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守護者 2日目(前)

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 夜じゅう4体の精霊は暴れ回っていた。まあ、どうしようもないので、とりあえず暴れるに任せる。
 ついでに腐った魂たちを救ってもらおうと、あらん限りの力で死霊やら腐った魂やらを呼び寄せる。ネクロマンサーの本領発揮。なかなかやるじゃん、わたくし。腐った魂にくっついて、魔物もぞくぞく集まる。死霊と腐った魂と魔物と精霊の大運動会。人間が見たら腰を抜かすこと請け合い。

「この状況でこんなことを言うのもどうかと思いますけれどもね」

 朝が来て、わたくしは血色不良ガールズの墓に、ようやく見つけた花を手向ける。最近の日課だ。やっと12本、全員分揃った。周りがこの有様なので、今日は花を見つけるのに少し遠出をしなければならなかった。わたくしの頭上をオーガが吹っ飛んでいく。

「とても穏やかな気分でございますよ」

 1本ずつ、花を手向けていく。
 墓の真横を、炎に包まれた魔物が転がっていく。砂塵が巻き上がる。爆発。熱風。炎。そして氷の雨、かまいたち、地割れ。

「実はね、救いがやってきたのでございますよ。凄まじくやかましい救いでございますけれどもね。ほっほっほ」

 墓は何も答えない。水に広がる波紋のように、かつて在った者の余韻をそっと伝えるのみ。わかっている。彼女らの魂は軽くなって天に昇った。自身の姿も忘れ、名も忘れ、辛かったことも楽しかったことも忘れて、透明になった。これはわたくしの自己満足。
 魔王城が灰塵に帰そうとも構わないが、この小さな園だけは守りたい。半球状の結界を張る。直接攻撃されない限りは破られることはないだろう。わたくしは地面に腰を下ろし、頭上で繰り広げられる戦いを他人事として観戦する。
 精霊は自然そのものだ。だから、力尽きることがない。自然から火、水、風、土の要素を吸収して活動する。とはいえ、並の精霊使いの操る精霊は、主が意識を失ったり、主との距離が離れすぎると力を失う。主がこの場から離れても力を失わず、その上自律して動く精霊など聞いたことがない。いや、目の前にいるんだけど。

「しかしねえ」

 頭上で火の剣が一閃されると、火の雨が降る。巨大なムカデの魔物が炎に包まれて燃え上がる。脚を引きずった兵士の姿をした腐った魂が、その火柱にふらふらと近づいていく。引き寄せられるように炎に手を伸ばすと、上昇気流に巻き込まれてふわっと持ち上げられ、空中に溶けて消えていった。彼は軽くなった。良かった。

「もうちょっとこう、優しい感じにはできないものでございましょうかねえ…。死んでなお殺されてるみたいなところが、なんとも落ち着かないのでございますけれども」

 だいたい、精霊が武器の姿ってどうなのよ。
 精霊がどのような姿を取るかは、主の力量次第だ。下位の精霊使いだと、ぼんやりした陽炎のようなものしか出せない。上位になるにつれ、輪郭がはっきりし始め、動物などの具体的な姿を取るようになる。王太子の精霊のように、人の姿を取るものもごく稀にある。レイフほどの力があれば、人の姿だって神話の生き物の姿だって、なんだって取れるはずなのだ。なのに。なのに敢えての武器。黙々と破壊と殺戮を行う武器。

「悪趣味でございますねえ、まったく」

 青空にもう一つの太陽が現れ、近づいてくる。

「一番やかましい方がいらっしゃいましたね」

 2頭の光の馬が牽く、光の戦車。
 いきなり結界をブチ破られてはたまらないので、仕方なく外に出る。

「ヴィラントお前舐めやがって!」

 ギャンッ、と戦車を結界の横につける。
 ど初っ端からめっちゃキレてる。こっわ。見た目幼女だけどそれが余計に怖い。

「何だこれは! 喧嘩売ってんのか!?」

「喧嘩とは?」

「この騒ぎだ!」

 腕を胸の下あたりで組み、顎を上げて、タンタンタンタン、とリズミカルにつま先で地面を打つ。

「ああ、ええ。あなた様が精霊を置いていかれましたので、どうせならこの辺にいる死霊も腐った魂もみな天に還していただこうかと。ついでに魔物が集まってきてしまいましたが。あなた様にとっては大した問題ではございませんでしょう」

「ばかやろう! この大騒ぎのせいで王太子が怒っちまって、私は朝から野菜だけのフルコースだ! お前のせいだからな! しかもお残し禁止! また昼に続きを食べに帰らなきゃならない!」

