燕の軌跡

猫絵師

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「すまん」とワルターは俺に謝った。

戻ったワルターは見た目が随分変わっていたが、そんなことはどうでもよかった。ワルターは生きている。

遺体袋に手を伸ばした…

帰ってきてないのは一人だけだ…

中を確認した。

出来の悪い冗談のような、そんな印象だった。

「別れが済んだら埋めるから…教えてくれ」とワルターは俺に言った。

「…あぁ…わかった…」とだけ答えて死体の入った袋の口を閉めた。

実感が湧かない。ふざけて飛び起きて「冗談だよ、驚いた?」と言いそうな気がしたが、それもなかった…

間違いなくオーラフは死んでいた。

ヘラヘラ笑って、冗談ばかり言う陽気な男は冷たく硬くなっていた。

「仕事が…まだ残ってる」と言って、仲間をテントから追い出した。

死体と二人きりになった。死体は静かだ…

思えばずっとやかましい奴だった…


『他人様の家の前で何してる?』

家の前に大道芸人が居た。

周りに子供たちが群がって、キンキンした声で騒ぐから二日酔いが酷くなった。

『ごめんごめん、他所でするよ』とヘラヘラ笑う若い男は、俺に謝ると子供を連れて別の場所に歩いて行った。

愛想の良い、俺とは正反対の男はしばらくして戻って来た。

オレンジを持って戻ってきた男は『二日酔いだろ?』と果物を勧めた。勝手に上がり込んで、勝手に台所を使って、勝手に皿を出すと切ったオレンジを並べた。

あまりに自然に溶け込んだので追い出すのも忘れてた。

『あんたさ、割と男前なのに、ひでぇ仏頂面だな』

そう言って、また勝手に自分の商売道具を取り出すと頼んでも無いのに手品を始めた。

物を出したり消したりする指先を目で追っていると、男は嬉しそうに笑って、『楽しい?』と訊ねた。

彼は俺の手首を指さして『それ良くないぜ』とお節介を焼いた。

気に入らないことがあると、酒を飲んで自傷する悪い癖があった。死にたいと思ってる訳じゃないが、他人を刺すよりは、自分を傷付けて消化する方が効率が良かった。

若い道化師は居座ってなかなか帰らなかった。

痺れを切らした俺の方が『帰らんのか?』と訊ねると、『帰る場所なんて無いよ』と当たり前のように答えた。

『俺は流れ者の《エッダの民》だもん』と素性を明かした。

定住しない流民の一族で、だいたい家族単位の集合体で家畜を連れて旅をしてる。中には行商や旅芸人のような商売をして暮らす者もいるが、一人で居る奴は珍しかった。

『一人か?』

『うん、一人』

『家族は?』

『居たよ。でももう居ない』と答えて、あいつはヘラヘラ笑った。その笑顔の裏は寂しそうだった。

『一晩で良いからさ、泊めてよ』と若い道化師は図々しく宿を求めた。屋根の下で寝たかったのだろう。

元々、女より男の方が好きだった。

風呂屋に連れて行って小綺麗にして、抱いて、一緒に寝た。

一晩でいいって言ったくせに、あいつはヘラヘラ笑って次の日も俺の隣で寝た。関係はその後も続いた。

あいつは出ていこうとしなかったし、俺も追い出す気はなかった。

いつからか、手首に傷は増えなくなった。

俺がイライラしてると、オーラフは察して、子供でもあやす様に芸を見せて気を紛らわせた。

あいつはワルターやフリッツたちとも馴染んで、傭兵として名が売れてからも変わらず一緒に暮らしてた。

同じ屋根の下、一つの寝床を共有した。歪んだ関係はずっと続いていた。

年下の道化師に癒されて、少しだけ他人と一緒に笑えるようになった。

俺がお前をあの日、部屋から追い出していれば、こんな風に死ななかったのにな…

今もどっかで、道化を演じながら、子供たちに囲まれて笑ってたかもしれないのに…

