燕の軌跡

猫絵師

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赤ん坊の産声が廊下にまで響いた。

「…う、産まれた…?」

ミアの部屋の前で、祈るように両手を握っていたスーが顔を上げた。

「ワルター!聞いた?!赤ちゃん!赤ちゃんの声だよね!」

久しぶりに、スーの少年みたいな、興奮した顔を見た。涙ぐむ瞳はキラキラと輝いていた。

部屋から出てきたシュミット夫人に、スーが飛びついた。

「ねぇ!赤ちゃん産まれたんでしょ?!」

「あらあら」と微笑みながら、彼女はスーを優しく抱き止めた。

「ふふふっ、元気な男の子ですよ」と彼女は産まれた子の性別を伝えた。スーの顔がまた明るく輝いた。

「ミア!おめでとう!」スーは夫人の腕の中から、ドアに向かって大声ではしゃいでいた。

「中!中入っていいかな?」興奮しながら赤ん坊を見せて欲しいとせがむスーに、夫人は優しく微笑みながらドアの向こう側に振り返った。

「ミアさん、お通してもよろしくて?」

部屋の中から返事はなかったが、夫人はドアを開いて「どうぞ」と言った。

ベッドに横になったミアは、汗だくで疲れた様子だった。額には汗が滲み、髪は乱れて顔に張り付いている。出産の大変さが彼女から伝わった。

「ミア!おめでとう!本当におめでとう!」スーは彼女の傍らで、涙を見せながらその言葉を繰り返していた。

「難産でしたが、よく頑張りましたね」と彼女を労っているのはレプシウス師だ。

彼はある物と交換で、ミアの出産を介助してくれた。

「一時はどうなるかと思いましたが、何とか自力で産めましたね。産道が少し狭かったようで、出血も多かったですが、母子ともに無事ですよ」

「あんたには世話になりっぱなしだ。感謝する」

「いいえ、私は報酬を頂戴すればそれで満足ですよ」と応え、彼は「氷を少し頂けますか」と所望した。

「なんに使うんだ?」

「《あれ》を持ち帰るのに、傷んでしまうといけないので」と言って、銀の盆に乗せられた赤黒いプルプルとした塊を指さした。

彼の望んだ報酬は《赤ん坊の胎盤》だ。状態の良い物は滅多に手に入らないから是非と欲しがった品だ。

「初めて見たけどよ…気持ち悪ぃな…」

「物が物だけに、提供していただける方は少ないのです。

普段は馬の胎盤や山羊の胎盤を代用しますが、それでもあまり状態の良いものは手に入りません。私は幸運ですよ」

「なんに使うんだ?」

「貴重なお薬の材料の一つです」と彼は答えた。魔法陣の描かれた皮袋にそれをしまって、箱に用意した氷と一緒に保管していた。

「彼女の赤ん坊は、スーにとって一番良い薬になりそうですね」と笑って、レプシウス師は弟子と自分の屋敷に帰って行った。

彼を見送ってから、ミアの部屋を訪ねると、スーの他に赤ん坊を待ち望んでいた面々が集まっていた。

狭い部屋に良くもまぁ…

「ワルター様、見てください」とテレーゼが嬉しそうに抱いていた赤ん坊を俺に見せた。

産まれたての、まだふやけた赤い肌の赤ん坊は、小さな彼女の腕の中にも収まるほど小さかった。

「小さくて可愛い」と笑う彼女は赤ん坊を俺に差し出した。

「まだ抱っこしてないのはワルターだけだよ!」とスーが俺に赤ん坊を抱くように促した。

「こんな産まれたての赤ん坊抱いたことねぇよ」と拒否したが、テレーゼは「怖くないですよ」と赤ん坊を抱くようにと勧めた。

「自分の子の練習だと思って抱いたらいいじゃないですか」とシュミットが口を挟んだ。

彼には、初夜でテレーゼを抱かなかった事でかなり厳重に注意をされた。というかガチギレされた…

テレーゼとシュミット夫人が間に入ってなだめてくれなければ、屋敷が大変なことになっていただろう。

「それとも三年ほど待ちますか?」マジで根に持ってるな、これは…

「分かったよ!そんなネチネチ言うなよ!」と返事をしてテレーゼの腕から赤ん坊を受け取った。

軽すぎて不安になる。

赤ん坊は手を動かして必死に何かを探していた。

ぎこちなく動く小さな手には、ちゃんと五本の指があって、小さな爪が生えている。

人間だ…

そんな当たり前な感想を持った。

まだ少ない髪の毛は母親の髪とは違う色で、明るい金髪だった…

エルマーを思い出した。

お前の子だ…お前とミアの子供だ…

少しだけ羨ましく思った。

スーがやって来て笑顔を見せた。

「貸して」と赤ん坊を俺から受け取ると、顔を寄せて頬ずりした。

「可愛いでしょ?」とスーは目を輝かせて赤ん坊を抱いている。

「まぁな」何でお前が自慢げなんだよ?そう思って少し笑った。

スーはベッドから動けないミアに歩み寄って、彼女に赤ん坊を返した。赤ん坊は母親の肌に触れて落ち着いたようだ。

手を開いたり握ったりを繰り返して、頑張って身体を動かそうとしていた。

生きてんだな、と当たり前の事を思って産まれたての赤ん坊が尊い存在に思えた。

シュミットの子供たちが「名前は?」とミアに訊ねると、彼女は笑って「スーに訊いて」と答えた。

「スー、あなたが決めてよ」

「…いいの?」と戸惑いながら確認するスーに、ミアは頷いた。

「だってあの人の《弟》でしょ?」

「…ありがとう、ミア…」涙ぐむスーを見て、ミアは笑顔を見せた。胸に抱いた赤ん坊を撫でながら、名前を待っている。

スーは《ルドヴィーコ》という名前を選んだ。

「《誇り高い戦士》って意味だよ」

「良かったわね、《ルド》」とミアは赤ん坊の顔を覗き込んだ。赤ん坊は指を口元に運んで舐めていた。

「ルド!」とシュミットの子供たちは赤ん坊の名前を呼んではしゃいでいた。子供たちは弟でもできた心持ちだろう。

テレーゼが俺の隣に並んだ。

「良かったですね」と言う彼女も羨ましそうにミアとルドを眺めていた。

俺たちはもうちょっと先だな…

赤ん坊を抱いた感触が残る腕で、彼女の肩を抱いた。

テレーゼの視線が俺を見上げて微笑んだ。

今すぐは無理だが、頑張るつもりだ。授かるなら男でも女でもどちらでもいい。

赤ん坊を抱く練習はできたしな、と子供を遺してくれたエルマーに感謝した。

✩.*˚

以前覚悟を決めたのは、今夜みたいな月の明るい夜だった。

ルドを抱いて、守るべきものができた。

いつまでもウジウジメソメソしていられない。

屋根裏の狭い部屋を訪ねた。

「ソーリュー。僕を強くして」

部屋に篭って書き物をしていたソーリューは、僕の言葉に少しだけ顔を上げた。

「僕は強くなりたい」

「…分かった」

彼は言葉少なく応じて、ペンを置いた。

ソーリューは僕の方に歩み寄って「お前は強くなれる」と言葉をくれた。彼の硬い手が僕の手を強く握った。

「待った甲斐があった。

お前を…信じてよかった…

ありがとう、スー…辛いのに、よく耐えて答えを出してくれた」

珍しくソーリューの声が震えていた。

彼は、前に進めなくなっていた僕が、再び前を向いて歩き出すと信じてくれていたのだ。僕を待っていてくれた…

彼に抱きついて泣いた。ソーリューも応えて、背中に手を回して僕を抱きしめた。この腕は怖くない。

エルマーとは違う、ソーリューらしい厳しい優しさが心に沁みて熱を帯びた。

エルマー、ありがとう…

ミアとルドのおかげで、僕はまた前に進める。

全部全部君たちのおかげだ…

首から下げた光る貝殻は僕の宝物だ。

いつかこれをルドに渡すよ。

その時には、僕はルドの自慢になれるように頑張るから…

君が残してくれたものを、僕は絶対に守ってみせる。

「俺は手を抜かんぞ」とソーリューは真面目な口調で宣言した。

「分かってるよ」

「明日から稽古する」

「よろしくお願いします」と彼に頭を下げた。

「剣も教える。公子から拝領したのがあったな?用意しておけ」

「分かった」と頷くと、ソーリューも無言で頷いた。

「今日は早く寝ろ。身体作りには睡眠は必要だ」

「エルマーみたいな事言うね」と笑った僕に、ソーリューは「そうだな」と目元だけで笑った。

✩.*˚

屋敷に戻って荷物を下ろした。

新鮮な胎盤を薬部屋に運ぶように指示し、自分も屋敷に入った。

朝早くに呼び出されて、半日も彼女に付きっきりだったので疲れていた。

自分から言い出したとはいえ、なかなか大変だった。老体には堪える…

「レプシウス様」

控えめな少女の声がして、二人の乙女らが出迎えてくれた。

「ただいま、リリィ、ベス」

「お帰りが遅くて…心配してました…」

小さな少女が二人、おずおずと進み出た。手を伸ばして二人の頭を撫でてやった。

「それはすみませんでした。ご飯はちゃんと食べましたか?」

「うん」とリリィが頷くと、ベスも聞いてほしそうに口を開いた。彼女はよく喋るし活発な子だ。

「ベスの大好きな鴨の燻製だったよ」と言いながら、彼女は自分から手を繋いだ。

それを見たリリィも繋ぐ手を欲しがった。

両手は可愛い少女らに塞がれてしまった。そのままにしておきたかったが、まだ仕事が残っている。

「リリィ、ベス。私はもう少し大事なお仕事があります。また絵本を読んであげますから、もう少しだけ待ってもらってもよろしいですか?」

「…お仕事?」とリリィが顔を上げた。彼女の顔には残念な感情が滲んでいた。

「ヴェルフェル侯爵に頼まれているお薬をご用意せねばなりません。それが終わったら絵本の時間にしましょう」

「分かりました。行こう、ベス」

「うん」少女らは連れたって自分たちの部屋に戻って行った。

侯爵からの命…

難病で伏せっている第一公子ヴォルフラム様の治療は困難を極めていた。

彼は10代の半ばでエマヌエル病と呼ばれる、不治の病を発症していた。治療を始めてもう七年にもなる。

助かることは無い。延命しか出来ない病気だ。

非常に聡明で、穏やかな性格の彼は、先代の侯爵によく似ていた。

エマヌエル病は公表できぬ事ゆえ、公的な発表では結核とされていた。事実を知っているのは、侯爵と侯爵夫人、治療に関わる数人だけだ。

兄弟たちにも事実は伏せられていた。

『私はアレクシスを時期侯爵に指名する』とパウル様は宣言された。夫人もそれに同意された。

事実上、ヴォルフラム様は見捨てられたのだ。

夫に異議を唱え無かったものの、夫人は悲しく俯いていた。母親が息子の快癒を願わないはずがない。

『あの子の治療は続けてくださいませ』と夫人はヴォルフラム様の延命を望んだ。

『生きてるだけで、それだけで良いのです』と一縷の望みに縋る夫人に、できる限りの事はすると約束した。

母とは愛情深いものだ…

十月十日も分身としてその身に宿し、激痛に耐えて産んだ我が子を、簡単に諦めることなどできないだろう…

薬部屋に足を運び、貰ってきた胎盤と再会した。

赤黒いゼリー状のぶよぶよした肉の塊は、最も高価な治癒の薬に用いられる最上級の材料になる。

物が物だけに入手困難だったが、これで延命に必要な薬が作れることだろう。

私にできることは、あの愛された青年の命を救うことではなく、死を伸ばすことだけなのだ…

それはとても残酷な事のように思えた…

✩.*˚

スーの鍛錬を再開することができたのは良い前進だ。

スーは、失った時間を取り戻そうと焦っていたが、その必要はなかった。

もう春が来てしまった。乗るつもりだった船は見送ったので、今から船を探すにも、時間の余裕はなかった。

少なくとも、次の春までここに居座るつもりだ。さらに時間がかかるようなら、その次の春でもいい…

スーにその気があるのなら、俺の時間などいくらでもくれてやるつもりでいた。

父親にでもなったような心持ちだ。彼のこれからの成長を楽しみにしている自分がいた。

俺も随分変わったもんだ…

屋敷の庭で春の日差しを楽しんでいると、ワルターがやって来た。

「よぉ」

「あぁ」

短い挨拶を交わして、彼は俺の隣で煙草を咥えた。

彼も随分姿が変わったが、彼の魂は変わらない。

気取らず、出会った頃と同じように気さくに振る舞う彼の姿に安堵を覚える。

彼は既に爵位を授かっていた。

ブルームバルトと名前を変えた元ウィンザー領の土地を拝領し、新しい領主になることも決まっている。

「赤ん坊は抱いたか?」とワルターが俺に訊ねた。

「まだだ」と答えると、彼は「行ってこいよ」と笑った。

「俺はいい」

「エルマーのガキだ。多少下手くそに抱いたって平気さ」

「俺は覚えさせなくていい」と答えた。

情が移ると、また帰れなくなる。自分が割と情の深い人間だったのだと、最近知った。

俺の返事にワルターは肩を竦めて、また煙草を咥えた。木漏れ日に消える煙を見送って、またワルターが口を開いた。

「スーの事、ありがとうな」

稽古を再会した事はワルターも知っている。ワルターは心配もしていたが、同時に喜んでもいた。

元のようにならなくても、それでも大切な仲間だ。

「あいつの頑張りだ。あいつを褒めてやれ」と素っ気なく答えた。本当にそう思っていた。

「お前が待ってくれたからだ」

「…そうだといいな」

聞こえないくらい小さな声で呟いた俺を見て、ワルターは黙って煙草を咥えた。その口元は少しだけ嬉しそうに笑っている。

「ルドを抱いてこいよ」

「要らん」

「意地っ張りだな」

意地だって張る。俺に子供なんて似合わない。泣かれるだけだ。

「ソーリュー!」スーが戻って来た声がした。

声のした方を見ると、スーとシュミットの子供たちが駆け寄ってきた。

「…何持ってる…」スーの腕の中を見て嫌な予感がした…

「ルド!」「抱っこして!」とシュミットの子供たちがキンキンする声で騒いだ。

「お前ら…子犬じゃないんだから、産まれたての赤ん坊を連れ回すなよ」とワルターも呆れ顔だ。

「ソーリュー。ルドヴィーコだよ。エルマーとミアの子」

「知ってる」

「君も抱っこしてあげてよ」

「何でだ?」

「お父さんの代わり。みんなで育てるんだよ」とスーは当たり前のように言って俺に赤ん坊を差し出した。

赤ん坊からフワフワした甘い匂いがする。

「俺は抱かん」

「ダメだよ!ほら、手を出して!」

「抱っこくらいしてやれよ」とワルターが口を挟んだ。眉を寄せて彼を睨んだが、彼はニヤニヤ笑っている。

スーは引かないし、子供たちは期待の眼差しでこっちを見ている。逃げても追いかけてきそうだ…

なんなら毎日これをされそうで困る…

「抱いたらすぐ返してこいよ」と約束して、渋々手を出し、赤ん坊を受け取った。

柔らかい、頼りない赤ん坊の身体から立ち昇る甘い香りが強くなる。

小さな体は熱いくらいで、手のひらに温もりが伝わった。

これが赤ん坊か…

そんなことを思っていると、まだ据わってない首を動かして、赤ん坊は俺を眩しそうに見上げた。

まだ開ききっていない、焦点の合わない目と視線が合った気がした。

「ソーリューを見てるよ」とスーが笑った。

「君の事覚えたんじゃない?」

「もういい、返してこい」赤ん坊をスーに突き返そうとしたが、スーはニコニコ笑いながら手を後ろに組んて受け取るのを拒否した。

「ルド、可愛い?」「ルド、いい匂いするよ」と子供らが笑っている。この子らに渡すのは少し不安だ。

「ワルター、貰ってくれ」と頼むが、彼は煙草を片手に意地悪く笑った。

「ダメだ、煙草吸ってる」

抱いた赤ん坊は大人しく腕の中に収まっていた。

いっそ嫌がってくれれば手放せるのに、不気味なくらい大人しい。小さな澄んだ眼がじっと見つめてくる。

布越しに赤ん坊の体温が伝わる。春の温もりのような心地良さが眠気を誘った。

エルマーめ!とんでもない置き土産をして行きやがって!

じわじわと伝わる体温のように、俺の中で赤ん坊への情が湧く。

「エルマーおじちゃんにも教えてあげなきゃ」と子供らは代わる代わるルドの頭を撫でた。

その辺に生えてた花を摘み取って、子供たちはスーに「おじちゃんの所に行こう」と誘った。

墓地は少し離れてるが、子供の足でも行ける距離だ。

「さすがにそこまで連れ回すなよ?」とワルターが赤ん坊を連れていくのを止めた。

「ルドはまだダメだって」とスーが言うと、「じゃぁ、スーだけ来てよ」と子供らはスーの手を引いた。

「待て!これは母親に返してこい!」

「これじゃないよ、ルドだよ」とスーは笑いながら答えた。

「ソーリューはミアの所にまだ行ってないだろ?

