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9話
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ジェラルドは馬車に乗り込むと、大きく息をついた。
「やっとここまで来たか」
カールにすべてを奪われ、復讐を誓ったあの日から、十一年の時が流れた。
非力な子どもだったジェラルドも、今ではカールを上回る体力と知力を身に着け、地位も得た。後継としてカールにつき、会社の内情もカールの筆跡も必要な情報は手に入れている。
ジェラルドはカールがしたことを、そっくりそのまま仕返してやるつもりだ。財産と会社を奪い、屋敷を燃やし家族もろとも消す。それだけがジェラルドの希望だった。そのためだけにジェラルドは生きてきた。
既に偽の遺書は作り、あとは印章だけだ。それを手に入れたら、計画は最終段階に入る。
「最後まで油断するな。……何に足をすくわれるか、わからないんだ」
自分を叱咤していると、馬車は自宅に到着した。室内に入ったジェラルドの耳に、優しいピアノの旋律が届いた。
「来ているんですね」
「はい。つい先ほど。……後でお茶をお持ちしますね」
執事の言葉に頷いたジェラルドは彼に上着を渡すと、音色に引き寄せられるようにひとつの部屋を訪れた。音を立てないように扉を開けると、ピアノに向かうアデリーナの姿が見えた。
いつでもピアノを弾きに来ていいと告げてから、アデリーナは時々こうして屋敷を訪れるようになった。日を重ねるごとにその指さばきは滑らかになり、ミスが減った。
ジェラルドの存在に気づかないくらいに、アデリーナは演奏に没頭している。柔らかい表情を浮かべ、心地よい音を奏で続ける彼女を、ジェラルドはその場から動かずに見ていた。
ピアノを弾く彼女の姿が一枚の絵画のように思えたから。自分が一歩でも彼女に近づけば、この光景が壊れてしまうのではないかと思ったから。
どれくらいそうしていたのだろうか、演奏を終えたアデリーナがふいに振り向いた。
「あら、帰ってきてたの。声をかけてくれたら良かったのに」
アデリーナは親しげに笑う。以前の彼女とは正反対の表情に、心を許されたことを実感する。
ジェラルドが曖昧に微笑むと、給仕をしに執事が訪れた。応接室に移動し、ふたりはいつものようにティータイムを楽しむことにした。
「今日はいつもと雰囲気が違う曲ですね」
「ルスフォード……昔住んでたところで人気だった曲なの。お祭りの時とかによく聞いたわ。ピアノ仲間に楽譜を貰ってたから、弾いてみたくなったのよ」
大事に取っておいて良かったと、アデリーナは楽譜に触れる。楽譜は年季が入っており、大切に受け継がれてきたものだとうかがえた。
これを譲られたのなら、アデリーナは療養先で良好な人間関係を築けたのだろう。
「良い曲ですね。踊るのも楽しそうな曲です」
「ええ。広間で輪になって踊って、楽しかったわ。魔女を称えるお祭りだったから、魔女の格好をした子もいて」
「称える? 魔女を? 珍しい祭りですね」
魔女に関する祭りを行うところは他の街にもあるが、大抵は追い払うための厄除けのものであり、決して好意的なものではない。魔女は悪魔と同等の災厄をもたらす忌み嫌われる存在だからだ。
隣国の文化が根強い街だから、魔女に対する見方もこの国とは違うのだろうか。
「ルスフォードには沼地の魔女がいるのよ」
なんでも、昔から人々の願いを叶える魔女が住んでいるとされているらしい。魔女は森に住み、強い願いを持った者だけが魔女の住む沼にたどり着ける。どんな願いであろうとも、魔女は訪れた者の望みを叶えてくれる。だから、魔女は住人たちから敬われているのだと。
「とは言っても、実際に会った人はいないし、ただの言い伝えみたいなものなんだけど」
紅茶を一口のみ、アデリーナは菓子に手を伸ばした。
こうして時折過ごすようになって気づいたが、アデリーナは意外とお菓子が好きらしい。本日三個目の菓子となるが、ジェラルドは止める気にはなれなかった。
彼女はここ以外では菓子を食べられないだろうから。彼女の様子から察するに、なんらかの理由でカールに禁止されているようだ。おそらく、ピアノも同じように遠ざけられている。
だから、アデリーナはよくここに来るのだろう。家や街では人の目があり、誰かが悪意なくアデリーナの様子をカールの耳に入れるかもしれないが、ここならその心配はない。アデリーナはそう判断したのだ。
「何よ、そんなに人の顔を見て。……あ。もしかして、食べ過ぎ? おいしかったから、つい……」
「……いえ。気にせずお好きなだけ食べてください。お話をお聞きしていると、ルスフォードでの暮らしは楽しかったのだろうなと思っただけですよ」
「ならいいけど。……そうね、お母様が亡くなって悲しかったけど、みんなとても親切にしてくれて、あの街で過ごしたのは良い思い出よ。お祭りにも参加したし、遠乗りもしたわ」
「アデリーナ様、乗馬されるのですか?」
この街では一般的に男性のみが馬に乗る。女性が長距離を移動する際は馬車を使うので、乗馬を嗜むのは女騎士や一部の活動的な貴族の女性くらいなものだ。
「ふふん、こう見えて私は馬の操縦が上手なのよ。手のつけられない暴れ馬にだって乗れたんだから」
アデリーナが得意そうに胸を張る。言われてみれば、彼女の姿勢はいつも貴族女性のようにピンとして美しい。きっと乗馬で身に着けたものなのだろう。
「でしたら、今度一緒に遠乗りに行きませんか? この時期ならきっと風が気持ちいいですよ」
「あら、いいわね。今度の休日、晴れたら行きましょう」
アデリーナは窓の外に広がる空を見上げる。
今日は快晴でまさに遠乗り日和ではあるが、既に遅い時間だ。だが、この良い天気を全く楽しまないのももったいない。
アデリーナを庭の散策に誘うと、彼女は笑顔で了承した。
「やっとここまで来たか」
カールにすべてを奪われ、復讐を誓ったあの日から、十一年の時が流れた。
非力な子どもだったジェラルドも、今ではカールを上回る体力と知力を身に着け、地位も得た。後継としてカールにつき、会社の内情もカールの筆跡も必要な情報は手に入れている。
ジェラルドはカールがしたことを、そっくりそのまま仕返してやるつもりだ。財産と会社を奪い、屋敷を燃やし家族もろとも消す。それだけがジェラルドの希望だった。そのためだけにジェラルドは生きてきた。
既に偽の遺書は作り、あとは印章だけだ。それを手に入れたら、計画は最終段階に入る。
「最後まで油断するな。……何に足をすくわれるか、わからないんだ」
自分を叱咤していると、馬車は自宅に到着した。室内に入ったジェラルドの耳に、優しいピアノの旋律が届いた。
「来ているんですね」
「はい。つい先ほど。……後でお茶をお持ちしますね」
執事の言葉に頷いたジェラルドは彼に上着を渡すと、音色に引き寄せられるようにひとつの部屋を訪れた。音を立てないように扉を開けると、ピアノに向かうアデリーナの姿が見えた。
いつでもピアノを弾きに来ていいと告げてから、アデリーナは時々こうして屋敷を訪れるようになった。日を重ねるごとにその指さばきは滑らかになり、ミスが減った。
ジェラルドの存在に気づかないくらいに、アデリーナは演奏に没頭している。柔らかい表情を浮かべ、心地よい音を奏で続ける彼女を、ジェラルドはその場から動かずに見ていた。
ピアノを弾く彼女の姿が一枚の絵画のように思えたから。自分が一歩でも彼女に近づけば、この光景が壊れてしまうのではないかと思ったから。
どれくらいそうしていたのだろうか、演奏を終えたアデリーナがふいに振り向いた。
「あら、帰ってきてたの。声をかけてくれたら良かったのに」
アデリーナは親しげに笑う。以前の彼女とは正反対の表情に、心を許されたことを実感する。
ジェラルドが曖昧に微笑むと、給仕をしに執事が訪れた。応接室に移動し、ふたりはいつものようにティータイムを楽しむことにした。
「今日はいつもと雰囲気が違う曲ですね」
「ルスフォード……昔住んでたところで人気だった曲なの。お祭りの時とかによく聞いたわ。ピアノ仲間に楽譜を貰ってたから、弾いてみたくなったのよ」
大事に取っておいて良かったと、アデリーナは楽譜に触れる。楽譜は年季が入っており、大切に受け継がれてきたものだとうかがえた。
これを譲られたのなら、アデリーナは療養先で良好な人間関係を築けたのだろう。
「良い曲ですね。踊るのも楽しそうな曲です」
「ええ。広間で輪になって踊って、楽しかったわ。魔女を称えるお祭りだったから、魔女の格好をした子もいて」
「称える? 魔女を? 珍しい祭りですね」
魔女に関する祭りを行うところは他の街にもあるが、大抵は追い払うための厄除けのものであり、決して好意的なものではない。魔女は悪魔と同等の災厄をもたらす忌み嫌われる存在だからだ。
隣国の文化が根強い街だから、魔女に対する見方もこの国とは違うのだろうか。
「ルスフォードには沼地の魔女がいるのよ」
なんでも、昔から人々の願いを叶える魔女が住んでいるとされているらしい。魔女は森に住み、強い願いを持った者だけが魔女の住む沼にたどり着ける。どんな願いであろうとも、魔女は訪れた者の望みを叶えてくれる。だから、魔女は住人たちから敬われているのだと。
「とは言っても、実際に会った人はいないし、ただの言い伝えみたいなものなんだけど」
紅茶を一口のみ、アデリーナは菓子に手を伸ばした。
こうして時折過ごすようになって気づいたが、アデリーナは意外とお菓子が好きらしい。本日三個目の菓子となるが、ジェラルドは止める気にはなれなかった。
彼女はここ以外では菓子を食べられないだろうから。彼女の様子から察するに、なんらかの理由でカールに禁止されているようだ。おそらく、ピアノも同じように遠ざけられている。
だから、アデリーナはよくここに来るのだろう。家や街では人の目があり、誰かが悪意なくアデリーナの様子をカールの耳に入れるかもしれないが、ここならその心配はない。アデリーナはそう判断したのだ。
「何よ、そんなに人の顔を見て。……あ。もしかして、食べ過ぎ? おいしかったから、つい……」
「……いえ。気にせずお好きなだけ食べてください。お話をお聞きしていると、ルスフォードでの暮らしは楽しかったのだろうなと思っただけですよ」
「ならいいけど。……そうね、お母様が亡くなって悲しかったけど、みんなとても親切にしてくれて、あの街で過ごしたのは良い思い出よ。お祭りにも参加したし、遠乗りもしたわ」
「アデリーナ様、乗馬されるのですか?」
この街では一般的に男性のみが馬に乗る。女性が長距離を移動する際は馬車を使うので、乗馬を嗜むのは女騎士や一部の活動的な貴族の女性くらいなものだ。
「ふふん、こう見えて私は馬の操縦が上手なのよ。手のつけられない暴れ馬にだって乗れたんだから」
アデリーナが得意そうに胸を張る。言われてみれば、彼女の姿勢はいつも貴族女性のようにピンとして美しい。きっと乗馬で身に着けたものなのだろう。
「でしたら、今度一緒に遠乗りに行きませんか? この時期ならきっと風が気持ちいいですよ」
「あら、いいわね。今度の休日、晴れたら行きましょう」
アデリーナは窓の外に広がる空を見上げる。
今日は快晴でまさに遠乗り日和ではあるが、既に遅い時間だ。だが、この良い天気を全く楽しまないのももったいない。
アデリーナを庭の散策に誘うと、彼女は笑顔で了承した。
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