震える手で煙草を咥えた。

時間が経過するにつれ、連れ合いを失った事実が俺の中に染み込んで、胸の中が悲しく、重い色に染まっていく。

そんな感覚に耐えきれなくなり、ナイフを手にした。

手首に結んだ紐を見て、ダメだと思いながら手首を傷つけた…

『お守りだ』と言ってオーラフが結んだ紐は、俺の手首を守りきれなかった。

二度、三度とナイフを引いた。皮膚を裂く痛みと、熱い血が溢れて滴った。

「…うぅ」手首を切った程度の痛みでは重い心は忘れられなかった。

「あ…あぁ…」苦しい…痛いなんてどうでもいい…

苦しいから逃げたかった。ナイフを首筋に当てた。

一緒にいて欲しかった。

頭のおかしい子供として両親に捨てられて、必死に生きたけど、俺はまともな人間じゃない。他人と長続きなんてしなかった。

ワルターとも、最初は深くならないように、仕事だけこなしていた。

あいつらも、別に深く踏み込んでこなかった。

人の心に、土足でズカズカ入り込んできて、勝手に居座ったのはあの道化者だけだった。図々しい猫みたいに寝床を求めた男は、代わりに温もりをくれた。

『俺バカだから、難しいこと分かんないけどさ。

あんたを一人にしたらダメな気はするよ』

そう言って俺の寂しさを察した男は、他人とのかすがいになってくれた。あいつが俺を柔らかくしてくれた。

危なげな喧嘩もしたけど、一緒にいられたのはオーラフだったからだ。

お前が居ない世界には色がない…

ナイフを首に走らせた。

痛みはあったが、浅かった。

まだ足りない…

自分血で濡れたナイフをまた握った。

息が荒くなる。死ぬのは怖い…でも…

「何してるの!」突然湧いた幼い声が俺の凶行を止めた。

スーは断りもせずに勝手にテントに入り込んで、俺からナイフを取り上げた。

鮮やかな紫の瞳が俺を睨んだ。

「ダメ!ダメだよ!なんてことしてるんだよ!」

取り上げる時にスーの手が傷付いて血が滲んだ。

何で怪我までしてナイフを取り上げるのかよく分からなかった…

「…返せよ」

「ヨナタンのバカ!オーラフの前で何やってるんだよ!」

「あれはオーラフじゃない!」スーに怒鳴り返した。

「あれは!…あれはもう」血塗れの手で顔を覆った。受け入れ難い現実から目を背けた。

八年もの歳月が崩れ落ちた。俺が生きてきた中で一番色のある八年だった…

楽しかったんだ…誰かと一緒に居られて嬉しかったんだ…

色が消えた、温もりも消えた、賑やかだった音も失われた…

オーラフは俺の前から消えた…

「《レスティトゥエレ》」

スーが魔法を使った。痛みが引く。また重い心が際立った。

「やめろ!やめてくれ!」振り払おうとした手をスーが掴んだ。手首の傷が熱と痛みを失った。

「ダメだよ、オーラフから君の事を頼まれたから」

そう言って、スーは泣きながらオーラフの言葉を伝えた。

「オーラフは君に『ありがとうって、ごめんって言って。それから、笑って生きてって伝えて』って僕に残したんだ…」

『ひでぇ仏頂面だな』と笑ったあいつの声が記憶の中で響いた。

『《笑い》ってのは金と一緒で寂しがりなんだ、あるところに集まるのさ。

だからあんたは寂しんだ。笑えばいいんだよ。簡単なことだろ、ヨナタン』と陽気な男は尤もらしいことを言って説教した。

バカのくせに俺に説教するなんて図々しい奴だ。

目の前でスーは泣いていた。大粒の涙をオーラフと俺のために流してくれた。

「買い出しだって…一緒に行ってって…君は寂しがりだから…オーラフは…君の事…」

「…分かったよ、悪かった…」

しゃくりあげながら、途切れ途切れの言葉を紡ぐスーに手を伸ばして抱きしめた。温かい生きてる体温が身体に染みた。

