136 / 207
価値観
しおりを挟む
「何だよ?隊長、まだくたばってなかったのか?」
捕虜の収容所には猛獣を入れる頑丈な檻が並んでいた。
檻の中だと言うのに、異質な囚人は麻袋に突っ込まれて、首だけ出てる状態だ。
「お前なぁ…今までどこで何してたんだ?」
「どうだっていいだろ?あんたがヘマしたせいで、俺はヴィクターと離れ離れになっちまったんだ」と恨み言を言ってやったが、隊長は随分と衰弱してる様子だった。
「へー、そうかい?
なんなら、このままだと俺たちは、首と胴体だって離れ離れになっちまうぜ?
俺はこんなんだから、お前が何とかしろよ」
「あんたが何とかしろよ?
頭を使うのはあんたの仕事だったはずだろ?」
「俺ァもう終わってんだよ…
気持ち悪いのに呪われちまった…《祝福》は使えなくされたし、こんなんじゃ手も足も出ねぇよ…」
袋から顔だけ出した芋虫男は随分と現実を悲観してた。そりゃ、あんだけ派手にやりまくったんだ。敵から警戒されて当然だ。
「気持ちわりぃな…あんた随分しおらしくなったじゃねえか?」
「お前たち、うるさいぞ」と見張りの憲兵に私語を注意された。
ジロっと睨み返すと、憲兵はビビって視線を逸らした。
あのお坊ちゃんは俺の罪を軽くすると約束してくれたが、別れてから結構な時間が過ぎていた。
約束を違えるような奴じゃないだろう。
もしかして、上の奴らに叱られて罰を与えられてるんじゃないだろうか?
そうだとしたらあのお坊ちゃんに悪い…
「なぁ、俺を捕まえてきたお坊ちゃんは…」
「リューデル公子様だ!次期伯爵閣下だぞ!公子様か若様と呼べ!」
見張りの憲兵が引き攣った声で俺を叱った。
『好きに呼べ』ってお許しは貰ってんだがな…
そんな事こいつは知らねぇもんな…
石頭と話すのも面倒臭くなって、檻の中で鉄柵に背中を預けて座り込んだ。
隊長は使い物にならなそうだし、いよいよあのお坊ちゃんに賭けるしかないな…
まぁ、このままだと隊長の言う通り、ヴィクターどころかこの首も胴体とお別れしなきゃならなそうだ…
まぁ、いざとなったらタダでやられるつもりは無いがな…
暇を持て余して檻の中で柵を触ってみたが、素手でどうにかできるような物では無さそうだ。
あーぁ…暇だな…腹減った…
芋虫男に訊いてみた。
「なぁ、ここって飯は出るのか?」
「出るよ、朝晩な…でもお前、こんな時に…」
「じゃぁ、飯まで寝る」
隊長の言葉を遮って、何も無い床に転がった。
俺の態度を見咎めた憲兵が、檻の外で何か怒鳴っていたが無視した。
態度を改めない俺に、苛立った憲兵が檻に棒を差し込んで突こうとした。
馬鹿な野郎だ…
身体が勝手に反応した。
棒を掴んで引き寄せると、反撃を想定していなかった間抜けは、悲鳴を上げて慌てて棒を引き抜こうとした。
「力較べか?」と嘲笑ってさらに力を込めた。
「あーあー…馬鹿だなぁ…」と芋虫男は失笑した。その言葉は俺にでは無く、手を出した奴に向けられていた。
手を離さなかったのを、本人も後悔したはずだ。
檻の柵に強か打ち付けられて、相手は棒を手放してひっくり返った。
「何事だ?!」と騒ぎを聞きつけた奴らが駆けつけた。
「こいつが…手を…」と先に手を出した奴が俺に罪を擦り付けた。女々しい野郎だ!
「はあ?!お前が棒を突っ込んできたんだろうがっ!!」と言い返したが、俺の言い分を聞く奴なんていない。
「誰も近付くな。檻には目張りしておけ」と指示が出て、檻に分厚い布で目張りがされた。
クソッタレが!
理不尽に怒りが湧いたが、すぐに考えが変わった。
人の目がなくなって寝やすくなった。
寝転がって腕を枕にした。
うん、悪くねぇな。テントの中とさして変わらない。
お坊ちゃんの事は寝て待つことにした…
✩.*˚
「ミラ!」
私の姿を見て、ヴィクターは子供のように無邪気に駆け寄った。
彼の手にはあの弓が握られていた。
白くぼんやりと発光する弓からは、強い魔力を感じる。
彼は『神様がくれた』と自慢していたけど、私からすれば気味の悪い物だった…
「おかえりなさい」と笑顔を作って、彼の頭を撫でた。
相変わらず子供みたいな青年は私に懐いていた。
本来なら扱いやすい存在だ。
それなのに…
「ヴィクター。君は本当に彼女が好きだね?」とニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべた男は、私を見張っていた。
団長はヴィクターを私から引き離して、見えないところで彼の《祝福》の訓練をしていた。
「ミラ。団長はすごいんだよ。俺って自分の《祝福》を何も理解してなかったんだね!
団長のお陰でさらに強くなった気がするよ!」
「ヴィクター、それは君と私だけの秘密だろう?
