燕の軌跡

猫絵師

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半裂き

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また…今度はなんの騒ぎだ?

次から次へと…一体何が起きているのだ?

城内への侵入者があり、相手は憲兵の制服を着用しているとのことだった。侵入者と遭遇した衛兵らに死傷者が出ている様子だ。

「現状の把握を努めよ!侯爵閣下の安全が優先事項だ!公子様を襲った暗殺者の可能性もある。これ以上の失態は許されんぞ!」

衛兵や近侍らに指示を出しながらヘスラー卿も武装していた。

「閣下、私も現場に向かいます。安全が確認できるまでここを動かないで下さい。

あと、くれぐれも魔笛の使用はお控え下さい」

「うむ。卿も油断せぬように」

「心得ております。閣下は朗報をお待ち下さい」

彼を送り出すのは本意ではないが、この際仕方の無い事だ。彼の無事を祈って送り出した。

ヘスラー卿に指揮権を委任して現場に向かわせたものの、未だアレクシスを襲撃した暗殺者も捕まっていない状況だ。

本当に次から次へと…

城内への侵入者をこうも続けて許すなど、許されない失態だ。これを機に、一度ラーチシュタットの衛兵らの規定を見直した方が良いかもしれない…

イライラしながら続報を待っていると、新しい報告が届いた。

「…なんだと?」

その報告に耳を疑った…

現場からの報告を携えてきた衛兵は少し口籠ってから、また同じ言葉を続けた。

「それが…その…

侵入者は憲兵隊長のローゼンハイム卿を名乗っております。侯爵閣下への目通りを願っての事…魔法も使用しておりますし、死傷者が多数出ております」

「あの馬鹿者め…」

こんな時に、何という事をしでかしてくれたのだ?!

何故こんな時に…いや、まさかこの機会だからこそか?この機会をずっと待っていたというのか?

甥の行動の真意が分からずに暫し考え込んでしまった。

信じていたというのに…完全に裏切られた気分だ…

考えの纏まらない私に、甥の裏切りを伝えた騎士は続いてヘスラー卿からの伝言を伝えた。

「ヘスラー卿より、城代閣下にローゼンハイム卿を名乗る侵入者の拘束、場合によっては殺害の許可を頂戴したいとの事です。お認めいただけますか?」

「やむを得ん。許可すると伝えよ」

許可を得た兵士は一礼すると速やかに現場に戻って行った。

先の報告が本当なら、もう一つ指示を出さなければならない…

部屋に残っていた護衛役の近侍にローゼンハイム卿の家を抑えるように指示を出した。

「夫人の身柄を抑えよ。懐妊中だから手荒な扱いは禁じる。ローゼンハイム夫人は聡い女性だ。状況を説明すれば従うだろう。

ローゼンハイム卿の自宅の捜索も許可する。手紙など怪しいものは全て押収しろ」

簡単な令状を用意して持たせると、すぐに兵士らをローゼンハイム卿の自宅に向かわせた。

「…兄上にも報せねばならんな」

自分の失態を報せる事については問題ない。起きてしまったのは私の甘さが招いた結果だ。処分は受け入れるつもりでいた。

だが、今この状況で兄上が現実を受け入れることができるだろうか?

アレクシスに続いて、リュディガーまで…

この現実が私の悪い夢だったらと思わずにはいられなかった…

✩.*˚

「…酷い」

少女の発したその一言が全てを物語っていた。

目の前の惨状はまるで戦の痕のようだ。目の前の光景はまさに《悲惨》の一言だった…

赤く染まった床は竜巻の通った跡のようにまっすぐに進んでいた。所々で苦痛を訴えるようなうめき声が聞こえて心を削った。

「なにビビってんだい?先を急ぐよ」

落ち着いた声が僕たちを現実に引き戻した。

ミリガンさんは大股で赤い床を闊歩して前に進んだ。彼女の背中で少女が制止するように声を上げた。

「ミリガン、怪我人が…」

「リリィ、あんた今しなきゃいけないことを忘れたのかい?」

ミリガンさんの言葉にリリィ嬢は押し黙った。

「鍵を取り返すんだろ?それがあんたの目的だ。死にかけている怪我人に割く時間なんてないよ。

この惨状の原因は鍵を奪われたことだ。あんたは《レプシウス》として、その尻拭いをしなきゃいけないんじゃないのかい?

