燕の軌跡

猫絵師

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肩を揺すって起こされた。

「ミラ」と呼ぶ声は若い男の声だ…

怠さと下腹部の痛みを抱えたまま、ゆっくりと身体を起こした。

「朝飯食おう!」と言って、弟の方が手探りで私の手を握った。そのまま連れ出そうと彼は手を引いた。

「待って!着替えを…」裸のままで外に連れ出されそうになって声を上げた。

「あ…ごめん、気づかなかった」

彼は素直に謝ると手を離した。

「昨日兄ちゃんが持ってきた服があるから使って。用意できたら教えて」

目の見えない弟はそう言ってその場に座り込んだ。私が支度を終えるまで待っているつもりだろう…

兄の用意した服は質素で、娼婦が着るような襟ぐりの広いものだった。

胸元まで開いている。何も無いよりはいいと思って、そのまま髪を整えて結い上げた。

「おい、まだか?」とテントの外で声がした。兄の声だ…

彼は目の不自由な弟を待っているのだろう。

テントを這い出して、「お待たせ致しました」と詫びると、彼は何も言わずに、自分の着ていた大きな上着を私の肩にかけた。

「何か後で用意してやる。しばらくそれで我慢しな」

ぶっきらぼうな物言いだが、兄の方も私を気遣っていた。

「兄ちゃんも君のことを気に入ったみたいだ」と嬉しそうに弟が笑った。

「ほら、飯に行くぞ」と告げて、兄は弟にベルトから垂れた紐を握らせた。

「ミラ、手」

紐を握ったのと反対の手を差し出して、弟は私を誘った。

違和感を覚えながらも、逆らう訳にはいかずにその手を握った。

気に入られるのも厄介ね…

侯爵様からは、自分から情報を出すのは禁じられている。

裏切り者は信用されない。私から彼らに情報を与える理由がない。

この二人、多分頭を使う役ではない。

やっぱりレニを引き取った男の方を引き受けるべきだったかしら…

「あの…私と一緒だった娘は…」

私の質問に、二人は足を緩めた。

「あの子は諦めな」と兄の方が私に言った。

「可哀想だがな、隊長の分け前にまで俺たちも口出しはできん。

どう扱うかは隊長の機嫌次第さ」

「ミラは優しいね。あの子が心配?