「ありがとう」と自然に感謝の言葉が出た。

真っ黒な髪を撫でた。スーを撫でて、少しだけ落ち着きを取り戻した。

テントに置かれた遺体袋に目が行った。

やっと涙が出た。頬を伝って落ちた涙はオーラフのためのものだ。

「ヨナタン…これ返すよ」とスーがミミズクを俺に返した。

俺の持っている子供に反応して、ミミズクはカタカタと首を回した。

ミミズクを受け取って、子供をポケットから取り出した。

オーラフの遺体は持ち帰れない。持って帰るまでに腐ってしまう。この土地に他の奴らと一緒に埋葬される。

遺体袋を開けて、死体に向き合った。

こんな場所に置いていく俺を許してくれ…

固くなった口をこじ開けて、子供のフクロウをオーラフの口に含ませた。

「いいの?」とスーが訊ねた。

「いいんだ…これでこいつがどこに眠ってるか分かるから…」

別れに、火を点けた煙草を彼に咥えさせた。

煙は真っ直ぐに昇ってテントの天井にぶつかって消えた。

スーと二人、オーラフを見送った。

✩.*˚

涙も涸れた…

川の流れる音を聞きながら、エドガーの死体を抱いて呆然と星の瞬く夜空を眺めていた。

《祝福》に起因する傷跡は、全て最初から無かったかのように消えた。

ずっと見えていなかった右目が見えるだけで、世界は全く違って見えた。

遠くの星までよく見えた…

引き攣った傷跡はなくなって、代わりに刺青のような模様が腕や胸に刻まれていた。

指も曲がるし、身体の動きを制限する火傷の痕も無い。エドガーの髪も指で梳く事が出来た。

意外と、柔らかい髪だった。

気まぐれで拾ったのに…求められてそばに置いた。

勝手に俺を《相棒》と呼んで、付きまとっていた男は、『大好き』とくだらないセリフを吐いて事切れた。

最後まで迷惑な奴だ…

俺に殺された様なもんなのに、お前は俺を恨みもせず、最後まで俺を求めてくれた…

最後の声は呪いのように俺に刻まれた。

もう戦えない…

ぽっかりと穴の空いた胸は寒くて凍えた。

知ってた…

お前が無茶苦茶なのは、全部俺の為にしたことだって知っていた。

「馬鹿野郎…」呟いた声は掠れて、湿った夏の空気に溶けた。誰もこの声を拾ってくれない…

俺はまた一人になった…

遅いんだ…何もかも…

母親が死んで《祝福》に目覚めた。エドガーを失って《英雄》になった。

順序が逆なら、大切なものを失う前に守れたのに…

もう、こんなもの要らないというのに…

それなら、もっといいものを、孤独を埋めてくれるような大切なものを与えてくれ!神などクソ喰らえだ!

ネズミがエドガーの死体に寄ってきた。

ネズミを追い払おうと手に炎を宿したが、炎はもう俺を蝕もうとはしなかった。従順に掌に留まり、消えろと願えばすぐに消えた。

「…もしや、《烈火》殿ですか?」

俺を呼ぶ声がした。

川辺の雑木林から現れたのは、目深にフードを被り、ネズミを連れた男の姿だった。

俺の変わり果てた姿に、デニスは言葉を詰まらせた。

「その姿は…一体…」

「人違いだ」と答えた。

「お前たちが《烈火》と呼ぶ男なら死んだ」と答えた。

そうだ…俺は相棒エドガーと一緒に死んだんだ…

デニスは迷ったような素振りを見せたが、俺のそばにゆっくり近づいて傍らに立った。

俺の抱いた死体がエドガーだと気付いたようで、驚いた顔をしたが、寄り添うように隣に座った。

「私も死んだ人間です」と彼は悲しく呟いて膝を抱えた。

「ウィンザーはまた《太陽》を失いました」と告げた。

「スペンサー殿が…亡くなったのか?」

「はい」と涙声で答え、デニスは肩を震わせた。

ネズミが震える肩によじ登り、主人の顔を覗き込んだ。チッチと鳴くネズミは、デニスに何と伝えているのだろう?