奥の手は隠しておくものだよ。誰にも話しちゃいけないよ」
「あ…ごめんなさい」
「まぁ、話したくなる気持ちは分かるがね。
ミラ、君も探ったりしないようにね?」と穏やかそうな男は私に釘を刺した。
黙って微笑んで返したが、内心気が気ではなかった。
私はこの男に疑われているのだろう…
侯爵様への報告が滞っているのはこの男のせいだ。彼の存在に焦りを感じていた。
自分の左の前腕の内側を握った。
ここに小さな傷がある。魔石を埋め込んだ痕だ。これだけは見つかってはならない…
「おや?腕が痛むのかね?」
「いえ…何でも」
「私も少しは魔法に精通していてね。治癒魔法は少し使えるのだよ。何かあれば遠慮なく言いなさい」
親切に聞こえるが、ただの親切で言っている訳では無いだろう。
この男は私がボロを出すのを待っているのだ。
私を始末する口実を探している…
穏やかそうに見えて、抜け目のない紳士は、自然な笑顔で私に話しかけた。
「あぁ、そうだ。お土産を忘れていた。
君はヴィクターの大切な女性だからね。ルフトゥキャピタルから取り寄せた女性用の日用品だ。
ここは女性には少し厳しい環境だ。
せっかくの美人なのに肌が荒れて可哀想だったのでね。使うといい」
渡された荷物には婦人用の必要品が揃っていた。
「ありがとうございます」とお辞儀をして感謝を伝えると、彼は満足気な笑顔を見せた。
「団長優しいだろ?」
ヴィクターには、このやり取りが穏やかなものと映ったらしい。
その実は、お互いに気の抜けない腹の探り合いだと言うのに…
「えぇ、とってもご親切ですわ」
笑顔で取り繕って嬉しそうに荷物を抱き締めた。
そんな私を見て、ヴィクターは嬉しそうに肩に手を回した。
生き残るために、彼を愛してる振りを続けた。
✩.*˚
ラッセルを迎えに行くと、収容所は何やら騒がしくなっていた。
「何事だ?」と訊ねると、憲兵たちは口を揃えてラッセルの悪行を大袈裟に並べた。
どうやらマイペースな彼に手を焼いているらしい。
ラッセルの態度を注意した者が、彼に暴力を振るわれたと主張していた。だが、彼らとて何もしてない訳では無いだろう。
「ラッセルの身柄は私が預かる。リューデル伯爵閣下とヴェルフェル侯爵閣下のご命令で、別の場所に移動させる事になった」
「しかし、あの男は危険で…」
「即刻処刑すべきです!何をしでかすか分かりません!」
随分嫌われたものだ…
当然と言えば当然だが、彼らの一方的な主張は、私にとってあまり気分の良いものではない。
ラッセルは理由もなく暴力を振るう人間ではないと知っている。
「両閣下のご命令です。全ての責任は私が負います。
手枷と彼の檻の鍵を預かります」
「リューデル公子様がこう言っておられるのだ!両閣下をお待たせする気か?!早く言う通りにせよ!」
随行していたブラント卿が憲兵を叱りつけた。
両閣下の命令とあって、憲兵たちは渋々要求した手枷と檻の鍵を渡した。
テントの中に入ると、檻は帆布のような厚手の布で覆われていた。
「何だ、これは…?」
「暴れるので囲いました」と答えて、憲兵は邪魔な布を取り払った。
「何だ?飯の時間か?」と、檻の中からラッセルの寝ぼけた声が聞こえた。
相変わらずマイペースな男だ。
少しだけ笑いが漏れた。ラッセルはこの待遇に怒って無いようだ。
どうやらこの程度の扱いでは、彼はどうとも思わないらしい。
移動することを伝えて、念の為、手枷を着けることを伝えると、彼はあっさりと私に従った。
「退屈で死ぬかと思ったぜ」と言いながら、彼は檻を出て、獣のように唸り声を上げながら伸びをした。
その姿に周りの者たちが身構えた。
「腹が減った」と彼は食事を要求した。
「用意させる。その前に私と一緒に来てくれ」
「いいぜ。あんたにお任せだ」と彼は簡単に私を信用して着いてきた。
ラッセルの腰に結ばれた紐はブラント卿が握っている。
ラッセルはそれを見て少しだけ笑った。
「何だ?」と見咎めたブラント卿に、ラッセルは笑った理由を教えた。
「弟は目が悪いんだ。近くのものが見えないから、歩き回る時は俺の腰から垂らした紐を握っていた。
今どうしてんだろうな?」
「ふん。そんな話で同情を誘おうとしても無駄だ」
「そんなんじゃねぇよ。
なんか少しだけ思い出しただけさ」
ラッセルはまた笑って口を閉ざした。
大人しい囚人に文句はないのだろう。ブラント卿も顰めっ面で黙り込んだ。
両閣下の待つテントの前で足を止めて、ラッセルに再度確認した。
「ラッセル。私を信用してくれるか?」
「何だよ?俺は《あんたに任せる》って言ったんだ。男ってのは、余程がない限り言葉は変えねぇもんだ。あんただってそうだろ?」
「同感だ」と彼らしい返事に頷いて、ラッセルを連れてテントの入口をくぐった。
テントの中は侯爵の演出で整えられていた。
「よく来たな」と侯爵からお声がかかった。
奥にはヴェルフェル侯爵とリューデル伯爵が並んで座っていた。
目の前のテーブルには、温かい湯気の立つ豪華な食事が並んでいる。
ラッセルは状況が飲み込めないようで、虚をつかれたような顔になって固まった。
私もやり過ぎだと思う…
ここまでするとは聞いてなかった。
「どうした、ラッセル?君はもっと豪胆な男だと聞いていたのだがな?この程度で怯むとはな…
君の武勇伝は他人のものだったのかね?」
侯爵はそう言ってラッセルの気を引いた。
ラッセルは侯爵の問いかけに眉を動かした。
彼には彼の矜持がある。人物像を疑われたことが、彼の気に触ったらしい。
「美味そうなご馳走だが、俺は無作法なんでね。お互いに飯が不味くなるから遠慮する。
後で臭い飯でも届けてくれや」
「なるほど、面白い答えだ。なかなか興味を引かれるユニークな返事だよ。
だが、そうやって断られると、せっかく用意したものが無駄になる。
君だって、食べ物を無駄にする程無作法でもないはずだろう?」
侯爵に席を進められ、ラッセルは私に視線を向けた。判断材料を探す子供みたいに、彼はこの状況に戸惑っていた。
「大丈夫だ。君の望んでいた食事の時間だ。なんの仕込みもない」と告げて、彼の座るはずの椅子を引いた。
ラッセルは少し躊躇したが、腹を括って侯爵の前の席に座った。
「食事をするのに手枷は邪魔だな。ゲリン、外してくれ」とリューデル伯爵から指示された。
手枷と腰紐を外すと、ラッセルはさらに気味悪く感じたようだった。
「俺が暴れないって思ってんのか?」と、ラッセルは侯爵を睨んだ。
だが、当の本人は余裕の表情で、優雅にワイングラスを弄びながら笑って答えた。
「テーブルをひっくり返して暴れることで、君にメリットがあるならそうするといい。
食事は食べれなくなるし、君の立場はさらに悪くなる。無論、君のためにと我々を説得した、リューデル公子の立場もね…
私はそんな無駄なことはおすすめしないよ。
ならば、君のすることはひとつだ、ラッセル」
諭すような口調だが、有無を言わせないその姿は、南部を統べる《南部侯》と呼ぶに相応しい、威厳のある姿だった。
「フィーアの恵を感謝して食べなさい。話は満たされてからだ」
さすがのラッセルも悪態を吐くのをやめた。
侯爵に気圧されて、ラッセルは食べ物を口に運んだ。
決して褒められるような作法ではないが、彼なりに行儀よく食べてる方だろう。
「どうだね、フィーアの食事は?」と侯爵はラッセル食事の感想を求めた。
ラッセルは「濃い」と答えた。
「この塩は高いだろ?オークランドじゃこんなに濃い味にしねぇよ。勿体ねぇ」
「そうかね?」
「安い塩には砂が混ざってる。だからこれは高いだろ?
