや選択に迷った際どちらを選ぶか、という点では千津流と似通っている部分も多く、また違ったとしても相手がどうしてそれを選んだのか、という理由付けは聞かなくても分かる。
千津流の性格も考えていることも、何かに直面した際どういう行動を取るかも俺には手に取るように理解できる。
もちろん、いくら血が繋がっていても性差による不理解が存在することは否定しない。
それでも、そんな風に言葉がなくても意思疎通できる相手と一緒にいて心地よくないわけがないし、当然他の人間と一緒にいる時にはない安堵感を覚える。
俺が千津流を選んだのは、ただ単にその「お手軽さ」のためなのかもしれない。
友情と同性愛の境目、兄妹愛と異性愛の境目は詰まるところ何なんだろう。
結局は肉体的欲望の有無なんだろうか。
あるいは肉体的欲望を単に恋と勘違いしているだけなのか。
俺の千津流に対する思いは、一言で言ってしまえば「依存」かもしれない。
千津流がいなければ生きていけないというのはただそう思い込んでいるだけで、本当は他の女でもいいのかもしれない。
他の女を求めてみようと思ったことがないから分からないし、実のところそんなのはどうでもいい。
俺の気持ちの名前が何かなんて、俺は別に考えたくもない。
ただの支配欲だろうが独占欲だろうが、シスコンの究極形と言われようが何でも構わない。
別に近親相姦に限らず「人を好きになる気持ち」なんて、突き詰めてしまえば結局はみんなそう変わらないはずだ。
気が狂いそうなほど千津流がほしいのは事実で、千津流以外の女にそばにいてほしいとは思わないのも事実だ。
多分限りなく兄妹愛に近い異性愛も限りなく異性愛に近い兄妹愛もあって、その境目は曖昧なんだろう。
だから、俺の気持ちが何かなんて考えるのは無意味だ。
ただ、千津流はそうは思わないかもしれない。
もし千津流が自分の気持ちが限りなく異性愛に近い兄妹愛だと認識してしまって、そのせいで自分は間違っているんだと思ってしまったら――
「千津流は、俺たちの関係をいけないことにしておきたいわけ? 罪だって誰かに言ってほしい?」
「そうじゃないよ」
「俺たちの関係が罪だから、もう俺のそばにはいたくなくなった?」
もしそうなら、どうやって彼女を俺に縛り付けておこうかと刹那に考えると、千津流はにわかに涙を流しながら首を振った。
「そんなこと全然考えてないよ」
「だったら何でそんなこと言うんだよ。――怖い?」
「……少し」
それは何に対する恐れなんだろう。
俺にとっては近親相姦という禁忌よりも千津流を失うことの方がよっぽど怖いのに。
じゃあ、千津流がもし俺の姉でなかったら、血が繋がっていなかったら、全くの他人として別の出会いをしていたら、それでも彼女を求めたかと尋ねる奴も中にはいるかもしれない。
千津流が千津流でさえあるのなら、どんな形でもどんな出会いでも仮に千津流が男として生まれていても愛したはずだ、それこそが本当の“愛”だと。
だけど、それも意味のない疑問だ。
千津流は俺の姉で同じ両親から生まれて、ずっと同じ環境で育ち同じ時間を共に過ごしてきたから今の千津流になった。
その千津流と共有してきた全てのものが元になって俺は彼女を求めた。
それ以外の千津流なんて考えられないし、第一別の場所で別の環境で育てられたのならどんなに性格が同じでも顔が同じでも、それはもう俺の求める千津流じゃない。
俺自身だってそうだ。
現時点の俺を形成する要素がもし一つでも欠けていたら、きっと今とは微妙に異なる俺になっていたはずだ。
今の俺でなかったら、多分それは俺とは言えない。
「遺伝子や性格や思考回路や姿形が同じなら同一の人間である」という定義がもしあったとしたら、極端な話、双子やクローンの自己同一性はどう証明できる?
真剣な気持ちでさえあればどんな関係も許容できる、ということにはならないだろう。
近親相姦や同性愛のように分かりやすい障壁があって、それを乗り越えるからこそこの気持ちが本物なんだとも言いたくない。
「本当の愛」についての定義が存在しないのなら、俺たちの気持ちが「本物」であるかどうかを論じることがそもそも無意味だし、ならば正しいとも間違っているとも誰にも言えないはずだ。
――もちろん、俺自身にも。
両親が家を空けたその日、お互いの間にそんな不安の種が植え付けられたこともあり、俺と千津流はいつになく激しく求め合った。
千津流が俺の腕からすり抜けていってしまうような気がして、いくら抱いてもその怯えが脳裏から消えてくれず、途中から半分意識を失ったようになった千津流を明け方まで抱き続けた。
何回イッてもイカせても足りなくて、お互いのソコが摩擦で感覚が麻痺し、擦り切れそうに鈍い痛みを覚えても俺の体が鎮まることはなく、自分の体力が尽きるまで行為をやめることができなかった。
時間の感覚さえ失いかけていく中で、俺の体に重なる千津流の存在だけが確かで、お互いに与え合うものが快感なのか苦しみなのかすら、しだいに分からなくなる。
千津流も最後には喘ぎすぎて声が出なくなり、自分の意志では指一本動かせないくらいに消耗した。
涙や汗や唾液や体液にまみれベッドもお互いの体もベトベトになり、雨の音がやみ、鳥の声が聞こえ夜が白々と開けてくる頃、そんな疲れ切ったお互いの身を寄せ合って俺たちはようやく深い眠りに落ちた。
応援ありがとうございます!
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