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第3章 光の戦車は素直じゃない
10 夢(最終話)
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夢を見ていた。
夢だとわかる夢だ。
ーーなんで、いつも私が食べるところをじっと見てるんだ。
好物のタルトを頬張ろうとしたレイフが視線に気づいて唇を突き出す。
ふっくらした頬、まだ小さい手。
こんなに幼かったのだな、と思う。
そうだ、この頃はまだ、お茶が渋いと言って飲めなかったのだ。いつのまにか飲めるようになっていた。いつ飲めるようになったのだったか。思い出せない。
この少し後からレイフは会うたび背が伸びて、大人びていった。どんどん美しくなっていく彼女に、どぎまぎしたものだ。
ーーそんな風にじっと見られたら喉が詰まるだろ。王太子って暇なのか?
あどけない顔で、いつもの憎まれ口を叩く。
これは夢。幸せな夢。幸せだということにも気づいていなかった頃の夢。
胸が詰まる。
肩にそっと手が置かれて、振り返る。
そこにはレイフが立っていた。大人になったレイフが。
レイフは何も言わず、顔を覗き込むようにして微笑んでいる。傷を負う前の、元気だった頃のレイフ。
立ち上がり、抱きしめ、唇を重ねる。
そうか、もう、身体の影響は受けないのだものな。
レイフは少し身体を離すと、両手で頬に触れてくる。愛しい者を見つめる目で、微笑みながら、じっと目を見て、もう一度くちづけた。
「レイフ」
王太子は自分の声で目を覚ました。
窓の外は、淡い紫色に染まっている。少し温かい、春の夜明けだった。
しかし、この寝室はこれまで感じたことがないほどに暗かった。冬の夜だって、こんなには暗くなかった。
「レイフ…」
王太子は、隣に横たわっている愛しい者の身体を掻き抱いた。すっかり痩せ細ってしまったその身体はまだ温かさを残していたが、そこに宿っていた光は消えていた。
王太子は愛しい者の名を呼び、くちづけ、髪を梳いた。しかし彼の愛した光は戻らなかった。
竜を連れた守護者の葬儀は、国王の手により壮大に執り行われ、誰もがその死を悲しんだ。
その棺は、彼女の故郷であるオルト村に帰る。
「現れ」の術でやってきた一行を迎えた族長は、棺の左前を担いでいる青年に気づいて驚きの声を上げた。
「王太子殿下…!」
他の者と同じ簡素な礼服に身を包んだ王太子は、首を振った。
「今の私は、王太子ではない。ただの男だ。レイフを愛している、ただのアールトだ」
棺の中のレイフは婚礼衣装を着ていた。化粧を施されたその顔は、眠っているように穏やかで美しかった。
棺は、彼女の両親の隣に埋葬された。
地面に跪き涙を流している彼は、彼自身が言うとおり、レイフを愛し、その死を悲しんでいる、ただの男だった。
王宮に戻った王太子は、それまでどおり黙々と執務をこなした。誰も、何も言わなかった。彼がどれほど彼女を愛していたか知っている者は、何も。幸い、嘆き悲しんでいる暇などないほどに王太子は多忙だった。それは却ってありがたかった。
イミニ妃とサーシャ妃から、たまには3人でお茶をどうかと誘いが来て、久しぶりに王太子宮のサロンに来た。イミニ妃はずいぶん悪阻で苦しんでいたが、ようやく軽くなってきたようだった。最近は少し腹部が目立ち始め、締めつけの少ないドレスを着ている。
テーブルの上に並べられたタルトを見て、王太子ははっと息を呑んだ。
「これはまた、なつか…」
懐かしい、と言おうとしたが、声は完全な言葉にはならなかった。王太子は片手で口元を覆う。堪える間もなく、両目から涙がこぼれ落ちた。
「すまない…そなたたちの前では、嘆くまいと決めていたのに…」
「いいえ、殿下」イミニ妃が言う。「わたくしたちは、家族ではございませんか。家族の前で嘆いてはならないなど、そんなことがありましょうか」
「そうですわ」
サーシャ妃も言う。その目には涙が溜まっている。
「殿下には遠く及びませんが、レイフ様のことが好きで、早すぎる別れを嘆き悲しんでいるのは、わたくしたちも同じです」
「ありがとう…、イミニ…、サーシャ…。私は幸せ者だな」
「レイフ様のことを偲んで、時々こうして一緒にお菓子をいただきましょう? 殿下のレイフ様の思い出をお話しくださいな? わたくしたちも、殿下のご存じないレイフ様のことをお話しいたしますから」
「ええ。レイフ様の戦車で、3人でピクニックに行ったこととか」
サーシャ妃の言葉に、王太子は涙を流しながら笑った。
「なんだそれは。私が執務に追われている間に…羨ましいな。私も行きたかった。呼んでくれよ」
光の精霊は、その主人が去った後も力を失わなかった。
王太子は、彼の愛した者が願ったとおり、国の安定に務め、王位を継いだ後もそれは続いた。平和な治世に国はますます発展し、周辺の国々を従え、彼は皇帝と呼ばれることになる。
竜を従え光の戦車を操る皇帝は、その精霊の姿も相まって黄金皇帝と呼ばれ、民から愛された。
皇帝の部屋からは、時折、低くて甘い調べが聞こえた。それは彼が愛した者を偲ぶ調べだった。歌は失われたまま決して戻らなかったが、その音色を聴くとき、彼の愛した魂が彼のそばにいるのが感じられた。彼は生涯を、彼の愛した者の願いを叶えることに捧げた。
夢だとわかる夢だ。
ーーなんで、いつも私が食べるところをじっと見てるんだ。
好物のタルトを頬張ろうとしたレイフが視線に気づいて唇を突き出す。
ふっくらした頬、まだ小さい手。
こんなに幼かったのだな、と思う。
そうだ、この頃はまだ、お茶が渋いと言って飲めなかったのだ。いつのまにか飲めるようになっていた。いつ飲めるようになったのだったか。思い出せない。
この少し後からレイフは会うたび背が伸びて、大人びていった。どんどん美しくなっていく彼女に、どぎまぎしたものだ。
ーーそんな風にじっと見られたら喉が詰まるだろ。王太子って暇なのか?