肉だって、火の通りが悪いんじゃねぇか?」
「お気に召さなかったかね?」
「そうじゃねぇよ。美味いさ。
でも俺には贅沢すぎだ」
「おや?贅沢は嫌いかね?」という侯爵の問いに、ラッセルは眉を顰めた。
「金も贅沢も嫌いじゃねぇよ…
でもな、金にも贅沢にも、俺を曲げる程の価値なんてねぇよ」
ラッセルは荒っぽい言葉で、私にしたのと同じ質問をした。
「あんた、下の兄弟はいるかい?」
その問いかけに、ヴェルフェル兄弟は一瞬視線を交わした。
「我々は兄弟だ」
侯爵の返答に、ラッセルも「そうかい」と頷いた。
「どっちが兄貴だ?」と彼はさらに踏み込んだ質問をした。ラッセルの質問に、侯爵が手を挙げて答えた。
「私だ。隣のリューデル伯爵が弟だ。
彼とは顔を合わせたことがあるだろう?」
「あぁ。めっぽう強かった。このお坊ちゃんを助けに駆けつけたもんな。覚えてる」
「ほう?覚えていたのか?意外と見ているのだな?」とリューデル伯爵も意外そうに感心していた。
ラッセルの戦う姿はまるで竜巻だ。当たりを手当り次第飲み込んで、薙ぎ払う姿は相手を確認しているようには見えない。
「俺だって、踏んだものくらい確認する。痛かったんなら尚更だ。次は踏まないように気をつけるね」
「なるほど。それは大事な心掛けだ」と侯爵はラッセルの言葉に頷いた。
侯爵はラッセルとの会話を楽しんでいるように見えた。
「あともう一人、へそ曲がりな弟がいる。
彼は仕事で来れなくてね。忙しいらしい。
私の兄弟の話はそのくらいだ」
「あんた、弟が可愛くないのかい?」とラッセルが唐突に訊ねた。
その質問に、珍しく侯爵は驚いた顔で固まった。
ラッセルとしてはただそれだけの質問だ。深読みするような内容ではない。
「可愛い…ふむ、そう思ったことはあまりないな?」と二人は顔を見合わせて笑った。
「嫌いとかではないがね。リューデル伯爵は私と歳が近いので、あまり可愛いと思ったことは無いな…
むしろ仲の良い悪友で、一番のライバルだったよ」
「まぁ、悪さのご指導は頂戴しましたな」
「お前も大概だったろうに…」と笑って、侯爵はラッセルに向き直った。
「あんたら本当に兄弟っぽくないな」とラッセルは感想を述べた。
「そうかね?」
「そうさ。兄貴は弟を可愛がるもんだ。
大事にして、守ってやるのが兄貴だ」
「それは君の価値観だろう?
彼を見て、守られるようなか弱い存在に見えるかね?」
侯爵の反論に、ラッセルも言葉を引っ込めた。
「リューデル伯爵は私の弟だが、私より商才もあり、将としても優秀だ。
もう一人の弟は、我々とは少し毛色が違うが、優秀な魔導師だ。少し愚痴は多いが、彼の豊富な知識と、冷静な分析力は我々に無いものだ。
私は兄だが、弟に頼ることを恥とは思わないし、弟たちも私に頼られることを苦々しく思ったりしない。その逆も然りだ。
兄弟とは支え合うものさ」
「全く…ずるい人だ」とリューデル伯爵は照れくさそうに野次を飛ばした。
「認めているのだ。素直に喜べ」と笑う侯爵と、苦笑いを浮かべるリューデル伯爵からは兄弟以上の絆が見えた。
「我々は三人でようやくあの偉大な父に並べるのだ」という言葉が私の心に響いた。
完璧に見えるヴェルフェル侯爵もまた、自身の父の背を追って、追いつこうともがいているのだ。
それが私には魅力的に映った。
「そうかい」と頷いたラッセルにも少しは響いたのだろうか?
「ヴィクターが、俺と同じ普通の兄弟だったら、そう思ったかもしれねぇな…」
ラッセルはそう呟いて、背もたれに背を預けると、ヴェルフェル兄弟から視線を外して、天井を見上げた。
「あんたら、俺たちのことは多少なりとも知ってんだろ?」
ラッセルは少しだけ間を置いて、視線を元に戻すと、腕組みをして話を始めた。
「ヴィクターは《祝福》の代わりに、目が悪いんだ。近くのものはほとんど見えねぇんだ。
だから俺がずっと面倒見ていた。ガキの頃からずっとだ…
でも俺は兄貴だからよ、年の離れた目の悪い弟の世話なんて当たり前だろ?
