燕の軌跡

猫絵師

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千にも満たない手勢を連れてブルームバルトの向かったが、夜が開ける前に、戦闘は既に終わっていた。

街には戦闘の跡が残っているものの、まだ掲げられたままの白い鹿の旗を確認して安堵した。

ヴェルフェルの旗を見た者たちの報せを受け、大ビッテンフェルトが出迎えに来た。

「此度は卿の世話になった」と彼に礼を述べると彼は「微力ながら」と謙遜した。

「ただの爺では街を守れませんでした。

エインズワースの兄弟と、カナルから駆けつけてくれた若者二人のおかげで何とか守れました」

「そうか。彼らにも礼をせねばな…

テレーゼは無事か?」

「ご無事です。

少しお休みになるように申し上げたのですが、自分はロンメル夫人だからと断られました…

気が張っておいでなのでしょう」

「そうか。私から話そう。

卿には世話をかけるな…」

「なんの。可愛い義理娘のためと思えば何も苦になりません。

この老骨めでお役に立てるのであれば、何なりとお申し付けください」

彼もまた良く働く男だ。

彼にも十分に休息を取るように伝えて、ロンメル邸に足を運んだ。

到着した屋敷では、シュミットの指示のもと、壊された門扉を撤去する作業が進められていた。

すぐに私の訪問に気付いたシュミットがひざまずいて迎えた。

「よい、作業を続けさせよ」と命じて、シュミットにも労いの言葉を与えた。

彼は終始「勿体ない」と口にしていた。

「私は侯爵閣下に詫びねばなりません」

「何をだ?」と問い返すと、彼は重く口を開いた。

《騎行》を知りながらも、助けを求める者たちに手を差し伸べなかった事。テレーゼを守るために彼女に真実を教えなかった事。領民を戦に巻き込み死なせた事について、彼は私に謝罪した。

どれも仕方の無い事だ。

それでもこの真面目な男は自分を許せないのだろう…

「シュミット、お前はよくやった」と彼を称えた。

彼は貴族でも騎士でもない。《祝福》もなく、特別な人間でもない…

「シュミットよ。己にできる最善を選んだと誇る事だ。

私はお前に感謝している。

亡きヘルゲン子爵もお前の働きを褒めただろう」

「…ありがたきお言葉に存じます」と彼は頭を下げた。

「うむ。

テレーゼに取り次いでくれ。彼女もよく頑張った。褒めてやらねばな」

「かしこまりました。ご案内致します」

シュミットはその場の者たちに指示を残して、ロンメル邸を案内した。

「おや?侯爵閣下、お早いお着きで…」と屋敷の片付けをしていた使用人が手を止めて出迎えた。

「アーサーか」カナルから駆けつけたのだろう。

前に会った時より少し様相が変わっていたが、長く虜囚だった割に元気そうに見えた。

「お前だけか?」と訊ねると、彼は「スーも来ております」と答えた。

エインズワースの兄弟と若者二人の正体はこれか…

《祝福持ち》が三名と魔導師級の精霊使いが居合わせたとは、テレーゼは幸運の持ち主だな…

「奥様は?」

「奥様なら先程お部屋に戻られました。

さすがにお疲れのご様子でしたよ」

「そうか、無理もない」と頷いた。

領主不在の中、テレーゼは領主夫人として全ての責任を負っていたのだ。

結果がどうであれ、その責任からは逃れられない。

取り乱して泣き出してもおかしくない程の重責に、彼女はよく耐えた。

父として、彼女を褒めてやりたかった。

「会うことはかなわぬか?一目でいい」とシュミットに無理を言った。あの子の無事を確認したかった。

とりあえず、寝室の前までという約束で、シュミットの案内でテレーゼの休む部屋まで足を運んだ。

この際、声だけでもいい。無事を知れたら、安心してカナルに向かうことができる。

寝室の前で、部屋の中からくような音を聞いた。

「テレーゼは体調が悪いのか?」とシュミットに訊ねた。咳を聞くと胸騒ぎがする…一抹の不安が過ぎる…

「カナルから疲れが溜まっていたのでしょう。昼過ぎから体調は宜しくなかったようです」

「良くないな…医者には見せたのか?」

「いいえ。勧めたのですが、奥様が休めば治るからと仰いまして…

こんな時なので大事にしたくないと…」

そう答えて、シュミットは寝室のドアをノックして、「奥様、シュミットです」と呼びかけた。

部屋の中から侍女が現れた。彼女は見覚えがある。確かアンネだったか?

