燕の軌跡

猫絵師

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価値観

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「何だよ?隊長、まだくたばってなかったのか?」

捕虜の収容所には猛獣を入れる頑丈な檻が並んでいた。

檻の中だと言うのに、異質な囚人は麻袋に突っ込まれて、首だけ出てる状態だ。

「お前なぁ…今までどこで何してたんだ?」

「どうだっていいだろ?あんたがヘマしたせいで、俺はヴィクターと離れ離れになっちまったんだ」と恨み言を言ってやったが、隊長は随分と衰弱してる様子だった。

「へー、そうかい?

なんなら、このままだと俺たちは、首と胴体だって離れ離れになっちまうぜ?

俺はこんなんだから、お前が何とかしろよ」

「あんたが何とかしろよ?

頭を使うのはあんたの仕事だったはずだろ?」

「俺ァもう終わってんだよ…

気持ち悪いのに呪われちまった…《祝福》は使えなくされたし、こんなんじゃ手も足も出ねぇよ…」

袋から顔だけ出した芋虫男は随分と現実を悲観してた。そりゃ、あんだけ派手にやりまくったんだ。敵から警戒されて当然だ。

「気持ちわりぃな…あんた随分しおらしくなったじゃねえか?」

「お前たち、うるさいぞ」と見張りの憲兵に私語を注意された。

ジロっと睨み返すと、憲兵はビビって視線を逸らした。

あのお坊ちゃんは俺の罪を軽くすると約束してくれたが、別れてから結構な時間が過ぎていた。

約束を違えるような奴じゃないだろう。

もしかして、上の奴らに叱られて罰を与えられてるんじゃないだろうか?

そうだとしたらあのお坊ちゃんに悪い…

「なぁ、俺を捕まえてきたお坊ちゃんは…」

「リューデル公子様だ!次期伯爵閣下だぞ!公子様か若様と呼べ!」

見張りの憲兵が引き攣った声で俺を叱った。

『好きに呼べ』ってお許しは貰ってんだがな…

そんな事こいつは知らねぇもんな…

石頭と話すのも面倒臭くなって、檻の中で鉄柵に背中を預けて座り込んだ。

隊長は使い物にならなそうだし、いよいよあのお坊ちゃんに賭けるしかないな…

まぁ、このままだと隊長の言う通り、ヴィクターどころかこの首も胴体とお別れしなきゃならなそうだ…

まぁ、いざとなったらタダでやられるつもりは無いがな…

暇を持て余して檻の中で柵を触ってみたが、素手でどうにかできるような物では無さそうだ。

あーぁ…暇だな…腹減った…

芋虫男に訊いてみた。

「なぁ、ここって飯は出るのか?」

「出るよ、朝晩な…でもお前、こんな時に…」

「じゃぁ、飯まで寝る」

隊長の言葉を遮って、何も無い床に転がった。

俺の態度を見咎めた憲兵が、檻の外で何か怒鳴っていたが無視した。

態度を改めない俺に、苛立った憲兵が檻に棒を差し込んで突こうとした。

馬鹿な野郎だ…

身体が勝手に反応した。

棒を掴んで引き寄せると、反撃を想定していなかった間抜けは、悲鳴を上げて慌てて棒を引き抜こうとした。

「力較べか?」と嘲笑ってさらに力を込めた。

「あーあー…馬鹿だなぁ…」と芋虫男は失笑した。その言葉は俺にでは無く、手を出した奴に向けられていた。

手を離さなかったのを、本人も後悔したはずだ。

檻の柵に強か打ち付けられて、相手は棒を手放してひっくり返った。

「何事だ?!」と騒ぎを聞きつけた奴らが駆けつけた。

「こいつが…手を…」と先に手を出した奴が俺に罪を擦り付けた。女々しい野郎だ!

「はあ?!お前が棒を突っ込んできたんだろうがっ!!」と言い返したが、俺の言い分を聞く奴なんていない。

「誰も近付くな。檻には目張りしておけ」と指示が出て、檻に分厚い布で目張りがされた。

クソッタレが!

