失われた歌

有馬 礼

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10(最終話)

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 明け方の気配を感じて、リコは目を覚ました。
(朝まで寝ちゃってた…)
 背中に自分のものではない体温と重みを感じる。バルクが隣で眠っていた。
 仰向けで眠っているバルクの左腕に両腕を絡めて、肩に頬をつける。
「起きたの…?」
 バルクが目を閉じたまま言う。
〈ごめん、起こしちゃった?〉
「いいんだ。元々眠りが浅いから」
 それはジェムハンターの職業病のようなものだった。
 バルクは寝返りをうつと、リコの背中に右腕を回した。
「一日遅れだけど、誕生日おめでとう」
〈ありがとう…〉
 バルクの体温と重さに包まれているとまた眠気がやってきて、次に目を覚ました時には、すっかり朝になっていた。
(…あれ?)
 バルクの姿はない。リコは身体を起こした。
(なんでこう、無限に寝ちゃうんだろう…)
 伸びをしてベッドから抜け出す。
(おなかすいた…)
 身支度する。服を着替えて、鏡に映ってみると、チュニックの胸元からキスの痕がのぞいていた。
(あ…)
 指先で痕に触れる。昨日のことが思い出されて、頬が熱くなるのを感じる。
 髪を上げて、首筋を念入りに確認する。首筋にはなかった。ほっとしたような少しがっかりしたような気分になる。多分、首筋にはつけないようにしてくれたのだろう。
(あんなに余裕なさそうだったのに…って、何を考えてるんだわたしは)
 嵐みたいだった、とリコは思う。
(これまでは、わたしのこと思って、抑えててくれたんだ…)
 ついさっきまで一緒にいたはずなのに、たまらなくバルクに会いたくなる。
 リコは急いで寝室を出る。居室に入ると、バルクが読んでいた本から顔を上げた。その顔を見てリコはぎょっとなる。
「やあ、おはよう」
〈…髪、切っちゃったの!?〉
 バルクは長かった髪を切っていた。
「なんとなくこれまで切ってなかったけど、邪魔だから切りたいな、って言ったらガイが切ってくれたんだよ」
 リコの髪を切ってくれているゾンビだ。
〈そうなの…〉
 リコはじぃっとバルクの顔を見た。
「どうしたの?」
〈もしかしてバルクって、わたしが思ってるよりずっと若い?〉
 バルクは笑ってしまう。
「きみがどう思ってたかはあえてきかないけど、正解は26歳だよ」
〈そ、そうなんだ…〉
 リコは少し動揺しながら、バルクの傍に立って短くなってしまった髪に触れた。
〈長い髪好きだったんだけどな。でも、こっちも好き〉
 バルクは笑って、椅子から少し腰を浮かせるとキスした。
 唇を離して視線を落とすと、胸元の痣が目に入った。
「痣になっちゃったね。ごめんね」リコの腰に腕を回して引き寄せ、痣に口づける。「痛かった?」
〈大丈夫…〉
「そういえばジーが、今日は夕方まで出かけてきてってさ」
〈ふうん…〉
「それで、ローグに行こうと思うんだ。ジェムハンター協会に用があるし。一緒に行かない?」
〈帝都に? 行く!〉
 リコは目をキラキラさせた。
〈準備してくる!〉
 