まだ、テレーゼを支えてくれているのだな…

「侯爵様!」彼女は私の姿を見て酷く動揺していた。

「テレーゼは?もう休んでしまったか?」

「申し訳ございません、奥様は…」とアンネが口を開いた時に、咳が言葉を遮った。

苦しそうな咳は嫌な思い出を鮮明によみがえらせた。

「…テレーゼ?」僅かに開いた扉に手をかけた。

「いけません、侯爵様!

奥様は今寝間着で…」必死に止めようとする侍女を押し退けて部屋に踏み込んだ。

娘とはいえ、夫婦の寝室に踏み込むなど、無作法だと理解している。それでも…

「テレーゼ!」

ベッドに一人、苦しげに咳をする女性の姿が過去の傷を抉った。その姿は彼女の母によく似ていた…

「…お父様…」苦しそうな重い声と咳き込みすぎて潤んだ瞳がユーディットと重なる…

「その咳はいつからだ?!」と問い詰めると、テレーゼは怯えたように目を見開いて震えた。

その姿に、疑いは確信に変わる。

まさか…お前まで…

感情が堪えられずに、シュミットやアンネの静止する声も聞かずに、ベッドの上で身を起こした娘を抱き締めた。

「お父様…」

「すまん…すまない、テレーゼ…」

確認するまでもない…これは彼女の母や祖父のものと同じそれだ…

この子までもが、あの忌まわしい病気の餌食になったと知った。

腕の中で嫌がる娘は、堪えきれずに、顔を背けて咳を繰り返した。

「お父様…離れて下さい…咳が…」

「…ユーディットと同じか?」

私の問いかけに彼女は答えなかった。

ただ一言、「ごめんなさい」と謝った。

その言葉で全てが事足りた…

「ワルター様には…言わないでください…」とテレーゼは涙ながらに懇願した。

「しかし…」これは命に関わる病気だ。

テレーゼはまだ若い。早く治療すれば間に合うかもしれない。

しかし、療養となれば領主代理としての務めを果たせなくなる。

戦場に近く、落ち着いて治療することの出来ないブルームバルトからも離れねばならない。

今、この不安定な時に、領主夫人がブルームバルトを離れれば、領民の不安に繋がる。

ロンメル夫人はブルームバルトを捨てたのだ、という誹りは免れない。

病を公表せねば、療養に出るのすら難しいだろう…

「まだ…まだ、私にはすべきことがあります。

お願いします」と彼女は夫に病状を伝える事を拒んだ。

「ワルター様はお優しい方です。

彼の心を乱すのは私の望みではありません。

どうか…どうかご内密に…」

母娘はこうも似るのだろうか?