大丈夫だよ。ミラのことは俺たちが大事にしてあげるよ」

弟はそう言って、目隠しをした顔で優しく微笑んだ。

彼らに連れられて、屋外に並んだテーブルに案内された。

騒がしい、下品な笑い声が聞こえてきた。

「よう!ラッセル!」と傭兵らしき男たちが兄弟に声をかけた。

「別嬪さん連れてるじゃねえか?幾らだ?」と彼らは下品な質問を投げかけた。

「俺らの分け前だ」と低い声で兄の方が傭兵たちを威嚇した。

「相変わらずおっかねぇなぁ…

隊長は回してくれたぜ」と彼らはヘラヘラと笑ってある場所を指さした。

その先を見て悲鳴を上げそうになった…

指さした先には、男たちに囲まれて、犬のように首に縄を繋がれた女の姿があった。

「朝からずっとあんなんだ。

もう十人くらい相手してるはずだぜ」と嫌な情報が耳に入る。

覚悟はしていたが、あまりにも凄惨な現場に恐怖を覚えた。

「フィーアの貴族の侍女だってな。道理で別嬪さんなわけだ…

あんたもそうかい?」

下卑た笑いを口元に貼り付けた男が、私に手を伸ばした。

反射的に身を引こうとした次の瞬間、目の前に伸びた汚い手が消えた。

私に手を出そうとした男は、潰れるような音を立てて宙を舞うと、近くで食事していたグループの机に落ちて食事を台無しにした。

「《俺らの分け前》だと言ったはずだ…」

兄の圧倒的な暴力に、辺りは静まり返った。

さっきまで騒いでいた男たちは、皆揃って黙り込むと青い顔をしていた。

「じょ…冗談だよ、ニコラス…悪かったって」

ふざけていた男たちはコソコソと逃げて行った。

食事を邪魔された男たちでさえ、彼に文句を言うことはなかった。

「おいおい?朝っぱらから何の騒ぎだ?」

ヘラヘラと笑う男がやって来て、ラッセル兄弟に問いかけた。

私たちを攫ったあの男だ…

彼は手に握った縄を乱暴に引いた。

「あうっ!」

乱暴に扱われたレニが悲鳴を上げて倒れ込んだ。

近くで見ると、たった一晩で彼女はボロボロになっていた。目も当てられない…

レニに手を伸ばそうとした私を兄が止めた。

「やめろ、あの男の《持ち物》に手を出すな」

「でも…」

「諦めろ」とはっきり告げて、兄は私を広い背に隠した。

「へぇ、大事にしちゃってまぁ…」と男は挑発するように笑った。

「ちょっと交換するか?」

「冗談言うなよ?そんなボロボロにしておいて交換だと?」

「隊長。ミラは俺たちが貰ったんだよ」と弟の方も男の申し出を断った。

男はヘラヘラしながら「残念」と肩を竦めて笑った。

「まぁ、売り飛ばす前なら交換してやるぜ。なかなか具合もいいぜ」と言い残して、無理やりレニを立たせると、男は彼女を連れて何処かに行ってしまった。

あまりの扱いの差に呆然と彼女を見送った…

「相変わらず、下衆な男だ…」

「大丈夫?怖かった?」と、兄弟は代わる代わる私を心配してくれた。

「あの男が俺たちの隊長だ。見ての通りヤバい奴さ…

あの子は運がなかったんだ。諦めな」

ラッセルの兄はそう言って、適当な場所に席を取って弟を座らせた。

「ミラ、隣においで。お腹すいたろ?」と弟の方が私に隣に座るように勧めた。

彼は兄の用意した食事を手探りで口に運んだ。

ボロボロと零しながら食べるのが見ていられなくて手を出した。

手と口を拭いてあげて、「食べさせてあげる」と申し出ると、彼は嬉しそうだった。

小さい子供のように世話を受けて、青年は「ありがとう」と言った。

弟の世話を焼いてあげていると、兄の方も機嫌が良さそうだった。

あの隊長も、この兄弟を敵に回す気はないらしい。

それならと、しばらくは彼らの世話になることに決めた。

✩.*˚

「トロくせぇな…」

男は文句を言って私の背を突き飛ばした。

首にかけられた縄が首にくい込んで咳き込んだ…

まだ我慢しなければ…

この男は私がか弱いと信じきっている。こっちに来たのが私で良かった。

ミラ様にこの扱いは酷だ…

ミラ様は、旅の一座で働いていた私を取り立ててくださった恩のある方だ。

本来なら、エッダの孤児に、高貴な身分の方にお仕えする機会などない。

ミラ様が侯爵家の侍女としてお仕えすることになり、私もミラ様のお世話をするために侯爵家の門を潜った。

侯爵夫人の目に留まり、柔軟な身体と反射神経の良さで、侯爵様の護衛として選ばれた。

今の私がいるのは全部あの方のおかげだ…

だからこれくらいのことはどうって事ない…

多少自尊心が削れたところで、私の役割は決まっている。

ミラ様を守ること…この暴力がミラ様に向かないようにする事だ…

「あーあー、あの女、お前とはえらい違いだな?大事にされて、悔しいか?」

男は相変わらず暴力を振るった。

靴のままで背中を踏みつけて、苦しむ私の姿を楽しんでいるようだった…

息苦しさで気を失いそうになると、意識を手放す前に男は足をどけた。

「可愛いなぁ、レニ…」

痛めつけて、男は満足気に笑うと、私の顎を掴んで接吻をした。

鼻をつまんで、無理やり口を開けさせると、窒息するほど激しい接吻をした。

苦しくて藻掻く姿を、この男は楽しんでいるのだ。この変態め!

