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序章:折り返し、急降下

霊魂案内所

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「もしもし、もしもーし」

 控え目に、様子を伺うような声が聞こえる。ぼんやりと曖昧な響きは意識の覚醒と共に輪郭を持ち始めた。
 張りがなく、後ろ向きで、気の弱そうな男性の声。少しずつ視界も明瞭になっていった。
 私は粗末なパイプ椅子に座っていた。目の前には机があり、私の隣にも席があるようだが仕切り板が設置されている。机を挟んで座っているのは、声の印象そのままの頼りない男性だった。
 くたくたのスーツに身を包み、顔には血の気がなく、こけた頬と痩せぎすのシルエットは見るからにうだつの上がらないサラリーマンといった様相だ。

「ああよかった、お目覚めですね」
「ご心配おかけしました。失礼ですが、ここは……?」
「霊魂案内所、不慮の事故課です」

 なるほど。つまり死役所しやくしょか。
 くだらないことを考えるのはまだ意識がハッキリしていないからだろうか。そんなことはない、視界も音も鮮明極まっている。だとしたら、彼の言うことに嘘も冗談もないと考えていいのかもしれない。

「霊魂案内所というのは」
「死後の魂を悼み、二度目の人生……所謂転生の援助、サポートをする機関ですね」

 死役所ではなく職安に近い機関のようだ。死後の世界ですらこんなに手厚くサポートしてくれるのに、弊社ときたら。あそこは実在する地獄だったのだと実感する。
 死後の世界を誰が牛耳っているのかはわからないが、少なくとも弊社の上司よりはよほど優れた人格の持ち主なのだと思う。きっと慈悲深いお方なのだろう、足を向けて眠れない。

「それで、何故私はここに?」
「不慮の事故に遭ったから、ですね」
「信号無視した結果死んだんですけど、それでも不慮の事故扱いなんですか?」
「ええ。というのも……」

 話を聞いてみると、確かに私にも非がある。信号無視なんて当たり前に悪いことだ。事故にならなかったからといって許されるものではない。
 しかし、どうやら私を轢いた車の運転手にも大きな問題があったようだ。若者だったようで、宅飲みで気持ち良くなったまま当てもなく車を走らせていたとのこと。
 信号無視バーサス飲酒運転。どっちもどっちと言えばその通り。私の魂の処遇について審査があり、自業自得四割、不慮の事故六割の結果が下されたとのこと。

「ギリギリだったんですね」
「ええ、不幸中の幸いだったかと思います」

 不幸の中の不幸ではあるが、それでも幸運は転がっているものだ。生前に積んだ徳など些細なものだが、積んでおけばどこかで報われるものなのだと感じた。

「まず、この度は心よりお悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます。ご挨拶が遅れました、舞楽株式会社、事務員の牧野理央まきのりおと申します」
「失礼致しました。霊魂案内所、不慮の事故課のミチクサと申します。本日はよろしくお願いいたします」

 よろしくされてしまったのだが、これから私はいったいどうなるのだろう。二度目の人生――転生の援助をすると言ったが、転生とは? 生まれ変わるということ? どこの誰に? いま一つしっくり来ていない。

「不慮の事故課では二度目の人生応援キャンペーンとして、転生者様に特殊な能力をプレゼントしています。まずはこちらのカタログをどうぞ」

 ミチクサさんが机の下から取り出したのは週刊漫画雑誌並みの厚さを持つ本だった。カタログってもう少しスマートにまとまっているものでは? ここは地球ではないようだし、言葉のニュアンスが小さな島国の規格では計れないのかもしれない。
 それにしても、二度目の人生応援キャンペーン? 随分浮かれた名前の施策ではないか? こちとら命を落としているのだ、もう少しこの世の未練を噛み締めていたい。

 ……未練? あれ、ちょっと待って。私、なにか大切なことを忘れてる? 忘れてた!

「セブンス・ビート!」
「ヒィッ!?」

 私の声は霊魂案内所を一瞬で静まり返らせる。お通夜のような気まずい静寂は死後の世界でも変わらないらしい。
 いやそれよりミチクサさんだ。私が声を出した瞬間、椅子から転げ落ちて机の下に身を隠してしまった。

「失礼致しました、ミチクサさん。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……こちらこそ失礼致しました。大きな声が苦手でして……」
「誰だって苦手です。すみません、大事な用を思い出してしまって。まあ過ぎたことなんですけど」
「だ、大事な用とは?」
「アイドルのライブです。推してるグループのファーストライブが明日だったんですけど、まあ死んでしまっては行けません。化けて出るわけにもいかないですしね」
「左様でございましたか、それは悔しいですね……」