それに、弟ができたって時は本当に嬉しかったんだ。目が悪いなんて、大した問題じゃねぇんだよ。あいつは生きてるだけで、それだけで価値があんだよ。
それに、俺は兄貴としてあいつに頼られて誇らしく思ってたんだ。あいつの兄貴は俺だけだ」
「良い兄だ」
「侯爵様に褒められるなんてな。兄貴になってよかったぜ。
俺は今だってヴィクターのために生きてんだ。
俺は死ぬまであいつの兄貴だ。金を積まれても、贅沢が約束されていても、俺はヴィクターの兄貴としての俺を曲げたりしねぇよ」
「なるほど。君は兄としての生き方に誇りを持っているようだ…
君を誘惑するのは骨が折れそうだ」
侯爵は難題に肩を竦めた。
「まぁ、それでも私は、君から私の欲しい返答を引き出す気でいるがね」
「へぇ、そうかい?
じゃあ、この首を撥ねて、頭だけで縦に振って遊ぶといいさ。
俺は頑固だからよ。首も硬いのさ」とラッセルは挑戦的に応えた。
「死体を弄ぶ趣味はないさ。
私は生きてる君に興味があるのだよ」
侯爵は余裕たっぷりにラッセルに答えた。
「君は頑固だろうが、私も我儘でね。
根比べしようじゃないか?
私が諦めるか、君が折れるかの二つに一つだ。ただ、私は君を満足させるだけの条件を用意するつもりだ」
「ほー?言うねぇ…」とラッセルはまた挑戦的に応じた。
「乗るかい、ラッセル?」
「いいぜ、侯爵様。あんたが俺を満足させられるなら、俺はあんたに折れてやるよ」
ラッセルはそう答えて机に身を乗り出した。
「あんたは俺に何をくれるってんだ?」
一切の遠慮ない態度は、侯爵を試しているかのようだ。
それに対して、侯爵は余裕の笑みで交渉を突きつけた。
「昔の私なら、『美女と土地と金を用意しよう』と提案したがね…
それではつまらないだろう?
ならば、私は君に《人並みの生活を保証》を約束しよう」
「…なんだと?」
「《人並みの生活を保証する》。
これが私の提案だ」
侯爵はそう言って席を立つと、ラッセルの席に歩み寄った。
「フィーアに来い、ラッセル。
私はお前に、お前の腕に髪を結んだ村人と残りの人生を生きることを許す。
二度とカナルの戦場に来ないと言うなら、私はお前たち兄弟に、人間として生きる道を残そう」
侯爵の誘いに、ラッセルは答えなかった。
だが、侯爵が提示した提案に、笑うことも、怒ることも、無視することもできなかったらしい…
「…そうかい」とだけ呟いて、彼はまた天井に視線を逸らした。
「悪くねぇなぁ」と漏れた言葉は彼なりの皮肉だったのか、それとも本心から出た言葉なのか…
それを判断できるほど、私は彼を知ってはいなかった。
✩.*˚
ヴィクターは《英雄》に近づきつつあった。
《鷹の目》能力は申し分ない。しかし、彼には人として決定的な弱点があった。
集中力がないのだ。子供並の集中力しかない…
長い時間、集中して物事に取り組むことができない。
「まだするの?」と、彼は子供のように不満を口にした。
「もう飽きてしまったのかね?」と私も呆れてため息を吐いた。
《スウィッチ》はどうやって彼にいうことを聞かせていたのだろうか?それとも、兄が上手くやっていたのだろうか?
どちらにせよ、彼の集中力の無さは問題だ…
《祝福》は分からないことが多いが、そのほとんどが魔法などに分類される。
魔法でイメージを具現化するのに集中力は欠かせない。
魔法使いはイメージが鮮明であればあるほど、その具現化する魔法が強化される。
術士のイメージを、魔力を通じて魔石に伝え、具現化、もしくは現象として発生させるのが、魔法の原理だ。
それができない場合、魔石に直接刻んだ魔法を使う手もあるが、それでは練度の高い魔術師の足元にも及ばないお粗末なものだ。
「矢の形なら覚えてるよ」と彼はつまらなそうに文句を言った。
「そうかもしれないがね、細部までよく観察してご覧。普段は見ない場所。羽の付け根、鏃の接合部、矢の硬さ、長さ、全て頭に叩き込むことだ。
そうすれば、君はより強くなれる」
「分からないよ。そんなの何になるのさ?」
「頭に刷り込むのさ」と頭を指差して見せた。
「君は知らないものを上手に使いこなすことはできるかい?」
「そんなの無理だよ。だって知らないんだもん」
ヴィクターは幼い言葉で答えた。
「なら、何度も使って慣れている、隅から隅まで知っているものであればどうかね?」
「それなら使いやすそうだ」
「私もそう思う。
《祝福》は使いこなすことによって進化する。
しかし、力の強い《祝福》ほど、その修練を積むのが難しいというのが分かっている。
君の能力も、表面上しかまだ分からないのだ。可能性を探るためにも、色々試してみなければ…」
ヴィクターは私の話を聞きながら、手のひらで矢を弄んでいた。
話が分かっているのかいないのか…
やはり彼は集中力していないように見えた。
難しい話は、彼にとって聞き流す子守唄に等しいのだろう…
幼稚な彼には、単純で身近な話の方が理解しやすい。
「君は兄さんを助けたいんだろう?」と話を切り替えると、彼はすぐに反応した。
「もちろんだよ!兄ちゃんは大事な家族だ!」
「なら、強くなって兄さんを助けなければならないな…」
「でも、どうやったらいいか分からない」
「簡単なことさ。
君には《祝福》があるじゃないか?
それに、その不思議な弓もある。
それでフィーア人を沢山殺してカナルから引かせれば、オークランドは河を渡れる。そうすれば兄さんに会えるよ」
我ながら陳腐な口説き文句だ。それでもその血腥い安い言葉は、どんなに飾った正義より、確実に彼に響いていた。
「私を信じて、その《祝福》を磨くことだ。幸運なことに、まだ君の兄さんが死んだという話は聞かない。
彼を助けられるのは君だけだろう?」
「…分かった」と頷いて、彼は矢の観察を続けた。
扱いやすいのか、にくいのか…
ため息を漏らして、ヴィクターから視線を外して辺りを見渡した。
そろそろ秋も過ぎようとしていた。
冷たい木枯らしが吹いて、戦には向かない冬が来る。
その前に、多少なりと結果を出せるようにと思いながら、ヴィクターの指導を続けた。
捕虜の収容所には猛獣を入れる頑丈な檻が並んでいた。
檻の中だと言うのに、異質な囚人は麻袋に突っ込まれて、首だけ出てる状態だ。
「お前なぁ…今までどこで何してたんだ?」
「どうだっていいだろ?あんたがヘマしたせいで、俺はヴィクターと離れ離れになっちまったんだ」と恨み言を言ってやったが、隊長は随分と衰弱してる様子だった。
「へー、そうかい?