 真っ赤になって怒鳴る。

「多分それ、王太子殿下は本気で怒ってはいらっしゃらないのでは」

「うるさいうるさい!」

「ところであなた様は人の国の城にお住まいなのですか?」

「は? 王太子の野郎が遊びに来いって言うから行っただけだ! 王宮づきの菓子職人が焼き菓子焼いて待ってるって言うから行ってやったのに! くそっ!」

「はあ…」

 王太子殿下を野郎呼ばわりだしお菓子に釣られてホイホイ王宮に行っちゃうし、もう、どこからつっこめばいいのやら。そうか、そこで、わたくし殺したらなんでもお願い聞いてあげるよ?ってな話になった、と。人の運命をスナック感覚で決めるのやめてほしい。しかもお願いが「野菜食べたくない」とか。いやいや、もうちょっと値打ちあるでしょうよわたくしの首。世界の半分とは言わないけども。ああもうこの雑な扱い。…最高にソソる。
 カッチカチに凍りついた巨人の魔物が空から降ってくる。レイフはそれに一瞥をくれることもなく、サッと払いのけるように頭上で手を振ると氷塊は凄い勢いで真横に吹っ飛び、別の魔物に激突する。

「とにかくさっさと死ね!」

 プラチナブロンドの長い髪がふわりと揺れる。

「あ、ちょっとタンマでございます」

 わたくしは手のひらを向けて、いきりたつレイフを制止する。

「こちらの」手で示す。「結界は壊さないでいただけますか。この墓の下にはわたくしにとって大切な人々が眠っておりますので。それから…王太子殿下に、いつかこの墓を訪れていただきたいとお伝えいただけませんか」

「てめーで言えよ」

 ツンと顎を上げたまま言う。最高タマラン。

「わたくしのような者にとっては、王太子殿下は、そう簡単にお会いできる方ではございませんので」

「私は伝書鳩じゃない」

「これはお願いでございますよ。聞き入れるかどうかは、あなた様にお任せいたします」

「フン、変な奴。お前もちょっと頭おかしい」

「わたくしほど普通でまともで平凡な者はいないと自負しておりますが?」

「頭おかしい証拠じゃないか」

「心外でございますね」

 レイフが腕を横に伸ばす。
 その手に向け、火の剣が飛んでくる。人の背丈ほどもあった剣が近くにつれて小さくなり、レイフの手に届く頃にはお子様サイズになっている。さすが精霊。

「あの墓にいるのは誰なんだ?」

「わたくしが作り出した彷徨える屍体どもが、拐かし、殺し、さらには『死霊縛り』と腐敗抵抗の術をかけて側女にしていた女性たちでございます。死してなお女性としての尊厳を踏み躙られていた、わたくしの罪の象徴のような方々でございます」

「ふうん」

 レイフの額が少し曇る。

「なあ、そいつらは腐った魂になっちまったのか?」

「いいえ」

「そうか。なら良かったな。そいつらを拐かした奴らは?」

「あなた様の精霊によって、天に還ってございます」

「なんだ。殺っちまってたのか。戦車に縛りつけて永久に引きずり回してやろうと思ったのに。つまらねーな」

 本当に、心の底からつまらなそうに言う。

「引きずり回して、泣いて殺してくれって言わせてやりたかったな。もう死んでるから、それ以上死ねねえよ、つって絶望のどん底に突き落とすんだ」

 悪趣味で恐ろしい幼女だな。
 クッ、と小さく剣先が動いたかと思うと、レイフが一気に斬り込んでくる。結界を小さく展開して盾にする。金属同士がぶつかり合う鈍い音。火花が散る。第一撃は防いだが、剣の勢いを殺すことなく下から第二撃が来る。レイフは舞うように剣を操る。おそらく精霊の剣は重さがないし、身体機能も、どうやっているのかはわからないが、強化しているのだろう。子どもができる動きではない。速い。
 次々繰り出される剣をなんとか防ぐ。追い詰められる。自分の剣を呼び寄せる暇もない。体勢を崩したところに横からの一撃を食らって弾き飛ばされる。地面に背中がつくのとほぼ同時に跳ね起き、距離が取れたのを幸いと自分の剣を呼ぶ。墓地の横に投げ出されていた剣は、わたくしの求めに応じて跳ね上がり、手の中に収まる。
 レイフがふと緊張を解いた。空を見上げる。

「はー、動いたらお腹すいた。王太子と昼一緒に食べる約束させられてんだよな。また来る」

 ギャンッ、と戦車が横付けになる。ひらりと飛び乗ると、戦車は空に駆け上がった。手にしていた火の剣を空中に放る。剣はまた人の背丈ほどの大きさに戻り、切り裂き、突き、火の雨を降らせ始めた。

「なんという…」

 わたくしは飛び去っていく戦車の後ろ姿を見送った。
 周囲を見回すと、魔物は次々と現れては消えているが、死霊や腐った魂はほとんどいなくなっている。

「おかわりしておきましょうかね」

 わたくしは着込んでいた上着を脱ぎ、翼を現した。骨組みだけの翼に、魔力で膜を張ると、上空に飛び上がる。風のクロスボウが矢を射掛けてくるのを薙ぎ払う。
 ネクロマンサーの言葉を使う。

『参』

 ありとあらゆる死霊と腐った魂を呼び寄せる言葉。
 再び魔王の森が乳白色の靄に包まれ始める。
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