テレーゼの母も、私を遠ざけるだけで、病の事を知らせようとはしなかった。

気づいた時には既に手遅れだった…

「正直に答えてくれ…いつから気づいていた?」

できるだけ優しい声で、彼女に訊ねた。テレーゼは悲しそうに目を伏せて、白い顔で答えた。

「産後の肥立ちが悪くて…その頃から…もしかしたらお母様と同じかもと…

でも、違うかもしれないし…

誰にも心配かけたくなくて…ごめんなさい」

「そうか…

でもお前が謝るべき相手は私ではないな」

私の言葉にテレーゼは項垂れながら頷いた。

この病の重さはテレーゼ自身よく分かってるはずだ。

「父として、侯爵として、お前には療養を命じる」

「でも、それでは…」

「お前の命の方が大事だ。

ブルームバルトはシュミットらに任せて、一ヶ月ほど療養せよ。必要であれば一時的にではあるが、ロンメル男爵も呼び戻す。

今無理をすれば長くは持たないぞ。

ロンメル男爵には私から話す。お前からは言いづらいだろう?悪いようにはしないから安心しなさい」

そう言って落ち着かせるように手を握った。

少し冷たい指先が、彼女が病人だと伝えた。

「ワルター様には知らせたくありません」とテレーゼは頑なに夫に知らせるのを拒んだ。

「いずれ知ることだ。お前が逆の立場なら、どう思う?

お前は彼の信頼を裏切るのか?夫に隠し事をする気か?」

「でも…」

「テレーゼ。それは我儘というものだ。

夫婦で隠し事をするのは良いことではない。秘密はいつか露見するものだ。

この病ともなれば、隠し続けることは出来ないだろう?

手遅れになってから事を知れば、あの男は必ず苦しむ。それならば今彼に頼るべきだ。

それともお前の夫は頼りにならないのか?お前の心配をしてくれないような薄情な男か?」

「そんなことはありません…でも」

「不安か?」私の問いかけに彼女は複雑な顔で頷いた。それもそうだろう。

「不安なら、尚のこと彼に真実を伝えるべきだ。

夫以上に、妻の不安を支える存在はないのだからな。良い夫婦とはそういうものであるべきだ」

頑固な娘を諭すのは骨が折れた。

さすがユーディットの娘だ…彼女も頑固だったな…

それでも私にも意地がある。

父親として、娘の命を諦める事など出来なかった。

この病気は心労が何よりも毒だと知っている。

根気強く説得して、何とか彼女に療養を承諾させた。

「療養先は、ドライファッハでどうだ?

ビッテンフェルト殿の所なら幾分か安心だろう?話なら私から伝えておく。

その病に明るい医者の手配はこちらでしておく。

身の回りの世話も、引き続きアンネを連れて行くと良いだろう。

フィーはどうしたい?連れて行きたいのならそれでも構わん。ブルームバルトに残すにしても、あの子には不自由のないように取り計らう。

お前の好きなようにしなさい」

「何から何まで、ありがとうございます」

「必ず良くなる。そう信じなさい。その病の一番の薬は希望を持つことだ…

悪い考えは捨てなさい」

「はい、お父様…ありがとうございます」

「長居したな。後は任せて、ゆっくり休んで養生せよ」と娘の手を放して、ベッドから離れた。

「アンネ、テレーゼを頼む。

シュミット、話がある」と告げて寝室を出た。

「書斎を借りる」と告げると、シュミットは「こちらです」と案内した。

「まさか奥様が…全く気づきませんでした…」とシュミットが肩を落として呟いた。

気づかなくとも無理はない。

症状が風邪に似ていて、本人でもなかなか気づかないのがこの病気の恐ろしいところだ。

テレーゼは母や祖父のことがあったから、彼女も薄々気づいていたのだろう。

「テレーゼに無理をさせるな。

疲れや心労はできる限り避けよ。《白い手》の使用も今後一切禁止する。彼女のためだ。良いな?」

「心得ました」とシュミットが沈んだ声で応えた。

「しばらくお前に頼ることになるだろう。

シュミットよ、お前も身体は大事にすることだ」と彼にも労いの言葉をかけた。

ロンメルの書斎に邪魔をして、書斎机を借りた。

「便箋は?」

「こちらにございます」とシュミットが便箋の在処を教えた。

教えられた引き出しを引くと、中から便箋と殴り書きのような字のメモが出てきた。何かと手に取って苦笑いが浮かんだ。

「…全く…」

「何ですか?」と訊ねたシュミットにメモを見せた。

「花?ですか?」と彼はメモを手に首を傾げた。少しの間を開けて、彼は「あぁ」と気づいて笑った。

「旦那様にしては上等です」

「テレーゼは大切にされてるようだな」

花の名前と花言葉のメモには、指定するかのように、いくつかの印が付いていた。

端の方に記された日付はテレーゼの誕生日だ。

どうやら彼女の誕生日に花束を用意したかったらしい。

あの男はコソコソと何をしてるのだ?