 しばらくして部屋から出てきたリコは、髪を結って化粧をしていた。それだけでぐっと大人びた雰囲気になる。
「綺麗になったね」
 リコは照れ笑いする。
〈ありがとう〉
「じゃあ、行こうか」
 コールリングを起動させ、帝都ローグを呼び出す。しばらく待っていると、コールリングの赤いジェムが光った。バルクはリコの肩を抱いて、赤いジェムに触れる。
 視点が切り替わると、そこは高い天井の、石造りの建物の中だった。多くの武装した者が行き来している。こんなに沢山の人が往来しているのを見たことがなかったリコは、目が回って足元がふらつく。
「大丈夫?」
 バルクはリコの手を握った。
「ここはポートだから、まだ人はそれほどでもないんだよ。もししんどければ、僕につかまって、目を瞑ってるといいよ」
 建物の外に出ると、武装した者だけでなく、さらに色々な種類の人々が往来していた。
〈こんなに人がいるの、初めて見た。今日お祭りか何か?〉
「ごく普通の日だよ」
 ここには、バルクが一人で喋っていることに興味を持つような人はいなかった。
 手近なカフェに入って、遅い朝食をとる。
 リコは興味深そうに道ゆく人を眺めた。全身を鎧で覆った戦士、着飾った女性たち、魔術師や僧侶もいる。精霊使いが歩いている。服装から判断するに、リコとは別の一族の精霊使いのようだ。今度は店内に目を移す。昼前だというのに酔って陽気になっている、ジェムハンターと思しきグループがいる。
〈お店で食事するのって、初めて〉
「本当に? 9歳までは、村にいたんだよね?」
〈いたけど…、わたしが外を歩くと魔物たちが集まってきてしまうから、家の中から出ちゃいけないって言われてて。みんながラシルラのお祭りに行く日も、わたしは留守番だった…。しきたりより早く、9歳で塔に移ることになったときも、心のどこかではほっとしてた。もう、みんなが楽しそうに笑ってるのを部屋の中から見てるのは嫌だったの。塔の方がずっと楽しい。ジュイユに勉強を教えてもらったり、魔物たちと森を散歩したり、野菜のお世話したり。でも、絵やお話の中に出てくる大きな街にも行ってみたかったから、嬉しい。ありがとう、バルク。あなたがいてくれて、今本当に幸せなの〉
 リコはテーブルの上に置いていたバルクの手に自分の手を重ねると、笑った。バルクはその手の上にさらに自分の手を重ねる。
〈ここの人たちは、誰もわたしのことなんか知らなくて、誰もわたしのこと怖がらない。こういう感じ、初めて〉
「…塔から出て、この街に二人で住む? 塔にはポートがあるから、いつでも『離脱』で戻れる。この街に住んだって守護者の仕事はできるんじゃないかな」
 しかしリコは、バルクの提案に首を振った。
〈ううん、この街は居心地がいいけれど、わたしの居場所はあの塔なんだと思うの。わたしの家族は、あそこにいる魔物たちだから。やっぱり、家族と一緒にいたい〉
「わかった」
 食事が運ばれてきて、恋人たちは重ね合っていた手を離した。

 食事をした後、協会に戻り、まず溜まっていたジェムを換金した。予想以上の額だった。無愛想な協会の職員は、提出されたジェムを見てちょっと愛想が良くなった。塔の水道設備を修理してもかなりお釣りがくると思われた。バルクはそれを、風に指示されたとおり守護者の口座に振り込んでおいた。
 次にハンター登録課に行く。抹消登録の申し込みをして、ロビーで順番を待つ。新規登録係はいつものように混み合って活気があるが、隣の部屋の抹消登録係は、人も少なく陰気な雰囲気だった。それでも、自分の足で抹消登録係に来る者はまだ良かった。大抵は本人以外がこのロビーで順を待つのだ。
「ここで座って待っててもいいよ」
 バルクの順番が呼ばれて、ロビーの硬いソファから立ち上がる。
〈わたしも行きたい。一緒にいていい?〉
「いいよ、もちろん」
 二人は窓口のブースに向かった。
「今日はご本人ですか? 第三者の方ですか?」
 窓口の、いかにも物静かそうな女性が、感情を入れない事務さ的な口調で尋ねる。
「第三者です」
「まず、あなたの身分確認をしますので、こちらにコールリングをかざしてください」
 バルクは言われたとおり、カウンターに載っていた黒くて平たい台にコールリングをかざした。台に青い光の円が現れる。
「帝都ジェムハンター協会員、バルク・フロウ様ですね。確認しました。抹消登録される方のコールリングはありますか?」
 バルクは三人のコールリングをコンテナから取り出してカウンターに置く。
「お預かりします」
 女性は一つ目のコールリングを取って、黒い台に乗せる。台に青く光る円が現れる。
「お一人目。登録名リアナ・レーデルさん。よろしいですか?」
「はい」
「抹消理由は?」
「死亡です」
「かしこまりました。抹消登録します。万一ご本人がご存命で、登録の復活を希望される場合は、5年後の同日まで復活が可能です。また、パーティ登録された方には、抹消登録される方の財産を要求する権利があります。どうなさいますか」
「放棄します」
「かしこまりました。では、こちらにサインを。コンテナ及びコレクタ内の財産は、5年の復活猶予期間は協会に保存され、その後、相続人を探すための告知を行うことになります。手続きは全て当協会で行います」
 女性はカウンターの下から、黒い板を取り出した。緑色の文字が浮かび上がる。パーティの相続権を放棄する覚書だ。バルクはざっと目を通してサインした。
「リアナ・レーデルさんの登録が抹消されました」
 同じやり取りがあと二回繰り返され、手続きは終わった。
「墓地を利用されるのであれば、地下へどうぞ」
 女性は最後まで事務的な口調で案内した。