「ハハッ!そんなに良かったか?陸に上がった魚みたいだぜ」

酸欠で痙攣する手足は役に立たなかった。

彼はズボンを下ろして興奮した男のモノを、私にあてがった。

昨日も何度も首を絞められながら、犯されて気を失った。

「あぁ…イイなぁ…」恍惚の表情を浮かべながら、男は暴力を振るい、私を犯した。

不愉快な行為…

まだ、今はこの男が満足するまで、サディスティックな行為に身を任せるしかない。

「あぁ…良いぞ、レニ…お前は可愛い奴だ」

愛を囁いてるつもりなのだろうか?

不愉快な囁きに吐き気がする…

侯爵様のように顔面に拳を叩き込みたくなる…

拳の代わりに、この男の喜びそうな悲鳴を上げて、震える振りをした。

案の定、男は満足して、私の中に欲望をぶちまけて果てた。

「可愛いなぁ」とまた囁いて、男は後ろから私を抱き締めた。

本当にそう思ってるのか?

変態の考えることなんて私には分からなかった…

✩.*˚

またあの男が《悪戯》をしているらしい…

「少し度が過ぎるな…」

指先で机を叩きながら呟いた。

噂話で、例の隊長が対岸から戦利品を持ち帰った話が本営にも届いていた。

あの男、《玉旗》の件で陛下から勲章を貰ったのをいいことに、好き勝手やっているらしい。

傭兵なんぞに、気まぐれを起こす辺りが陛下らしい…

「ルフトゥキャピタルの《金百舌鳥》の団長に抗議の手紙を出す。

あと、連れ帰った捕虜だが…」

「はっ!女性を二人攫ったと吹聴しているようです」という報告に眉を寄せた。

「はぁ…女か…」

よりによって…何の情報も無さそうだ…

面倒だからもう放っておくか?

「それが…メイヤー子爵閣下のお耳に入れるのには些か眉唾ものですが…

一部の話によると、貴族の侍女との事です。

さらに、これは噂ですが…」と話を持ってきた騎士は声を低くした。

「侯爵の侍女との話もあります」

「誠か?」

「まだ噂の域です」と答えて、彼は断言を避けた。

攫ったのが侯爵の侍女というなら、話は変わってくる。

しかし相手はあの男だ…二つ返事で応じるとは考えにくい…

旗の一件といい、あの男には煮え湯を飲まされてばかりだ。敵ならともかく、味方だから余計に質が悪い。

このまま好き勝手にされれば、規律が乱れ、士気が下がる。とんでもない爆弾だ。

いっそ金を握らせて《金百舌鳥》に突き返してやりたい…

「とりあえず、噂の真偽を確認させろ。

真偽によっては本営にて私が引き取る」

「傭兵がすんなりと言うことを聞くでしょうか?」

「嫌だというなら、私の財から代わりを用意する、と伝えよ…」

「…畏まりました」

到底納得してない様子だったが、騎士は命令を果たすために下がった。

「女ですか…」

同席して静かに話を聞いていたマーキュリー卿が感慨深く呟いた。

「何かね?卿は興味がおありかね?」

「いえ。女という生き物が絡むと事は厄介になりますので…」

「ほう?卿は真面目な男かと思っていたが、そういった経験もおありかね?」

「ご冗談を…

歴史を見ても、創作の物語でも、屈強な男が艶やかな美女に寝首をかかれる話は事欠きません。

教訓として引用した迄です」

「ならば私も気をつけねばならんな。

美しい乙女は怖いと、肝に銘じておくことに致そう」

まぁ、よくある話ではあるし、実際に女が絡むとろくな事がないのは事実だ。

彼の助言に耳を貸すのは悪い話ではなかった。

✩.*˚

「ミラ。登って」とラッセルの弟は私を櫓の上に誘った。

即席にしてはしっかりとした造りで、登り切るとカナルから吹き上がる強い風に煽られた。

「きゃっ!」風に驚いて悲鳴を上げると、先に登っていた弟が慌てて声の方を振り返った。

「大丈夫?!落っこちたりしてないよねぇ?!」

「え、えぇ、大丈夫…」

「良かった…」

彼は胸をなでおろして、カナルが一望できる場所に私を立たせた。

「ここが俺の仕事場」

彼はそう言って、櫓の上に持ち込んだ背負っていた荷物を下ろした。

背丈程ある大きな弓と、見たことの無い長い矢は彼の仕事道具なのだという。

「すごいだろ?

