失われた歌

有馬 礼

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第2部 帝都ローグ篇

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 リコが目を覚ましたのは、夕方と言うにはまだ早い、昼下がりだった。
 見覚えのない場所で、いつもと違うベッドに寝ていることに気づいて、少し混乱する。
(あ、そうだ。帝都に来て…)
 バルクの存在をすぐ近くに感じる。
 ベッドに身体を起こして、ガラスの仕切りの向こうを見る。狭い部屋はそれだけでほとんど見渡すことができる。
 バルクはソファに座っていた。ソファに浅く腰掛けて脚を組み、少し気怠げに窓の外を見ている。何を考えているのだろう。その横顔をそっと見つめる。ずっと見ていたかったのに、見られている気配を感じてバルクがこちらを向いた。
「眠れた?」
 リコはうなずいてベッドを抜け出す。
 リコがバルクの隣に腰掛けると、バルクは持っていた小さなグラスをサイドテーブルに置いた。リコの背中に腕を回して抱き寄せるとキスする。
 リコはそのキスの味に驚いて身体を離してしまう。
〈なに?〉
 バルクはくすくす笑ってもう一度リコを抱き寄せる。
「何だろうね」
 いつもより温かい手。ははあ、これは酔っ払いだな、とリコは思う。ルブラの収穫祭でいっぱい見たから知ってる。
〈わかった。お酒飲んでる〉
「正解」
 しかし、こんな昼日中から人は酒を飲んで酔っ払っているものなのだろうか? よくわからない。バルクがぎゅうぎゅう抱きしめて肩口に顔をすり寄せてくるので、されるに任せる。
「ああ、リコはかわいいなぁ。かわいいかわいい僕のリコ。好きだよ。愛してる」
 素面のはずのリコは酔っ払いのバルクより赤くなる。なんなんだ。どうしてしまったんだろう。酒のせいでアタマのネジが2、3本飛んでしまったんだろうか。
〈どうしたの?〉
 無理やり身体を引き離す。
「どうもしない」
 指先で頬を撫でられ、髪を梳かれる。くすぐったいけれど、それだけじゃない。その触れ方で求められていると、わかる。
 バルクはリコの左手を取って、指輪にキスする。
「気づかなかった? ルブラで、みんなきみを見てた」
 アルコールのせいで潤んだ目でじっと見つめられてどぎまぎする。
〈わたしを?〉
「そう」
 そのまま左手を引いてリコを胸に引き寄せる。
 見上げた顔にキスの雨が降る。額に、目蓋に、頬に、唇に。
〈なんで…〉
 自分で言ってハッと息を飲む。守護者だということがバレていたのだろうか。そうだ。見る者が見ればわかる。この闇の魂を。魂を見るのは村の精霊使いたちだけじゃない。なんて馬鹿だったんだろう。楽しいからってすっかり浮かれて、全く気づいていなかった。少し考えればわかることなのに。わたしは、本当に馬鹿だ。身の丈に合わない願いごとなんて持つから。爪先が冷たくなる。手が震える。どうしよう。どうすればいい。
「違うよ。大丈夫。そうじゃない」
 視線を落としてしまったリコの頬に手を添えて、こちらを向かせる。
 それなら…?と紡ぎかけた思考は、キスで中断される。
「指輪をプレゼントしておいてよかったな、という話」
〈どういう意味?〉
 バルクは答えない。ついばむようなキスが、だんだん深くなる。
〈ねえ、バルク…〉
「明日はどこに行こうか?」
 唇を触れあわせたままで言う。
〈答えてよ〉
「答えない」
 指が鎖骨をなぞる。その手を押しのける。
〈いじわるな人は触らないで〉
 リコは身体を離し、目に力をこめて、精一杯怒った顔を作る。
 長い睫毛に縁取られた、憂いを帯びた緑の瞳、細くて真っ直ぐな鼻梁、小さな鼻、ふっくらした小さい唇、細い顎。彼女が楽しそうに笑えば、誰だって彼女を見る。それなのに、人に視線を向けられることに恐怖を感じ、隠され遠ざけられるべき者としての自己像しか持っていないことにどうしようもない憤りを感じる。彼女は守られるべきだった。
〈あの、バルク…。本気で言ったわけじゃ…〉
 真剣な顔でふと黙ってしまったバルクに戸惑う。
「うん、わかってる」
 両腕でそっと柔らかく抱きしめられ、背中を優しく撫でられる。さっきまでとは違う、慈しむための触れ方。
「きみは守られるべきだった。どんな力を持っていようと、誰が何と言おうと、こんなふうに扱われちゃいけなかった。僕は、やるべきことを放棄した人たちに、本当に腹を立ててるんだ。きみをこんなに怯えさせてるのは、彼らだ」
 リコはバルクの肩に頭を預ける。
 優しく包まれている感覚が心を満たしていく。
〈でも、仕方なかったの。わたしの闇の精霊のせいで村の精霊使いの精霊たちが活動できなくなったり、引き寄せてしまった魔物を追い払うためにギルドにいる人に帰ってきてもらったり、本当に大変だったの。仕方なかったの。みんな必死だった。もう、いつ具体的な被害が出たっておかしくなかった。わたしもまだ小さくて、今よりずっと未熟だった。力のコントロールが全くできてなかった。何もかも、仕方なかったの〉
 バルクは首を振って、リコを抱く腕に力をこめた。
「違う。…違う、仕方なくなんかない。もしそうだとしても、何かやり方があったはずだ。きみをただ遠ざけて閉じこめるやり方は、絶対に間違ってた。力のコントロールを学ばせる方法だって、いくらでもあったはずだ。やろうとしなかっただけだ」
 リコは目を見開いた。その言葉の裏にあるものに、気がついてしまった。胸がズキズキする。知りたいけれど知りたくない。でも、気づいてしまった以上確かめないわけにはいかない。
 リコは身体を離すと、真っ直ぐにバルクを見た。
〈わたしに、同情してるのね? 憐んでる、のほうが正しいのかな〉
 何も答えを聞いていないうちから、涙がせり上がってくる。嫌だ、まだ泣きたくない。
 それに、それでいいと思っていたはずじゃなかったのか。側にいてくれるなら、同情で、憐憫で、構わないと。自分は彼を愛している、それで十分だと。いつのまにこんなに欲張りになっていたんだろう。自分が彼を愛するのと同じように彼に自分を愛してほしいなんて。希望なんか持つから失望しなければならないと、知っていたはずだったのに。「仕方ない」それが自分の処世術なんじゃなかったのか。何をやっているんだろう。わたしは馬鹿だ。ジュイユが言っていたのは、このことだったのか。悲しませたくないと言ってくれたのに。全然わかっていなかった。この胸の痛みは、希望の代償だ…。
 しかしバルクはリコの言葉をきっぱりと否定した。
「違う」
 そして、目を伏せて息を吐いた。
「きみがどう思おうと、僕はきみを1人の女性として愛しているし、生涯の伴侶として尊敬してるし大切に思ってる」
 バルクはリコの手を握った。
「誤解せずに聞いてほしい。最初は確かに、同情だった。きみの孤独を和らげてあげたい、背負っているものを少しでも肩代わりしてあげたいと思った。世界から忘れられてるような気がしてる女の子に、何かしてあげたかったんだ。僕にそれが務まるのなら、きみが僕を必要とする限りは塔に残って、出ていくのはきみが僕を必要としなくなってからでも遅くないと思った。でも」バルクは一旦言葉を区切って、親指でリコの指輪をなぞる。「聖域できみが僕に短剣を渡して、もしものことがあったら殺してほしいと言った時、僕は本当に怖かった。僕はきみと生きるためにきみを抱いたのに、きみは僕にさよならを言った。あの真っ直ぐで透明な目、忘れられない。本当に悲しくて怖くて、それで気づいたんだ。これはもう同情じゃ片付けられない、きみを愛しているんだ、って。僕は、きみの強さと弱さを愛しているし、きみが持ってる愛と孤独を愛している」
 リコの目に溜まっていた涙が堰を切って、手の上にぽたぽた落ちる。
〈同情で、いいと思ってた。わたしはあなたが好きで、それだけで十分だって。あなたが側にいてくれるなら、同情だろうが憐みだろうが、構わないって。それなのに、いつのまにこんなに欲張りになったんだろう。何もかもを諦めて、気持ちをやり過ごして、それで上手く生きてきたはずなのに。仕方ないって、それで納得してたはずなのに、わたしは、欲張りになった…〉
 バルクは指でリコの涙を拭った。
「それでいいんだよ。そのために、この指輪をプレゼントしたんだ。きみは、僕の全てを要求できる」
 リコは手を持ち上げて、濡れた瞳で指輪の石を見た。
〈この石が青く光るのは、バルクの魔力が封じ込められてるからだって、ジュイユが言ってた。自分の魂を贈るっていう意味だって〉
「なんだ、聞いちゃったのか」
 バルクは悪戯っぽく笑った。
〈ジュイユ、呆れてた。何も知らずにつけてるのかって〉
「本当はもっといいものをあげたかったんだけど、時間がなかったものだから」
〈ううん、これがいい〉リコは内部に青い靄の見える石を見ていたが、ふと顔を上げた。〈指輪をプレゼントしてよかったってどういう意味?〉
「それ、あくまで追及してくるね」
〈だって知りたい。それに、わたしが聞きたければ洗いざらい白状するって、言った〉
 バルクは天井を仰いだ。
「そういう文脈で言ったんだっけ? まあいいや」
 バルクはリコの左手を取った。
「誰がきみの笑顔に見惚れてたって、きみはもう僕のものだ。この指輪が、僕の代わりに全世界にそれを宣言してくれるから、きみをどこかに連れ出す前にプレゼントしておいて良かった、という意味」
頬にキスされて、リコは真っ赤になった。