 バルクはエレベーターに乗る。リコも無言で続いた。
 地下はひんやりしていて、人の姿はなかった。薄暗い廊下の突き当たりに、四角いパネルが青白く光っている。「ここに触れてください」の文字が浮かんでいる。バルクが指でパネルに触れると、「墓地の受付を開始します」に変わる。「遺品及び遺骨」を選択すると、パネルの隣の壁が音もなく動き、スペースが現れた。そこに遺品と遺骨を納める。パネルの「完了」の文字に触れると、またするすると壁が動いて、何もなかったかのようにもとの壁になる。バルクは、しばらく壁を見つめていた。あっけなかった。
「ありがとう。これで、やっと仲間に対して義務を果たせたよ」
 リコは何も言わず、バルクを抱きしめた。
 バルクもリコを抱きしめる。二人はしばらく無言で抱き合っていた。
「そうだ。屋上に行ってみない? 塔の眺めには負けるけど、ここもなかなかだよ」
 リコは頷いた。
 屋上はちょっとした庭園になっていて、花や木が植えられている。散策したり寛いだりできるようになっていたが、こんなところでのんびりしている暇なハンターはいない。彼らは現実的なビジネスパーソンなのだ。
〈すごい…〉
 周りは石造りの高い建物がひしめき合っていた。人いきれがない場所にくると、重厚な土の精霊の気配で満ちているのがわかる。
〈石でできた森みたい〉
 その中に、緑色の空間が見える。そこだけ高い建物が建っておらず、森になっている。
〈あれは?〉
「あれは皇帝が住んでる宮殿だよ」
〈あれがそうなのね。深い森みたい。皇帝は精霊使いの一族だっていうけど、本当なのかな〉
「かつてはそうだったかもしれないけど、今はどうかな」
〈そうだ。宮殿には博物館があるんでしょ? 行ってみたい〉
「そうなんだ? 知らなかった」
〈わたし、ガイドブックで『行ったつもり旅行』するのが大好きなの。帝都のガイドブック、何回も読んだ。だから詳しいんだ〉
「今度から、ガイドブックじゃなくて本当に行こう。僕がどこにでも連れて行くよ」
〈嬉しい、ありがとう〉
 バルクはリコの屈託のない笑顔に見惚れた。

