失われた歌

有馬 礼

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第3部 古都アーセンバリ篇

2 ほんとひどい

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 えっ、とセストの口から悲壮な声が漏れる。

「すまん、セスト。お前に是非、と大寺院から指名があって」

 白髪の院長は、本当に申し訳ない、と頭を下げる。

「うう…はい」

 俺、今泣いてるんじゃないかな、と思いつつセストはその巨体を気の毒なくらい小さくして、とぼとぼと院長の部屋を後にした。

「よう、院長、なんだって?」

 院長に呼ばれている間、寺院に併設されている治療院の業務を代わってくれていたテオが、手を拭きながら事務所に入ってくる。

「…アーセンバリに行けって」

 盛大なため息と共に言う。

「古都に? へえ、いつ?」

 テオは、よく日にやけた、背が高くて筋骨隆々という言葉がぴったりのセストを見上げて言う。

「明日」

「えっ? だってもうすぐ…」

「はぁ…もう、泣いていい?」

 セストの厚いけれど形のいい唇から盛大なため息が漏れる。いつも穏やかな弟分が愚痴を漏らすのをテオは初めて聞いた。いつもは生き生きとしている、ハッキリした目も、今は可哀想にしょぼくれてしまっている。

「お、おう。好きなだけ泣けよ。今日の治療院の当番、代わってやるから」

「助かるよ」

 今日はもう仕事になりそうになかったので、ありがたく申し出を受ける。

「けど、ひっどいこと言うなあ。エレオノラがルブラみたいな片田舎の収穫祭で歌姫やってくれるのって、お前が腐った魂を祓ってやったお礼なんだろ?」

「うん、まあ…」

 あああー見たかったなぁぁぁぁー、と頭を抱えるセストの肩をテオは、ぽん、と優しく叩いた。



 出発の準備をしなければ、と思いつつ、辛い現実から逃れるため、自室に戻ったセストはとりあえずトレーニングに励んだ。

(しかし、アーセンバリにだって僧侶はいるのに、なんで俺なんだ。いや、最悪それはいいんだ。俺は僧侶だ。そこに救うべきものがいれば地の果てにだって行く。それが仕事だ。けど…)

 凄まじいスピードで腕立て伏せを繰り返すセストの顎先から汗がぽたりと落ちた。

(明日行け、はない。俺だってエレオノラのステージ見たかった)

「はあ…もう…ほんと…ひどい…」

 呼吸の合間に恨み言が漏れる。



「でも、なんでいきなり出発なんだ? あと10日待ってくれれば」

 食堂で、決して豪華とは言えない、代わり映えのしない食事を摂る。

「わからない。けど、アーセンバリ近くの廃坑に腐った魂が集まってるらしくて、急を要するとかなんとか」

「ローグで働きすぎたんだよ、お前」

「俺はただ一生懸命…」

「まあな。それがお前のいいところだよな」

 テオは豆のスープをひと口飲んだ。

「腐った魂を浄化できる僧侶は、滅多にいるもんじゃない。帝都の大寺院にだって、いるかどうか。正直俺は、お前が帝都からこの片田舎に帰ってきたこと自体が驚きだった。大寺院が離さないだろうと思ってた」

「残らないかって話は、確かにあった」
 
 セストはスープを食べるでもなくかき混ぜる。

「なんで蹴ったんだ? 出世のチャンスだったのに」

「いや…出世とかは、特に興味ないからいいんだ。俺は、人と身近に接していたいから」

「そうか。お前らしいな。古都でも人助けか?」

「…腐った魂が廃坑に集まっているせいで強力な魔物が出現してて、それ目当てにジェムハンターたちが集まってるらしい。当面は、彼らの治療に追われることになると思う」

 硬いパンをちぎって口の中に放りこむ。食べると口の中の水分が奪われるため、スープを飲んだ。

「あー…」

 テオは遠い目になる。「狩場」と呼ばれる、強力な魔物が出現するポイントは、多くのジェムハンターが集まる。当然死傷者も多くなるため、教区に狩場がある寺院の僧侶は、激務なのだった。ルブラにも多少強力な魔物が出現する狩場はあるものの、効率が良くないためか、訪れるハンターはそれほど多くなかった。テオは、以前の教区で過労のために心身を病んでルブラに来た。着任した当初は、「ここは地上の楽園だ」と言っていたものだった。昔を思い出したのかもしれない。

「人助けもいいが、自分も大切にしろよ? 潰れさえしなければ、また人を救える。ヤバいと思ったら迷わず帰ってこい。頑張りすぎるなよ。あいつら、ちょん切れた腕が戻らないとかって文句言ってくるけど、まともに取り合うなよ? 『だったら腕取ってこい、運が良ければくっつくかもな』つって、撥ねつけろよ?」

「…わかった。ありがとう」



 旅立ちの日は雨だった。しとしとと降る細かい雨に、落ち込んでいた気分がさらに落ち込む。

「院長、行って参ります」

「すまないな、セスト。これが、ローグの大寺院への紹介状だ。ローグの大僧侶が会ってくださる。そこでおそらくアーセンバリの大寺院への紹介状が渡されることになるだろう」

「アーセンバリの?」

 セストは怪訝な顔をしつつ、両手で封筒を受け取る。

「うむ。私にも何のことやらだが、どうも大寺院の思惑が絡んでいるようだ。ローグで働きすぎたんじゃないか?」

 院長もテオと同じことを言う。

「俺はただ、一生懸命やっただけです」

「それがお前のいいところだな」

 院長はテオと同じ感想を述べて、うんうんと頷いた。

「しっかりな。だが、いつでも帰って来なさい」

「はい」

 院長室を出ると、テオが待っていた。

「送るよ。つっても、向かいのハンター協会までだけど」

「ありがとう。…そういえば、俺が抜けた後は誰か応援が来るのかな」

「さぁな。もともとここはそんなに忙しい教区じゃないから、来ないんじゃないか? いざってときは院長も引っ張り出してしのぐよ」

 テオは大袈裟に肩をすくめた。
 セストは紹介状を折れ曲がらないように注意深くザックにしまい、背負い直す。
 表に出ると、細かい雨が降っているのは相変わらずだったが、雲に覆われた空は明るくなってきていた。もうすぐ雨が止むのかもしれない。
 突然ハンター協会にやって来た、長身で筋肉の鎧をまとい、世界の四要素を表す十字の印が入った漆黒の僧衣を身につけたセストに、その場にいたハンター協会職員や、たまたまポートを利用しに来ていたハンターたちの視線が集まる。

「ローグまで」

 ハンター協会員ではないセストはコールリングを持たない。ポート利用料を支払い、ローグのポートに飛ばしてもらう。

「あ、は、はい」

 まだ若い男性職員は、料金を受け取ってローグのポートを呼び出す。帝都ローグのポートは常に混み合っているため、なかなか許可が下りない。

「気をつけてな。くれぐれも無茶するなよ」

「うん、わかった」

 テオを安心させるように微笑む。テオは優しい兄僧侶だった。いつも誰かを心配している。きっとそれで、知らず知らずのうちに無理をして、結果、心身を病んでしまったのだろう。

「許可が下りました。4番の円の中にどうぞ」

 職員がセストに声をかける。

「じゃあな、元気で帰って来いよ」

「ありがとう。テオも元気で」

 2人の僧侶は、肩を叩きあって別れた。
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