ここからなら、フィーアにも矢が届くんだよ」と子供のようにラッセルの弟は自慢した。

彼は目隠しを外すと、遠いカナルの岸に視線を向けた。

目隠しの下の目は普通の人間より黒目が大きかった。それでいて瞳孔は小さく絞られていた。

確かに《鷹の目》みたい…

兄の灰色の目とは違い、水色の宝石のような虹彩の瞳から魔力の気配を感じた。

《祝福》を持つ人間からは、完成された《魔石》のような反応を感じる。

魔石に精通した魔導師であれば、ある程度それを感じ取ることはできる。

「兄ちゃんは強いけど、俺もすごいんだよ。

近くは見えないけど、遠くはハッキリ見えてるんだ。本当だよ。

君の姿もよく見えた。

青い服の金髪の男の人と歩いてたよね?」

「…え、えぇ…」驚いた。到着してすぐの話だろう。

侯爵様が青い上着を着ていたのは、到着してすぐのことだ。到着してから緑の上着に着替えたのに…

「見えるところなら矢を撃ち込める。

もし、君が逃げてもすぐに見つけられるよ」

逃げるな、という脅しだろうか?

彼は対岸に視線を向けたまま、少し表情を緩めた。

「あのおじさん、今日もいるね」

その言葉に肝が冷えた…

「今、川岸にいるよ。君たちを探してるのかな?」

無邪気な声が恐怖を煽った。

大丈夫…この距離だ…

届いたとしても威力も落ちてるし、狙って当てるなんてできっこない…

そう自分に言い聞かせ、焦りを誤魔化したが、彼は慣れた様子で弓を握ると矢を弦に番えた。

その姿は自信に満ちていた。

「待って!やめて!」

「ミラ?」

彼の腕に縋って弓を引く手を止めた。

「お願い、ね?貴方が凄いのは分かったから…

お世話になった方なの…お願い、見逃して…」

「ミラはあの人のこと、好きなの?」

純粋な子供のような質問だ。それでも答えを間違えれば、彼は矢を放ちそうな気がした…

震える声で、「お父様みたいな方よ」と嘘を吐いた。

それが正解だったのか、彼は弓を引く手を緩めた。

「なんだ、そうか…家族なら大事もんな」

彼は弓矢を置いて目隠しを元に戻した。

目隠しをした顔で無邪気に笑うと、彼は腕を広げて私を腕の中に招いた。

彼の要求に応えると、ラッセルの弟は機嫌よく笑って饒舌に語った。

「ミラは優しいね。

そうだよ。家族は大事だ。俺も兄ちゃんは大事だから気持ちは分かるよ。

君の恋人だったら射ったけど、お父さんみたいな人ならダメだね。やめとくよ」

「あ、ありがとう…」

「俺の気持ち分かってくれた?」

「えぇ、分かったわ。私を大事にしてくれてるのね?」

随分幼い思考回路だ。それでも裏表が無い分、分かりやすく、合わせるのに苦労しない。

「君なら分かってくれると思ったよ」

私の髪を撫でる男は、優しい声で囁いた。

「多分、これって《愛》ってやつだよね?

俺は君のことが大好きなんだ。ずっと触れていたいくらい好きなんだよ。

だから、どこにも行かないで。俺たちと一緒にいて」

「分かったわ。一緒にいるわ」

彼を安心させるためにそう言って、両手で彼の頬を包んで唇を重ねた。

私からの接吻に、彼は気を良くしたようだ。

「もっとして」と彼は子供のようにおねだりした。

心を殺して重ねた唇で彼を酔わせて、愛してる振りをした。

本当に愛した人を守れるなら安い対価だ…
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