理不尽に怒りが湧いたが、すぐに考えが変わった。

人の目がなくなって寝やすくなった。

寝転がって腕を枕にした。

うん、悪くねぇな。テントの中とさして変わらない。

お坊ちゃんの事は寝て待つことにした…

✩.*˚

「ミラ!」

私の姿を見て、ヴィクターは子供のように無邪気に駆け寄った。

彼の手にはあの弓が握られていた。

白くぼんやりと発光する弓からは、強い魔力を感じる。

彼は『神様がくれた』と自慢していたけど、私からすれば気味の悪い物だった…

「おかえりなさい」と笑顔を作って、彼の頭を撫でた。

相変わらず子供みたいな青年は私に懐いていた。

本来なら扱いやすい存在だ。

それなのに…

「ヴィクター。君は本当に彼女が好きだね?」とニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべた男は、私を見張っていた。

団長はヴィクターを私から引き離して、見えないところで彼の《祝福》の訓練をしていた。

「ミラ。団長はすごいんだよ。俺って自分の《祝福》を何も理解してなかったんだね!

団長のお陰でさらに強くなった気がするよ!」

「ヴィクター、それは君と私だけの秘密だろう?

奥の手は隠しておくものだよ。誰にも話しちゃいけないよ」

「あ…ごめんなさい」

「まぁ、話したくなる気持ちは分かるがね。

ミラ、君も探ったりしないようにね?」と穏やかそうな男は私に釘を刺した。

黙って微笑んで返したが、内心気が気ではなかった。

私はこの男に疑われているのだろう…

侯爵様への報告が滞っているのはこの男のせいだ。彼の存在に焦りを感じていた。

自分の左の前腕の内側を握った。

ここに小さな傷がある。魔石を埋め込んだ痕だ。これだけは見つかってはならない…

「おや?腕が痛むのかね?」

「いえ…何でも」

「私も少しは魔法に精通していてね。治癒魔法は少し使えるのだよ。何かあれば遠慮なく言いなさい」

親切に聞こえるが、ただの親切で言っている訳では無いだろう。

この男は私がボロを出すのを待っているのだ。

私を始末する口実を探している…

穏やかそうに見えて、抜け目のない紳士は、自然な笑顔で私に話しかけた。

「あぁ、そうだ。お土産を忘れていた。

君はヴィクターの大切な女性だからね。ルフトゥキャピタルから取り寄せた女性用の日用品だ。

ここは女性には少し厳しい環境だ。

せっかくの美人なのに肌が荒れて可哀想だったのでね。使うといい」

渡された荷物には婦人用の必要品が揃っていた。

「ありがとうございます」とお辞儀をして感謝を伝えると、彼は満足気な笑顔を見せた。

「団長優しいだろ?」

ヴィクターには、このやり取りが穏やかなものと映ったらしい。

その実は、お互いに気の抜けない腹の探り合いだと言うのに…

「えぇ、とってもご親切ですわ」

笑顔で取り繕って嬉しそうに荷物を抱き締めた。

そんな私を見て、ヴィクターは嬉しそうに肩に手を回した。

生き残るために、彼を愛してる振りを続けた。

✩.*˚

ラッセルを迎えに行くと、収容所は何やら騒がしくなっていた。

「何事だ?」と訊ねると、憲兵たちは口を揃えてラッセルの悪行を大袈裟に並べた。

どうやらマイペースな彼に手を焼いているらしい。

ラッセルの態度を注意した者が、彼に暴力を振るわれたと主張していた。だが、彼らとて何もしてない訳では無いだろう。

「ラッセルの身柄は私が預かる。リューデル伯爵閣下とヴェルフェル侯爵閣下のご命令で、別の場所に移動させる事になった」

「しかし、あの男は危険で…」

「即刻処刑すべきです!何をしでかすか分かりません!」

随分嫌われたものだ…

当然と言えば当然だが、彼らの一方的な主張は、私にとってあまり気分の良いものではない。