なんなら、このままだと俺たちは、首と胴体だって離れ離れになっちまうぜ?
俺はこんなんだから、お前が何とかしろよ」
「あんたが何とかしろよ?
頭を使うのはあんたの仕事だったはずだろ?」
「俺ァもう終わってんだよ…
気持ち悪いのに呪われちまった…《祝福》は使えなくされたし、こんなんじゃ手も足も出ねぇよ…」
袋から顔だけ出した芋虫男は随分と現実を悲観してた。そりゃ、あんだけ派手にやりまくったんだ。敵から警戒されて当然だ。
「気持ちわりぃな…あんた随分しおらしくなったじゃねえか?」
「お前たち、うるさいぞ」と見張りの憲兵に私語を注意された。
ジロっと睨み返すと、憲兵はビビって視線を逸らした。
あのお坊ちゃんは俺の罪を軽くすると約束してくれたが、別れてから結構な時間が過ぎていた。
約束を違えるような奴じゃないだろう。
もしかして、上の奴らに叱られて罰を与えられてるんじゃないだろうか?
そうだとしたらあのお坊ちゃんに悪い…
「なぁ、俺を捕まえてきたお坊ちゃんは…」
「リューデル公子様だ!次期伯爵閣下だぞ!公子様か若様と呼べ!」
見張りの憲兵が引き攣った声で俺を叱った。
『好きに呼べ』ってお許しは貰ってんだがな…
そんな事こいつは知らねぇもんな…
石頭と話すのも面倒臭くなって、檻の中で鉄柵に背中を預けて座り込んだ。
隊長は使い物にならなそうだし、いよいよあのお坊ちゃんに賭けるしかないな…
まぁ、このままだと隊長の言う通り、ヴィクターどころかこの首も胴体とお別れしなきゃならなそうだ…
まぁ、いざとなったらタダでやられるつもりは無いがな…
暇を持て余して檻の中で柵を触ってみたが、素手でどうにかできるような物では無さそうだ。
あーぁ…暇だな…腹減った…
芋虫男に訊いてみた。
「なぁ、ここって飯は出るのか?」
「出るよ、朝晩な…でもお前、こんな時に…」
「じゃぁ、飯まで寝る」
隊長の言葉を遮って、何も無い床に転がった。
俺の態度を見咎めた憲兵が、檻の外で何か怒鳴っていたが無視した。
態度を改めない俺に、苛立った憲兵が檻に棒を差し込んで突こうとした。
馬鹿な野郎だ…
身体が勝手に反応した。
棒を掴んで引き寄せると、反撃を想定していなかった間抜けは、悲鳴を上げて慌てて棒を引き抜こうとした。
「力較べか?」と嘲笑ってさらに力を込めた。
「あーあー…馬鹿だなぁ…」と芋虫男は失笑した。その言葉は俺にでは無く、手を出した奴に向けられていた。
手を離さなかったのを、本人も後悔したはずだ。
檻の柵に強か打ち付けられて、相手は棒を手放してひっくり返った。
「何事だ?!」と騒ぎを聞きつけた奴らが駆けつけた。
「こいつが…手を…」と先に手を出した奴が俺に罪を擦り付けた。女々しい野郎だ!
「はあ?!お前が棒を突っ込んできたんだろうがっ!!」と言い返したが、俺の言い分を聞く奴なんていない。
「誰も近付くな。檻には目張りしておけ」と指示が出て、檻に分厚い布で目張りがされた。
クソッタレが!
理不尽に怒りが湧いたが、すぐに考えが変わった。
人の目がなくなって寝やすくなった。
寝転がって腕を枕にした。
うん、悪くねぇな。テントの中とさして変わらない。
お坊ちゃんの事は寝て待つことにした…
✩.*˚
「ミラ!」
私の姿を見て、ヴィクターは子供のように無邪気に駆け寄った。
彼の手にはあの弓が握られていた。
白くぼんやりと発光する弓からは、強い魔力を感じる。
彼は『神様がくれた』と自慢していたけど、私からすれば気味の悪い物だった…
「おかえりなさい」と笑顔を作って、彼の頭を撫でた。
相変わらず子供みたいな青年は私に懐いていた。
本来なら扱いやすい存在だ。
それなのに…
「ヴィクター。君は本当に彼女が好きだね?」とニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべた男は、私を見張っていた。
団長はヴィクターを私から引き離して、見えないところで彼の《祝福》の訓練をしていた。
「ミラ。団長はすごいんだよ。俺って自分の《祝福》を何も理解してなかったんだね!
団長のお陰でさらに強くなった気がするよ!」
「ヴィクター、それは君と私だけの秘密だろう?