少なくとも、あんたはあたしにそう言ったろ?」

「でも…」

「もうここは戦場だ。兵隊は死ぬも生きるも商売さ。あんたが心を病むことじゃない。自分の意思で剣を握ったんなら、死すらそいつの自己責任だ」

ミリガンさんの言葉は乱暴だがその通りだと思えた。

確かにリリィ嬢は治癒魔導師としては優秀だろう。僕の怪我も簡単に癒してくれた。ただ、それは僕の傷が大したことなかったからで、ロンメル男爵の従僕だったからだ。

ここで数人を救ったとしても、この先で怪我人が増えるようなら結果的に問題は増え続けることになる。

「あんたの案内が無きゃあたしらは不審者扱いになる。あんたが居なきゃ鍵は取り返せないんだよ」

「…分かった」と答えて、リリィ嬢は前を向いた。その横顔には覚悟を思わせる強さがあった。

「私は《レプシウス》だから…私のすべきことをする」

「良く言った!あんた強い良い女だよ!」

彼女なりの賛辞なのだろうが、少女に向けるような言葉じゃない気がする…

倒れた人たちを避けながら三人で駆け抜けて、血で黒く残った足跡を追った。

向かう先から騒がしい声が聞こえる。

兄から受け取った父の剣を握った。

『お前がケッテラーになるんだ。これはお前が持っているべきだ』

そう言われて譲られた時は、兄は重たい父の剣を手放して楽になったのだろうと思った。でも兄の選んだ道は今まで以上に辛く責任の伴う未来だった。

いつだって僕は手を抜いて生きてきた。兄が全部背負ってくれたから、楽ができた。でも、今はそんな兄にも頼れない。自分で上手くやるしかない。

僕の後ろにはもうケッテラーはいないのだから…責任重大だ…

喧騒の中に身を投じると、その場の視線が僕たちに注がれた。

その中で異様な雰囲気を纏った男がゆっくりと後ろを振り返った。赤く斑に染まった憲兵の制服から覗く手は命を吸った刃を握っていた。

たった一人でこれだけの衛兵を手に掛けたのか?

