失われた歌

有馬 礼

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第2部 帝都ローグ篇

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 リコへ

 本当なら12歳になったきみをここで迎えたかったのだが、身体の衰えが酷く、それができそうにないので、この手紙を書いている。

 きみは今、どういう気持ちなのだろう。絶望していて孤独だろうか。私にも「その日」があったはずなのだが、今となっては忘れてしまった。1つ言うとすれば、ここでの暮らしはわりあい楽しいということだ。あの、「化け物を見る目」にさらされなくて済むしね。

 さて、私がペンをとったのは、きみの母のことを知らせておく必要があると思ったからだ。きみは、きみの母について何か聞かされただろうか。
 きみの母、アイナは美しい風の魂を持った女性だった。歌が上手で、ラシルラの祭りで5年続けて歌姫を務めたくらいだ。ある時アイナはジェムハンターの青年に出会った。彼は剣士だったが、黒曜石の魂を持っていた。闇の魂を。彼は闇の来訪者だったが、自身ではそれに気づかずに生きてきたのだ。族長はもちろん彼らの結婚に反対して、アイナは村から姿を消した。1年ほどが経ってアイナが戻った時、彼女は妊娠していた。夫はどうしたのか、何があったのか、アイナは何も語らなかったという。ただ、酷く衰弱していた彼女にとっては、出産は文字どおり命がけとなった。
 生まれた娘もまた、黒曜石の魂を持っていた。
 アイナは力尽き、娘を抱くことなく亡くなった。
 しかし異変が起こった。アイナの魂は闇に触れて狂い、本来の輝きを失ってしまった。堕落せる魂となってしまったのだ。私が呼ばれた時、アイナの真っ黒な魂は村中を覆っていた。私はやむなく堕落せる魂となったアイナを封印し、塔に連れ帰った。きみとアイナが出会うことで何が起こるのか、私にも予想がつかない。封印が効力を失う可能性がある。アイナと会う時は、必ずジュイユを同席させてもらいたい。

 最後に、この塔には先人たちが残した膨大な書籍や日記がある。きみがこれから守護者として生きていくのに、特に参考になりそうなものをこの書庫に集めておいた。何かの導きとなれば幸いだ。可能ならば、きみも後から来る者のために、日記を残してやってほしい。
 では、ご機嫌よう。

 守護者 イルハ

 その手紙を読んでいるリコは、12歳ではなく9歳だった。
 祖父は12歳まで待つことはできないと言った。引き寄せられてくる魔物はどんどん強くなっているし、闇の精霊は村人の精霊たちを飲みこんでしまうので、皆が怖がっていると。
 諦めることには慣れていた。孤独のやり過ごし方も自分で学んだ。時々叫び出したい衝動に駆られたが、そういう時には小さく丸まってじっとしていた。
 手紙の日付はほんの3ヶ月前だった。会いたかったな、とリコは思う。
「イルハは、死の床でもお前さんを心配していたよ。自分が引き取って、ここで育てるべきだったんじゃないかと」
 ジュイユが言う。
「心配…。会ったこともないのに」
 リコは抑揚の少ない小さな声で言った。
「ここにいるものはみな家族だ。家族のことを気遣うのは当然だ」
「家族…」