ラッセルは理由もなく暴力を振るう人間ではないと知っている。

「両閣下のご命令です。全ての責任は私が負います。

手枷と彼の檻の鍵を預かります」

「リューデル公子様がこう言っておられるのだ!両閣下をお待たせする気か?!早く言う通りにせよ!」

随行していたブラント卿が憲兵を叱りつけた。

両閣下の命令とあって、憲兵たちは渋々要求した手枷と檻の鍵を渡した。

テントの中に入ると、檻は帆布のような厚手の布で覆われていた。

「何だ、これは…?」

「暴れるので囲いました」と答えて、憲兵は邪魔な布を取り払った。

「何だ?飯の時間か?」と、檻の中からラッセルの寝ぼけた声が聞こえた。

相変わらずマイペースな男だ。

少しだけ笑いが漏れた。ラッセルはこの待遇に怒って無いようだ。

どうやらこの程度の扱いでは、彼はどうとも思わないらしい。

移動することを伝えて、念の為、手枷を着けることを伝えると、彼はあっさりと私に従った。

「退屈で死ぬかと思ったぜ」と言いながら、彼は檻を出て、獣のように唸り声を上げながら伸びをした。

その姿に周りの者たちが身構えた。

「腹が減った」と彼は食事を要求した。

「用意させる。その前に私と一緒に来てくれ」

「いいぜ。あんたにお任せだ」と彼は簡単に私を信用して着いてきた。

ラッセルの腰に結ばれた紐はブラント卿が握っている。

ラッセルはそれを見て少しだけ笑った。

「何だ?」と見咎めたブラント卿に、ラッセルは笑った理由を教えた。

「弟は目が悪いんだ。近くのものが見えないから、歩き回る時は俺の腰から垂らした紐を握っていた。

今どうしてんだろうな?」

「ふん。そんな話で同情を誘おうとしても無駄だ」

「そんなんじゃねぇよ。

なんか少しだけ思い出しただけさ」

ラッセルはまた笑って口を閉ざした。

大人しい囚人に文句はないのだろう。ブラント卿も顰めっ面で黙り込んだ。

両閣下の待つテントの前で足を止めて、ラッセルに再度確認した。

「ラッセル。私を信用してくれるか?」

「何だよ?俺は《あんたに任せる》って言ったんだ。男ってのは、余程がない限り言葉は変えねぇもんだ。あんただってそうだろ?」

「同感だ」と彼らしい返事に頷いて、ラッセルを連れてテントの入口をくぐった。

テントの中は侯爵の演出で整えられていた。

「よく来たな」と侯爵からお声がかかった。

奥にはヴェルフェル侯爵とリューデル伯爵が並んで座っていた。

目の前のテーブルには、温かい湯気の立つ豪華な食事が並んでいる。

ラッセルは状況が飲み込めないようで、虚をつかれたような顔になって固まった。

私もやり過ぎだと思う…

ここまでするとは聞いてなかった。

「どうした、ラッセル?君はもっと豪胆な男だと聞いていたのだがな?この程度で怯むとはな…

君の武勇伝は他人のものだったのかね?」

侯爵はそう言ってラッセルの気を引いた。

ラッセルは侯爵の問いかけに眉を動かした。

彼には彼の矜持がある。人物像を疑われたことが、彼の気に触ったらしい。

「美味そうなご馳走だが、俺は無作法なんでね。お互いに飯が不味くなるから遠慮する。

後で臭い飯でも届けてくれや」

「なるほど、面白い答えだ。なかなか興味を引かれるユニークな返事だよ。

だが、そうやって断られると、せっかく用意したものが無駄になる。

君だって、食べ物を無駄にする程無作法でもないはずだろう?」

侯爵に席を進められ、ラッセルは私に視線を向けた。判断材料を探す子供みたいに、彼はこの状況に戸惑っていた。

「大丈夫だ。君の望んでいた食事の時間だ。なんの仕込みもない」と告げて、彼の座るはずの椅子を引いた。

ラッセルは少し躊躇したが、腹を括って侯爵の前の席に座った。