腕に抱いたエドガーの死に顔を見下ろした。

殴ったらまた起きそうな、そんな顔をしていた。

「…閣下は…残った兵士らに降伏するように通達されました。傭兵たちの殆どは、すぐにオークランドに逃げ帰りました」

「…そうか」

「私は、やるべきことを済ませて閣下のおそばに参ります。供は許されないと厳命されましたが、一人くらいお世話係が必要でしょうから…」とデニスは寂しく呟いた。

「デニス、お前は何故そこまでスペンサー殿に尽くす?」ふとそんなことを訊ねた。

デニスは「息子とはそういうものです」と答えた。

「もちろん実子ではありません。

でも、閣下はこんな気味の悪い能力を、『役に立つ』と認めてくださいました。

捨て子だった私に《父》として接してくださいました。

私は必要とされたのです。御恩に報いることは叶いませんでしたが…私…は…閣下の…息子として…幸せ…で…」

嗚咽が言葉を遮った。最後まで喋れなかったのは、想いの深さゆえだろう。すすり泣く声が川の流れる音に混ざり、夜の闇に溶けた。

「…俺と一緒に来るか?」と勝手に口が動いた。

「オークランドにですか?」と訊ねるデニスに、「オークランドにはもう帰らない」と答えた。

この能力が知れたら、また戦場に駆り出されるのは目に見えていた。他人のために戦うのなんてもう御免だ。

「神様とやらの言いなりになる気は無いんでな」と言う俺に、デニスは首を傾げた。

「せっかく別人みたいになったんだ。死んだつもりで一からまたやり直す」

「本当に別人みたいですね」とデニスは小さく笑った。

「一緒に来るか?」とまた訊ねると、デニスは「良いんでしょうか?」と訊ね返した。

「気味の悪い能力でしょう?それに私のなりだって普通じゃない」そう言って彼は顔を隠していたフードを取り払った。

白い肌に白い髪、深紅の瞳。アルビノと呼ばれる色を持たない人間だ。

その姿を見ても、俺の考えは変わらなかった。

「お前はスペンサー殿が認めた、役に立つ男だろう?」と答えた。

俺の返事に、デニスは「本当に別人みたいですね」とまた笑った。

二人でエドガーを夜空に送った。

あいつもまた巡ってくるのだろう…

エドガーだったものは炎を焼かれて灰になった。

あいつのファルシオンを持って川原を後にした。

別れの言葉は言わなかった…

✩.*˚

「よぉ、元気そうだな」

煙草の煙を吐き出して、歩み寄って来る男に先に声をかけた。

木箱の上に座った俺の姿を見て、「ちょっと見ないうちに随分変わったな」とフリッツは笑った。

お前も酷い格好だろ、と思ったが口にはしなかった。

二人とも生きて帰れたが酷い有様だ。

フリッツは満身創痍で、自慢のハルバードは杖の代わりになってしまっていた。

俺はというと、髪も目も色が変わってしまった。

手や腕くらいかと思っていた刺青のような模様も、背中や胸にも刻まれていた。

自分でも誰だよって思う…

悪趣味な見世物にでもなった気分だ。

「結局、いい所はシュミットが全部持ってっちまったな」と言って、フリッツも煙草を咥えた。

「持たせてやれよ、そのくらい良いだろ?」と笑った。