ここまでで、倒れていた衛兵は20人は超えているはずだ。

彼は追いついた僕たちに虚ろな視線を向けた。

空っぽの瞳は深い井戸のように底が見えない。亡霊のような不気味な虚ろな顔には人間らしい温もりを感じなかった。

何が彼をここまで狂わせたのかは分からないが、もう既に彼は人としての心を失っているように見えた。

生きる屍…まさにそんな感じだ…

この気味の悪い状況を前にして固まってしまった僕の傍らで、ミリガンさんが膝を折って背中に乗せていたリリィ嬢を降ろした。

「リリィ、離れてな」

彼女はそう言って、大鉈を持っているのと反対の手に草刈り鎌を握ると、リリィ嬢を守るようにローゼンハイム卿と対峙した。

その姿に、急に現れた僕たちが敵か味方か判断しかねている衛兵らがざわついた。衛兵たちから敵認定されるのは避けたい。

「自分はロンメル男爵家にお仕えする騎士ケッテラーです!レプシウス邸より暴漢に奪われた鍵を取り返すべく参上いたしました」

リリィ嬢が同行していたこともあり、新手が味方だと理解した衛兵たちの間からは安堵のような感情が滲んだ。

味方が増えたことで気が大きくなったのか、このまま新参者に手柄を奪われるのを恐れたのか、衛兵が勝手にローゼンハイム卿に仕掛けた。

「ちっ!」と舌打ちしたミリガンさんはその後の結果を予想していたのだろう。

ローゼンハイム卿を捕えようとした長い得物は易々と絡めとられ、衛兵は驚いた顔のまま血を撒いて倒れ込んだ。

まさに一瞬の出来事で、倒れた本人も自分が何で死んだのか理解できていないのではないかと思えるほどだ。

恐ろしいほど冷酷無比な剣技を披露したローゼンハイム卿は何やらぶつぶつと呟いているようだった。

何を言っているのかは聞き取れないが、それを確認するような余裕はない。

不気味な静寂を追い払ったのは、ミリガンさんの自らを売り込む名乗りだった。

「あたしは《灰狼の団》の《半裂きのミリガン》だ!あたしの働きに応じた金を払ってくれるのはどこのどいつだい!?」

傭兵らしい売り文句に若干その場が白んだが、それに応えるように奥から返事が返って来た。

現場の指揮官らしき出で立ちの騎士は《ヘスラー卿》と名乗った。

「私が保証する!謀反人を討ち取った者には城代アレイスター子爵閣下の名において報奨金として小金貨6枚を与える!」

「そうこなくっちゃね!」

色の良い返事をもらって、二つ名持ちの女傭兵は獲物に襲い掛かった。

獣の唸り声のような音を伴って、ミリガンさんの振るった鉈がローゼンハイム卿を襲った。

ローゼンハイム卿は最低限の動きでミリガンさんの鉈を躱すと反撃に移った。

ミリガンさんも突き出された剣を草刈り鎌で刈り取ろうと狙っている。

金属の打ち合う激しい音で肌が粟立つ…

試合なんかじゃない、本物の殺し合いを目の当たりにして心臓が早鐘を打った。

左右から迫る鉈と鎌をいなしながら、ローゼンハイム卿は冷静に剣を振るう。

激しい応酬を観戦していることしかできない。

下手に加勢をすれば邪魔になる。経験のない僕でも、そのくらいは感じ取っていた。

今の僕では、固唾を飲みこんで目の前の成り行きを眺めていることしかできない。

ミリガンさんの勢いに押されて、ローゼンハイム卿の方が劣勢に映るが、彼の剣は確実にミリガンさんに届いていた。

致命傷ではないが、彼の剣は肉を削るようにじわじわと小さな傷を刻んだ。

だがそれはローゼンハイム卿も似たようなものだ。

鉈の重い一撃と変則的に襲う草刈り鎌を完全に防ぐのはさすがのローゼンハイム卿でも難しいのだろう。

無機質な顔に時折嫌そうな表情が灯る。

浅くだが、草刈り鎌の湾曲した刃はローゼンハイム卿にも幾度となく届いていた。

「…獣め…女の分際で」と、ローゼンハイム卿は忌々しそうに彼女を評した。

その言葉はとても女性に向けられるような言葉でないが、その評価は彼女にとって憎まれ口にもならなかったようだ。

「獣?女がなんだって?