「食事をするのに手枷は邪魔だな。ゲリン、外してくれ」とリューデル伯爵から指示された。

手枷と腰紐を外すと、ラッセルはさらに気味悪く感じたようだった。

「俺が暴れないって思ってんのか?」と、ラッセルは侯爵を睨んだ。

だが、当の本人は余裕の表情で、優雅にワイングラスを弄びながら笑って答えた。

「テーブルをひっくり返して暴れることで、君にメリットがあるならそうするといい。

食事は食べれなくなるし、君の立場はさらに悪くなる。無論、君のためにと我々を説得した、リューデル公子の立場もね…

私はそんな無駄なことはおすすめしないよ。

ならば、君のすることはひとつだ、ラッセル」

諭すような口調だが、有無を言わせないその姿は、南部を統べる《南部侯》と呼ぶに相応しい、威厳のある姿だった。

「フィーアの恵を感謝して食べなさい。話は満たされてからだ」

さすがのラッセルも悪態を吐くのをやめた。

侯爵に気圧されて、ラッセルは食べ物を口に運んだ。

決して褒められるような作法ではないが、彼なりに行儀よく食べてる方だろう。

「どうだね、フィーアの食事は?」と侯爵はラッセル食事の感想を求めた。

ラッセルは「濃い」と答えた。

「この塩は高いだろ?オークランドじゃこんなに濃い味にしねぇよ。勿体ねぇ」

「そうかね?」

「安い塩には砂が混ざってる。だからこれは高いだろ?

肉だって、火の通りが悪いんじゃねぇか?」

「お気に召さなかったかね?」

「そうじゃねぇよ。美味いさ。

でも俺には贅沢すぎだ」

「おや?贅沢は嫌いかね?」という侯爵の問いに、ラッセルは眉を顰めた。

「金も贅沢も嫌いじゃねぇよ…

でもな、金にも贅沢にも、俺を曲げる程の価値なんてねぇよ」

ラッセルは荒っぽい言葉で、私にしたのと同じ質問をした。

「あんた、下の兄弟はいるかい?」

その問いかけに、ヴェルフェル兄弟は一瞬視線を交わした。

「我々は兄弟だ」

侯爵の返答に、ラッセルも「そうかい」と頷いた。

「どっちが兄貴だ?」と彼はさらに踏み込んだ質問をした。ラッセルの質問に、侯爵が手を挙げて答えた。

「私だ。隣のリューデル伯爵が弟だ。

彼とは顔を合わせたことがあるだろう?」

「あぁ。めっぽう強かった。このお坊ちゃんを助けに駆けつけたもんな。覚えてる」

「ほう?覚えていたのか?意外と見ているのだな?」とリューデル伯爵も意外そうに感心していた。

ラッセルの戦う姿はまるで竜巻だ。当たりを手当り次第飲み込んで、薙ぎ払う姿は相手を確認しているようには見えない。

「俺だって、踏んだものくらい確認する。痛かったんなら尚更だ。次は踏まないように気をつけるね」

「なるほど。それは大事な心掛けだ」と侯爵はラッセルの言葉に頷いた。

侯爵はラッセルとの会話を楽しんでいるように見えた。

「あともう一人、へそ曲がりな弟がいる。

彼は仕事で来れなくてね。忙しいらしい。

私の兄弟の話はそのくらいだ」

「あんた、弟が可愛くないのかい?」とラッセルが唐突に訊ねた。

その質問に、珍しく侯爵は驚いた顔で固まった。

ラッセルとしてはただそれだけの質問だ。深読みするような内容ではない。

「可愛い…ふむ、そう思ったことはあまりないな?」と二人は顔を見合わせて笑った。

「嫌いとかではないがね。リューデル伯爵は私と歳が近いので、あまり可愛いと思ったことは無いな…

むしろ仲の良い悪友で、一番のライバルだったよ」

「まぁ、悪さのご指導は頂戴しましたな」

「お前も大概だったろうに…」と笑って、侯爵はラッセルに向き直った。

「あんたら本当に兄弟っぽくないな」とラッセルは感想を述べた。

「そうかね?」

「そうさ。兄貴は弟を可愛がるもんだ。

大事にして、守ってやるのが兄貴だ」

「それは君の価値観だろう?