奥の手は隠しておくものだよ。誰にも話しちゃいけないよ」
「あ…ごめんなさい」
「まぁ、話したくなる気持ちは分かるがね。
ミラ、君も探ったりしないようにね?」と穏やかそうな男は私に釘を刺した。
黙って微笑んで返したが、内心気が気ではなかった。
私はこの男に疑われているのだろう…
侯爵様への報告が滞っているのはこの男のせいだ。彼の存在に焦りを感じていた。
自分の左の前腕の内側を握った。
ここに小さな傷がある。魔石を埋め込んだ痕だ。これだけは見つかってはならない…
「おや?腕が痛むのかね?」
「いえ…何でも」
「私も少しは魔法に精通していてね。治癒魔法は少し使えるのだよ。何かあれば遠慮なく言いなさい」
親切に聞こえるが、ただの親切で言っている訳では無いだろう。
この男は私がボロを出すのを待っているのだ。
私を始末する口実を探している…
穏やかそうに見えて、抜け目のない紳士は、自然な笑顔で私に話しかけた。
「あぁ、そうだ。お土産を忘れていた。
君はヴィクターの大切な女性だからね。ルフトゥキャピタルから取り寄せた女性用の日用品だ。
ここは女性には少し厳しい環境だ。
せっかくの美人なのに肌が荒れて可哀想だったのでね。使うといい」
渡された荷物には婦人用の必要品が揃っていた。
「ありがとうございます」とお辞儀をして感謝を伝えると、彼は満足気な笑顔を見せた。
「団長優しいだろ?」
ヴィクターには、このやり取りが穏やかなものと映ったらしい。
その実は、お互いに気の抜けない腹の探り合いだと言うのに…
「えぇ、とってもご親切ですわ」
笑顔で取り繕って嬉しそうに荷物を抱き締めた。
そんな私を見て、ヴィクターは嬉しそうに肩に手を回した。
生き残るために、彼を愛してる振りを続けた。
✩.*˚
ラッセルを迎えに行くと、収容所は何やら騒がしくなっていた。
「何事だ?」と訊ねると、憲兵たちは口を揃えてラッセルの悪行を大袈裟に並べた。
どうやらマイペースな彼に手を焼いているらしい。
ラッセルの態度を注意した者が、彼に暴力を振るわれたと主張していた。だが、彼らとて何もしてない訳では無いだろう。
「ラッセルの身柄は私が預かる。リューデル伯爵閣下とヴェルフェル侯爵閣下のご命令で、別の場所に移動させる事になった」
「しかし、あの男は危険で…」
「即刻処刑すべきです!何をしでかすか分かりません!」
随分嫌われたものだ…
当然と言えば当然だが、彼らの一方的な主張は、私にとってあまり気分の良いものではない。
ラッセルは理由もなく暴力を振るう人間ではないと知っている。
「両閣下のご命令です。全ての責任は私が負います。
手枷と彼の檻の鍵を預かります」
「リューデル公子様がこう言っておられるのだ!両閣下をお待たせする気か?!早く言う通りにせよ!」
随行していたブラント卿が憲兵を叱りつけた。
両閣下の命令とあって、憲兵たちは渋々要求した手枷と檻の鍵を渡した。
テントの中に入ると、檻は帆布のような厚手の布で覆われていた。
「何だ、これは…?」
「暴れるので囲いました」と答えて、憲兵は邪魔な布を取り払った。
「何だ?飯の時間か?」と、檻の中からラッセルの寝ぼけた声が聞こえた。
相変わらずマイペースな男だ。
少しだけ笑いが漏れた。ラッセルはこの待遇に怒って無いようだ。
どうやらこの程度の扱いでは、彼はどうとも思わないらしい。
移動することを伝えて、念の為、手枷を着けることを伝えると、彼はあっさりと私に従った。
「退屈で死ぬかと思ったぜ」と言いながら、彼は檻を出て、獣のように唸り声を上げながら伸びをした。
その姿に周りの者たちが身構えた。
「腹が減った」と彼は食事を要求した。
「用意させる。その前に私と一緒に来てくれ」
「いいぜ。あんたにお任せだ」と彼は簡単に私を信用して着いてきた。
ラッセルの腰に結ばれた紐はブラント卿が握っている。
ラッセルはそれを見て少しだけ笑った。
「何だ?」と見咎めたブラント卿に、ラッセルは笑った理由を教えた。
「弟は目が悪いんだ。近くのものが見えないから、歩き回る時は俺の腰から垂らした紐を握っていた。
今どうしてんだろうな?」
「ふん。そんな話で同情を誘おうとしても無駄だ」
「そんなんじゃねぇよ。
なんか少しだけ思い出しただけさ」
ラッセルはまた笑って口を閉ざした。
大人しい囚人に文句はないのだろう。ブラント卿も顰めっ面で黙り込んだ。
両閣下の待つテントの前で足を止めて、ラッセルに再度確認した。
「ラッセル。私を信用してくれるか?」
「何だよ?俺は《あんたに任せる》って言ったんだ。男ってのは、余程がない限り言葉は変えねぇもんだ。あんただってそうだろ?」
「同感だ」と彼らしい返事に頷いて、ラッセルを連れてテントの入口をくぐった。
テントの中は侯爵の演出で整えられていた。
「よく来たな」と侯爵からお声がかかった。
奥にはヴェルフェル侯爵とリューデル伯爵が並んで座っていた。
目の前のテーブルには、温かい湯気の立つ豪華な食事が並んでいる。
ラッセルは状況が飲み込めないようで、虚をつかれたような顔になって固まった。
私もやり過ぎだと思う…
ここまでするとは聞いてなかった。
「どうした、ラッセル?君はもっと豪胆な男だと聞いていたのだがな?この程度で怯むとはな…
君の武勇伝は他人のものだったのかね?」
侯爵はそう言ってラッセルの気を引いた。
ラッセルは侯爵の問いかけに眉を動かした。
彼には彼の矜持がある。人物像を疑われたことが、彼の気に触ったらしい。
「美味そうなご馳走だが、俺は無作法なんでね。お互いに飯が不味くなるから遠慮する。
後で臭い飯でも届けてくれや」
「なるほど、面白い答えだ。なかなか興味を引かれるユニークな返事だよ。
だが、そうやって断られると、せっかく用意したものが無駄になる。
君だって、食べ物を無駄にする程無作法でもないはずだろう?」
侯爵に席を進められ、ラッセルは私に視線を向けた。判断材料を探す子供みたいに、彼はこの状況に戸惑っていた。
「大丈夫だ。君の望んでいた食事の時間だ。なんの仕込みもない」と告げて、彼の座るはずの椅子を引いた。
ラッセルは少し躊躇したが、腹を括って侯爵の前の席に座った。
「食事をするのに手枷は邪魔だな。ゲリン、外してくれ」とリューデル伯爵から指示された。
手枷と腰紐を外すと、ラッセルはさらに気味悪く感じたようだった。
「俺が暴れないって思ってんのか?」と、ラッセルは侯爵を睨んだ。
だが、当の本人は余裕の表情で、優雅にワイングラスを弄びながら笑って答えた。
「テーブルをひっくり返して暴れることで、君にメリットがあるならそうするといい。
食事は食べれなくなるし、君の立場はさらに悪くなる。無論、君のためにと我々を説得した、リューデル公子の立場もね…
私はそんな無駄なことはおすすめしないよ。
ならば、君のすることはひとつだ、ラッセル」
諭すような口調だが、有無を言わせないその姿は、南部を統べる《南部侯》と呼ぶに相応しい、威厳のある姿だった。
「フィーアの恵を感謝して食べなさい。話は満たされてからだ」
さすがのラッセルも悪態を吐くのをやめた。
侯爵に気圧されて、ラッセルは食べ物を口に運んだ。
決して褒められるような作法ではないが、彼なりに行儀よく食べてる方だろう。
「どうだね、フィーアの食事は?」と侯爵はラッセル食事の感想を求めた。
ラッセルは「濃い」と答えた。
「この塩は高いだろ?オークランドじゃこんなに濃い味にしねぇよ。勿体ねぇ」
「そうかね?」
「安い塩には砂が混ざってる。だからこれは高いだろ?
