失われた歌

有馬 礼

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第2部 帝都ローグ篇

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 帰りはヒューゴの同僚が自動車で送ってくれた。闇は得体の知れない閉鎖空間に入るのを嫌がり、バルクがずっと抱きしめている羽目になった。
「ありがとう、ヒューゴ。明日はトルヴの駅で待ち合わせしよう」
「おう。じゃあな、お疲れ」
「お疲れさま」
 走り出した自動車の中、ヒューゴは2人を振り返る。バルクが闇に抱きつかれるような格好で歩いていく。
(大丈夫かな)
 まあ、大丈夫じゃなかったとしても自分でなんとかするしかないわけだが。
 それより自分の心配をした方がいい。今日あったこと全てを報告書に書いたとして、どれだけ信じてもらえるのだろうか。
 ため息をついたヒューゴを同僚がちらりと見た。
「珍しいな、ため息なんて」
「まあな。理解を超えたことばっかで、疲れたぜ…」
 ヒューゴは目を閉じた。

 部屋に帰ると、真っ先にリコの様子を見に行く。眠っているとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
 リコはぐっすり眠っていて、ほっとする。闇のボロボロ対策で厚着させたままだったことに気づいて、コートを脱がせてやる。中に着たプルオーバーはそのままでいいだろう。
 リビングに戻ると、闇はソファに座っていた。
 バルクはダイニングチェアに腰掛ける。
「バルク、隣に座ってよ」
「…」
 どうしようかと迷うが、仕方なく闇の言葉に従い、ソファに移る。
「そんなにリコのことが好きなの?」
 闇は顔を前に向けたまま言う。
「そうだよ」
「あたしのことも、好きになってほしい。リコと同じだけなんて言わない。リコが眠ってる間だけでいいから。…リコの、代わりでいいから」
 闇は顔をバルクの方に向け、声を震わせて言う。
愛する人とそっくりな顔で、愛する人の声で言われて、胸が苦しい。誰と話しているのか自信がなくなって、頭が混乱する。突き放した方がいいと理性ではわかっているのに、心を納得させるのが難しい。それでもなんとか言葉を紡ぐ。
「それはできない。前にも言ったけど、きみはきみであって、リコじゃない」
「…」
 闇は俯いて下唇を噛む。
「わかった。…もう言わない」絞り出すように言う。「だから、ちょっとだけ、ぎゅってしてほしい…」
 バルクの肩にそっと頭を載せる。
 バルクは諦めて、闇の背中にそっと腕を回した。闇が氷のような冷たい身体を寄せてきて、思わず身震いする。
 闇は深いため息をつく。
「あたしは好きなの、バルク…」
「うん、わかってる。知ってる」
 闇はバルクの背中に回した腕にぎゅっと力をこめると、かき消えた。
「…」
 
 あれはどうなっておるのですか。魂がある。

 ヴィラントはそう言っていた。
 腐った魂と融合したことで、闇の精霊は魂を持つことになった。おそらく。バルクに恋愛感情のようなものを向けてくるのがそのせいだとしたら。本来味わう必要のなかった苦しみを味わっている。拒絶される苦しみを。
 可哀想に。

 シャワーを浴びても、なんとなく眠れる気分ではなくなってしまい、リビングで酒を飲む。辛い気分を紛らわせるために飲むのはあまりいい飲み方とは言えないな、と思いつつ、飲まずにいられなかった。この前の残りを空けてしまい、気がつけばカーテンの向こうの空が明るくなり始めている。
 ようやく眠気を覚えて、リコの隣に潜り込む。
 リコはぐっすり眠っている。いつもどおり、温かくて柔らかくていい匂いで。

 翌朝、リコが目を覚ましても、珍しくバルクはそれに気づかず眠っていた。昨夜はいつ帰ってきたのだろう。闇が戻ってくれば目を覚ますかと思っていたが、結局朝まで眠ってしまった。最近前のようにいつも眠くて眠くて仕方ない、ということはなくなっていたから、ちょっとショックだった。
 バルクを観察する。怪我をしているような様子はないが、疲れたのかもしれない。身体の疲れだけでなく、気苦労もかけている。
 眠っているバルクの唇にそっとくちづけてベッドを抜け出す。
 