あたしは《灰狼》だよ。あんた、狼と戦う時に性別を気にするのかい?細かい男だね!」

吠えるように怒鳴る彼女は、更に踏み込んで目の前の獲物を襲った。

ミリガンさんの攻撃をすれ違うように躱して、ローゼンハイム卿は左手を彼女に向かって翳した。

マズイと思った時にはもう遅い。

足の力が抜けたようにミリガンさんが急に膝を着いた。

僕の時と同じだ。

戦いの最中姿勢を保てなくなった彼女に負けの天秤が傾いたように見えた。

「ミリガン!」とリリィ嬢の悲鳴が上がる。周りからも負けを認めるかのようなため息が漏れた。

助けに入ろうにも間に合わない。それでも前に出ようとした僕の耳にミリガンさんの低い声が届いた。

「舐められたもんだね…」

彼女は不安定な体勢のまま左手に握っていた鎌をローゼンハイム卿に投げた。至近距離で放たれた鎌を避けきれずに、卿は剣で迫る刃を防いだ。

彼女はそのまま空になった左手で身体を支えて前に出た。彼女の振るった鉈はローゼンハイム卿の左腿を切り裂いた。

ビシャビシャと水を撒くような音を立てて血が辺りに飛び散った。

噴水のように裂傷から飛び散った血液は膝を着いていたミリガンさんの顔や服を真っ赤に染めた。

血を失ったローゼンハイム卿の身体がゆっくりと傾むく。

倒れながらもローゼンハイム卿は執念深く最後の抵抗を見せた。意地のように彼は最後の力を振り絞って剣を振るった。

しかしその最後の抵抗は空しく大鉈に阻まれた。

ミリガンさんの大鉈が、熊の一撃のように力強く閃き、ローゼンハイム卿の左胸から右の脇腹にかけて深く大きく肉を切り裂いた。

あまりに衝撃的な光景に誰も声を上げられなかった。

叩き付けられるように倒れた身体は彼女の二つ名の通り《半裂き》になっていた。

未だに広がり続ける血の海に沈んだ男の目から狂気は消えていた。見開かれたままの眼には透明な雫が浮かんでいた。

悪夢のような凶行に走った原因は分からないままだが、その嵐のような凶行は彼の死という結果で幕を閉じた。

「お疲れ様です」と、ミリガンさんに手を貸した。

足には力が入らないようだが、彼女は元気そうに笑って僕の差し出した手を握った。

「まったく、無様だね。このぐらいでガキンチョの世話になるなんてさ」

「僕じゃ不満ですか?」

「そんな細っこい腕に支えらえるほどあたしは軽い女じゃないんでね。鼻たれの世話になるなんて《半裂き》の名が泣くよ」

憎まれ口を叩きながらミリガンさんは気のいいおばさんのように笑っている。さっきまでの凶暴な傭兵の顔とは全く違うからまるで別人のようだ。

「ミリガン!」

離れた場所で成り行きを見守っていたリリィ嬢が彼女の名前を呼びながら駆け寄ってきた。

「直ぐ治すから」と言ってリリィ嬢は震える手をミリガンさんに翳したが、ミリガンさんはそれをやんわりと断った。

「いいよ。この程度の傷、大した怪我じゃないさ。それより、あんたが治療しなきゃいけない奴らはいっぱいいるだろ?早く治してやんな」

「でも…」

「立てないのはあいつの魔法で足が痺れてるからだよ。《足縛り》とか言ってたから多分それだね。簡単な足止めの魔法だ。時間が経てば治るはずだよ」

「詳しいんですね?」と僕が口を挟むと、ミリガンさんは「初めてじゃないんでね」と答えた。

どうやら以前に経験済みらしい。なるほど、道理で焦らずに対応できていたわけだ…

やっぱり場数を踏むのは大切な事らしい。過ぎてしまえばこの惨劇さえ悪くない経験だ。

彼女に肩を貸して壁際に連れて行って座ってもらった。

「あたしはちょっと休んでるから、あんた、この子の事頼むよ」

ミリガンさんはそう言って僕にリリィ嬢の付き添いを依頼した。

「ここじゃ知り合いなんていないもんでね。あんた、ロンメルの家の者なんだろ?ならあんたに預けるのが一番安心だ」

そう言われて悪い気はしない。

大した役に立てなかったこともあり、僕はミリガンさんの希望で、小さな《レプシウス》の付き添いを引き受けた。

✩.*˚

白い光の中にいるみたいだった…

何も見えない真っ白い空間で、たった一人、彼の姿だけは鮮明に見えていた。

「…クラウス」

名前を呼んだが、彼は答えずに黙って寂し気に微笑んでいた。

いつもなら、私が呼んだら「はい」と答えて傍に来てくれるのに、彼は微妙な距離を保ったまま私を見ていた。

別れを告げられるような気がして不安になった。

彼に近づこうとしたが、クラウスは片手を突き出して私に踏みとどまるように合図した。

相変わらずクラウスは何も言わない。

何も言えないのだろうか?これは私の夢で、彼は幻なのだろうか?