 シャワーから出てくると、もう眠っていると思っていたリコはまだ起きていた。腰高窓のカーテンの下からリコの白い脚が伸びている。夜景を見ているらしい。
 バルクもカーテンの外側に入る。
〈街の光が明るすぎて星が見えない、っていうのを本で読んだ時は、どういうことなんだろうって思ってたけど〉リコは窓の外を見たまま言う。〈こういうことだったんだね。初めて見た。空は真っ暗だけど地面は明るくて、不思議。この灯りの1つひとつに人がいて、生活や人生があるんだよね〉
 バルクはリコの肩を抱く。リコはバルクを見上げた。
〈ねえ、わたし、世界のこと全然知らなかった。もっと色んな場所を見てみたいな〉
 リコはカーテンの内側に戻った。バルクも後を追う。
〈それに〉バルクの背中に腕を回して、ぴったりと身体を寄せる。〈夜って、こんなに静かなんだね。それも、知らなかった〉
「そうだね。塔の夜は賑やかだった」
 魔物は眠らないし、そもそも夜に活性化する者も多い。
 バルクはリコの額にくちづけると、ベッドルームへと促した。
 ベッドに入って明かりを消す。リコはバルクの胸に寄り添った。
〈静かすぎて、ちょっと怖い。世界に2人きりみたい〉
「みたい、じゃない。今は」
 バルクはリコを仰向かせると、唇を重ねた。
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