 二人が塔に戻ったのは、指定された時間の少し前だった。
〈楽しかった! また行きたいな〉
 リコはこれまで見たことがないような上機嫌だった。
「もちろん、また行こう」
 はしゃいでいるリコは、ごく普通の少女だった。
「二人ともおかえり」
 風が現れた。
「バルク、振り込みありがとう」
「思ったよりあったから、十分修理に足りそうだと思ったけど、どう?」
「最高。愛してる」
 バルクは苦笑した。
「愛してるって言われてこんなに嬉しくないの、初めてだよ」
「何よ、失礼な。まあいいわ」
 風がブーツの踵を石の床に打ち付ける。
 それが合図だった。
 塔の全ての照明が消えて、真っ暗闇になる。一呼吸置いて、音楽が流れ始めた。上から聞こえてくる。塔の階段の手すりにおびただしい数のランタンが取り付けられていて、それらがオレンジ色に光る。
 リコはバルクの手を引いて階段を上った。
 リコが通りすぎるとランタンはオレンジに輝く蝶に姿を変え、塔の中を幻想的に舞った。階段を上るにつれて音楽が大きくなる。食堂から聞こえていた。バルクはリコの背中を押して、先に入らせる。
 リコが食堂に足を踏み入れると、花吹雪が舞った。
 音楽を奏でているのは、魔物たちのオーケストラだった。
 魔物たちが歌う。

 リコ 誕生日おめでとう
 リコ 私たちの愛する人
 リコ あなたの一年が
 素晴らしく楽しいものになりますように

〈ありがとう、みんな…〉
 リコは目を潤ませて言う。
〈いつの間に練習してたの…〉
 涙が瞳に留まっていることができなくなって、転がり落ちる。
〈本当に嬉しい。ありがとう〉
 ジーとルーが魔物を代表してやってきて、リコの頭に花冠を載せると、手を引いて席に着かせた。
「今日は、誕生日限定スペシャルコースだぞ」
 骸骨のシェフがガチャガチャ音をさせながらやってきた。
 ルーが食堂の外から様子を見ていたバルクのところに駆けてくる。
「バルクも来て! 一緒にお祝いしてよ!」
 バルクの手を引いて、リコの向かいの席に案内する。
 誕生日のパーティは賑やかで、楽しかった。音楽が流れ、魔物たちはリコにおめでとうを言いに来たり、奇妙な踊りを披露してリコを笑わせたりした。
 コースの最後に美味しい誕生日ケーキとお茶が出て、そこでパーティもおひらきかと思われた時、ジーがよく通る声で言った。
「バルクからもプレゼントあるんでしょ? 渡さないの?」
 しまった。口止めするのを忘れていた。
 魔物たちの目が一斉に自分に集まるのを感じる。
 予定が狂ってしまったが、仕方ない。
 バルクは軽く咳払いして立ち上がった。
 テーブルを回ってリコの方へ行くと、リコを椅子から立ち上がらせ、その前に古来からのしきたりに則って片膝をついた。
 食堂は水を打ったように静まり返った。
 リコは緊張した面持ちになる。
「リコ。心優しく、勇敢な人。
 唯一無二の人。
 愛しています。
 どうか、僕と生涯を共にしてくれませんか」
 リコの見開かれた瞳にみるみる涙が溜まって、そして零れ落ちる。
 リコは両手で口元を覆って、何度も頷いた。
「もしそれが『いいよ』っていう意味なら、左手を貸してくれない?」
 リコは素直に左手を差し出す。
 バルクはジャケットのポケットから指環を取り出すと、薬指にはめた。ぴったりだった。指環の上にくちづける。
 立ち上がったバルクに、リコが勢いよく抱きついた。
〈わたしでいいの?〉
 見上げたリコの涙を、バルクはそっと指先で拭った。
「きみじゃなきゃ嫌だ」
「リコ、バルク、おめでとう」
 ルーが手を叩く。
 魔物たちは一斉に歓声を上げ、手を叩き、足を踏み鳴らした。
 魔物たちの間を縫って、ジュイユが進みでた。魔物たちは再び静まり返る。
「バルク。守護者の夫となった者。私たちはお前さんを心から歓迎する」
「ありがとうございます」
「バルク! ここにずっといてくれるんだね!」
 ルーが抱きついてくる。
「そうだよ」
 バルクはルーの額を撫でた。
 バルクとリコは視線を交わして微笑み、そして唇を重ねた。
 異形の者たちの祝祭を、闇が静かに包み込んでいた。
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