肉だって、火の通りが悪いんじゃねぇか?」
「お気に召さなかったかね?」
「そうじゃねぇよ。美味いさ。
でも俺には贅沢すぎだ」
「おや?贅沢は嫌いかね?」という侯爵の問いに、ラッセルは眉を顰めた。
「金も贅沢も嫌いじゃねぇよ…
でもな、金にも贅沢にも、俺を曲げる程の価値なんてねぇよ」
ラッセルは荒っぽい言葉で、私にしたのと同じ質問をした。
「あんた、下の兄弟はいるかい?」
その問いかけに、ヴェルフェル兄弟は一瞬視線を交わした。
「我々は兄弟だ」
侯爵の返答に、ラッセルも「そうかい」と頷いた。
「どっちが兄貴だ?」と彼はさらに踏み込んだ質問をした。ラッセルの質問に、侯爵が手を挙げて答えた。
「私だ。隣のリューデル伯爵が弟だ。
彼とは顔を合わせたことがあるだろう?」
「あぁ。めっぽう強かった。このお坊ちゃんを助けに駆けつけたもんな。覚えてる」
「ほう?覚えていたのか?意外と見ているのだな?」とリューデル伯爵も意外そうに感心していた。
ラッセルの戦う姿はまるで竜巻だ。当たりを手当り次第飲み込んで、薙ぎ払う姿は相手を確認しているようには見えない。
「俺だって、踏んだものくらい確認する。痛かったんなら尚更だ。次は踏まないように気をつけるね」
「なるほど。それは大事な心掛けだ」と侯爵はラッセルの言葉に頷いた。
侯爵はラッセルとの会話を楽しんでいるように見えた。
「あともう一人、へそ曲がりな弟がいる。
彼は仕事で来れなくてね。忙しいらしい。
私の兄弟の話はそのくらいだ」
「あんた、弟が可愛くないのかい?」とラッセルが唐突に訊ねた。
その質問に、珍しく侯爵は驚いた顔で固まった。
ラッセルとしてはただそれだけの質問だ。深読みするような内容ではない。
「可愛い…ふむ、そう思ったことはあまりないな?」と二人は顔を見合わせて笑った。
「嫌いとかではないがね。リューデル伯爵は私と歳が近いので、あまり可愛いと思ったことは無いな…
むしろ仲の良い悪友で、一番のライバルだったよ」
「まぁ、悪さのご指導は頂戴しましたな」
「お前も大概だったろうに…」と笑って、侯爵はラッセルに向き直った。
「あんたら本当に兄弟っぽくないな」とラッセルは感想を述べた。
「そうかね?」
「そうさ。兄貴は弟を可愛がるもんだ。
大事にして、守ってやるのが兄貴だ」
「それは君の価値観だろう?
彼を見て、守られるようなか弱い存在に見えるかね?」
侯爵の反論に、ラッセルも言葉を引っ込めた。
「リューデル伯爵は私の弟だが、私より商才もあり、将としても優秀だ。
もう一人の弟は、我々とは少し毛色が違うが、優秀な魔導師だ。少し愚痴は多いが、彼の豊富な知識と、冷静な分析力は我々に無いものだ。
私は兄だが、弟に頼ることを恥とは思わないし、弟たちも私に頼られることを苦々しく思ったりしない。その逆も然りだ。
兄弟とは支え合うものさ」
「全く…ずるい人だ」とリューデル伯爵は照れくさそうに野次を飛ばした。
「認めているのだ。素直に喜べ」と笑う侯爵と、苦笑いを浮かべるリューデル伯爵からは兄弟以上の絆が見えた。
「我々は三人でようやくあの偉大な父に並べるのだ」という言葉が私の心に響いた。
完璧に見えるヴェルフェル侯爵もまた、自身の父の背を追って、追いつこうともがいているのだ。
それが私には魅力的に映った。
「そうかい」と頷いたラッセルにも少しは響いたのだろうか?
「ヴィクターが、俺と同じ普通の兄弟だったら、そう思ったかもしれねぇな…」
ラッセルはそう呟いて、背もたれに背を預けると、ヴェルフェル兄弟から視線を外して、天井を見上げた。
「あんたら、俺たちのことは多少なりとも知ってんだろ?」
ラッセルは少しだけ間を置いて、視線を元に戻すと、腕組みをして話を始めた。
「ヴィクターは《祝福》の代わりに、目が悪いんだ。近くのものはほとんど見えねぇんだ。
だから俺がずっと面倒見ていた。ガキの頃からずっとだ…
でも俺は兄貴だからよ、年の離れた目の悪い弟の世話なんて当たり前だろ?