引き出しの奥から、忘れられて萎れた四葉のクローバーが現れた。

意味を知ってからも、あの男は変わらずこの葉っぱを探しては娘に届けているのだろう。

それを知って、残酷な現実を伝えねばならないと、一人で密かに嘆いた…

✩.*˚

結局、一睡も出来ないまま夜が明けてしまった…

彼女とこっそり愛し合った寝床には、彼女の長い金髪が残っていた。そっと拾って手のひらに乗せた。

彼女を見つけて愛おしく思った…

今どうしてる?無事か?スーやアーサーは間に合ったか?何でこんな時に俺はこんなところにいる?

俺は肝心な時に愛した女も守れない男だ…

堪えきれずに手のひらで目元を覆った。

瞼の裏に残った彼女は笑顔だった。

目頭が熱くなる…頭がおかしくなりそうだ…

嫌な考えを振り払いたくて、少し歩きに出ようとした。

「どこ行くんだ?」とテントを見張っていたディルクに止められた。

「別に…散歩だ」と答えると、彼は着いてくる素振りを見せた。それを見て少しイラッとした。

「散歩だよ。スーじゃねぇんだ、どこも行かねぇよ」

「あんたが勝手しないように見とけって、飼い主に言われてるもんでね。俺が嫌ならイザークをつけるさ」

「お前…割と性格悪いよな…」

「そうかい?割と面倒見はいいほうだがね」と言ってディルクは煙草を差し出した。

「イライラしてんだろ?」

見透かされてるようでうんざりしたが、煙草の誘惑には勝てなかった。

火を点けた煙草を咥えて少しだけ落ち着いた。早朝の河の空気は湿っていたが冷えていて涼しかった。

「…何持ってんだ?」

ディルクの視線は握った左手に注がれていた。

「…別に」と答えて話さなくていいように煙草で口を塞いだ。拾った妻の髪の毛を大事に握ってるなんて気色悪いだろう…

「あんたって本当にわかりやすいな」とディルクも苦笑いしながら煙草を咥えた。

「奥方が心配なんだろ?

トゥルンバルトの旦那も似たような感じだったぜ」

「あいつもか…」

トゥルンバルトもブルームバルトに妻子を置いてきている。俺だけじゃない。皆そうだ…

「すまん…」

「当然だ。家族の無事か不安になるのは、あんたが良い奴だからさ」

そう言ってディルクは銀色の小さな小物入れを出した。

「あんたはいいよ。まだ家族が生きてるからな」

そう言ってディルクが見せたのは、小物入れに納まった黒い髪の束だ。

「妹だ」と言って、彼は小物入れを撫でて元のようにしまった。

「俺は、あんたと奥方とスーに賭けてる。大博打だ」

「…何の話だ?」

「ガキがちったァマシに暮らせるようにさ」とディルクは言った。それは意外な言葉で、彼のような傭兵から聞く言葉ではなかった。

彼も苦労したのだろう。

そんな事を言う奴が居たんだな、と驚いた。

「《エッダ》はな、親か代わりがなけりゃ、余程運が良くないと大人にはなれねぇよ」

「…お前は?」と訊ねた。ディルクは何も言わずに寂しげに笑った。

「運が良かったんだ」と言いながら、彼は嬉しそうではなかった。

そういえば、オーラフもヨナタンに出会うまではろくな生活をしてなかったな…

一人の旅芸人の稼ぎなんてたかが知れてる。

野良犬みたいな生活の中、あいつは自分を売ることまで覚えた。

『死ぬよりマシさ』とオーラフは言ってた…

本当はヨナタンの金目当てに近づいたらしい。

それでも、何故か出来なくて、あいつはヨナタンに居場所を見つけた。

「正直な話。元傭兵隊長なんかが仕切ってる街なんざ、ろくなもんじゃねえと思ってたけどよ…俺が見てきた中で一番良い街だったよ…」

「何でだよ?大したことねぇだろ?」

別に、特段デカい訳でも、綺麗な訳でもない。それでもディルクは俺たちの街を気に入ったらしい…

「いや、すげぇよ。なんせ物乞いしてるガキがいないんだからさ。そんなところ他に見た事ねぇよ」と彼は言った。

「だいたい、どんなところでも居るんだよ。

何でだろうと最初は勘ぐったさ…

目障りで追い出してんのか、とも思ったよ。でも違った」

ディルクはテレーゼの施設に感動したらしい。

確かに、テレーゼの施設には、近隣の孤児も預かっていて、中には《エッダ》の孤児もいた。

「俺のガキの頃にあれがあったら…俺たちはもっと真っ当に生きられた…妹もあんな死に方せずに済んだだろうよ…」と彼は言っていた。

「…妹は?」恐る恐る訊ねると、ディルクは硬い表情で答えた。

「路上で、野良犬に食い殺された。俺も居なかったし、周りは誰も助けてくれなかった…

俺たちは、親のいない《エッダ》だったから…」

そんな酷い話があるかよ!ガキが襲われてたら普通は助けるだろうよ?!