 ほとんどを家の中で過ごしていたリコは、体力のない子どもだった。ジュイユは魔物たちに命じて、リコを畑仕事に連れ出したり、森を歩いたりさせた。リコは少しずつ、子どもらしい明るさを取り戻していった。
 その日も、リコはファミリアのジーとネクロマンサーのイダと日課の散歩に出るところだった。イダは、背の高い女の姿をしていた。ただし、ミイラだ。肌は木の皮のように乾き、眼窩に眼球はなく、鼻は削げて歯が剥き出しになっていた。黒くて長い髪だけが、不相応に艶々としている。ぴったりとした黒いドレスの、大きく開いた背中からは、骨格だけの翼が生えていた。
広場の前の茂みがガサガサと揺れる。
 ジーはリコの前に飛び出して、槍を構えた。
 出てきたのは、ジーと同じファミリアだった。右耳を食いちぎられ、酷い火傷を負っている。
「フレイマだ」
 ジーが言う。
「これは助からないわ」
 イダは眼球のない目をファミリアに向けた。
 リコはファミリアのそばに膝をついた。根拠は全くなかったが、そうすればいいと本能が告げていた。
 痛々しく肉が見えている傷口に手をかざす。
「リコ? 何を…」
 ジーは言いかけて口をつぐんだ。リコの手が黒いもやに包まれる。もやは徐々に傷口の上に流れてゆき、傷を覆う。見る間に傷が修復されていく。ファミリアは目を開いた。頭を何度か振って、立ち上がる。
「ありがとう。助けてくれたんだね」
 ファミリアは可愛らしい声で言った。
「でも、耳は治せなかった。ごめんね…」
 リコはファミリアの右耳を撫でた。ファミリアはくすぐったそうに耳を震わせる。
「ううん。いいんだ、そんなこと。僕、きみのこと知ってるよ。守護者のリコだ」





 数日前から熱っぽくて身体が怠かったが、その日は下着が濡れている感覚で目が覚めた。
(えっ、なにもしかして…)
 眠気が吹っ飛び、リコは跳ね起きて上掛けをめくる。

「どうしたの!?」
 リコの悲鳴を聞いて、ファミリアのジーとルーが駆け込んできた。
 リコはベッドについた血の跡を前に、青くなってガタガタ震えていた。
 ルーに呼ばれたジュイユが、何事かと飛び込んでくる。
「ジュイユ、わたし、死ぬの…?」
「…いや、そうではない。リコよ、これは、女性であれば誰にでも起こる身体の変化だ」
 ジュイユは事を察して、医学的な見地からリコに説明する。
「もう少し早く伝えておくべきだった。そこまで考えが至らず済まない」
 ジュイユはリコの肩に手を置く。
 なんという、哀れで惨めな少女だろうか。





 リコ、私の大切な孫娘。
 人があなたをどう言おうと、私はあなたが何より大切なの。
 あなたの魂、夜そのものみたいで大好きよ。
 美しくて、静かで、優しくて、澄み切っていて。

 抱きしめられた感覚で目が覚めた。
「どうしたの? 眠りながら泣いてた」
 バルクが、低く優しい声で言う。
 リコは温かな胸に顔をうずめる。
〈おばあちゃんの夢を見てた。わたしの魂を、夜そのものみたいで大好きって言ってくれた…。会いたい。わたしが今、幸せだってこと、伝えたい…〉
 バルクはシャツの胸元が温かく湿ってくるのを感じた。
〈おばあちゃん、なんでわたしを置いて死んじゃったの…。会いたいよ…〉
 リコは子どものように泣きじゃくった。
 バルクはなにも言わず、リコが再び眠りに落ちるまで、その背中を撫でてやった。
 リコが頼りにしていた祖母がもう少し長く生きていたら、彼女の運命は違ったものになったのだろうか、とバルクは思う。少なくとも、たった9歳で村を追われ、塔に魔物たちと暮らすようなことは避けられたかもしれない。庇護者を早くに亡ったことは、彼女にとって不幸だった。もしかしたら、この結婚も、祝福してくれたのかもしれない。
 祖父である族長は何と言うだろう、とバルクは思う。
 守護者は世間との交わりを断つこととされ、表向きは、生涯塔の中で過ごすことになっている。しかし、バルクも守護者について学ぶため、さまざまな日記や書物を読んだが、大人しく塔の中だけで過ごしている者はいなかった。そこはうまくやれ、ということらしい。パートナーがいる守護者もいた。前例がないことではないし、大抵の守護者は生家とは良好な関係を保ち、つきあいを続けていた。生家と塔で招きあうようなこともあったようだ。こんなに孤独な守護者が、異例なのだ。
 しかし、いずれにせよ祝福されるはずがない結婚だ、訊かれてもいないうちから知らせる必要はないだろう、というのがバルクとリコの一致した意見だった。ジュイユに話すと、同意見だと言われた。
 リコの規則正しい寝息を聞いていると、だんだん目蓋が重くなってくる。バルクも目を閉じた。
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