それに、弟ができたって時は本当に嬉しかったんだ。目が悪いなんて、大した問題じゃねぇんだよ。あいつは生きてるだけで、それだけで価値があんだよ。
それに、俺は兄貴としてあいつに頼られて誇らしく思ってたんだ。あいつの兄貴は俺だけだ」
「良い兄だ」
「侯爵様に褒められるなんてな。兄貴になってよかったぜ。
俺は今だってヴィクターのために生きてんだ。
俺は死ぬまであいつの兄貴だ。金を積まれても、贅沢が約束されていても、俺はヴィクターの兄貴としての俺を曲げたりしねぇよ」
「なるほど。君は兄としての生き方に誇りを持っているようだ…
君を誘惑するのは骨が折れそうだ」
侯爵は難題に肩を竦めた。
「まぁ、それでも私は、君から私の欲しい返答を引き出す気でいるがね」
「へぇ、そうかい?
じゃあ、この首を撥ねて、頭だけで縦に振って遊ぶといいさ。
俺は頑固だからよ。首も硬いのさ」とラッセルは挑戦的に応えた。
「死体を弄ぶ趣味はないさ。
私は生きてる君に興味があるのだよ」
侯爵は余裕たっぷりにラッセルに答えた。
「君は頑固だろうが、私も我儘でね。
根比べしようじゃないか?
私が諦めるか、君が折れるかの二つに一つだ。ただ、私は君を満足させるだけの条件を用意するつもりだ」
「ほー?言うねぇ…」とラッセルはまた挑戦的に応じた。
「乗るかい、ラッセル?」
「いいぜ、侯爵様。あんたが俺を満足させられるなら、俺はあんたに折れてやるよ」
ラッセルはそう答えて机に身を乗り出した。
「あんたは俺に何をくれるってんだ?」
一切の遠慮ない態度は、侯爵を試しているかのようだ。
それに対して、侯爵は余裕の笑みで交渉を突きつけた。
「昔の私なら、『美女と土地と金を用意しよう』と提案したがね…
それではつまらないだろう?
ならば、私は君に《人並みの生活を保証》を約束しよう」
「…なんだと?」
「《人並みの生活を保証する》。
これが私の提案だ」
侯爵はそう言って席を立つと、ラッセルの席に歩み寄った。
「フィーアに来い、ラッセル。
私はお前に、お前の腕に髪を結んだ村人と残りの人生を生きることを許す。
二度とカナルの戦場に来ないと言うなら、私はお前たち兄弟に、人間として生きる道を残そう」
侯爵の誘いに、ラッセルは答えなかった。
だが、侯爵が提示した提案に、笑うことも、怒ることも、無視することもできなかったらしい…
「…そうかい」とだけ呟いて、彼はまた天井に視線を逸らした。
「悪くねぇなぁ」と漏れた言葉は彼なりの皮肉だったのか、それとも本心から出た言葉なのか…
それを判断できるほど、私は彼を知ってはいなかった。
✩.*˚
ヴィクターは《英雄》に近づきつつあった。
《鷹の目》能力は申し分ない。しかし、彼には人として決定的な弱点があった。
集中力がないのだ。子供並の集中力しかない…
長い時間、集中して物事に取り組むことができない。
「まだするの?」と、彼は子供のように不満を口にした。
「もう飽きてしまったのかね?」と私も呆れてため息を吐いた。
《スウィッチ》はどうやって彼にいうことを聞かせていたのだろうか?それとも、兄が上手くやっていたのだろうか?
どちらにせよ、彼の集中力の無さは問題だ…
《祝福》は分からないことが多いが、そのほとんどが魔法などに分類される。
魔法でイメージを具現化するのに集中力は欠かせない。
魔法使いはイメージが鮮明であればあるほど、その具現化する魔法が強化される。
術士のイメージを、魔力を通じて魔石に伝え、具現化、もしくは現象として発生させるのが、魔法の原理だ。
それができない場合、魔石に直接刻んだ魔法を使う手もあるが、それでは練度の高い魔術師の足元にも及ばないお粗末なものだ。
「矢の形なら覚えてるよ」と彼はつまらなそうに文句を言った。
「そうかもしれないがね、細部までよく観察してご覧。普段は見ない場所。羽の付け根、鏃の接合部、矢の硬さ、長さ、全て頭に叩き込むことだ。
そうすれば、君はより強くなれる」
「分からないよ。そんなの何になるのさ?」
「頭に刷り込むのさ」と頭を指差して見せた。
「君は知らないものを上手に使いこなすことはできるかい?」
「そんなの無理だよ。だって知らないんだもん」
ヴィクターは幼い言葉で答えた。
「なら、何度も使って慣れている、隅から隅まで知っているものであればどうかね?」
「それなら使いやすそうだ」
「私もそう思う。
《祝福》は使いこなすことによって進化する。
しかし、力の強い《祝福》ほど、その修練を積むのが難しいというのが分かっている。
君の能力も、表面上しかまだ分からないのだ。可能性を探るためにも、色々試してみなければ…」
ヴィクターは私の話を聞きながら、手のひらで矢を弄んでいた。
話が分かっているのかいないのか…
やはり彼は集中力していないように見えた。
難しい話は、彼にとって聞き流す子守唄に等しいのだろう…
幼稚な彼には、単純で身近な話の方が理解しやすい。
「君は兄さんを助けたいんだろう?」と話を切り替えると、彼はすぐに反応した。
「もちろんだよ!兄ちゃんは大事な家族だ!」
「なら、強くなって兄さんを助けなければならないな…」
「でも、どうやったらいいか分からない」
「簡単なことさ。
君には《祝福》があるじゃないか?
それに、その不思議な弓もある。
それでフィーア人を沢山殺してカナルから引かせれば、オークランドは河を渡れる。そうすれば兄さんに会えるよ」
我ながら陳腐な口説き文句だ。それでもその血腥い安い言葉は、どんなに飾った正義より、確実に彼に響いていた。
「私を信じて、その《祝福》を磨くことだ。幸運なことに、まだ君の兄さんが死んだという話は聞かない。
彼を助けられるのは君だけだろう?」
「…分かった」と頷いて、彼は矢の観察を続けた。
扱いやすいのか、にくいのか…
ため息を漏らして、ヴィクターから視線を外して辺りを見渡した。
そろそろ秋も過ぎようとしていた。
冷たい木枯らしが吹いて、戦には向かない冬が来る。
その前に、多少なりと結果を出せるようにと思いながら、ヴィクターの指導を続けた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる