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旅行同好会に入って、最初の数か月、2か月ほどであっただろうか、まったく活動に参加しなかった。といっても、旅行の活動に参加しなかっただけで、サークルの集まりにはよく顔を出していた(沙穂はたまに顔を出す程度であった)。集まりと言っても、食堂に集まってだらだらと話しているだけだが。
サークルの集まりに来る人はだいたい決まっていて、3年の村上先輩に、荻野先輩。2年の柳先輩と市丸先輩。それと私たちと同学年の伊藤空汰と伊藤夏希。いつも顔を出していたのは村上先輩と市丸先輩だけだ。サークルで、部室もない私たちは、夕方の食堂で集まっていた。だいたいいつも通りの場所で、部員を見かけた。
サークルの集まりによく顔を出すうち、村上先輩とよく話すようになった。市丸先輩ともそれなりには話していたが、どちらかと言えば村上先輩と話すことが多かったと思う。なぜか、と言われれば、最初に会ったから、親しみやすかったのだろう。今考えてみれば、もっと重大な理由があったと思うけど。
かつて彼はこんなことを言った。
「お前は人の話を聞くのがうまいな。気づいたら俺ばかりが話している」
別に何かを意識していたわけではない。私の方も、気づいたら聞いてばかりいた。夢中になっていたのかもしれない。ただ、沙穂にもそんなことを言われたこともなかったし、生きてくるなかでそんなことは初めて言われたので、私は驚いた。
「そうですかね」
「ああ、そうだよ」
そのあと、彼は少し心配そうな顔をした。
「……つまらなくないか?」
そんなことはないです、面白いですよと返した。
実際、彼の話には退屈しなかった。ありきたりではあったけども。例えば彼の夢は家庭を持って幸せに暮らすことだった。人によくある、ひどく歪んだ欲望の影は感じられず、素直な、幸福への希求だけがあった。素直で、誠実だ、そう感じた。
私の返答に彼は、そうか、とほっとした様子だった。もっといろいろ、聞かせてほしいです。そう言うと彼は笑顔を見せ、また意気揚々と様々なことを語ってくれるのだった。彼はとても分かりやすい人でもあった。
彼がそんな人だったから、私は、惹かれてしまったのかもしれない。私は男だった。村上先輩も男である。受け入れられ難いとは思いつつも、私はこの時から彼への恋情を止められなくなり始めた。最初は秘めておこうと思った。ずっと隠しておこうと思った。私は、恋愛経験などは今までなかったから、こんなことを考えていたのだ。
恋情をひた隠しに、村上先輩と関わる日々は、あまりに苦痛であった。私は、この思いがばれてはいけないと思いながら、彼と自然に接しなければならない。同時に、過剰に彼を求めてしまう。このバランスがあまりにも難しかった。だから、夏休みというのは村上先輩と会う機会が減る切ない期間であると共に、ややアンビバレントではあるが救いであった。
大学が夏休みに入ってからも、沙穂とはそれなりの頻度で顔を合わせていた。こうして書いてみると、私と沙穂というのは本当に仲が良かったのだと思う。ここまで仲がいい友人は、同性にもなかなかいないのではないだろうか。しかし、それでも一人の時間が増えたことに変わりはない。
バイトも別段していなかった私は、暇を持て余すこととなった。暇のつぶし方はくだらないもので、テレビ、音楽、本。そんなもんだった。
退屈も甚だしいある日の夏、旅行同好会の企画が降りてきた。私は当然行くことにした。このままではゾンビとさほど変わらないと思った。沙穂にそのことをSNSで連絡をすると、彼女は予定があって行けない、と返信が来た。私はこれを、意外だと思った。沙穂は、現実の何物にも縛られず飄々と生きているような印象があった。だから、予定がある、という言葉が彼女の口から出るのはひどく不思議に思えた。
私も別に、沙穂にくっついてばかりの子どもではない。私はこの企画に参加した。旅行するところはさほど遠くない。新幹線で2時間ほどだろうか。別になにか観光名所、というわけでもなく、ただ遊ぶ、という感じであった。1泊2日という時間を外で過ごすわけだが、そこでも暇なのではないだろうか、という懸念があった。しかし、村上先輩が来るかもしれないと考えると、行かざるを得なかった。この企画に、村上先輩を含めた5人が参加した。
新幹線の中で、私は伊藤空汰と隣になった。この企画以前から思っていたことだが、空汰は私同様、喋るのが苦手そうであった。いや、苦手というよりは放棄をしているようにも見えた。彼の眼には、諦念の色が宿っていたように思う。それが印象的だった。
ついでに言うと、双子の妹である伊藤夏希は、明るく活発であった。空汰と対照的に、と言ってもいい。彼女はいつも笑っていたように思う。何度か、その笑顔に癒されたこともあった。
私は空汰のことを、そういう人間だと考えていたため、新幹線の中は暇だろうと思った。いや、私も暇つぶしに会話をする人間ではないのだが。しかし、彼は意外にも話してくれたし、ある意味では優しいものだった。 先に口を開いたのは、私の方だった。
「伊藤くんは、どうしてここに入ったの?」
伊藤空汰は、こちらをちらりと見て、
「……空汰でいい。夏希がいるからぐちゃぐちゃになる。あと呼び捨てでいい。別に俺はそういったものは気にしないからな」
「あ、うん」
「なぜ入った、か。気まぐれっぽいものだったよ。最初はどこにも入るつもりはなかったんだが、夏希がどうしても入るっていうもんでな。あいつがなぜここに入りたがったか、そっちが気になる。君は?」
「僕かい? ……連れられてきたようなものさ」
「新月にか」
「うん、沙穂に」
ふと、彼の顔を見ると、いつもの瞳の感じではなかった。一種の好奇の目。純粋な、少年のような眼であった。私はそれに幾分か驚いたものだ。
「気になってはいたんだ。君は新月と付き合っているのかい? たまに構内で見かけるが、いつも一緒にいるな」
「いや、そういう関係じゃないよ。よく勘違いはされるけども。本当にただ、仲がいいだけさ」
「そうか。……じゃあ、そういう目で見たことはないのか?」
「そういう目って?」
「恋情を抱いているか抱いていまいか」
私はその問いかけにドキリとした。心臓が跳ねた。まったく関係もないのに、村上先輩への恋情がばれてしまうのではないかと思った。私は平静を装った。
「特にないね」
すると空汰は難しい顔をして、急に黙り込んでしまった。まずいことを言ったか、それともまさかこの恋情がばれてしまったのか、などと焦った。そんなことありえるはずもないと、今となっては思うのだが。
私の様子に気づいたのか、彼ははっとした顔をした。そして、すぐ、申し訳なさそうに、
「あ、いや……すまないね。ちょっと面白いと思っただけだ」
「面白い?」
予想外の返答に、驚きながらそう聞き返すと、彼は余計に謝罪の色を濃くした。非難の言葉に聞こえたのだろう、彼はこんなことを言った。
「ああ、違う。……すまない、言葉がなっていないものでな。興味深い、ということだ。新月はなかなか優秀な女性だと、性格や思考の面から考えられる。それなのに、君は友人として付き合っている。恋情もなしに、だ。これは珍しいことだと思ってね……。ああ、すまん。面白くないだろう、こんな話」
彼が普段から話さない理由が、よくわかった気がした。彼も私と同じく、本質は違えども会話の速度についていけない人間であったのだ。私はそれが分かっただけで安心をした。同族に寄せる信頼、といったところだろうか。私はいたって優しく応答し、彼との会話を続けた。
目的地についてからの記憶はあまりない。適当な観光名所を回って、おいしいご飯を食べて、宿に向かう。その程度のことだった。ただ言えるのは、この時に空汰とはだいぶ仲が深まったし、村上先輩ともいろいろなことを話せた。記憶にあるのはそのぐらいだ。
記憶に強く残っているのは、宿についてからの話だ。夜遅く、私は一度目が覚めてしまってからというもの、寝付けなくて、下のラウンジに降りて行った。元々旅行などする質ではなかったので、外泊が落ち着かず、神経が高ぶっていた。
サークルの集まりに来る人はだいたい決まっていて、3年の村上先輩に、荻野先輩。2年の柳先輩と市丸先輩。それと私たちと同学年の伊藤空汰と伊藤夏希。いつも顔を出していたのは村上先輩と市丸先輩だけだ。サークルで、部室もない私たちは、夕方の食堂で集まっていた。だいたいいつも通りの場所で、部員を見かけた。
サークルの集まりによく顔を出すうち、村上先輩とよく話すようになった。市丸先輩ともそれなりには話していたが、どちらかと言えば村上先輩と話すことが多かったと思う。なぜか、と言われれば、最初に会ったから、親しみやすかったのだろう。今考えてみれば、もっと重大な理由があったと思うけど。
かつて彼はこんなことを言った。
「お前は人の話を聞くのがうまいな。気づいたら俺ばかりが話している」
別に何かを意識していたわけではない。私の方も、気づいたら聞いてばかりいた。夢中になっていたのかもしれない。ただ、沙穂にもそんなことを言われたこともなかったし、生きてくるなかでそんなことは初めて言われたので、私は驚いた。
「そうですかね」
「ああ、そうだよ」
そのあと、彼は少し心配そうな顔をした。
「……つまらなくないか?」
そんなことはないです、面白いですよと返した。
実際、彼の話には退屈しなかった。ありきたりではあったけども。例えば彼の夢は家庭を持って幸せに暮らすことだった。人によくある、ひどく歪んだ欲望の影は感じられず、素直な、幸福への希求だけがあった。素直で、誠実だ、そう感じた。
私の返答に彼は、そうか、とほっとした様子だった。もっといろいろ、聞かせてほしいです。そう言うと彼は笑顔を見せ、また意気揚々と様々なことを語ってくれるのだった。彼はとても分かりやすい人でもあった。
彼がそんな人だったから、私は、惹かれてしまったのかもしれない。私は男だった。村上先輩も男である。受け入れられ難いとは思いつつも、私はこの時から彼への恋情を止められなくなり始めた。最初は秘めておこうと思った。ずっと隠しておこうと思った。私は、恋愛経験などは今までなかったから、こんなことを考えていたのだ。
恋情をひた隠しに、村上先輩と関わる日々は、あまりに苦痛であった。私は、この思いがばれてはいけないと思いながら、彼と自然に接しなければならない。同時に、過剰に彼を求めてしまう。このバランスがあまりにも難しかった。だから、夏休みというのは村上先輩と会う機会が減る切ない期間であると共に、ややアンビバレントではあるが救いであった。
大学が夏休みに入ってからも、沙穂とはそれなりの頻度で顔を合わせていた。こうして書いてみると、私と沙穂というのは本当に仲が良かったのだと思う。ここまで仲がいい友人は、同性にもなかなかいないのではないだろうか。しかし、それでも一人の時間が増えたことに変わりはない。
バイトも別段していなかった私は、暇を持て余すこととなった。暇のつぶし方はくだらないもので、テレビ、音楽、本。そんなもんだった。
退屈も甚だしいある日の夏、旅行同好会の企画が降りてきた。私は当然行くことにした。このままではゾンビとさほど変わらないと思った。沙穂にそのことをSNSで連絡をすると、彼女は予定があって行けない、と返信が来た。私はこれを、意外だと思った。沙穂は、現実の何物にも縛られず飄々と生きているような印象があった。だから、予定がある、という言葉が彼女の口から出るのはひどく不思議に思えた。
私も別に、沙穂にくっついてばかりの子どもではない。私はこの企画に参加した。旅行するところはさほど遠くない。新幹線で2時間ほどだろうか。別になにか観光名所、というわけでもなく、ただ遊ぶ、という感じであった。1泊2日という時間を外で過ごすわけだが、そこでも暇なのではないだろうか、という懸念があった。しかし、村上先輩が来るかもしれないと考えると、行かざるを得なかった。この企画に、村上先輩を含めた5人が参加した。
新幹線の中で、私は伊藤空汰と隣になった。この企画以前から思っていたことだが、空汰は私同様、喋るのが苦手そうであった。いや、苦手というよりは放棄をしているようにも見えた。彼の眼には、諦念の色が宿っていたように思う。それが印象的だった。
ついでに言うと、双子の妹である伊藤夏希は、明るく活発であった。空汰と対照的に、と言ってもいい。彼女はいつも笑っていたように思う。何度か、その笑顔に癒されたこともあった。
私は空汰のことを、そういう人間だと考えていたため、新幹線の中は暇だろうと思った。いや、私も暇つぶしに会話をする人間ではないのだが。しかし、彼は意外にも話してくれたし、ある意味では優しいものだった。 先に口を開いたのは、私の方だった。
「伊藤くんは、どうしてここに入ったの?」
伊藤空汰は、こちらをちらりと見て、
「……空汰でいい。夏希がいるからぐちゃぐちゃになる。あと呼び捨てでいい。別に俺はそういったものは気にしないからな」
「あ、うん」
「なぜ入った、か。気まぐれっぽいものだったよ。最初はどこにも入るつもりはなかったんだが、夏希がどうしても入るっていうもんでな。あいつがなぜここに入りたがったか、そっちが気になる。君は?」
「僕かい? ……連れられてきたようなものさ」
「新月にか」
「うん、沙穂に」
ふと、彼の顔を見ると、いつもの瞳の感じではなかった。一種の好奇の目。純粋な、少年のような眼であった。私はそれに幾分か驚いたものだ。
「気になってはいたんだ。君は新月と付き合っているのかい? たまに構内で見かけるが、いつも一緒にいるな」
「いや、そういう関係じゃないよ。よく勘違いはされるけども。本当にただ、仲がいいだけさ」
「そうか。……じゃあ、そういう目で見たことはないのか?」
「そういう目って?」
「恋情を抱いているか抱いていまいか」
私はその問いかけにドキリとした。心臓が跳ねた。まったく関係もないのに、村上先輩への恋情がばれてしまうのではないかと思った。私は平静を装った。
「特にないね」
すると空汰は難しい顔をして、急に黙り込んでしまった。まずいことを言ったか、それともまさかこの恋情がばれてしまったのか、などと焦った。そんなことありえるはずもないと、今となっては思うのだが。
私の様子に気づいたのか、彼ははっとした顔をした。そして、すぐ、申し訳なさそうに、
「あ、いや……すまないね。ちょっと面白いと思っただけだ」
「面白い?」
予想外の返答に、驚きながらそう聞き返すと、彼は余計に謝罪の色を濃くした。非難の言葉に聞こえたのだろう、彼はこんなことを言った。
「ああ、違う。……すまない、言葉がなっていないものでな。興味深い、ということだ。新月はなかなか優秀な女性だと、性格や思考の面から考えられる。それなのに、君は友人として付き合っている。恋情もなしに、だ。これは珍しいことだと思ってね……。ああ、すまん。面白くないだろう、こんな話」
彼が普段から話さない理由が、よくわかった気がした。彼も私と同じく、本質は違えども会話の速度についていけない人間であったのだ。私はそれが分かっただけで安心をした。同族に寄せる信頼、といったところだろうか。私はいたって優しく応答し、彼との会話を続けた。
目的地についてからの記憶はあまりない。適当な観光名所を回って、おいしいご飯を食べて、宿に向かう。その程度のことだった。ただ言えるのは、この時に空汰とはだいぶ仲が深まったし、村上先輩ともいろいろなことを話せた。記憶にあるのはそのぐらいだ。
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