 リコ、あたし辛い。どうすればいい? 助けて。

(闇が泣いてた…)
 闇の精霊には、色々なものを背負わせすぎている、とリコも思う。他の精霊使いの精霊のように、自分に隷属させるか? 人格を閉ざしてリコに隷属すれば、もう苦しむことはない。でも、それがいいことなのかは判断できない。闇はどう思っているのだろう。あるいは…。腐った魂を闇の精霊から切り離し、封印する。ドラゴンの言うように。
(そして、あとひとつ選択肢がある…)
 リコはソファの上で膝を抱え、自分の膝に額をつける。苦しい。涙が、あとからあとから溢れてくる。
(誰かを愛するって、嬉しくて、苦しい)
 みんな傷つけてしまう。どうして。
(選べないよ…)
 でも、選ばなければ、全てを失ってしまう。わかっているのに。

 選ぶんだな。

 そうドラゴンは言っていた。本当にそれしか方法はない? どこかに道があるはずだ、あってほしい、と祈る。全ての点を繋ぐ、隠された道が。
(闇の精霊、闇。あなたの苦しみをどうやったら癒せるんだろう…。あなたを救おうとすれば、バルクを傷つける。多分きっと、今も傷ついてる…。2人の苦しみを癒すために、わたしは何をすればいい? 何ができる?)
 涙がまた溢れてくるが、溢れるに任せる。自分の膝頭に顔をうずめて、肩を震わせて泣く。多分、闇の代わりに泣いてる。泣いて苦しみが軽くなるなら、いくらでもわたしの身体を使って泣くといい。あなたは限りなくわたしであって、わたしは限りなくあなただ。あなたの代わりに泣く。

 バルクは珍しく、昼近くになってようやく目を覚ました。目覚めはいい方なのに、今日は珍しくぼんやりしている。
〈ゆうべ、大変だった? ごめんなさい、わたし、いつ帰ってきたのかも知らなくて…〉
 ソファに座ったバルクの隣に腰掛けると、無言で抱き寄せられた。
「泣いてたの?」
 バルクが耳元で低く囁く。泣きすぎて目が腫れぼったくなったので、濡れタオルで冷やしていたが、あまり効果がなかったようだ。
〈うん…ちょっとだけ〉
「そう」
 ただ抱きしめられる。バルクは理由をわかっているのかもしれない、と思う。力を抜いて、身体を預ける。
 バルクの腕の中までは、苦しみも追ってこられない。無条件に安らげる場所。目を閉じる。
「そうだ。ネクロマンサーを見つけたよ」
〈ほんとに?〉
 身体を離して顔を見上げる。
「封印されてたんだって。誰に封印されたと思う?」
〈封印…?〉
 ということは、精霊使いの守護者が絡んでいるのか。
〈わからない〉
「レイフだよ」
〈レイフ!?〉
 狭義の守護者の名前にリコは驚いて目を見開く。
「今日の夜、迎えに行くことになってる。まず、きみの封印で閉じ込めた体裁を作って連れ出して、ルブラ経由で塔に運ぼうと思うんだ」
〈封印しなきゃいけないの?〉
「魔物を動かす必要がある時は、拘束しなきゃならないって法律があるんだよ。ヒューゴの立場も守ってあげなきゃいけないしね」
 公共の場に魔物が現れた時、その場で戦闘になると市民を巻き込む恐れがある場合に、魔物を別の場所に移す際の決め事だった。魔物の力が強大すぎて手に負えない場合などの例外もあるが、ここは正攻法でいくべきだ。
〈それで、わたしの出番なのね?〉
「そういうこと」
 バルクはリコの背中に回した腕の径を縮めて、引き寄せる。リコは目を閉じて、瞼や頬に落とされるくちづけを受けた。
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