「案外普通さ」と彼は強がっていた。そうでも思わなきゃやってられなかったんだろう。

「そんなの、俺の街じゃ許さねぇよ!」と怒っている俺を見て、ディルクは嬉しそうに笑った。

「だから、俺はあんたたちに命を賭けるのさ。あの街は俺の理想郷だ…

家族はもう要らないと思ってたけどよ、ブルームバルトに来て、少しだけ欲しくなったよ…」

寂しげな男は言いたいことを言って口を噤んだ。

咥えたままの煙草はもう吸殻になっていた。

未練がましく手放せずにいると、ディルクがまた一本新しいのをくれた。

「悪いな」

「いいさ、俺もスーに貰った」と言いながら、彼も新しい煙草に火を点けた。

「煙草やるからさ、この戦終わったらあの街に住んでもいいか?」

「何だよ?随分気に入ったんだな?」

「あぁ、気に入った」と彼は答えた。

「あんたらといると退屈しなさそうだしな。

あんたが嫌な奴になったら、またふらっと消えるかもしれないけどな…俺は《エッダ》だからよ」

「勝手だな…」

「《エッダ》だからな」と彼は笑った。

「好きにしろ」と言って、足元に茂る緑の絨毯を見つけて歩み寄った。

朝露に濡れたクローバーに手を伸ばして四葉を拾った。

手にした四葉を見詰めて、テレーゼの笑顔が瞼の裏を過ぎった。

渡す相手のない四葉を黙ってディルクに押し付けた。

「何だ、四葉か?」と彼は煙草の代わりに指先に四葉を摘んだ。

「いつもならテレーゼにやるんだ。

仕方ねぇからお前にやるよ。好いた女がいたら贈ってやんな」と言って踵を返した。

もうそろそろ戻らないと探される。スーみたいに抜けがけしたのかと思われるのも不名誉だ…

「さて…仕事だ」

いつまでも女々しくしてたらテレーゼに愛想を尽かされちまう。

お前に会うために、俺は今日もカナルを守るよ…

クソみたいな、嫌な仕事でもきっちりやり切るさ…

左手に握った彼女の一部に勝手に誓った。

✩.*˚

朝ご飯を食べて、スーはルドと寝てしまった。

疲れてたのだろう。

そりゃそうだよね…と彼の寝顔を見て笑った。

カナルで戦って、そのままの足でブルームバルトに来てくれたんだから…

「ありがとう、スー」

ベッドに座って彼の髪を撫でた。いつもサラサラしてる黒髪は少しベタついてた。

「…なに?」と寝てたはずのスーが口を利いた。

「ごめん、起こしちゃった…」

「ルドといると寝ちゃうね…」と彼は寝返りを打って笑った。ルドはよく寝てて、ベッドが少し揺れたくらいでは起きなかった。

「ミアも寝る?」とスーがベッドに誘った。

「ルドの様子見に来ただけだから…」まだ仕事が残ってる。

それを聞いて、スーはベッドから身体を起こした。

少し高い位置にある綺麗な顔が、あたしを見下ろしている。

「俺も休んだらアーサーと一緒にカナルに帰るよ」と彼は残念そうに呟いた。

「そうだよね…」と返してルドの寝顔を眺めた。

また寂しがるだろうな…喜んでたから余計に…

スーがあたしの肩を抱いて、そのまま男らしくなった身体にあたしを招いた。

抱き合ってキスをすると、彼はキス以上も欲しがった。

「ちょっと…」と胸に伸びた手を押し返した。

「ルドならぐっすりだよ」とスーは耳元で囁いた。

「ね?カナルに行く前に良いでしょ?俺はしたいな」

スーは綺麗な顔であざとく強請ねだった。

そんなキラキラした顔で強請るなんてズルいわよ!

スーの手が逃がすまいと腰に伸びた。

「ちょっ、ちょっと!だからまだ仕事中だって…」

「俺との時間は?」と甘える子供みたいに、彼はあたしの胸に顔を埋めた。

「ミアの匂いだ…」と言いながら彼はスンスンと鼻を鳴らして犬のように匂いを嗅いでいた。それが恥ずかしくて体温が上がった。

スーの息が服の内側にも入ってくる。熱い息が胸に届く。

早くなる心臓の音に気づかれそうで、それも恥ずかしい…

「…ちょっ…ダメ…やぁ…」

「ミア、君がいいって言うまで離さないから」

彼は赤い舌をペロリと出して、首元に舌を這わせた。

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「はぁ…可愛いよ、ミア…大好き」

甘えるような声と濃厚なキスを交互に与えられて頭がぼぅっとする…

腰に添えられた手が、焦らすようにくびれた辺りを執拗に撫でた。

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スーの低く甘える声…

「カナルでもずっと君を想ってた…俺は君を抱きたいんだ」

「…ズルいよ、スー」

「いい?」と顔を覗く、綺麗なすみれ色の瞳は私の答えを待っている。

「お昼まで待ってて」と彼に応えた。

その返事に、スーは嬉しそうな笑顔を咲かせた。

「分かった、待ってるよ」

愛し合う約束をして、指切りの代わりに溶けるような熱いキスをした。

✩.*˚

カナルから駆けつけたお兄様は、仕事の合間に僕の部屋にお立ち寄り下さった。

怪我をしたのか、左目を包帯で隠していた。

まだほとんど物のない殺風景な部屋に、素敵な花を飾ってくれた。

「公子様、ご加減は如何ですか?」と訊ねる優しい声に、緊張が少しだけ和らいだ。

あれだけ嫌だった足を自分から晒した。

「見てください!まだ、少しだけ曲がってますが、ほとんど真っ直ぐにしていただきました!

ロンメル夫人のおかげです!」

「左様ですか。良かった…」とお兄様は喜んで下さった。

大きな手のひらで頭を撫でてくれた。

「何か欲しいものはありますか?」と訊ねられて、杖が欲しいとお願いした。

「歩きたいんです。自分で」

ベンとの約束だ…

自分の足で歩く練習をするって約束した。

お兄様は驚いていたが、すぐに笑顔で「畏まりました」と杖の用意を約束してくれた。

「テレーゼ様は…」

「申し訳ありません。奥様は体調が優れぬ様子で…

お父上である侯爵閣下より《白い手》の使用を禁止されました」

「じゃあ…治療は…」

「奥様からのお手紙です。公子様に届けて欲しいと預かりました」

お兄様はそう言ってお手紙を取り出して、僕に握らせた。

「…テレーゼ様は…お身体がお悪いのですか?」

僕の治療をしたから?