この戦での戦功一位は間違いなくシュミットだ。

その彼は、スペンサーに一騎打ちで勝ったというのに、全然嬉しそうじゃなかった。

黙々と事後処理をして、今もまだ本営で指示を出しているのだろう。本営の明かりは眠ることなく点っている。

スペンサーの遺体は一旦こちらの本営に預かったが、シュミットはウィンザー勢に返還するつもりでいるらしい。

反対する者も居たが、『ヘルゲン子爵閣下ならそうする』との言葉に、皆が口を噤んだ。

最終的に、パウル様に判断を委ね、報告を携えた早馬がユニコーン城に走った。

「なんか…意外とあっけない終わり方だったな…」とフリッツは噛み締めるように呟いた。

「それな」と答えて新しい煙草を手にした。フリッツが火をくれた。

「今回は《顔剥ぎ》に引っ掻き回されて、《烈火》に苦戦してもう散々だった」と俺がボヤくと、フリッツは「もう一人ヤバい奴がいた」と笑った。

「あぁ」と苦笑いが漏れた。

「あいつにも随分振り回されたな」と言って、二人で《あいつ》の噂をした。

「ヘンリックから聞いたぞ、《妖精》みたいだったってな」

「《妖精》なんて可愛いもんか!あいつが敵じゃなくて良かったよ」

「武勇伝は誰から聞けばいい?」

「本人から聞けばいいんじゃねぇか?」と答えると、そこにエルマーが通りかかった。

「スーは?」とエルマーは相変わらずスーを探していた。

肩を竦めて分からないとジェスチャーを返すと、「あっそ」と言いながら俺たちのところに歩み寄った。

「探しに行かねぇのか?」

「どうせ『ワルター!』ってお前を探しに来るよ。

入れ違いになっても良くないから、お前を餌にここで待つさ」と一緒になって煙草を出して咥えた。

「しかし面白いもんだな、《英雄》ってこんな風になるのかい?俺は御免だね」とエルマーは俺の変わってしまった姿を茶化した。

「バカにしてんのか?」と凄むが、エルマーは相変わらず口元に笑みを浮かべたままだ。

「そうか?お前は似合ってるよ。かっこいいじゃん、なぁ?」とエルマーは手近な人物に同意を求めた。

同意を求められたフリッツは、答えないでいいように煙草を口に含んだ。

こういう時に賑やかしてくれる男がいなくなったから、気の利いた言葉も出てこない。

気まずい沈黙に陽気な大男が割り込んだ。

これまた満身創痍の姿だが、悲壮感はこの男には似合わなかった。

「何だ?野郎ばかりで慰労会か?混ぜてくれよ?」と豪快に笑ったヘンリックの隣にはゲルトの姿があった。彼も無事で何よりだ。

「ガキども湿気てんな、酒は無いのか?」とゲルトは酒を要求した。

エルマーが「爺さん元気だな」と呆れたように笑った。

「ふん!若いくせに、だらし無い奴らだ!」

「爺さんに元気の秘訣をご教授頂きたいもんだね」とエルマーが皮肉を口にすると、ゲルトはでデカい声で返した。

「そんなの決まってる!金を貰って、女買って酒を飲む!それだけだ!」

「…元気な爺さん…」

「それ以外ねぇが、俺はそれだけで15の頃からやってんだ!傭兵なんてそれさえありゃ何処でも生きていけるんだ!