あどけない顔で、いつもの憎まれ口を叩く。
これは夢。幸せな夢。幸せだということにも気づいていなかった頃の夢。
胸が詰まる。
肩にそっと手が置かれて、振り返る。
そこにはレイフが立っていた。大人になったレイフが。
レイフは何も言わず、顔を覗き込むようにして微笑んでいる。傷を負う前の、元気だった頃のレイフ。
立ち上がり、抱きしめ、唇を重ねる。
そうか、もう、身体の影響は受けないのだものな。
レイフは少し身体を離すと、両手で頬に触れてくる。愛しい者を見つめる目で、微笑みながら、じっと目を見て、もう一度くちづけた。
「レイフ」
王太子は自分の声で目を覚ました。
窓の外は、淡い紫色に染まっている。少し温かい、春の夜明けだった。
しかし、この寝室はこれまで感じたことがないほどに暗かった。冬の夜だって、こんなには暗くなかった。
「レイフ…」
王太子は、隣に横たわっている愛しい者の身体を掻き抱いた。すっかり痩せ細ってしまったその身体はまだ温かさを残していたが、そこに宿っていた光は消えていた。
王太子は愛しい者の名を呼び、くちづけ、髪を梳いた。しかし彼の愛した光は戻らなかった。
竜を連れた守護者の葬儀は、国王の手により壮大に執り行われ、誰もがその死を悲しんだ。
その棺は、彼女の故郷であるオルト村に帰る。
「現れ」の術でやってきた一行を迎えた族長は、棺の左前を担いでいる青年に気づいて驚きの声を上げた。
「王太子殿下…!」
他の者と同じ簡素な礼服に身を包んだ王太子は、首を振った。
「今の私は、王太子ではない。ただの男だ。レイフを愛している、ただのアールトだ」
棺の中のレイフは婚礼衣装を着ていた。化粧を施されたその顔は、眠っているように穏やかで美しかった。
棺は、彼女の両親の隣に埋葬された。
地面に跪き涙を流している彼は、彼自身が言うとおり、レイフを愛し、その死を悲しんでいる、ただの男だった。
王宮に戻った王太子は、それまでどおり黙々と執務をこなした。誰も、何も言わなかった。彼がどれほど彼女を愛していたか知っている者は、何も。幸い、嘆き悲しんでいる暇などないほどに王太子は多忙だった。それは却ってありがたかった。
イミニ妃とサーシャ妃から、たまには3人でお茶をどうかと誘いが来て、久しぶりに王太子宮のサロンに来た。イミニ妃はずいぶん悪阻で苦しんでいたが、ようやく軽くなってきたようだった。最近は少し腹部が目立ち始め、締めつけの少ないドレスを着ている。
テーブルの上に並べられたタルトを見て、王太子ははっと息を呑んだ。
「これはまた、なつか…」
懐かしい、と言おうとしたが、声は完全な言葉にはならなかった。王太子は片手で口元を覆う。堪える間もなく、両目から涙がこぼれ落ちた。
「すまない…そなたたちの前では、嘆くまいと決めていたのに…」
「いいえ、殿下」イミニ妃が言う。「わたくしたちは、家族ではございませんか。家族の前で嘆いてはならないなど、そんなことがありましょうか」
「そうですわ」
サーシャ妃も言う。その目には涙が溜まっている。
「殿下には遠く及びませんが、レイフ様のことが好きで、早すぎる別れを嘆き悲しんでいるのは、わたくしたちも同じです」
「ありがとう…、イミニ…、サーシャ…。私は幸せ者だな」
「レイフ様のことを偲んで、時々こうして一緒にお菓子をいただきましょう? 殿下のレイフ様の思い出をお話しくださいな? わたくしたちも、殿下のご存じないレイフ様のことをお話しいたしますから」
「ええ。レイフ様の戦車で、3人でピクニックに行ったこととか」
サーシャ妃の言葉に、王太子は涙を流しながら笑った。
「なんだそれは。私が執務に追われている間に…羨ましいな。私も行きたかった。呼んでくれよ」
光の精霊は、その主人が去った後も力を失わなかった。
王太子は、彼の愛した者が願ったとおり、国の安定に務め、王位を継いだ後もそれは続いた。平和な治世に国はますます発展し、周辺の国々を従え、彼は皇帝と呼ばれることになる。
竜を従え光の戦車を操る皇帝は、その精霊の姿も相まって黄金皇帝と呼ばれ、民から愛された。
皇帝の部屋からは、時折、低くて甘い調べが聞こえた。それは彼が愛した者を偲ぶ調べだった。歌は失われたまま決して戻らなかったが、その音色を聴くとき、彼の愛した魂が彼のそばにいるのが感じられた。彼は生涯を、彼の愛した者の願いを叶えることに捧げた。
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