もしかしたらオークランド人の僕の治療をしたことで、侯爵であるお父様にお咎めを受けたのかもしれない…

「私からは申し上げられませんので、お手紙をお確かめ下さい」とお兄様は手紙を確認するように促した。

ライラックの花の香りを染み込ませた、婦人用の便箋には、僕に分かる言語でしたためられていた。

僕の事を心配する文書から始まり、治療が途中になった事を詫びる文章が綴られていた。

『持病が悪化したので、お父様より療養を命じられました』と書かれていた。

何の病かは書かれていなかった。

持病が治まったら、戻って治療の続きをするとあったが、問題はそんなことではない。

お兄様は何も言わなかったが、気が気では無いだろう…

「テレーゼ様は…治るんですか?」

不安になってお兄様に返答を求めた。

僕に親切にしてくれた彼女が心配だった。

「分かりません…今は様子を見るしか無いそうです」

「…そんな…」

「しばらくブルームバルトからも離れます。

中途半端になってしまい申し訳ありません。

奥様もできる限り早くお戻りになると…」

「そんなことどうでもいい!」と、気が付いたら叫んでいた。

泣き出した僕にお兄様は謝ったが、そうじゃない!治療の話じゃない!

こんな足のことなんかどうでも良かった…

もう、僕に優しくしてくれた人に苦しんで欲しくなかった…

ベンもマリーも、僕を守らなかったら死ぬことは無かった。ロンメル夫人も、僕を癒さなかったら持病が悪化することは無かったはずだ…

「…僕は…呪われてる」そんな言葉が零れ落ちた。

この足のせいだ…そう思った。

僕はフェルトンの館から出るべきじゃなかった…

悪い思いは膨らんで、自分の一部であるはずのこの足を切り捨てたくなるほどの憎悪を覚えた。

もういっそ無い方がいい…こんな足…

せっかく治して貰ったけど、きっとこの足の呪いはまた誰かを苦しめる…

「こんな呪われた足要らない…」

「何を仰いますか?!」

僕の言葉を聞き咎めたお兄様は僕を叱った。

「貴方は呪われてない!呪われてるならこの俺だ!」とお兄様は珍しく声を荒らげた。

「何で…」

「ダニエル様…貴方は俺の呪いに巻き込まれたんだ…呪われてるのは…このアーサーという男だ…」

お兄様は苦しげに呟いて、寂しい青い瞳で僕を見下ろした。

どういう事か分からなかった。

何故そんな話になるのか、理解できない僕に、お兄様は苦しげに言葉を続けた。

「貴方がこの《祝福》を受けなくて良かった…

《悪魔》の《祝福》なんて《呪い》でしかない…」

「…お兄様?」

「ダニエル様。貴方はフェルトン伯爵の一人息子だ。こんな呪われた男の事など忘れて下さい…

フェルトン伯爵をよろしくお願い致します」

「どうして…僕に全部押し付けるんですか?

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狡いように思えた。

フェルトンを継ぐならお兄様のはずだ。

健康で聡明で、全てに秀でたお父様の自慢の息子だ。

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「…ダニエル様」

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「すまない、ダニエル…」

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「確かにお前の言う通りだ。俺はフェルトンから逃げ出した。お前に全てを押し付けた…すまない…」

大きな硬い手のひらが僕の手を包むように握った。

「恨んでくれて構わない。憎むと言うならそれでもいい…

それでも、俺はフェルトンには戻らないと決めたんだ」

「どうして…」しゃくりあげながら訊ねる僕に、お兄様の返答は「言えない」という一言だった。

その言葉を呟いた彼は辛い顔をしていた。

その先は聞いてはいけない気がした…

沈黙は溝のように僕ら兄弟の間に線を引いた。

臆病で幼い僕には、その先に踏み込む勇気は無かった…
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MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

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