お前らも湿気てないでさっさと女でも抱いてこい!」

「無茶苦茶な…」と眉をひそめた俺にゲルトは笑って見せた。

「生きる理由なんてその程度でいい。複雑な理由なんていらねぇんだ。シンプルに生きろ、ガキども」

「まぁ、叔父貴ほど割り切れねぇよ」とヘンリックは慣れた様子でゲルトの演説を聞いて笑っていた。

変わんねぇな、この二人は…

「ワルター、あのチビはどうした?」ゲルトがスーの所在訊ねた。

「さあ?分からんが、ソーリューの所か、オーラフに別れでも言いに行ったんだろうよ」スーは少し前に起きてテントから姿を消した。

知り合いの少ないあいつの事だ。行先なんてたかが知れてる。どうせ用事が済んだらまたふらっと帰ってくるのだろう。

「あのガキんちょ、俺に二つ名を考えておけと言ったのに、一向に貰いに来ねぇ」とゲルトは腕を組んで憤然とした様子でため息を吐いた。

「叔父貴も真面目だな」とヘンリックが小さく笑った。ここに顔を出した理由はそれらしい。

「何にしたんだ?」とエルマーが訊ねた。

「本人より先に聞く気か?」と俺がたしなめると、「だって気になるじゃん」とエルマーは機嫌よく笑った。降って湧いたイベントを楽しんでいるようだった。

「何の集まりだ?」と真っ黒い人影が滑るように現れた。ソーリューの後ろからスーが顔を出した。

「お!来たな!」とヘンリックがスーの姿を見て歓迎した。ヘンリックがスーを腕の中に招く前にエルマーが邪魔をした。

「腹減ってるだろ?」と菓子を取り出してスーに餌付けした。

「お前は下心しかないからお触り禁止だ」とヘンリックにはしっかり釘を刺していた。

それでも、合流したばかりの頃に比べれば、少し冗談のような響きがあった。

ヘンリックも苦笑いして肩を竦めて諦めた。

ヘンリックの巨躯を押しのけてゲルトが前に出た。

「おう、生きてたな、ガキ」と、わざと意地悪く言う。素直じゃない爺さんだ。

「お爺さんも元気そうだ」とスーはゲルトを見て、男の子みたいに悪戯っぽく笑った。

「いい面構えになったな」とゲルトはスーを褒めた。

「傭兵の名前をやるよ」と言って、老兵は新米の傭兵に二つ名を与えた。

「《黒い妖精》がお前の通り名だ。俺から名前を貰うなんて…」

「ダサい!」大先輩の言葉を遮ってスーが叫んだ。

一同がぽかんと口を開いて固まる。スーは不満そうにゲルトに食ってかかった。

「何のひねりもないじゃないか!本当にちゃんと考えたの?!お爺さんのセンスじゃそれが限界?!」

「お前なぁ…」と言いつつも俺も笑ってしまう。やっぱりこいつはガキだ…

「まんまじゃないか!僕ずっとそれ使うんだろ?!やだよ!ダサいもん!」

「傭兵の名前なんてシンプルな分かりやすいのが一番いいんだ!それで雇われるんだ!文句言うな!」

「やだよ!ワルターみたいなカッコイイのがいい!」

「アホか!俺のこそまんまだろうが!」と我儘を言うスーをたしなめた。

「俺なんか《赤鬼》だぜ、まんまだろう?」とフリッツが苦く笑った。お前のも相当だな…

「それ言うなら俺の《嘲笑》だって微妙だよな」エルマーがそう言ってソーリューにも二つ名を訊ねた。

「ソーリューは《黒い小鬼》だったよな?」

「あまり呼ばれたことがないな…」

「《黒い小鬼》と《黒い妖精》って師弟っぽいな」とエルマーが笑った。

「《黒い妖精》、悪くないと思うがな」

「もっとカッコイイのが良かったのに…」

「傭兵なんてそんなもんだ。騎士様みたいな気取った名前じゃ飯食えないぞ。

なんなら悪そうな名前の方が売れるからな」と俺が言うと、ゲルトが意地悪く「《悪童》にしてやりゃ良かったか?」と呟いた。

「うわぁ…そっちの方が嫌だ…」と言うスーに、《悪童》と聞いたソーリューが含むように笑った。

「やっぱりスーは見所がある」

「この流れで何でそうなるんだ?」と訊ねると、ソーリューは「俺のガキの頃の渾名あだなだ」と笑った。

「俺に比べりゃ可愛いもんだ」とソーリューは懐かしそうに笑った。

「俺は評判の孝行者だったがね」とエルマーが自慢げに呟いた。スー以外はみんな一様に同じ反応だ。

「お前が?」

「何だよ?昔はいい子だったんだぜ。

家の手伝いもするし、弟の面倒も見る、近所じゃ評判のいい子だったんだぜ」

「随分グレちまったんだな」

「まぁな」とエルマーは自嘲するように笑って、寂しさを紛らわすように煙草を口元に当てた。

「そんなことないよ。エルマーはいい人だ」