彼を見て、守られるようなか弱い存在に見えるかね?」

侯爵の反論に、ラッセルも言葉を引っ込めた。

「リューデル伯爵は私の弟だが、私より商才もあり、将としても優秀だ。

もう一人の弟は、我々とは少し毛色が違うが、優秀な魔導師だ。少し愚痴は多いが、彼の豊富な知識と、冷静な分析力は我々に無いものだ。

私は兄だが、弟に頼ることを恥とは思わないし、弟たちも私に頼られることを苦々しく思ったりしない。その逆も然りだ。

兄弟とは支え合うものさ」

「全く…ずるい人だ」とリューデル伯爵は照れくさそうに野次を飛ばした。

「認めているのだ。素直に喜べ」と笑う侯爵と、苦笑いを浮かべるリューデル伯爵からは兄弟以上の絆が見えた。

「我々は三人でようやくあの偉大な父に並べるのだ」という言葉が私の心に響いた。

完璧に見えるヴェルフェル侯爵もまた、自身の父の背を追って、追いつこうともがいているのだ。

それが私には魅力的に映った。

「そうかい」と頷いたラッセルにも少しは響いたのだろうか?

「ヴィクターが、俺と同じ普通の兄弟だったら、そう思ったかもしれねぇな…」

ラッセルはそう呟いて、背もたれに背を預けると、ヴェルフェル兄弟から視線を外して、天井を見上げた。

「あんたら、俺たちのことは多少なりとも知ってんだろ?」

ラッセルは少しだけ間を置いて、視線を元に戻すと、腕組みをして話を始めた。

「ヴィクターは《祝福》の代わりに、目が悪いんだ。近くのものはほとんど見えねぇんだ。

だから俺がずっと面倒見ていた。ガキの頃からずっとだ…

でも俺は兄貴だからよ、年の離れた目の悪い弟の世話なんて当たり前だろ?

それに、弟ができたって時は本当に嬉しかったんだ。目が悪いなんて、大した問題じゃねぇんだよ。あいつは生きてるだけで、それだけで価値があんだよ。

それに、俺は兄貴としてあいつに頼られて誇らしく思ってたんだ。あいつの兄貴は俺だけだ」

「良い兄だ」

「侯爵様に褒められるなんてな。兄貴になってよかったぜ。

俺は今だってヴィクターのために生きてんだ。

俺は死ぬまであいつの兄貴だ。金を積まれても、贅沢が約束されていても、俺はヴィクターの兄貴としての俺を曲げたりしねぇよ」

「なるほど。君は兄としての生き方に誇りを持っているようだ…

君を誘惑するのは骨が折れそうだ」

侯爵は難題に肩を竦めた。

「まぁ、それでも私は、君から私の欲しい返答を引き出す気でいるがね」

「へぇ、そうかい?

じゃあ、この首を撥ねて、頭だけで縦に振って遊ぶといいさ。

俺は頑固だからよ。首も硬いのさ」とラッセルは挑戦的に応えた。

「死体を弄ぶ趣味はないさ。

私は生きてる君に興味があるのだよ」

侯爵は余裕たっぷりにラッセルに答えた。

「君は頑固だろうが、私も我儘でね。

根比べしようじゃないか?

私が諦めるか、君が折れるかの二つに一つだ。ただ、私は君を満足させるだけの条件を用意するつもりだ」

「ほー?言うねぇ…」とラッセルはまた挑戦的に応じた。

「乗るかい、ラッセル?」

「いいぜ、侯爵様。あんたが俺を満足させられるなら、俺はあんたに折れてやるよ」

ラッセルはそう答えて机に身を乗り出した。

「あんたは俺に何をくれるってんだ?」

一切の遠慮ない態度は、侯爵を試しているかのようだ。

それに対して、侯爵は余裕の笑みで交渉を突きつけた。

「昔の私なら、『美女と土地と金を用意しよう』と提案したがね…

それではつまらないだろう?