 悔しいなんてものじゃない。はらわたが煮えくり返っている。過去に戻れるなら安全確認をする私を背後から襲って意識を失わせたままタクシーに乗せている。
 死にさえしなければライブに行くチャンスなんて幾らでもある。五体満足でなくとも命一つあればアイドルは推せるのだ。掛け替えのないものを投げ捨てた過去の自分に全身全霊で命の尊さを教えてやる。
 過去の私の軽率さに全身が熱くなる。表情も歪んでいたのか、ミチクサさんはわざとらしい咳払いの後に続けた。

「話を戻しますと、牧野様には二度目の人生で不慮の事故に遭われないためにも優位性のある能力をプレゼントさせていただくのが本キャンペーンの目的となっております。牧野様は生前に果たせなかったことや諦めてしまったことはありましたか?」
「せいぜい推しのファーストライブを拝めなかったことくらいですかね」

 頼りない人だとは思ったが、やることはやれているようだ。
 仕事において顧客のヒアリングは重要な工程だ。相手が何を望んでいるのか、何に困っているのか。それがわかれば相手の欲求をよりピンポイントに刺激できる。欲求が満たされるとわかれば契約まで持っていきやすい。
 上司を含め先輩は誰一人としてそんなことを教えてはくれなかった。苦労の味はしょっぱくも苦かったが、後々糧になって身を助けてくれた。

 ……いや違う。糧にはなったがその分仕事を振られていた。厳し過ぎるダイエットみたいなものだ。呑気に肥え太っていたかったものである。

「牧野様はアイドルがお好きなんですね。推し? がいると、やはり生活に張りが出たりするのでしょうか?」

 いいのか、そんな不用意に話を振って。語ろうと思えば営業時間を過ぎるほど語り続ける自信があるぞ。話を振った手前、そちらから腰を折るのは失礼というものだ。その覚悟があるか?
 視線で覚悟を問うもミチクサさんはきょとんと目を丸くするばかり。なにかおかしな質問をしてしまったか? と。なにもおかしくはない。客のニーズを知らなければ最適な提案はできないのだから。
 どこまで話せばいいものか。あまり熱を持って語ってしまえば、ただの雑談になってしまう。困らせてしまうのも悪い、さわりだけ軽く話しておこう。

 そう思った矢先――

「ミチクサ! 時間かけ過ぎだ!」
「ヒィッ! すすすすすみませせん! すみません!」

 突如飛来した怒号にミチクサさんが飛び上がる。私に背を向けたかと思えばロック歌手も引くほどの速度でヘッドバンキングしている。腰は直角、視線は真っ直ぐ。上体の往復にかかる時間は一秒もない。脳震盪を起こさないかが心配である。 

「転生者は他にもいるんだぞ、ひとりひとりに時間かけてんじゃねぇ! 仕事舐めてんのか!?」
「滅相もございません! すみませんすみませんすみません! すぐに次のお客様へ向かいます!」

 地獄にも一歩先の地獄が存在するらしい。霊魂案内所、立派なブラック企業だ。客の前であんなこと言える上司が幅を利かせている時点で人事が終わっている。不慮の事故課だけかもしれないが。

 いやそれよりミチクサさん。まだ転生について詳細な説明がない上に、私のこと手短に片付けようとしている? その発言は一瞬で客の信頼を損ないますよ。現に私、めっちゃ不安。
 ようやく私に視線を戻したかと思えば、表情はすっかり怯え切っている。客の前でそんな顔をしないで、あなたプロでしょう?

「では牧野様、早速転生を行います。心の準備を!」
「は? ちょ、え? もっと詳細な説明は!?」
「すみません、後がつかえているので!」
「いやいやまず目の前の客をえええええっ!?」

 心の準備などする間もなく、突然底が抜けた。椅子ごと落ちていく私。霊魂案内所の照明がみるみるうちに遠くなり、あっという間に真っ暗闇。なんて心ない対応をする機関だ。レビューをつけるなら星一つ、問答無用の最低評価をつけてやる。
 ――まあ、自業自得が四割って言ってたし、最低限の慈悲は不慮の事故課に回された時点で施されたんだろうな。

 ここからは私次第だ。幸せになるのか、あるいは報いを受けるのか。散々な人生を送ってきたのだから、二度目の人生はもう少し余裕のある幸せな人生にしよう。

 願わくば――心の底から推せる子がいる世界に生まれ変わりたい。

 アイドルのいない世界でも光と希望を与えてくれる存在。そんな存在に出会えることだけを期待して、私は静かに目を閉じた。
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