白い光の中で甲高い笑うような鳥の囀りが響いた。

雲雀ラーチの鳴き声だ。

その囀りは近付いてきて、木の軋むような音がして、光の中からクラウスの後ろに一艘の船が現れた。

二クセの船だ…

それを見てすべてを悟る。この船は彼を迎えに来たのだ…

滑るようにクラウスの傍に着いた船は、招くように橋を下ろした。

彼は困ったように船と私を見比べていたが、船から「乗りなさい」と指示されてあきらめたように船に足を向けた。

引き留めようにも声が出ない…

クラウスが行ってしまう…

彼は物心つく前から一緒にいた親友だ…私の半身だ…

身体が半分になって生きていられる人間なんているわけがない。それなら私もその船に乗りたい…

その背を追おうとした私の手を温かい誰かの手が引き留めた…

その手を振り払おうとした私に「アレクシス様」と諫めるようなクラウスの声がした。

顔を上げると彼はもう船の甲板に居た。船は周りを飛び交う雲雀を連れてゆっくりと動き出していた。

「良い侯爵におなり下さい」と別れの挨拶のような言葉を口にして、クラウスは私から少しだけ視線をずらした。

誰かを見据えるその目には複雑な感情が浮かんでいた。

「アレクシス様をお願いします」

その言葉に応じるように、私を引き留めた手は握る力を強くした。

船がゆっくりと離れていく…クラウスが私から離れていく…

引き留めるお節介な手を振り払おうと必死でもがいたが、その手は私を放してくれなかった。

あの船がニクセの船だとして、その船に乗ることで今の命を諦めても、それでもいいと思えた。

私を現世に引き留めた手を疎ましく感じて、どうしようもない怒りの矛先を引き留めた存在に向けた。

私の腕を掴んでいるのは人の形をした光の塊だった。

人の形をしたそれは潤んだサファイヤのような瞳で私を見ていた。

私の腕を握っている光の塊は「クラウスの命を無駄にしないで」と言った。その声に驚く。

「君は生きて」と願う声は泣いていた。

それはクラウスが死んだことを認めさせようとする残酷な言葉だ…

光る人影から視線を外してクラウスの乗った雲雀の船に視線を向けた。

既に船は届かないほど遠い場所にあった。あの船は私を乗せる気は無いらしい…

遠い船を見送って、光に包まれたような世界はゆっくりと収束して、私は元のあるべき場所に戻された。

✩.*˚

「…もう、大丈夫ですよ」

優しい声がして意識が現実に引き戻された。

頭はまだぼぅっとしている。

俺の背に添えられていた手のひらが離れ、仕事を終えた老人はゆったりとした声でその場の皆に状況を説明した。

「《ニクセの船》は無事見送りました。ヴェルフェル公子は船には乗っておりません。そのうち意識も戻るはずです。私にできることはこのくらいです」

「不躾なお願いをして申し訳ありません。ホーエナウ公爵閣下のご温情に感謝いたします」

「お気になさいますな、ヴェルフェル侯爵。この国を背負う、未来ある若者を助けるのは年長者として当然の務めです。

それよりも、《ニクセの船》は見送りましたが、彼らの繋がりは非常に強かったようですね…

ご子息の精神は非常に危険な状態だという事は変わりません。身体が無事でも精神が崩壊すれば死に至る者もおります。

一応、亡者を寄せ付けないように呪いは施しておきますが、私がお力になれるのはその程度です」

ホーエナウ公爵はパウル様とそんな話をしていた。

まだその話が俺にはなじまなかった。

アレクが暗殺者に襲われて、クラウスが死んだと聞かされた。その話を聞いて、急いでゲッフェルトに連れられてラーチシュタットに戻った。

俺が到着した頃には事態は更に嫌な方向に動いていた。それは崖から転がり落ちる岩のようにもう誰にも止められないものになっていた。

「スー、大丈夫か?」

「うん…まぁ…多分」

心配してくれるワルターにぼんやりとした頭でそう答えて、ベッドで眠っている友人を眺めていた。

アレクが目を覚ましたら…

それが怖かった。今の彼がエルマーを失った時の自分に重なった…

俺ではクラウスの代わりにはなれないだろう。最初からそれは諦めていた。

自信なく曲がってしまった俺の背に、慰めるようなワルターの手のひらが添えられた。

「俺はパウル様についてなきゃならんから…すまんな」

「俺は大丈夫だよ」

「強がるなよ?《大丈夫》じゃないだろ?そのぐらい分かるよ…」

添えられた手が優しく𠮟るように曲がった背中を叩いた。

ワルターは襟元を崩すと、服の中からカーティスから貰った首飾りを引っ張り出して俺の首に掛けた。

《悪意から守る》というカーティスの首飾りにどのくらいの効果があるのかは分からないが、気休め程度の効果はあると思いたい。

「お前もまだ狙われてんだろ?気を付けろよ?」

「…うん」

「また、後で話そう」と約束して、ワルターはパウル様に付き添って部屋を出て行った。ホーエナウ公爵を見送りに行くのだろう。

ホーエナウ公爵は俺の事を覚えていた。

公爵は俺がアレクの友人だと知って少し驚いていたが、俺にアレクを助ける手伝いを頼んだ。

ホーエナウ公爵がしたのは《ニクセの船》に乗る前の死者の魂と引き合わせる儀式だ。降霊術に近いもので、その危険性から禁術に指定されているものらしい。

場合によっては、アレクが戻ってこなくなる可能性もあるとの事だった。

『お別れをするだけです。ヴェルフェル公子がバルツァー青年を追って船に乗らないように引き留めて下さい。貴方も乗らないように気を付けて』

結果的に、アレクは助かったけど、アレクはクラウスと正しい別れをすることができたのだろうか?

これでアレクの心は少しでも救われたのだろうか?

ぼんやりと、俺が見た夢の景色を思い出した。

光の中に浮かぶ船に乗ったクラウスは、俺たちに向かって僅かに言葉を残した。

『アレクシス様をお願いします』と…

クラウスはどんな気持ちで俺にアレクを託したのだろう?

彼の心中を想像するとまた涙が込み上げて、いたたまれずに目の前で眠る友人の手を握った。

握り返さないが、アレクの手は生きている温もりがあった。

残っているこの熱を守りたいと強く心に刻んだ…
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