ならば、私は君に《人並みの生活を保証》を約束しよう」

「…なんだと?」

「《人並みの生活を保証する》。

これが私の提案だ」

侯爵はそう言って席を立つと、ラッセルの席に歩み寄った。

「フィーアに来い、ラッセル。

私はお前に、お前の腕に髪を結んだ村人と残りの人生を生きることを許す。

二度とカナルの戦場に来ないと言うなら、私はお前たち兄弟に、人間として生きる道を残そう」

侯爵の誘いに、ラッセルは答えなかった。

だが、侯爵が提示した提案に、笑うことも、怒ることも、無視することもできなかったらしい…

「…そうかい」とだけ呟いて、彼はまた天井に視線を逸らした。

「悪くねぇなぁ」と漏れた言葉は彼なりの皮肉だったのか、それとも本心から出た言葉なのか…

それを判断できるほど、私は彼を知ってはいなかった。

✩.*˚

ヴィクターは《英雄》に近づきつつあった。

《鷹の目》能力は申し分ない。しかし、彼には人として決定的な弱点があった。

集中力がないのだ。子供並の集中力しかない…

長い時間、集中して物事に取り組むことができない。

「まだするの?」と、彼は子供のように不満を口にした。

「もう飽きてしまったのかね?」と私も呆れてため息を吐いた。

《スウィッチ》はどうやって彼にいうことを聞かせていたのだろうか?それとも、兄が上手くやっていたのだろうか?

どちらにせよ、彼の集中力の無さは問題だ…

《祝福》は分からないことが多いが、そのほとんどが魔法などに分類される。

魔法でイメージを具現化するのに集中力は欠かせない。

魔法使いはイメージが鮮明であればあるほど、その具現化する魔法が強化される。

術士のイメージを、魔力を通じて魔石に伝え、具現化、もしくは現象として発生させるのが、魔法の原理だ。

それができない場合、魔石に直接刻んだ魔法を使う手もあるが、それでは練度の高い魔術師の足元にも及ばないお粗末なものだ。

「矢の形なら覚えてるよ」と彼はつまらなそうに文句を言った。

「そうかもしれないがね、細部までよく観察してご覧。普段は見ない場所。羽の付け根、鏃の接合部、矢の硬さ、長さ、全て頭に叩き込むことだ。

そうすれば、君はより強くなれる」

「分からないよ。そんなの何になるのさ?」

「頭に刷り込むのさ」と頭を指差して見せた。

「君は知らないものを上手に使いこなすことはできるかい?」

「そんなの無理だよ。だって知らないんだもん」

ヴィクターは幼い言葉で答えた。

「なら、何度も使って慣れている、隅から隅まで知っているものであればどうかね?」

「それなら使いやすそうだ」

「私もそう思う。

《祝福》は使いこなすことによって進化する。

しかし、力の強い《祝福》ほど、その修練を積むのが難しいというのが分かっている。

君の能力も、表面上しかまだ分からないのだ。可能性を探るためにも、色々試してみなければ…」

ヴィクターは私の話を聞きながら、手のひらで矢を弄んでいた。

話が分かっているのかいないのか…

やはり彼は集中力していないように見えた。

難しい話は、彼にとって聞き流す子守唄に等しいのだろう…

幼稚な彼には、単純で身近な話の方が理解しやすい。

「君は兄さんを助けたいんだろう?」と話を切り替えると、彼はすぐに反応した。

「もちろんだよ!兄ちゃんは大事な家族だ!」

「なら、強くなって兄さんを助けなければならないな…」

「でも、どうやったらいいか分からない」

「簡単なことさ。

君には《祝福》があるじゃないか?

それに、その不思議な弓もある。

それでフィーア人を沢山殺してカナルから引かせれば、オークランドは河を渡れる。そうすれば兄さんに会えるよ」

我ながら陳腐な口説き文句だ。それでもその血腥い安い言葉は、どんなに飾った正義より、確実に彼に響いていた。

「私を信じて、その《祝福》を磨くことだ。幸運なことに、まだ君の兄さんが死んだという話は聞かない。

彼を助けられるのは君だけだろう?」

「…分かった」と頷いて、彼は矢の観察を続けた。

扱いやすいのか、にくいのか…

ため息を漏らして、ヴィクターから視線を外して辺りを見渡した。

そろそろ秋も過ぎようとしていた。

冷たい木枯らしが吹いて、戦には向かない冬が来る。

その前に、多少なりと結果を出せるようにと思いながら、ヴィクターの指導を続けた。
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