スーがエルマーに笑いかけた。

エルマーは少し笑ってスーの頭を撫でた。《嘲笑》の二つ名の悪党はもうそこにはいなかった。

「お前も名前考えてもらえよ」と意地悪く笑うと、エルマーは「やだね」と断った。

「今よりダサい名前は御免だ」と笑いながら煙草を捨て「お前の事じゃねえよ」とスーに告げた。

「さぁて…明日から別の仕事が待ってるな…」とヘンリックがボヤいた。

「あぁ、嫌な仕事が山積みだ」フリッツも同意して、ため息を吐くとハルバードを握り直した。

仲間がどれだけ死んで、被害がどのくらいで、死体の片付けやらの自分たちのことに加え、残党処理など、最後まで本営の尻拭いにこき使われる。

結局主な戦闘が終わっても、後片付けが長引けば半年ほど拘束されることもあった。

「さっさと終わらせてドライファッハに帰らねぇとな」と言った俺に、フリッツが首を傾げた。

「お前、帰れるのか?」

「帰るよ、何言って…」と言いかけて言葉が止まる。

一番思い出したくない事を思い出した…

「お前ら、俺は死んだことにしろ」

俺の無茶ぶりに事情を知らないエルマーとスーが目を丸くした。

「はぁ?何言って…」

「どうしたのさ?急にそんなこと言って!」

「何だ?知らない奴らが居るのか?」とヘンリックが呆れ顔で俺を見た。

「お姫様と結婚するんだろ?」と要らない一言をサラリと言ってのけた。

「…は?」 

「おい、俺も聞いてないぞ!」

伝えてなかったスーとエルマーはもちろん、ゲルトまで声を上げた。

ソーリューも「鬼が姫を貰うとはな」と驚いた様子だった。

「あっ!もしかしてロンメルの姫ってその事?」とスーが思い出したように俺に確認した。

「あー!もう!そうだよ!だから死んだことにしてくれ!」ヤケクソになって肯定した。

「何だよ?《烈火》相手に一歩も譲らなかったくせに、相手はどんな醜女だよ」とエルマーが茶化した。

まだ、いっそ醜女の方が良かった…

「いや、かなりの別嬪だったぞ。

ヴェルフェル公子様の十四女で《白鳥姫》って呼ばれるくらいの器量良しだ」と余計な情報を流すフリッツを睨んだが、あいつはニヤニヤ笑っていた。

「何が気に入らねぇんだよ?」エルマーが首を傾げた。

「…13」苦く呟くとエルマーは「なにが?」と首を傾げた。

「歳だよ…13歳だ」言ってる自分でもゾッとする。これじゃ親子だ。

流石にその場の全員が言葉を失った。知ってるはずのフリッツやヘンリックも何も言えずに口を噤んで煙草を咥えた。

「人間だとそういうのもあるの?」スーが首を傾げながら訊ねた。

「まぁ、無くもないが…27歳差はキツイな…」スーの問いにフリッツは苦く笑った。

「何だ、たった27歳違うだけなら誤差だよ」とスーは笑ったが冗談じゃない!

「エルフの感覚で言うな!俺は御免だぞ!」

「まぁ、そういう考え方もあると諦めろ」とヘンリックに肩を叩かれた。

「じゃあ、怪我人はもう休ませてもらう」とヘンリックはゲルトと一緒に帰って行った。

「そう睨むなよ」とフリッツも笑って立ち去ろうと腰を上げた。

「いい子そうだったろ?大事にしてやれ」と捨て台詞を残して、来た時と同じ道を戻って行った。

エルマーも笑いながらスーの頭を撫でて、立ち上がった。

「最後に面白い話も聞けたしな、俺ももう寝るわ」

「おやすみ、エルマー」とスーがエルマーを見送った。

ソーリューも「寝る」と言って振り向きもせずに立ち去った。

スーと二人残されて、手にしてた煙草を吸い切って立ち上がった。

「ワルター、話があるんだ」

テントに向かう途中、スーが俺に切り出した。

「僕、一度父さんのところに帰るよ」と意外な事を口にした。

あれだけ帰りたくないと言っていたのに、どういう風の吹き回しなのだろうか?

驚いて見つめる俺を、スーは真っ直ぐに見上げて言葉を続けた。

「もちろんすぐじゃないよ。

全部落ち着いて、暇が貰えるようになってからでいい。

でも、一度帰って、父さんに謝りたいんだ。

『大嫌い』なんて言ってしまったから…良いかな?」

「いいんじゃねぇの?」

親子が仲良いに越したことはない。

俺の返事に、スーは嬉しそうに笑った。

ガキは冒険して、少しだけ大人になったみたいだ。

俺も向き合うべき相手がいるのを思い出して、少しだけ親父と腹を割って話す気になった。
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