お見舞いついでに行ってきなよ」しれっとそう言ったスーは子供らと手を繋いでいた。手が塞がって、赤ん坊を受け取れなくなる。

「まぁ、そういうことだから、お前がミアのところまで送ってやれ」

「お前ら…」赤ん坊を抱いて途方に暮れた。

赤ん坊を包んだ布から、小さな手が這い出して服を握った。小さくて、簡単に振り解けるような紅葉の手は母親を探しているのだろう。

ため息を吐いて、屋敷の方に向かって歩き出した。

「ぶぶ」赤ん坊の口から声が漏れ、小さな口で大きな欠伸をした。

赤ん坊の顔を眺めて、ハッと我に返る。

そんな馬鹿な…

仮面の下、赤子を見て微笑む男がそこにいた。

✩.*˚

白い墓の前にユリアが紫の菫の花を並べた。

濃い紫の花びらは白い墓石によく映えた。

「おじちゃん、綺麗でしょ?」と少女は墓石に訊ねた。

兄のケヴィンがエルマーの代わりに「綺麗だね」と答えていた。

来る途中に買った煙草を墓に供えた。いつも彼が吸っていた安い煙草だ。

煙が空に昇った。

「君の子供が産まれたよ」と僕も彼に報告した。

「ルドヴィーコ、男の子だったよ…」

「可愛いよ!」「おじちゃんと同じ金髪だよ!」と二人が墓石を前に明るい声を上げた。

暗い気持ちになる墓の前でも、子供たちは無邪気に笑っていた。

二人ともエルマーが大好きだった。

おんぶにだっこ、鬼ごっこ…

エルマーは子供たちのリクエストになんでも応えていた。ハンスも夫人も忙しそうだからと、代わりに遊びに付き合いながら、彼自身、楽しんでいるようだった。

『勉強は分からんが、遊ぶだけならいくらでも付き合うよ』と一緒になって遊んでいた。

彼が死んだのは僕のせいだ…

墓石に話しかける二人の姿に胸が痛んだ…

また涙が出そうになるが、彼はそんなこと望んじゃいない。そう自分に言い聞かせて涙を押し殺した。

ミアもルドも元気だと彼に伝えた。

「また…ソーリューと稽古始めたんだ。強く…なるから…」

目頭が熱くなる。それでも泣かずに伝えないといけない。

「君の分も、頑張るから…今度は僕が守るから…安心して…」

「スー…」心配そうにケヴィンが僕の手を握った。僕より小さな手のひらが強く手を握った。

「僕も!僕も大きくなったらお父さんみたいに強くなるよ!」

「頼もしいね」

「私は?」とユリアが首を傾げた。

おっとりとした雰囲気の彼女は夫人によく似ていた。

「お母さんみたいに美味しいご飯作って」とリクエストすると、彼女は明るい笑顔を見せた。

この二人も、いつか僕を追い越してしまうのだろう…

それでも…そうなっても、僕はこの子たちを守りたい…

「帰ろうか?」と二人と手を繋いだ。

「またね、エルマー」と白い墓を後にした。

帰り道、焼きたてのパンの香りに誘われて、塩のパンを買って分けっこして食べた。

オーラフの事を思い出した。あの時は奢ってもらったけど、今度は僕が奢る番だ。

彼もこの元ウィンザーの土地に眠っている。

後ろを向けば、いくらでも《たら、れば》が湧いてくる。

でも、それじゃダメなんだ…

僕は生きてるから…前を向いて自分の足で歩かなきゃいけない。

二人の手を引いて、背筋を伸ばして、彼らの憧れるような存在にならなきゃいけない。

僕がそうだったように、僕もそうならないといけないんだ…

屋敷に帰ると、二人は母親を見つけて駆け出した。

夫人は僕にも「おかえりなさい」と言ってくれた。

彼女に「ただいま」と応えて、部屋に戻った。

窓を開けると、外から暖かい花の香りを含んだ春風が滑り込んできた。

ポケットを探ると、エルマーのために買った煙草が出てきた。

背伸びして、窓辺で煙草を咥えた。

彼らがするように、煙草を火をつけて煙を吸った。

初めて吸ったから、煙を吸い込みすぎてしまった。噎せて咳き込んだ。

こんなの吸ってたの?

涙目になりながらもう一度チャレンジした。

今度は小さく吸った。

口の中を燻した紫煙を吐き出すと、少しだけ大人になった気がした。

僕は煙草を覚えた…

次はお酒かな?そんな事を思ってクスリと笑った。

そのうち恋人も作ろう。

自分の子供も欲しいな…

そのためには、一人前の男にならなきゃいけない。

目標にすべき人は何人もいる。

彼らに並ぶため、僕は前を向いて、また彼らの背を追うことに決めた。
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